第10話 結晶化
「荒木さん、お久しぶりです。その、体調が悪そうですけど……」
元同僚だった荒木さん。彼はアークライトの中では珍しく、Fランクのわたしを見下さずに平等に接してくれる数少ない人だった。けれど、今の彼の顔色は土気色で、一目で体に異常があるのは分かった。荒木さんは何かを確認するようにチラリと上の方を見た後、口を開く。
「……桜、か。俺達に構わないでくれ」
そう言って荒木さんは踵を返して、フラフラした足取りで仲間達の元へ戻っていく。
『え? 感じ悪ぅ! 折角、新人ちゃんが助けてあげたのに』
『てか、あいつら全員フラフラじゃん』
『やっぱりあの薬、ヤバいんじゃね?』
コメント欄の不穏な空気が、わたしの不安を煽る。荒木さんのあの様子、普通に戦って消耗した感じではなかった。コメント欄に触れられたあの薬……。アストラルブースターのことがどうも気になる。もし、あの薬に致命的な欠陥があったら……?
「あ、ああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
突然、うずくまっていた女性が突然悲鳴を上げた。絹を引き裂くような絶叫。
「風香!!」
荒木さんが駆け寄る。私たちも弾かれたように彼らのそばへ走った。
「うぅぅ!! ぐううぅぅぅ!!」
「風香! しっかりしろ!」
風香と呼ばれた女性は腕を抱えながら、体を丸くしてうずくまっている。そんな彼女の背中をさすり、荒木さんが懸命に呼びかけている。
「腕を怪我しているのか?」
「いや……。それは……」
玲香さんの鋭い問いに、荒木さんが口ごもる。どういうこと? こんなに苦しんでいるんだから、絶対どこか怪我しているはずだよ。早く手当てをしないと。
「まさか……。見せろ!」
荒木さんの制止をものともせず、玲香さんは彼を強引に押しのけ、風香さんの腕を掴んだ。捲り上げられた袖の下。そこにあった光景に、わたしは息を呑んだ。
「……っ!」
それは、もはや人の腕ではなかった。指先から肘にかけて、赤黒い結晶が皮膚を突き破り、びっしりと覆っていたのだ。脈打つように明滅する結晶は、まるで生き物のように二の腕の方へ侵食を進めている。
「ミシャ、配信を切ってくれ」
『承知しました』
玲香さんは淡々と告げると、剣を抜刀する。ギラリと切っ先が光る。
「ちょ、玲香さん!? 何をするつもりですか!」
配信を切って、さらに、モンスターもいないのに剣を抜刀するなんて嫌な予感しかしない。
「腕を切り落とす。それ以外で結晶化の進行を止める手段はない」
「医者もいないのに、そんなことしたら風香が死んじまうだろ!」
荒木さんが声を荒げて、玲香さんの前に立ちはだかった。場は騒然となり、玲香さんと荒木さん以外は動揺して動けない。
「そうですよ! 玲香さん、落ち着いてください!」
玲香さんは剣を下ろし、重々しく口を開く。
「優奈だって分かっているはずだ。一度結晶化が起きたら元には戻らない。最善は患部を速やかに切除し、結晶化の進行を止めることだ。結果的にそれが被害を最小限に抑えられる」
わたし達は魔力を使うと魔晶という探索者特有の老廃物が溜まる。魔晶は時間の経過とともに自然分解されるけど、魔晶が限界を超えて蓄積された時、結晶化という病気が発現する時があるのだ。一度結晶化したら徐々に他の部位も侵食していき、全身が結晶化するまで止まらず、死に至らしめる。玲香さんの言っていることは正しい。でも、いきなり剣で切るなんてあまりにも急すぎる。
「いくらなんでも、いきなり剣を構えるのは順序を飛ばしすぎです。玲香さん、どうしてそんなに慌てているんですか? まずは、状況整理と適切な処置の準備を優先するべきです」
玲香さんは一呼吸置いてから、剣を納刀した。
「……すまない。少し、冷静になれていなかったようだ」
玲香さんが落ち着いてくれたようだ。いつもはクールな彼女がどうしてここまで焦っていたのか少し引っかかるけど、今は状況を確認する方が大切だ。
「痛い……、死にたくない……」
風香さんと呼ばれた女性が涙でぐしゃぐしゃになった顔で呟く。腕の内部から結晶が突き破って出てきているため、腕からは鮮血がしたたり落ちている。まずは、止血の手当てを指示し、荒木さんから何があったのか事情を聞く。
「荒木さん、一体何があったのですか? 二層で結晶化が起きるなんて、今まで聞いたことなかったので」
本来、結晶化はもっと深い層で発生することが知られている。魔力濃度が高くてかつ、極端に魔力を消費する状況になりやすいからだ。今回の状況はあまりにも異質すぎるのだ。
「あの薬だ。あれが支給されるようになってから、アークライトから厳しいノルマが課せられるようになったんだ。ノルマを達成するには薬を飲んで効率を上げて、何日もダンジョンに籠るしかない。実質の強制労働だ。他のパーティーではもう何人も体壊している。そんな状況でさっきモンスターに囲まれたんだ。やばいとは分かっていても、状況を打破するには薬に頼るしかなった。そしたら、風香があんなのことになっちまって……」
荒木さんはうなだれるように話す。
「そんなことが……」
「探索者を奴隷のように働かせるなんて……。つくづく、あの男は性根が腐っている」
玲香さんが怒りを滲ませながら吐き捨てるように呟いた。そして、風香さんの簡易的な処置が終わったようだ。本来は包帯を巻くべきだけど、半分以上が結晶化した腕には意味を無さない。止血剤を塗布するだけにとどめている。風香さんは腕を抑え、泣きそうな顔で口を開く。
「私は、一体……。どうなっちゃうの……」
重苦しい沈黙が流れる。風香さんの問いに答えられるはずがない。何故なら、結晶化の治療は不可能だから。玲香さんが言っていた通り、結晶化した箇所を切除する以外ないのだ。
「こんなところにいたら、いつ襲われてもおかしくない。風香、地上へ戻って治療をしないと」
荒木さんがそう言って立ち上がろうとする。
「待って! 兄さん! 地上へ行ったら、私の腕を切断するんでしょう?」
「……そうだ。それしか、助かる方法が無い」
「だったら……。ここで腕を切って、兄さん」
「な、何を言って……!」
荒木さんが驚いて声を上げる中、風香さんが腕を前に差し出す。そこには結晶がまるで生きているかのようにゆっくりと蠢き、静かに腕を浸蝕していた。
「やるなら早い方がいい。お願いに兄さん……」
荒木さんは目を見開き、うなだれるように頷いた。
「……分かった」
彼女が決心したことで、準備が始まる。風香さんが仲間の一人に鎮痛剤を投与されている間に、お湯、布といった止血に使われるであろうものが用意された。風香さんは肩と並行になるように左腕をあげると、荒木さんは剣を正眼に構えた。いよいよ、その時がきてしまったのだ。
「お願い、兄さん」
荒木さんが剣を振り上げる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
荒木さんは何度も息を吸う。尋常じゃない雰囲気。手元の震えが剣まで伝わり、カタカタと音を鳴らしながら切っ先が震えている。妹の腕を切り落とさなければならない兄の絶望。ダメだ。見ていられない。
「待ってください!!」
わたしは考えるよりも先に体が動いていた。玲香さんが「優奈!?」と言って引き留めようとするも振り切る。そして、振り下ろされようとした剣の下へ、滑り込むように割り込む。
「馬鹿!! 死にたいのか!!」
剣が寸前で止まり、荒木さんは怒声を上げる。けれど、表情はどこかほっとしているように見えた。
「わたしのスキルを試させてください!」
「お前のスキルだと? 魔力を回復してどうなるって言うんだ!」
「優奈、下がるんだ。これは君が背負うべきものじゃない」
荒木さんは呆れたように言い放ち、玲香さんは諭すように語りかける。魔力譲渡は、ただ魔力を渡すだけのスキル。でも、あの時――玲香さんと共鳴した時、玲香さんは言っていた。「淀んだ魔力まで浄化してくれたのかもしれない」と。そして、彼女の赤黒くひび割れていた肌も治っていたのだ。今思うとあれは結晶化の予兆だったのかもしれない。
「お願いです。後悔したくないんです!」
わたしは頭を下げて懇願する。重い沈黙を破ったのは、苦痛に喘ぐ風香さんだった。
「……試して、いいよ……」
「風香?」
「桜さんが止めくれなかったら、私、恐怖で頭がおかしくなってた……。だから、最後に賭けてみたい」
彼女の言葉に荒木さんは剣を降ろすと、緊迫していた空気が少しだけ緩んだ気がする。
「……一度だけだ。桜、頼む」
「ありがとうございます!」
わたしは風香さんの隣に膝をつき、その異形と化した左腕に触れた。冷たい。そして、硬い。人ならざるモノの感触に、背筋が凍る。でも、怖がっちゃダメだ。
「ありがとう、桜さん」
風香さんがわたしにしか聞こえない声で囁いた。
「え?」
「こうして心を整理する時間をくれてありがとう」
風香さんはもはや希望など持っていなかった。それは諦めというより、現実を受け入れる覚悟ができたように思えた。もし、魔力譲渡を発動しても、彼女の腕が異形のままだったら……。治療が失敗した時の風香さんの絶望した表情は想像すらできなかった。こんな妄想をしてしまうのは、わたしの自惚れに過ぎない。わたしは風香さんを救いたいから決心したんじゃない。後悔したくない。ただ、それだけなのだ。これはわたしが始めたわがまま……。例え、全く望みが無かったとしてもやらない後悔はしたくない。
「風香さんいくよ」
「うん、お願い」
スキルを発動する瞬間、何かが違うと思ったのだ。今までと同じ方法ではダメだという確信。わたしはその直感に従ってみることにした。今までと違う魔力の運用方法。不思議と不安はなくて、昔から知っていたかのようにスキルを発動する。
「魔力浄化」
ドクンッ!
心臓が早鐘を打つ。いつもとは違う感覚。わたしが魔力を渡すのではない。風香さんの腕に溜まっていた、ドロドロとした赤黒い奔流が、わたしの手のひらを通じて吸い込まれてくる。
「う、ぐぅ……ッ!」
わたしの体内で、吸い込んだ汚れがろ過され、純粋な魔力へと変換されていく感覚。熱い。それに、少しだけ胸が苦しい。
「うで、が……」
風香さんが呟いた。彼女の腕を覆っていた赤黒い結晶が、光の粒子となって蒸発していく。皆が固唾を飲んで見守る中、毒々しい赤色が消え、健康的な肌色が戻っていく。
「……ウソだろ」
誰かが呟いた。赤黒いオーラが完全に無くなり、そこには傷一つない綺麗な左腕があった。
「風香さん、腕の調子はどう?」
風香さんは恐る恐る手の平を開いたり、閉じたりして具合を確認する。
「治ってる……。本当に治ってる!」
「よかった……」
わたしは全身の力が抜け、その場にへたり込んでしまった。
「優奈! 大丈夫か!?」
「えへへ。ホッとして気が抜けちゃっただけです」
玲香さんが真っ先に駆け寄り、体を支えてくれる。そして、荒木さんが震えながら膝をつき、地面に額を擦り付けた。
「ありがとう……っ! 本当に、ありがとう……!」
「お、恩に着ます……!」
パーティー全員が涙を流して感謝してくる。大の大人達に土下座され、わたしはパニックだ。
「ちょ、頭を上げてください! たまたま運が良かっただけで……!」
「いや、この恩は一生かかっても返す! 金でも、仕事でも、何でも言ってくれ!」
「えぇぇ……」
今回は偶然上手くいっただけで、本当に自分でやったことなのかも実感がないのだ。こんなフワッとした気持ちで、恩を返すと言われても身に余る。困り果てていると、玲香さんがわたしの前に立ち、冷ややかな声で彼らを制した。
「恩を返すと言うなら、ここで起きたことは忘れろ」
荒木さんは言葉の真意を図っているのか静かに玲香さんを見つめる。
「結晶化を治せるスキルなんて前代未聞だ。これが公になれば企業や政府、そして世界が優奈を放って置くわけがない」
「……分かりました。墓場まで持っていく」
「優奈もこのことは誰にも言ってはいけないよ」
わたしは無言で頷く。玲香さんの話はあまりピンとこなかった。世界がわたしを放って置かないなんて、あまりにも話が飛躍しすぎて。
「アストラルブースターはもう使わない方がいい。魔晶の生成を促進する効果があるはずだ。メリットに対して代償があまりにも大きすぎる」
「ああ。こんなものはもう絶対使わない」
荒木さんは残りの小瓶を全て地面に叩きつけ、踏み砕いた。一件落着。……かに思えたが、わたしには一つだけ確認しなければならないことがあった。わたしはこっそりと風香さんに耳打ちする。
「あの、風香さん。変なことを聞きますけど……わたしを見て、何か感じませんか?」
「えっと?」
「その……抱きつきたいとか、舐めたいとか、キ、キスしたいとか……」
我ながら変態みたいな質問だ。顔から火が出そう。でも、これは大事なことなんだ。風香さんの尊厳を守るためにも。風香さんはキョトンとして、首を横に振った。
「えっと……命の恩人として尊敬はしてますけど、そういう感情は特に……」
「それならいいんです。変なこと聞いてごめんね。えへへ……」
わたしは心底安堵して胸を撫で下ろした。どうやら、あの副作用が出るのは玲香さん限定らしい。もしくは、結晶化を治しても副作用は出なくて、魔力を回復すると副作用が出る感じなのかな。
「……優奈。何をコソコソ話しているんだ?」
「な、なんでもないです! 風香さんの腕も治ったことですし、一度地上に戻りませんか?」
ジト目の玲香さんに誤魔化し笑いをしつつ、話題を変える。
「そうだね、戻ろうか。私達は地上に戻るが、君達もそうするだろう」
「そうさせてくれると助かる」
その後、わたし達は荒木さん達を連れてダンジョンの出口を目指す。道中のモンスターは玲香さんが瞬殺し、わたし達は無事に地上へ帰還した。一日も経っていないのに、施設内の景色が随分と久しぶりに感じられる。それだけ、濃密な時間を過ごしていたのかもしれない。
「桜、氷室さん、道中もモンスターから守ってくれて、随分世話になってしまった」
「気にするな。それよりも、二層目であったことは分かっているな」
「ああ。肝に銘じる」
そう言って、荒木さん達と別れる。更衣室で着替えた後、わたし達は施設から出る。日が沈みかけており、辺りは夕焼けに照らされる。いつも通り、タクシーで帰ろうとした時、玲香さんが足を止めた。
「これから寧琉の所に寄るから、優奈は先に帰ってもらっていいかい?」
「それなら、わたしもついて行きますよ」
「いや……検査で長引くと思うから申し訳ないし、優奈には腕によりをかけた夕飯を作って待っていて欲しいな。そのくらい期待してもいいだろう?」
「分かりました! とびきり美味しい夕飯を作りますね!」
「ふふ、楽しみにしているよ」
玲香さんの乗ったタクシーを見送ってから、わたしも別のタクシーに乗り込んだ。本当は玲香さんについて行きたかった。このタイミングで寧琉ちゃんの所に行くってことは、わたしに関係することだよね。でも、玲香さんがやんわりと断ったのには、きっと理由があるに違いない。シートに深く体を預け、わたしは帰路につくのだった。
この作品・続きにご興味をお持ち頂けましたら、下の☆☆☆☆☆をクリックして頂けると執筆の励みになります。よろしくお願いいたします。




