叩く者と獣の子(8)
「……プライス君はグレイ殿下がどんな人物だったか知っているか?」
「えっと……? あぁ。もしかしてエドワード君関係の事ですか? そうですね……僕も新聞や雑誌などで見た事くらいしか分かりませんが。いわゆる王子様って感じの方だった見たいですよ。性格も、その容姿も。本当に完璧な人だったみたいです。捕まった今でも、彼の復帰を望む声が多いそうですよ」
温泉街の土産屋にあるベンチに座って、名物だという菓子を食べながら私は隣に座るアーサーにそう問いかけていた。元々あまり興味がなかったせいで何も知らなかった私がそう聞くと、世間一般的に知られているグレイの情報についてを彼は教えてくれた。
「とても人気だったんですよ。メディアにも多く取り上げられていましたし、個人での慈善活動もよくしていたとか。時期国王としての期待も高くて、捕まったこと自体に疑問を抱く声も多いみたいです……でも、完璧すぎて逆にちょっと怖いなとも思ってました。確かに格好良かったんですけど……」
「そんな人だったのか……私が知っている人物とは全然違うな……」
あの事件の時、一度会ったきりの彼は。やはり普通の人間ではなかったように思えた。人を簡単に殺せてしまうのだろう事も、国の為だというその思考も。彼からは、善良な人間とは程遠い狂気に近いものを感じていた。
「……やっぱり、リアン殿下がハーヴァーさんを連れてきたと聞いた時からそうなんじゃないかなとは思っていたんです。グレイ殿下が捕まった時、ハーヴァーさんもその場に居たんですよね……その、アンブローズ所長も」
「……君は、知っていたのか? 表には出ていない情報の筈だが」
彼の確信めいたその物言いに、私はついそう口にしてしまう。確かに私が研究所に入ってきた時期や、グレイを追っていたリアンが連れてきた人間となると、その考えに行き着いてもおかしくは無いのだと私は気付く。
「予想でしかなかったですが、やっぱりそうなんですね……」
「……私が巻き込まれたのはまだ分かる。だが、何故アンブローズが一緒にいたと思ったんだ?」
「えっ、あ。その、所長は……いえ、これはまだ、言えません……」
「……分かった、いつか話せる時が来たら教えてくれ」
私の言葉に彼は小さく頷くと、そのまま手に持っていた残りの菓子食べきって席を立ち上がった。そのままダナに絡まれていたエドワードの元へと歩いていく姿を見送ってから、私も彼の後に続いて席を立った。
「温泉に入った後はお酒が一番ですね……!」
「飲まない約束だったでしょう。没収します」
「えっ、そんな殺生な……まさかハーヴァーさんまで……」
公衆の温泉浴場を出た私達は、そろそろお昼時だからとその近くにある広場のベンチへと座って出店の食べ物を買い集め簡単な昼食を取っていた。早速返して貰っていたスキットルを開けようとした彼女からそれを没収してユエンに渡すと、彼は呆れたように口を開いた。
「せめてもう少し我慢する姿勢を見せて欲しいな……そうだ、皆さん都市の中心部から来たんですよね。やはり都会の方はこんな山間部には滅多に来ませんよね?」
「僕は初めて来ました……! 近くには自然公園くらいしかありませんし、学校を出るまで都市部から出ることもなかったので……素敵ですよね。いつか住んでみたいです」
ユエンの言葉に、アーサーが嬉しそうにそう答える。確かに旅行などに滅多に行かない人にとっては、自然の多いこの場所はとても魅力的に見えるだろう。彼のそんな素直な言葉に、ユエンは嬉しそうに笑った。
「私はここから少し離れた街に住んでいるのですが、ここに来るのは結構好きなんです。魔獣がいたり少し治安が悪かったりもしますが、綺麗な場所ですから。自然の中で暮らせるのは楽しいものですよ」
「……そんなこと言って、ユエンさん虫嫌いなの私知ってますからね。ハーヴァーさんも都会の人って感じがしますけど、やっぱりあんな森の中を歩いたりしたのは初めてだったりするんですか?」
ダナの言葉に若干表情を歪めつつ、私の返事を待つ二人に私は昔のことを思い出しながら口を開いた。
「昔は国外にいた事もあって、一時期旅費稼ぎに剣を握っていた時もあったんですよ。実は森の中で野宿していた事もあって……まぁここ何年かはずっと首都にいるので、だいぶ訛ってしまってはいますが」
そういえば、エルフィムと出会ったのもその頃だったなと私は昔を思い出して懐かしく思いつつ、かれこれ二十年は剣を使っていない為、構える事が出来るかすら怪しい所だった。そもそもいくら鍛えた所で力の付かないこの体では、狩猟用の剣は少し重すぎたのだ。
「えっ、でもハーヴァーさんってまだ若いですよね? 人は見かけによらないって言いますが、びっくりです。元冒険者? の研究員って凄くないですか……?」
「魔獣研究の為に自分から進んで狩人になる人もいる世界ですから、案外おかしく無いかもしれません。足で稼ぐと言って本当にお金を稼いでくる人もいるらしいですよ」
「凄いんですねぇ……あっ、忘れてました。まだ案内したい場所があるんですよ。そろそろ行きましょう! ユエンさん食べるの遅いです、置いていきますよ!」
ダナがユエンの手元に残っていた食べ物を急いで食べさせると、私達はベンチから立ち上がり再び街道を歩き始めた。住んでみたいと言っていたアーサーを気に入ったのか、二人がこの街の魅力を彼に聞かせている中で私はその姿を見守りながら後ろを歩いていた。そんな中、隣を歩くエドワードがふと口を開く。
「……いつの話だったんですか?」
「二十年程前の事だ。本当に少しの間だけだったんだ。その時一度……下手を打ってしまって、直ぐに辞めてしまったよ」
「……ハーヴァーさんは、人間に戻りたいと思うことはありますか?」
そんな突拍子もない質問に、私はつい呆気に取られてしまった。そもそも彼は、研究所で私が人間に戻るための研究をしている事は知らないのだ。そして、もう戻らないと決めた私の今の状況のことも。
「……うーん、そうだな。昔は、直ぐにでも戻りたかった。周りの人が私を置いて死んでいってしまうからね。けれど……それでも今は結構幸せなんだ。だからそこまで強く戻りたいと思うことは無くなったかな」
「そう……ですか。…………俺は、貴女に大きな傷を残してしまったのかもしれないと……もし取り返しのつかない程のものだったら。せめて俺が死ぬまで詫び続けようと、そう決めて来ました」
彼の口から、随分と重い覚悟の言葉が出てくる。律儀なのか何なのか、けれど決して簡単に放たれた言葉ではないなと私か彼の真面目な様子からそう悟った。確かに、あの時の私の腕の傷はただの人間だったらもう二度と動かなくなっていただろう重症だった。けれど、彼はソフィーに操られていたのだ。その責任を、彼が抱え込もうとする必要は無い。
「君は何も悪くないだろう? そもそも私が進んで受けた怪我だったんだ。正直そこまで不安にさせてしまったことを私が謝るべきだったな……」
そう言ってふと、私は自ら進んで怪我を負う事が多い気がした。彼からは受けた傷も、一回目は仕方ないとしても、二回目は自分で囮になる事を決めた。そしてリアンが剣を向けてきた時も、自らそれを受けた。治るからと言ってもそれは、きっと相手をも傷付けてしまう行為なのだろうと。今更になって私は心の中で静かに反省する。
「……治ると、良いですね」
「え?」
「……貴女を置いていく人は、多いでしょうから。だから、治ればいいなと……そう思います」
彼の口から出た言葉に、私は息が詰まった。私の二人の友人以外から、その言葉を聞いたのは初めてだった。私の上司はこの身体を治したいと言ってくれていたけれど、それは私が望んでいたからだったのだろう。けれど、純粋に私の身体が治ることを望んでくれたその言葉に、どうしようもなく罪悪感を覚えてしまった。
「……私は、本当は。……もう、治すつもりはないんだよ」
私は、聞こえない程度の小さな声でそう呟いた。私は、人間として生きることよりも、一人の大切な人と生きることを決めたのだ。でもそれはきっと、優しい人達の気持ちを裏切る行為になるのだろうと。そんな今更な事実を改めて理解してなお、この選択を後悔しないと私は決めていた。
「…………それは」
「ハーヴァーさん、エドワード君。そろそろ着くみたいですよ」
エドワードが何かを言いかけたその時、前を歩いていたアーサーが私達にそう声をかけてきた。結局何を言おうとしていたのか分からないまま、彼はその口を噤んでしまう。普段のその無表情から、彼が何を考えているのかは私には分からないままで。
そしてその日、エドワードがまたその話をすることはもう一度もなかった。




