【閑話】魔女と女神について
「あら、来てくれたのね。その……イヴは今日は来てないの?」
「先生は今仕事で少し遠出してるんですよ。帰ってくるのは三日後です」
俺は久しぶりにその友人の元へとやって来ていた。以前来た時は、俺があの人とそういう関係になったすぐ後だっただろうか。俺に人間を辞める方法を教え、その事を隠していたことについてあの人が問いただすと言い、この甘い物好きの魔女の元へと二人で訪れた時以来だった。
「……イヴはまだ怒ってるかしら」
「別に怒ってはいないようですよ。今の仕事先からもお土産を買ってきてくれるんじゃないですか? 晴れて貴女の望んだお友達になったんですから」
「なんで貴方が少し怒ってるの? 別に私の為じゃなくて、彼女は貴方の為に不死のまま生きると決めたんでしょ? まぁ私としてはそれを期待していたのもあったんだけど……」
彼女は少し不貞腐れたように俺が持ってきたケーキをつつきながら、それでもそれを口に運ぶ度その表情を綻ばせた。そんな様子に少し呆れつつ、俺は早速本題へと移ろうとする。
「それで、今日は聞きたいことがあって来たんですよ」
「なぁに?」
「……女神という存在をご存じですか?」
最初はあの人の匂いについて聞こうと思っていたのだが、ふとその話の元であるエドワードが護衛になった理由である彼の事を思い出し俺は質問を変えた。子供っぽい様子から忘れがちではあるが、彼女はそれこそ何千年という時を生きている魔女なのだ。
それならば、きっとこの国の建国前の時代の事も知っているだろう。彼ら王家にかけられた呪いや、その大元らしい女神についても何か知っているのではないだろうかと。そんな俺のその言葉に、別に面白くもなさそうな表情のまま彼女はあっけらかんとしてその口を開く。
「あら、昔はその辺によく居たわよ。今はもう姿を見ることは殆どないけど……」
「よく居た……? まるで動物みたいな言い方ですね」
神と名のつくものは、少なからず誰かしらに信仰されているものだろう。この国では基本的に宗教的なものの自由はあるが、それでも他国ではその国のあり方自体を信仰する神によって決めている所も存在している。それなのに、まるでそんな存在が当たり前かのように、更には複数存在していたのだと彼女は言ってのけた。
「何か勘違いしてるみたいだけど、どこだったかしらね……今の時代の人間が信仰しているような偶像的なものじゃないわ。昔はね? こう、大きな力を持った偉大な者、種族を纏めていた存在とか……そういうのを纏めて神って呼んでたのよ」
「あぁ、そもそも神という存在に対しての認識が違うんですね。いわゆる王のような存在を神と呼んでいた……まさか貴女もそうだったんじゃ」
「この種族名は勝手に付けられたのよ? 別に死者を統べていた訳でもないし、そもそも材料として使っていただけなんだけど。でもそうね、私も自らの力を誇示していれば、女神と呼ばれていたかもしれないわね? 興味がなかったからしてないけれど」
つまり、昔はその力を示すことが出来る者を神と呼んでいたのだろう。今でさえ信仰される偉大な者もいるが、そう呼ばれていたものは種族や国ごとに存在していたらしい。
「でもそうね……貴方がそんな話をするって事は、きっとメティスの事を言ってるんでしょ? 会ったことはなかったけど、あの欲望に塗れた女……あぁ、そう言えば呪いがどうとか言ってたわね。絶対に碌でもない呪いなんでしょうね」
確かに、俺が聞きたかったのはその女神メティスの話だった。出来ればあの人の呪いを解くことが出来るのならばそれに越したことはないだろうと思ってはいたが、彼女の口からはなかなかに聞き捨てならない言葉が吐き出される。
「知識の女神メティス……影では欲望の女神だなんて言われていたけれど。噂だけは聞いてたわ。自身で作り上げた眷属を使って、その知識欲を満たしていくだけの存在。けれど確かに、彼女のその知識の量は女神と呼ばれるに相応しかったそうよ」
「……女神と呼ばれるからには、やはりまだ生きているんでしょうか?」
「さぁ、どうだったかしらね。そもそもどんな種族かもいまいち分からないのよ。人間ではないらしいけど、だからといって不死性があったとは聞いてないわ。けれど……確か一人の人間の男に相当惚れ込んでしまって、そのままその人間が死んだ時に命を絶った……なんて言われていた気がするわ」
女神だなどと呼ばれているが、その話を聞く限りでは随分と人間地味ていると俺は感じた。惚れた相手と共にその命を終える様は、愛を知った一人の女性らしいと言えるのではないだろうか。
「それだけ聞くと、別に酷い女神のような気はしませんが……欲望に塗れたなんて、それ程言われる理由があるんですか?」
「それはもう! 自分の望みの為ならどんな事でもやってのけると言われてたんだもの。そうねぇ、その人間の男さえも……あら? もしかして、それってこの国の建国の王じゃなかったかしら。多分同じ時期だったから……そうね、だから呪いなんてかけたんだわ」
「今言われてみれば……確かにその可能性もあるんですね。初代の国王に惚れ込んでいたからこそ、国の為の祝福を与えた……」
言われてみればその可能性は高いのではないだろうか。そもそも何故知識にしか興味のないはずの女神が、この国の初代国王に祝福を与えたのか。それこそ、彼女がその男に惚れ込んでいたからなのだろう。
「……その呪い、本当に国の為のものなのかしらね? だって色々とおかしいんでしょ? 絶対何か裏があるわ」
「確かに、制御出来ず人を傷付けてしまうようなそれを祝福とは言い難い。彼らはこの国が大きくなり過ぎた為にその祝福が変質してしまったと解釈していたようでしたが。そうじゃないとしたらその呪いの正体は一体何なんでしょうかね」
「そんなの、あの女神にしか分からないわ。でも性格が悪かったって言ってたし、どうせ碌でもないものでしょうね」
その呪いが原因で、一度あの人が怪我を負ったことがあると知っている彼女は余計に王家やその女神を嫌っているようだった。だがそこまでいくと、流石にあの王子様も不憫だなと俺は思う。国の為にかけられたと言われていたその呪いが、まさかそんな危険性を帯びているだなんて。
「……呪いは解けないんですかね」
「間近で調べたことがないから分からないけれど。でもあれだけ古い時代から残っているのなら、もうそれは術でもなんでもなくてその家の血と言えるでしょうね。どうにもならないんじゃないかしら」
「それはちょっと困るんですよ。あの人、多分その呪いの影響で先生を欲しがっていましたから。彼女に後継を産ませようだなんて……考えたくもない」
あの人を避ける彼の行動や、俺があの人と結ばれたことを都合がいいと言っていた事、そして王位継承権を引き継いだ彼に必要なのは、その相手だったのだろう。そもそも結婚など絶対にしなさそうな人だった。だがあの人の兄が捕まった事によって、あの人がその血を残さなくてはならなくなってしまったのだ。
「……あの人が先生を好きならまだいいですが、そんな都合よく先生を使うような呪いなんてたまったものじゃないですよ」
「それは確かに嫌ね……というか、その王子様は随分と変な人なのね? 王家の人間なんて引く手数多でしょうに、イヴを避けているのならそろそろ結婚相手でも見つけるんじゃないの?」
「……仕事と国が恋人みたいな人ですからね。あの人が女性にうつつを抜かしている所なんて想像も出来ません。きっと相手を探してはいるんでしょうが……どうなる事やら」
結婚などしたら、きっと仕事をするにも不便だろう。だからこそ余計に相手など欲しくはないのだろうが、王家の人間としての義務としていずれは必要となってくる。彼の兄には婚約者がいたはずだが、流石にその女性を娶る訳にもいかないだろう。
「……あ。すっかり忘れていたんですが、先生の事で相談があったんですよ」
「えっ、女神の話を聞きに来ただけじゃなかったの?」
「いえ、それはふと思い出したから聞いただけで……あの人の匂いについてです。あの甘い匂い、獣人の混血でも分かるみたいで……どうにかなりませんかね?」
すっかり話が逸れていたが、元々はこの話を聞くためにここに来たのだった。今朝、彼女の仕事先の宿から帰ってきた俺は、人を惹きつけるあの甘ったるい匂いをどうにかするために。その方法を彼女に聞こうと仕事帰りにここへと寄ったのだ。
「あら、他に分かる子が居たのね。あの子のあの匂い、本当に何なのかしら。私は好きなんだけど、普通の子が嗅いだら多分駄目になっちゃうわよね。まるで悪い虫を誘き出す罠みたい」
「……なんでも例の探偵さん達からも同じ匂いがするらしいですよ。貴女も一度会ったことがあるんでしょう?」
「あぁ、あの真っ黒な子ね。そうねぇ、あの子達の方が匂いが薄かったから不思議に思っていたのだけど、あの魔術書が原因なんでしょう? 何かしらねぇあれは」
今まで長い時間を生きてきた彼女でも、その匂いについては何も知らないようだった。けれど、ふと考え込むようにして何かを思い出そうとする彼女がその口を開く。
「……昔、一度だけあの匂いのする人と会ったことがある気がするわ。あれは誰だったかしら。うーん……何となく面白味のない子だった気がするんだけど。もしかしたら例の探偵さん達の祖先かもしれないわね。とりあえず、あの子にこれを渡してあげて」
気になることを言いかけて、彼女はそのまま手を差し出してくる。その手のひらの上には、シルバーの腕輪が乗っていた。
「これは……」
「匂い止めよ。といっても、匂いが分からなくなるだけじゃなくて、種族を隠せるものなんだけど。以前貴方に渡そうとして受け取ってくれなかったじゃない。忘れたの?」
そう言えばそんなこともあった気がする。元からアクセサリーなどに興味のない俺は、あの人から貰ったもの以外を付ける気など更々なかった。俺がまだ人間に擬態する術を覚えていなかった時に彼女が渡してきた物を、そのまま突き返した覚えがある。
「ありがとうございます……何だかすみません、渡しておきます」
「ただの道具なのに、人間っておかしな生き物よね。誰に貰ったかばかりを気にするんだもの」
やはり、生まれた時から魔女である彼女にはあまり分からない感情なのかもしれない。好きな人から貰ったもの以外を付けていたくないというこの感覚は、ある意味人間らしい考え方なのだろう。
「そろそろ帰ります、多分週末にはまた来るかも知れません。先生がきっとお土産でも買ってくるでしょうから」
俺はそう言って席を立つ。図書館だというのにまるで喫茶店のようだと、テーブルに並べられたカップやケーキをみて小さくため息を着いた。お土産という言葉に反応するクラウディアを背にして、仕事に行ってしまった最愛の人にあと三日も会えないのかと考えながら俺は図書館を後にしたのだった。
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