第9話 第二層地下大空洞
玲香さんが来てくれた。そう思っただけで、わたしの絶望が反転し、安堵へと変わる。目の前の葉山さんと取り巻き達は、ガチガチと歯を鳴らしていた。それが寒さからなのか、彼女の圧倒的な殺気に当てられたのかは分からない。
「葉山だったか? 黙っていないで、早く話せ。三秒以内だ」
「え、えーと、これは……。そう! アストラルブースター入りご飯で、食事と一緒に魔力も補給できればと考えて……!」
「黙れ」
玲香さんは極寒の眼差しで睨み言い放つ。ピキピキと音を立てて、彼女の足元から氷が床を侵食していく。周囲一帯があっという間に極寒の氷獄へと変わり果てた。
「ひっ……」
「これほどの怒りを感じるのは生まれて初めてだ。……私は、どうすれば貴様を許せる?」
玲香さんはゆらりと距離を詰める。その瞳孔からは光が失われ、ただ純粋な排除の意志だけが渦巻いていた。
「あ、足が……! すみません、すみません! どうか命だけは!」
葉山さんの足が、みるみる氷に覆われていく。彼女は本気で彼らを殺そうとしている。わたしは慌てて立ち上がり、縋りつくように玲香さんの腕を掴んだ。
「玲香さん! もう十分です……っ!」
ハッとした彼女が、わたしを見た。視線が合った瞬間、玲香さんに瞳に理性の光が戻った。そして、パリンッと周囲の氷が砕け散り霧散する。
「……今後一切、優菜に近づくな。次はないと思え」
「は、はいぃぃぃぃ! 失礼しました!」
氷が解けた瞬間、葉山さん達は腰を抜かしながらも、転がるようにして逃げ去っていった。嵐が去った後、玲香さんはふらりとベンチに座り込み、頭を抱えた。
「すまない……。君のことになると、どうやら感情の制御ができなくなるらしい」
玲香さんもやりすぎだったと反省しているようだ。葉山さんはわたしのトラウマで、大嫌いだ。でも、死んでほしいとかそこまで思っていなくて、わたしはただ関わりたくないだけ。あの時の玲香さんは何をしでかすか分からない危うさがあった。わたしが止めに入っていなかったらと思うと……。
「……少し、怖かったです」
「面目ない……」
「でも」
わたしは彼女の冷たくなった手を取り、両手で包み込んだ。わたしの体温で、彼女の凍った心を溶かすように。
「助けに来てくれてすごく嬉しかった。わたしを守ってくれてありがとうございます」
「優奈……」
玲香さんは眉を寄せながらも、安堵したように微笑んでくれた。
「さあ、気を取り直してお弁当食べましょう。こっちの方は無事ですから!」
わたしは無事な方のお弁当箱を渡す。玲香さんは「頂きます」と言って、唐揚げを一つ口に運ぶ。
「……うん、すごく美味しい」
口元を手で隠しながら、玲香さんの目尻が緩んだ。
「えへへ。お口にあって良かったです」
「優奈も食べてみてくれ」
そう言って、玲香さんが唐揚げを箸でつまんで差し出してきた。いわゆる、あーんの体勢だ。
「わ、わたしはいいですよ。玲香さんの方が体力使いますし、全部食べてください」
「お腹が空いて君のパフォーマンスが落ちたら、困るのは私なんだぞ。……ほら、口を開けて」
正論だけど、ここは休憩所だ。周囲には他の探索者もいる。チラリと周りを見ると、ニヤニヤした視線がいくつも刺さっていた。うぅぅ、でもここで拒否したら、玲香さんはテコでも動かない気がする。わたしは観念して、小さく口を開けた。
「あむっ……。おいひいです……」
恥ずかしくて頭から湯気が出そうだ。一方で、玲香さんは満足げに笑っている。
「そうだろう」
「わたしが作ったんですけどね……」
さっきまでの殺伐とした空気はどこへやら。わたし達は和やかな雰囲気でお昼休憩を終えたのだった。お弁当を食べ終わった後、いよいよ二層目への門が開いた。待機していた探索者達が前へ進んでいき、わたし達も彼らに続く。正方形に区画された場所へ移動してしばらく経った後、ガコンっと大きな音が響いた。
「ととっ……」
急に床が沈んでいき、バランスを崩しそうになる。この床は二層目までわたし達を運んでくれるエレベーターなのだ。可愛らしい女性の声が聞こえてきたので、視線を向ける。二人の女性がアルマに向けて何やらポーズをとっていた。どうやら、すでにライブ配信をしているようだ。あのポーズは配信を始める時の挨拶なのだろう。
「配信は優奈の体調を見てからにしようか」
玲香さんも彼女達に気づいてそう話す。二層目の魔力は一層目よりも濃いから、わたしが体調を崩す可能性はありえるのだ。低ランクの探索者は濃い魔力に体が対応できない。彼女の提案は、初めて二層目に行くわたしを配慮してのものだった。
「そうですね。まずは、わたしが二層目でしっかり活動できるか確認しないとですね」
十分くらい経った時、再び重低音が響くと共に足に軽い衝撃を感じる。目の前の巨大な鉄の扉が左右に開くと、わたし達はついに第二層地下大空洞へと降り立った。そこは、地底とは思えないほど広大な空間だった。遥か頭上の天井には、青白く発光する巨大結晶が星空のように輝き、地上と同じくらいの明るさを保っている。そして、ぽっかりと穴が空いたところが一層目へとつながる大穴となっていて、そこからダークブルーの光が差し込んでいた。地面からは鍾乳石のような岩柱が突き出し、その間を縫うように、幻想的な光の粒子が舞っている。ここは配信で何度も見た光景だ。それでも、この目でみたこの世界は言葉で言い表せないような儚く美しいと思えたのだ。
「初めての地下大空洞はどうだい?」
「感動しました……。この世の景色とは思えません」
「ふふ。……体調はどう? 魔力酔いは?」
地下大空洞はどうだいって聞かれたら、体調のことに決まってるよね。玲香さん心配していたのに。わたしは見当違いな返答をしていたことに気づいて、慌てて口を開く。
「あ、平気です! 全然大丈夫です! 配信もできます!」
「そうか、それなら良かった。ミシャ、よろしく」
『承知しました』
アルマが飛翔し、配信が開始される。すると、瞬く間に視聴者が増えていく。コメント欄が高速で流れていく。
『二層目キター!』
『配信の気配をぬるりと感じたぜ』
平日の真っ昼間からの配信なのに、彼らの参加の速さには毎度驚かされる。とてもありがたいことなんだけどね。
『地下大空洞は視界が悪く、モンスターは動物型がメインです。動物型は素早いので、死角からの攻撃に十分注意して進んでください』
「ありがとう、ミシャ」
わたしが初めてなのを知っているのかアドバイスしてくれた。流石、玲香さんのAIなだけあって優秀だ。
「優奈、私から離れないで」
「はい!」
他の探索者達に大分遅れて、わたし達も探索を開始する。立体的な地形はモンスターにとって身を潜めるのにうってつけだ。どこから敵が出てくるか分からない緊張感に神経をすり減らす。そんなわたしとは対照的に玲香さんは自然体で歩いている。まるで、都内の公園を散策しているような気楽さすら感じる。余裕そうだけど、大丈夫なのかな……。わたしが不安に思った矢先、岩陰から飛び出してきたのは、全身がステンドグラスでできた狼、クリスタルウルフ。
「ガアアァァッ」
一層目のドールとは比べ物にならない速さだ。けれど――
「遅い」
玲香さんが腕を振るうと、空中に生成された氷の礫が弾丸のように射出された。クリスタルウルフの眉間を正確に貫き、一撃で粉砕する。
「すごっ……」
流石、百戦錬磨を潜り抜けてきたSランクだ。わたしは全くモンスターに反応できなかった。どうやら、玲香さんには全てがお見通しらしい。ゆえに、びくびく周囲を警戒しながら歩く必要もないのだ。最初、玲香さんの実力を疑っていた自分が恥ずかしい。そして、ごめんなさい。
探索は順調そのものだった。玲香さんの索敵能力は完璧で、奇襲など成立しない。わたしはただ、散らばった魔石を拾い集めるだけでよかった。狼、熊、猿のステンドグラス製の獣達を何体も屠っていく。二層目のモンスター達はその見た目からクリスタルビーストと呼ばれていて、一層目のドールよりも遥かに凶暴で高度な連携をして襲い掛かってくる。結構手強いはずなんだけど、Sランクの玲香さんにとってはドールと大差ないのかもしれない。そんなことを考えながら魔石を回収している時だった。
「――グアアッ! くそっ、体が……ッ!」
岩場の向こうから、悲鳴と剣戟の音が聞こえてきた。
「近くで探索者が交戦中か。……関わらない方がいいな」
通り過ぎようとした玲香さんの袖を、わたしは咄嗟に掴んでいた。
「玲香さん、様子だけでも見に行きませんか?」
「優奈、無用な戦闘に関わるリスクは……」
「分かってます。でも、あの悲鳴、ただごとじゃない気がして。救えたかもしれない命が失われてしまったら、わたしはとても後悔すると思うんです。……お願い、玲香さん」
実力のないわたしが彼女にお願いする資格はない。それでも、わたしは玲香さんにすがることをやめない。これはわたしのエゴだ。昔、死にかけた時に救ってくれた先輩探索者のように、わたしもそんな人でいたい。見た目はちょっぴり怖くて、少しタバコ臭いあの優しい女性の姿が思い浮かんだ。玲香さんは真剣な面持ちで逡巡すると、溜息をつき頷いてくれた。
「……分かった。ミシャ、偵察を」
「ありがとうございます!」
アルマの映像には、男女四人のパーティーがクリスタルビーストに包囲されている姿が映し出された。
「アークライトインダストリーか……」
玲香さんが冷たい声で呟く。彼らにはアークライトインダストリーのロゴが入った装備品や服を身に着けていたので、一目でギルドの所属が分かった。アークライトインダストリーは巨大ギルドだから、葉山さん達以外にも多くのパーティーがダンジョンで活動しているのだ。
何かがおかしい。動きが、鈍い……? 彼らはフラフラとして足元がおぼつかない。まるで泥酔しているかのように、剣を振るう力が入っていないのだ。一人の女性が崩れ落ち、クリスタルウルフが牙を剥く。
「玲香さん、彼らを助けてあげて!」
「優奈はそれでいいのか? あいつらは君を馬鹿にし、見捨てた最低なやつらだぞ」
「そんなの関係ないです! だから、お願い玲香さん」
「分かった」
玲香さんは頷いてから、わたし達は駆け出す。彼らが戦っているところへ玲香さんが勢いよく躍り出る。抜刀からの神速の斬撃。飛び掛かっていたクリスタルウルフが真っ二つに裂け、光の粒子となって消滅した。
「なっ!」
いきなりの出来事に四人が驚いた顔をする。そして、玲香さんは目にも止まらない速さで走り抜け、クリスタルビーストを全て一刀両断してしまうのだった。助けられた四人は、呆然と口を開けていた。その顔色は土色で、尋常ではない汗をかいている。彼らの足元には、空になったアストラルブースターの小瓶が転がっていた。
「氷室さんですよね? 助けて頂きありがとうございます」
パーティーのリーダーらしき青年が息を切らしながら言う。
「礼なら彼女に言え。私はお前達を助けるつもりなんて全く無かった」
玲香さんが冷たく言い放ち、剣を納める。
「それはどういうことですか?」
わたしは岩陰からひょっこりと顔を出した。
「あはは。どうも……」
「お前は……桜、優奈……?」
リーダー格の男が、信じられないものを見る目でわたしを見た。彼らの目は虚ろで、立っているだけで苦しそうだった。葉山さんが夢の薬だと言っていたアレを使っていたはずなのに、どうしてこんなボロボロに……?
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