図書館の魔物(2)
「…どうぞ、ここで良ければ」
私は持っていた本を素早く閉じ、そう告げる。浮世離れしたその容姿や、足音すら立てずに傍に来る程の人間らしからぬ様に、私は身構える。
だが彼女は、私の警戒に気付いたのか、その様子を見て楽しそうに笑った。
「ふふ、そんなに警戒しなくてもいいよ。貴女に危害を加えようって訳ではないの。ただ少し、面白そうだったからね」
彼女は私の向かい側に座ると、丸テーブルに肘をつきこちらを見つめてくる。
「私はクラウディア。貴女の名前は?」
まるで見た相手を凍らせてしまうかのようなその瞳に射貫かれ、私は絞り出すように返事をする。
「私は……イヴだ。好きに呼んでくれて構わない」
「素敵な名前ね、よろしく、イヴ」
クラウディアはにっこりと笑いながらこちらを見据え、そして言葉を続けた。
「普段ここには人は来ないから。随分と入口から離れているし、人間には読めない本ばかりだものね。静かに本を読むには絶好の穴場だったのだけど……そんな所にまさか人が来るなんて、驚いたわ」
彼女はそう言いつつも、全く驚いた様子がなかった。まるで冗談を言うかのように、笑顔を崩さず続ける。
「そんな所に、まさか貴女みたいな禁忌の術を成功させた人が来るだなんて……まるで運命のようね?」
その言葉に、私は目を見開いた。禁忌の術、それはきっとこの身体に染み付いたものの事なのだと、否応なしに気付かされる。
私は笑顔を絶やさない彼女に恐怖を感じつつも、疑問を投げかけようと口を開いた。
「それは、どういう……いや、これは……成功なんかじゃない。誰も、望んでなどいなかった」
無意識に、私は感情を吐露してしまう。何故初めて出会った貴女がそれを知っている、貴女はこの本に載っている通りの種族なのか、もしかして貴女は、この呪いをどうにかする方法を知っているのではないか。様々な思考が頭を巡る中、私の心を見透かしたかのように彼女は口を開いた。
「……そうなってからまだ日が短いようね。百……いえ、二百年程かしら。望まずそうなったというのが本当なら、随分と数奇な運命なのね」
彼女は少し考え込むような仕草をしてから、言葉を続ける。
「残念だけど、その身体をどうにかする術は私には分からないわ。あまりにも特殊なもののようだから……まるで複雑に絡まった糸のようね」
私が問いかけるまでもなく、彼女は少し申し訳なさそうにそう言った。その言葉に、私は少しだけ落胆する。
「そう、か……なぁ、貴女は一体、何者なんだ? 少なくとも人間ではないだろう?」
私の言葉に、彼女はぽかん、とした表情を浮かべる。そして、私が手にしている本を指差しながら笑う。
「その本に書いてあったでしょう? まぁ、そこには吸血種、なんて書かれているけれど。私は血なんて飲まないわ。……それに、確かに私は人間ではないけれど」
――昔はね、魔女だったのよ。
彼女は、少し表情に影を落としながらも、その微笑みを絶やさずそう呟いた。
不死を追い求めていた魔女の話は、よく伝承などに残されている。様々な魔術を研究し、その性質から他種族と交流しつつ、人間のものとはかけ離れた知識を得ては、自分の身体を弄って寿命を伸ばす。そう言われているはずだ。
「それじゃあ貴女は……不死、なのか?」
私の問いに彼女は頷く。その表情は変わらない。
つまり、彼女は望んで不死になったということだろうか。私は、初めて相対する自分と同じ性質の彼女の在り方に戸惑う。その様子をみて彼女は付け加えるように話し始める。
「でも貴女とは違うわ。イヴは人間でしょう? 私は生まれた時から魔女なのよ。その在り方も、精神性も、人間のものでは無いの。本を読むようになってから、少しは似てきたと思うけれどね」
「それじゃあ、何故私に話しかけてきた? 本当に面白そうだという理由だけか……?」
私の訝しげな視線を受けて、彼女は楽しそうに笑った。
「そうね、それはもちろん。後はちょっとした下心よ。一緒にいて楽しそうだと思った人は初めてなの。だから、お友達になろうかと思って」
友達、という言葉に相反するような、まるで獲物を狙うような瞳で、彼女はこちらを見つめてくる。
その後、彼女は語った。同じ性質の者は、交流すること自体が少なく、各々が勝手に生きている。そして会話が困難なものが多い。
自分と同じように、魔女で不死性を獲得したものは、少なくとも彼女の周りにはいなかったのだという。気付けば一人、もう数えることをやめてしまうほどの時を生きてきたと。
「それでね、元々大それた望みがあった訳でもなかったから、やることも無くなってしまって。気付いたら色んな国の図書館に籠るようになってたわ。本は良いわね、どの時代も尽きることなく、新しいものが次々と出るんだもの。きっとこの世界の本を書く生き物が死に絶えて尚、読み切れないでしょうね」
彼女は、先程とは打って変わり、可愛らしい笑みを見せる。私が少し呆気にとられていると、それに気付き少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「ごめんなさいね、話がそれてしまったわ。私には本があるけど……それでもやっぱり、交流が欲しくなるものなの。だから貴女に声をかけたのよ、イヴ」
だから、会話が可能で、価値観も他種族よりずっと近い私に声をかけたのだという。
「貴女は、その寿命をどうにかしたいようだから、強くは誘わないけれど。もし何かあれば私の所に来るといいわ。私は、変わらずここにいるでしょうから。この図書館がなくなるまでは、ね」
人間にとっては、ここからがきっと辛いでしょうから。
「また来て頂戴ね、イヴ。待ってるわ」
すっと立ち上がった彼女はそう言い残すと、沢山の本の中へと消えていった。
私にとって、まるで嵐のような彼女が居なくなり、無音の時間が続いた。私はふと思い出した、手に持っている本を開く。
先程のページを確認すると、そこにはこう書かれていた。
「魔女の成れ果て……死者の王? 血を採取して使う事があるから、吸血種なんて項目に記されていたのか」
精霊種からすれば、血を摂取することも、採取することもさして変わらなかったのだろう。内容のわりに、随分と雑な区分だと思った。
気付けば、私はこの本を読み終えていた。本の劣化を防ぐ魔術が埋め込まれた窓から外を見ると、既に日が高く昇っていた。もう正午を過ぎた頃なのだろう。
私は立ち上がり、読み終わった本を本棚へと返す。そして一階へと戻ると、図書館内に組み込まれた喫茶店へと向かった。
あまりにも広いこの図書館は、一日中利用する者も少なくなかった。そのため、食事をとる為の施設が入っている。私も例外なく、それを利用することにした。
普段飲むことのない珈琲とサンドイッチを注文し、席へとつく。あの魔女……クラウディアは図書館内にずっといるのだろうか、もしかしたらまたすぐ出会えるだろうか。
そんなことを考えながら、食事に手を付ける。すると、窓側のカウンター席に座る私に向かって、ガラス張りの窓が、外からコンコンと叩かれる。そこには私のよく知る人物が立っていた。




