叩く者と獣の子(9)
「……分かりました。はい、ありがとうございます」
夕方、観光を終え一度宿へと戻ってロビーに集まっていた私達は、森林警備隊へと連絡を取っていたユエンからの返事を待っていた。彼は通話機を切りこちらを見ると、ほっとしたように笑って口を開く。
「問題ないそうです。明日から仕事を再開しても大丈夫だそうですよ。でも護衛は必ず連れていくようにとの事です」
「何とかなりそうですね。もう危険な魔獣はいないんですか?」
「えぇ、むしろ何も無かったかのように森から魔獣の気配が無くなってしまっているらしく、警戒は続けるようにとの事です。とりあえずは、明日からまたよろしくお願いしますね」
彼の言葉に頷くと、その場は一度解散という流れになった。明日以降は予定通りまた鉱採種達の街へと向かう事になるため、今日はなるべく休んでおこうと皆それぞれ部屋へと戻っていく。私も一度明日の予定を再確認しようと部屋のテーブルに資料を広げていると、ふと扉の叩かれる音に作業を中断された。
「はい、どちら様……」
「お疲れ様先せ……って、なんで引っ張るんだい!?」
私は焦ったように扉の前に立っていた彼の腕を掴んで部屋へと引きずり込んで急いで扉を閉めた。当然のようにこちらを見て立っている彼を軽く睨んで、私は口を開いた。
「……アンブローズ、なんでここにいるんだ」
「そ、その、怒らないで欲しいんだけど……仕事だよ。と言っても個人的に来たんだけどね」
「お前……いや、今は仕事の時間じゃないから咎めるつもりはないが……本当にどうしたんだ? 仕事なら私に一言あったはずだろう?」
先程研究所に明日以降についての連絡をした際に、彼が来るなどとは一言も聞いていなかった。つまり、彼が勝手にここへやって来たのだろう。
「個人的に仕事に来たというか……ほら、魔獣が出たって言ってたから。先生たちの仕事が延長されるのは嫌だろう?」
「……まさかとは思うが、魔獣が一匹も居ないと言うのはお前のせいか?」
私の言葉に、彼は少しだけ顔を逸らした。私は小さくため息をついて部屋の奥にある椅子へと歩いていって座る。少し焦ったように彼は私の傍まで来ると、困ったようにその口を開いた。
「魔獣避けを張っただけだよ、別に殺したりなんてしてないし……その、先生の事だからまた危ない目に遭うんじゃないかと思って」
「だからって……いや、お前のそれには慣れないと駄目だろうな……」
以前ソフィーに攫われた私を助けに来た時から、彼の行動は随分と人間離れしてしまっていた。彼女を平気で気絶させてしまうその力、そして転移や変化等もそうだが、今後彼と一緒にいる時間も増えるだろう私は少しでもそれに慣れておくべきなのだろう。
「……本当は五日間先生に会えないだけでも嫌だったのに、魔獣なんかのせいで延長されたらたまったものじゃないからね」
「……前は一ヶ月程度会わない事もあっただろう」
「それは我慢してたんだよ……俺だってただの人間だったし、仕事にも寝るのにも時間が取られたからね。せっかくこんな便利な身体になったんだ。使わない手はないだろう?」
あっけらかんとそう言ってのける彼は随分と適応力があるらしい。彼がこうなってから一度クラウディアを問い詰めに行ったのだが、聞かれた術を全て教えているのだと言っていた。元が魔女である彼女ほど万能ではないらしいが、それにしてもやはり彼は随分と人間離れしてしまっていると言えるだろう。
「来てしまったなら仕方ない。それで、また転移してきたのか?」
「えっと……昨日の夜に列車で来て……」
「……列車で、昨日の夜に?」
彼の話によると、何でも転移する術は制限が多いのだという。知らない場所には飛べず、飛びたい場所に術を残しておかなくてはならないらしい。魔獣が出たと聞いた昨夜に急いで列車でここに来て、森に魔獣避けを張ってから一度仕事の為に帰ったらしい。
「二度手間だな……ん? 以前ソフィーが私を連れていった研究所には直ぐに来てたじゃないか。あれはどういう理屈だ?」
「……俺が倒れた時に先生の腕を掴んだだろう? その時に居場所が分かるよう術をかけておいたんだよ」
「あんな一瞬のうちに……なんというか、いや、やっぱりいい……」
なんとなく、言い出すとキリがなさそうだと思った私はそのまま口を閉じた。別に彼がここに来たとしても、特に問題もないだろうと割り切って私は資料の確認を再開しようとする。けれど忘れていたことを思い出して、そのままベッドに座っていた彼へと私は向き直った。
「そういえば、私にかけていた術……これの発動条件は結局なんだったんだ?」
「え? あぁ、それは……先生を、その……そういう目で見た人に発動するように調整してたんだけど。お酒の影響なんて考えてなかったよ」
「そういう目って……いや、本当に何のためにかけたんだ……」
過保護と言うかなんというか、私のこの身体のことを知らない人と仕事をするからとかけてくれた術が、まさかそんなものだったとは。そもそもどんな基準でそれが発動するのか自体曖昧なその言葉に、私は小さくため息をついた。
「研究所にいる間はまだ良かったけど、俺のいない所で他の男に会わせるだなんて怖いじゃないか……先生は俺みたいに自分を守れないから。基本的に死なないこと以外は普通の女性と同じなんだよ?」
「否定は出来ない……お前のそれは便利だな。少し羨ましいよ」
「……うーん、確かに便利ではあるけど。それでもいつも貴女を守れるわけじゃないからね。それにあくまでも原理的に可能なことしか出来ないんだ。無いものは生み出せないし、出来ることにも限りがある。色々と試して見たけど、どうしようもないことだってあるんだよ」
それでもやはり便利なものは便利だろう。私を守ってくれるというが、彼の言っているそれは流石に行き過ぎた事のように感じた。
「……それで、昨日の夜には魔獣避けを張ったんだろう? 今夜は何をしに来たんだ? まさか私に会いに来ただけじゃないだろう」
「魔獣避けが上手く機能してるか確認してきたんだ。それでせっかくだし、貴女にも会っておこうと思って」
「なるほどな……なんだ、それじゃあ夜には帰るのか?」
本当に顔を見に寄っただけなのだろう彼は、少しだけ悩むようにして腕を組み、そのまま何かを言いかけてはやめてを数回繰り返した。私が首を傾げていると、覚悟を決めたように彼はその言葉を口にする。
「……泊まっていってもいいかな」
「直ぐに戻れるのか?」
「うん、仕事に影響はないよ……って、やっぱり一番気にするのはそこだよね……」
私の言葉に少し不貞腐れたようにベッドに横になる彼を見て、まるで子供みたいだと苦笑した。私は机に広げていた資料をまとめてから、寝転がっている彼の傍へ向かい、その横へと静かに座る。
「別に構わないよ。私も通話だけじゃ少し寂しいと思ってたんだ。なんとなく宿代を誤魔化している気がして申し訳なさもあるが……」
そう言った途端、彼は驚いたように勢いよくベッドから起き上がると、少し困惑したような表情で私へと言葉を口にする。
「……っ、せ、先生!? その、本当に良いのかい?」
「別にいいだろう。私は一応、その……お前の恋人、だからな……たまには我儘くらい聞いてもいい」
彼とそういった関係になってから、もう一ヶ月程たっただろうか。それでも以前と変わらないような生活を送っていた私達は、所謂恋人らしいことなどほぼしてこなかった。というのも、以前からよく家に来たり食事に出かけたりなど、彼とは既に家族のような付き合いをして来ていたからだった。
だからこそ、今更意識したところで普段とあまり代わり映えのない日々になってしまい、別にそれでもいいかと思ってしまっている私がいた。それでは駄目だろうと思いつつも、そもそも恋人とは何をすればいいのかが分からない私は、今まで言われた事のなかったその提案を受けることにしたのだ。
「……ちょっと待ってね先生。俺が言っておきながらなんだけど、本当に少し待って」
彼は私に牽制するように手のひらを向けると、目を瞑って深呼吸をした。そして少しして落ち着いたのかその目を開いて私を見つめてくる。
「………………うん、大丈夫。その、分かってるから。別に、うん。先生の事だし……俺は貴女の嫌がることなんてしないから」
「あ、あぁ……その、大丈夫か?」
「正直大丈夫じゃない、でもせっかくだからこの機会は絶対に逃したくない。エルフィムが突然来ることもないし、大丈夫……」
「大丈夫なのか大丈夫じゃないのか分からないな……」
彼が悩むように頭を抱えていると、また扉が叩かれる音が部屋に響いた。彼ははっとしたようにベッドから立ち上がると、そのままバスルームに続く扉へと向かって口を開く。
「俺は隠れてるから。もし夕食の誘いだったら気にせずに行ってくれ」
私はその言葉に頷くと、彼が扉を閉めて隠れたのを確認してから部屋の扉を開いた。そこにはいつもと変わらない無表情の青年が一人立っている。
「あぁ、アクロイドか。どうしたんだ?」
「夕食はどうしますか……? 表に行くようでしたら付いて行きますので」
「そうだな……プライス君やユエンさん達はどうするか知っているか?」
「お二人は昨夜のこともあって今日は外食は控えるそうです。出掛けた際に食事を買っていたらしいので……プライスさんも、外で食べ過ぎてしまったと今日はこのまま休むそうです」
確かに、表で食べ歩きをしていた時にアーサーは勧められたものを断りきれず頑張って食べきっていた事を私は思い出した。ダナとユエンは昨夜の事もあってか今日は遠慮しておくらしい。
「そうか……君はどうするんだ? 何か食べるものを買っていた様子はなかったが……」
「俺は一人でも大丈夫ですから。貴女が出掛けるようでしたらご一緒します」
「そうだな……今日は買いに行くだけにしようか。君も一緒に行こう。準備してくるから少し待っていてくれ」
「分かりました」
彼が先に宿の入口へ向かっていくのを確認してから、私は一度部屋の扉を閉じた。気付けばまたベッドに座っている彼に、私は出かける準備をしながら声をかける。
「今日はここで済ませるよ。何か食べたいものはないか?」
「うーん……俺は貴女と一緒ならなんでもいいんだけど。食べなくても平気だから気にせずに行ってきていいよ」
「そうか……? なら適当に見繕ってくるよ、少し待っててくれ」
準備を終えた私が扉まで向かうと、見送ろうと私の傍まで来たアンブローズがふと私を呼び止めた。それに振り返ると、彼はそのまま私の口に軽くキスをしてくる。その急な行動に焦ったようにして口を隠す私を見て、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「行ってらっしゃい先生」
「……行ってくる」
これにも慣れていくべきなのだろうかと、いまだに恥ずかしさが拭えず歪みそうになる頬を私は手で押さえる。そのまま入口で待っているだろうエドワードの元へと、私は急いで向かっていった。




