第7話 ペントハウスでの朝食
玄関ホールで頭を抱え込み、愕然としている玲香さん。その背中は小さく震えていて、見ていられないほど落ち込んでいた。 ど、どうしよう、なんて声をかければ……。いや、それよりも、ここ玄関なんだよね。玲香さんの格好は、はだけたブラウス一枚に下着という、ほぼ裸に近い姿。色々あって意識してなかったけど、万が一、誰かが来たら大変なことになる。流石にこれはマズイ。
「玲香さん、とりあえず落ち着ける場所へ行きましょう」
わたしは彼女の肩を支え、なんとか立たせた。玲香さんは魂が抜けた亡者のようにヨタヨタと歩き出す。彼女の体重を預かりながら扉を抜けると、そこには、大富豪の家という言葉をそのまま形にしたリビングが広がっていた。天井高っ! 空間広っ! 正面全部ガラス張り! これ、外から見られ放題なんじゃ……? と一瞬焦ったけれど、ここが地上五十階であることを思い出した。氷室玲香の私生活を覗きに来るのは、精々が迷い込んだ鳥くらいだろう。リビングの奥の方にある十人以上座れそうなソファに二人で腰を下ろした。
「副作用はもう大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない……」
力無く答える彼女は俯いたままだ。その銀髪の間から見える耳が、まだ赤く染まっている。だだっ広い空間に、重苦しい沈黙が流れた。
「すまない、優奈。こんな夜中に呼びつけて……あんな、獣のような真似を……」
「そんな、全然気にしてないです! 副作用なんですから仕方ないですよ」
「……だとしても、私は自分を許せそうにない。こんなことが二度と起きないように、いっそ……私を縛ってくれ。拘束具でも何でもいい」
何を言い出すの、この人は!? 極端すぎる提案に、わたしは思わず噴き出しそうになった。
「落ち着いてください! そんなことしたら生活できませんよ。副作用を解決する話をしましょう」
玲香さんは「たしかに」と言って冷静になったようだ。まずは、副作用が発生した原因を考えるべきだと思う。今までは問題なかったから、副作用は手を繋ぐだけで収まっていたはずだ。今日、急に爆発したのには理由があるはず。
「今日、私と別れてから、何か変わったことはありましたか?」
「…………」
玲香さんは目を伏せ、長い沈黙の後、絞り出すように言った。
「その……。実は今日ほどではないのだが、小さな疼きはずっと続いていたんだ」
「え? なんで言ってくれなかったんですか?」
「君は……私とのスキンシップを、いつも恥ずかしがっていただろう? だから、これ以上負担をかけたくなくて、我慢していた」
てっきり、手を繋ぐことで副作用はなくなったと思っていた。でも、玲香さんはわたしのことを想って、ずっと一人で禁断症状に耐えていたのだ。胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。わたしが恥ずかしいなんて態度を見せていたせいで……。彼女に無理をさせて、結果として今日の大爆発を招いてしまった。今になって思えば、今日スキンシップが多かったのは禁断症状が爆発する予兆の現れだったのかも。
「気づけなくて、ごめんなさい。……苦しかったですよね」
「……優奈は、優しいな。それなのに私は、君を辱めてしまった……」
また自己嫌悪の沼に沈んでいく玲香さん。これじゃあ、堂々巡りになってしまう。わたしは意を決して、火が出るほど恥ずかしい本音を口にした。
「だ、だから! わたしは玲香さんとキスするの、嫌じゃないんです! 恥ずかしいだけで……むしろ、その、少しだけ、気持ちいいっていうか……っ!」
玲香さんが顔を上げ、目を見開く。もう後戻りはできない。わたしは顔を真っ赤にしながら、まくしたてた。
「だから、したくなったら我慢せずに言ってください! 配信中にあんなことが起きたら大変ですから!」
顔が熱い。うぅぅ~、とんでもないことをカミングアウトしてしまった。キスが気持ちいいって……。しかも、女の子同士でなんて……。絶対変な風に思われてるよ。
「わ、分かった。しかし、君は人前でそういうことをできないのだろう?」
わたしは指先をもじもじさせながら、とんでもない提案を口にする。
「二人だけなら大丈夫なので……。それで、図々しい提案なのですが、玲香さんと一緒に住めればとか思っていたり……。家の中なら、誰の目も気にしなくていいですし。……いかがでしょうか?」
Fランクのわたしが、Sランクの豪邸に転がり込むなんて厚かましすぎて死にたい。こんな提案をするのはかなり心苦しいけど、現状これが一番だと思うのだ。ちらりと、彼女を見ると憑き物が落ちたような顔で、ふわりと微笑んだ。
「嬉しい。……優奈と一緒に暮らせるなんて。私は、大歓迎だ」
その笑顔があまりに綺麗で、わたしの心臓が大きく跳ねた。あっさり了承されちゃった。しかも、嬉しいって……。わたしは玲香さんと一緒に暮らせたら楽しいと思っていたけど、玲香さんも同じ気持ちだったのかな。
「あ、ありがとうございます」
「早速だけど、家の中を紹介するよ」
玲香さんはすくっと立ち上がると、わたしの手を掴んだ。
「れ、玲香さん、まずは、その服を着てもらえると……」
彼女は下着姿のままで、美しい肢体を大胆にさらけ出している。眼福ではあるのだけど、目のやり場に困る。というか、何で下着のまま? もしかして、家の中では下着で過ごすスタイルなの?
「ああ、すまない。さっきまで、焦っていたからね」
玲香さんが着替えのために寝室へ向かう。その後、簡単なルームツアーが行われ、わたしはホテルのスイートルームのような客室に案内された。
「必要なものがあったら、遠慮なく言ってくれ」
「はい、ありがとうございます」
「おやすみ、優奈」
「おやすみなさい、玲香さん」
ショーツ姿のスポーティーなパジャマに身を包んだ玲香さんが、柔らかい表情で手を振る。今日は遅いのでここで泊まらせてもらうことになった。改めて部屋を見回す。部屋の中央に二人位一緒に寝れそうなベッドが置かれ、部屋の隅にはデスクセットが置かれている。まさに、宿泊者のために用意された部屋であった。
「うちよりも、広い……」
その事実に乾いた笑いがでそうになる。ベッドへ転がり込み仰向けになる。わたし、これから玲香さんとこの豪邸で住むことになるのか。今更現実感が帯びて、怖くなってきた。わたしが、絶世の美女でSランク探索者で有名人の、あの氷室玲香と一緒に暮らすことになるんだ。やばい、想像しただけで恐れ多すぎて震える。
「うぅぅ~~」
ベッドの上でゴロゴロ転がった後、枕に顔を埋める。優しい柔軟剤の匂いがした。言い出したのは自分なんだから、覚悟を決めよう。それに、玲香さんとの暮らしを想像するとワクワクする自分がいる。うん。きっと、なんとかなるよ。枕から漂う優しい柔軟剤の匂いに包まれながら、わたしはいつの間にか深い眠りに落ちていた。
目覚まし用のBGMが鳴り、うっすらと目を開けた。いつもと違う天井だ。そうだ、わたし玲香さんの家にいるんだった。耳障りな音を止めると、今は六時だった。
「~~~~、はぁ」
大きく伸びをすると背筋が伸びて気持ちいい。緊張して寝不足になると思っていたけど、杞憂だったみたい。やっぱり、ベッドの質がいいからなのかなぁ。自分でもビックリするくらい目覚めが良い。ベッドから降りて洗面所に向かう。大理石で造られたカウンターにエレガントな洗面ボウルが二つ横並びに配置されている。高級ホテルで見るやつだ。そんな感想を思いながら、顔を洗い歯磨きを済ませる。さて、誰もいないリビングでソファに座ること十分。着替えようとしたんだけど、今着ているパジャマしかないことに気づいたんだよね。玲香さんが起きてくる気配はない。一度、アパートに帰って、生活に必要なモノを取ってきていいかもしれない。取りに行くなら朝早い内に行きたいしね。人通りが多い時間でこの恰好で外出たくないし。
そうと決まれば、まずは玲香さんに連絡を入れてと……。そして、靴に履き替えて玄関を出た。ポケットから一枚のカードキーを取り出す。昨日、玲香さんからもらった合鍵だ。玄関扉にかざすと電子音と共に施錠が完了した。わたしはそれを大切に財布の中へ仕舞うと、肌寒い春の早朝の街へ繰り出すのであった。
◇◇◇
「おじゃましまーす」
大きなリュックを背負い、右手にはトランクケース、左手にはスーパーの袋を提げて再び玲香さんのペントハウスへ帰ってきた。ゲストルームへ荷物を置いた後、リビングに来たけど、朝から何も変わっていなかった。もう、九時だよね。流石に、玲香さんも起きていると思うのだけど、どこか外出しているのかな? スマートフォンを見ると、わたしのメッセージに既読がついていない。なんか、心配になってきた……。昨日のこともあるし。わたしは玲香さんの寝室に向かい、扉をノックした。
「玲香さーん?」
返事がない。わたしは恐る恐る、ドアを開けた。薄暗い部屋の中、キングサイズのベッドの中央で、銀髪の美人が丸まって寝ていた。わたしはそっと近づき、その寝顔を覗き込む。肌は白くきめ細かく、柔らかそうな唇に、毛先が緩やかにカーブしたまつ毛は長い。夜の街灯に誘われる虫のように、わたしの手は自然と彼女の髪に伸びていた。指を通すと、艶やかな銀色の髪は驚く程サラサラで、ふんわりとミントの香りが漂う。
「ん……」
玲香さんの瞼がピクリと動く。わたしは慌てて髪から手を離した。
「れ、玲香さん、朝ですよ!」
咄嗟に、彼女を起こしに来た体を装う。肩を軽く揺らし、目覚めを促す。
「ふぁ……ん……」
玲香さんは気だるげに体を起こし、可愛らしい欠伸をした。焦点の合わない目でぼーっとしていたかと思うと、突然、わたしの方へもたれかかってきた。避けるわけにもいかず、正面から彼女を受け止める。
「むにゃ……。柔らかくて、いい匂い……」
玲香さんがわたしのお腹に顔を埋めて、そんなことを漏らす。枕とでも思っているのだろうか。
「寝ぼけてないで起きてください!」
寝ぼけた彼女をなんとか立たせ、洗面所へ連行する。
「朝、弱いんだ……」
洗面所でようやく目が覚めた玲香さんが、タオルで顔を拭きながら真っ赤になって言った。
「ちょっと意外です。玲香さんにも苦手なことがあるんですね」
「私にだってある。ただ、人前では見せないようにしているだけで……」
「そうなんですね。えへへ……」
「なんでそんなに嬉しそうなんだ?」
不服そうに玲香さんがじろりと睨んできた。
「皆の知らない玲香さんを、わたしだけが知っているって思うと、何だか嬉しくて」
「私には理解できない感情だ。朝弱いことが君にバレて恥ずかしいのに」
玲香さんはやれやれと言いたげな様子でタオルを洗濯カゴに放り投げた。
「そういうのがいいんですよー」
玲香さんは溜息をついて「さっぱり理解できないと」呟いた。そんな彼女を見てわたしは増々愉快な気持ちになるのだった。リビングへ戻ると、玲香さんは慣れた手つきでプロテインのシェイカーを取り出した。
「え、朝食、それだけですか?」
「ああ。短時間で済むし、合理的だろう?」
合理的だけど……。朝ごはんをしっかり食べたい派のわたしとしてはプロテインだけは流石に寂しすぎる。
「玲香さん、キッチン借りてもいいですか? 朝ごはん作るので一緒に食べません?」
「勿論いいよ。私も手伝うよ」
「玲香さんは座ってて下さい。わたしは居候なのでこのくらいはさせてください」
「そんなこと気にしなくてもいいのだが」
わたしは玲香さんを椅子に座らせ、キッチンに立った。ボウルで生地を混ぜ、フライパンでふっくらと焼き上げる。甘い香りが部屋に充満し、ティーポットからは紅茶の湯気が立ち上る。二人分のお皿をダイニングテーブルに持っていく。
「はい、パンケーキです!」
苺ジャムとはちみつを添えた一皿を出すと、玲香さんは目を輝かせた。準備が整い、お互い手を合わせて頂きますをする。わたしは手を止めて、玲香さんが一口目を食べ終えるのをじっと観察する。ナイフとフォークを使って一口サイズに切り分けると、それを上品に口へと運ぶ。
「……美味しい。甘くて、すごく温かい」
一口目を食べた彼女が、心底幸せそうに呟く。
「よ、よかったぁ」
玲香さんのお口にあってなにより。わたしもパンケーキを一口。あまーい……。
「こうしてプライベートで誰かと食事をするなんて、いつぶりだろう」
玲香さんは紅茶をすすり、ポツリと漏らした。
「今までの私は、ダンジョンに潜って、この家に寝に帰るだけの繰り返し。外で会うのは仕事関係の人だけで、食事はただの栄養補給だった。そのことについて寂しいとか、楽しくないとかそういうことは全く思っていなかったんだ。……でも」
彼女は真っ直ぐにわたしを見た。
「君と出会ってから、世界が変わった。配信も、会話も、こうして食べるご飯も……。なんだか、すごく心地いいんだ。ありがとう、優菜」
強くて美しいSランク探索者の玲香さん。わたしから見た彼女は輝いていて、とっても充実した毎日を送っているに違いないと信じて疑わなかった。でも、彼女はずっと、この広い部屋で一人ぼっちだったのだ。独りで生きていけるほど、彼女は強かったのだろう。周囲から注目され期待され続ける玲香さんはいつ心が休まるのだろうか。今、初めて玲香さんがわたしと同じ普通の女性なんだって思えたのだ。だから、わたしも素直な気持ちを伝えい。
「わたしも玲香さんと出会えて毎日が楽しいです!」
お互いに照れ笑いを浮かべ、パンケーキを頬張る。わたし達の同棲生活第一歩は、そんな甘い朝食から始まった。
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