第6話 捕食
「ただいまー」
誰もいないのに、習慣と化した呪文を唱え我が家へ帰還する。なんだか清々しい気分だ。わたしは軽くスキップを踏みながら、そのままベッドに飛び乗る。ボフんっと音を立て、お布団が身体を優しく受け止めてくれる。仰向けになって天井を眺めた。鏡を見なくても分かる。今、わたしの顔は絶対にやけている。はぁー、キモいなぁ、わたし。でも、仕方ない。初めての玲香さんとのダンジョン探索、その興奮が冷め止まないのだ。じっとしていられなくて、体を起こした。
「別にやることはないんだよねぇ」
そう一人ごちて、手持ち無沙汰な手がスマートフォンへ伸びる。いつもの癖でSNSを開きスクロール、ある配信の切り抜き動画に目が釘付けになる。
「コレ……。わたしじゃん!!」
いいね数は十万越え。切り抜かれていたのはわたしと玲香さんの魔力供給シーンや腰に手を回されているシーンの詰め合わせ。サムネイルにはデカデカと『氷室玲香のエロすぎる喘ぎ声まとめ』の文字。
「ご、誤解を招くタイトルやめてぇぇ!!」
絶対悪意あるでしょ! トレンドには『#玲香と優奈てぇてぇ』『#配信内でいちゃつくな』『#公式が最大手』などの他人事とは思えないタグが乱立。やばい、やばい、やばい! しかも、玲香さんに腰を引き寄せられて、わたしがうっとり(に見える)している瞬間のスクショが拡散されている。見てるこっちが恥ずかしくなってくる。これが共感性羞恥心ってやつか……。最初の清々しい気持ちは完全に霧散し、メンタルポイントが限界突破したわたしは、スマートフォンを放り投げてふて寝するしかなかった。
◇◇◇
高層ビルが立ち並ぶ東京のオフィス街。アークライトインダストリーのCEO室にて、革張りの椅子に座る神崎透が神経質そうに、ホログラムディスプレイを見ている。そこには様々な経営情報がグラフやデータとして表示されており、彼の表情を見る限り経営状況は芳しくなさそうだ。
「失礼します。CEO」
入室してきたのは白衣を着た猫背の中年男性、開発室長の中谷だ。ニヤニヤしながら手を擦り合わせている。
「遅いぞ、中谷! 新薬『アストラルブースター』の進捗はどうなっている!」
「えー、それがですねぇ。臨床試験の結果、副作用で魔晶の蓄積スピードが異常に早いことが判明しまして……」
中谷は口ごもりながらも、どこか楽しげだ。
「魔晶がどうした。魔力を消費すれば魔晶が人体に蓄積するのは当たり前だ。時間が経てば分解されるではないか」
「それが、分解が追いつかないんですよぉ。特に容量の少ない低ランク者が使用すると、急激に身体の魔晶蓄積度が進行します」
「ふん、低ランクがいくら魔晶をためようが関係ない」
神崎は冷徹に言い放った。
「メディアには開発完了と言ってしまっているのだぞ! このままグズグズしていたら、株価にも影響しかねない。即時、投入しろ」
「ひひっ、承知しました」
中谷は一礼し、去り際に思い出したように振り返った。
「そう言えば、氷室氏がネットで話題になっているのはご存じで?」
神崎は顔をしかめながら吐き捨てるように言う。
「あのアマの話などするな……」
「いえいえ。彼女、以前よりスキルの威力が上がっているようですが……どうも、あの歩くモバイルバッテリーと組んでから様子がおかしい。もしや、桜氏のスキルには我々の知らない効果が?」
ドォン!!
苛立ちをぶつけるように、神崎は机に拳を叩きつける。
「あいつがSランクの魔力を賄えるわけないだろ!! ただのゴミだ、あいつは!」
「失礼しましたぁ。私の思い違いでしょう。ひひひ」
気味の悪い笑い声を残し、中谷が出ていく。神崎は誰もいない部屋で、ギリギリと奥歯を噛み締めた。
「クソ……」
誰もいなくなった部屋で手をさすりながら声を漏らすのであった。
◇◇◇
玲香さんとパーティーを組むようになってから、一週間が経過した。相変わらず、魔力供給すると玲香さんは少し色っぽい反応をするのだけど、本人曰く不可抗力らしい。わたし達の魔力供給するシーンはかなり需要があるらしく、配信動画は累計五百万再生を突破。他の探索者達も女性同士のスキンシップを押し出す配信をやり始め、いつしか百合系探索者という新ジャンルが爆誕していた。そんな元祖百合系探索者のわたし達の配信が、今ちょうど終わったところだ。
「次の配信でまた会おうね」
最初あんなに緊張していた配信も、皆に手を振れる位には慣れてきた。ゲートへ向かおうと歩き出すと、玲香さんが自然な動作で指を絡めてきた。いわゆる、恋人繋ぎ。配信が終了したら帰還するまで、こうして手を繋ぐのが日課になっていた。配信は慣れても、玲香さんと触れ合うのは未だにドキドキするし、何だか落ち着かない。玲香さんが触れてくるのはわたしのスキルの副作用で、わたし達の関係はビジネスパートナーなのだ。頭では分かっていても、心臓は正直だ。ゲートをくぐり、元の世界へ帰ってくる。
「えっと……」
いつもならここで手を離すのに、今日は繋がれたままだ。視線で訴えると、玲香さんはハッとしてバッと手を離した。
「す、すまない……」
「いえ。その、副作用は大丈夫ですか?」
「ああ。問題ない。……少し、名残惜しかっただけだ」
ボソリと言われた言葉に、耳が熱くなる。玲香さんと手を繋いでいるところをリアルで見られるのは流石に恥ずかしい。持ち物保管所で魔石を精算し、AIのミシャが報告を上げた。
『今回獲得した魔石の売却額は、百二十万円となります』
「半分は優奈に送金しておいたよ」
「え! 半分なんて貰えませんよ! わたしは魔力を渡しているだけで、戦っているのは玲香さんじゃないですか!」
慌てて抗議する。玲香さんがすごいだけで、わたしは彼女の実力に頼っているだけ。半分なんてあまりにも不相応だ。百分の一だって多いくらいだ。
「もう送ってしまった。ちなみに、返金には対応しないよ」
いたずらっぽく笑う玲香さんに恨めしく視線を送る。
「うぅぅー……。わたしにはそこまでの価値はないのに」
わたしが俯くと、玲香さんが強い力で両肩を掴んだ。真剣な眼差しが、至近距離でわたしを射抜く。
「優奈、謙遜は美徳だけど、謙遜しすぎて自分を卑下するのは良くない」
彼女の真っ直ぐな視線から逃げるように、わたしは視線を逸らす。
「で、でも……自信がないんです。わたしは玲香さんの隣にいていい人間じゃない気がして……」
「優奈」
玲香さんの手が、わたしの頬を優しく包み込んだ。わたしの目に写る彼女は穏やかな表情を浮かべていた。
「優奈は、私の目を信じられない?」
「えっと……」
「私は君を選んだ。君が信頼している氷室玲香が選んだパートナーだ。なら、もう少し自分自身を信じてあげてもいいんじゃないか?」
照れくさそうに、でも真っ直ぐに言われて、わたしは言葉を失った。そっか。わたしが自分を否定するのは、わたしを選んでくれた玲香さんをも否定することになるんだ。折角、玲香さんはわたしのことを評価して、こうしてパーティーも組んでくれて。わたしは彼女に対してとても失礼なことを言っていたんだ。
「……ありがとうございます。玲香さんに言われたら、少しだけ自信が持てる気がします」
「うん。それでいい」
ふわりと微笑み合うわたし達。ふと周囲の気配に気づく。道行く人達が、頬に手を添えて見つめ合うわたし達を、ニヤニヤしながら見ていた。
「っ!! み、見られてます!」
「こ、こっちこそすまない!」
今日はいつもより、玲香さんのスキンシップが多い気がする。わたし達は茹で蛸のように顔を赤くして、逃げるようにその場を去った。
その夜。お風呂上がりのベッドでSNSを眺めていると、着信通知が鳴った。画面には氷室玲香の文字。電話なんて珍しい。わたしは慌てて通話ボタンを押した。
「も、もしもし、優奈です」
緊張しながら電話に出ると、くぐもった荒い息使いが聞こえてきた。
「優奈か……。はぁ、はぁ、っ……。今すぐ、うちに来てほしい」
受話器から聞こえたのは、ただならぬ荒い息遣いだった。電話越しでも分かるほど、玲香さんは苦しそうであった。何か事件に巻き込まれてしまったの? それとも、病気? 事故? 分からないけど、緊急事態なのは間違いない。
「今から行きます! 玲香さん大丈夫ですか? 苦しいなら救急車呼ぶので!」
「必要ない……。とにかく、早く……っ!」
通話が切れる。わたしはパジャマの上にパーカーを羽織り、財布とスマホだけを握りしめて夜の街へ飛び出した。スマートフォンで住所を確認する。ここなら電車よりも車の方が速い。タクシーを捕まえて、彼女の元へ向かう。どうしたんだろう玲香さん……。お昼の時は問題なさそうだったのに。交差点の前でタクシーが止まる。こんなにも赤信号が憎いと思ったことはない。早く、早く、早く! 心は今にも走り出したいのに、わたしは黙って座っているかしない。
目的地に到着すると、目の前に見上げる程の超高層マンションがそびえ立っていた。まるで、摩天楼のようだ。急いでロビーに向かうと、巨大なガラス扉が行く手を阻む。セキュリティー厳重! セキュリティゲートの前で焦っていると、玲香さんによってロックが解除される。エレベーターで最上階五十階へ。ペントハウスのドアを開ける。
「玲香さん!?」
広い玄関ホールに、玲香さんが力なく座り込んでいた。その姿に、わたしは絶句した。下着の上に、ブラウスを一枚羽織っただけ。はだけた胸元からは、汗ばんだ白い肌が覗いている。彼女は熱に浮かされたような瞳でわたしを見上げ――。
ガシッ!
「うわっ!」
腕を引かれ、わたしは玲香さんの胸の中に倒れ込んだ。そして、そのまま顔を玲香さんの胸に埋めると、がっしりと抱きしめられてしまった。しっとりとした肌の感触。玲香さんの体温は異常に高く、ミントの香りに混じって、どこか甘い雌の匂いがした。
「玲香さん、熱が……! やっぱり病院に……」
「いらない。私が欲しいのは、医者じゃない……」
ぎゅう、と強い力で抱きしめられる。肋骨がきしむほどだ。
「優奈……、優奈……」
「ひゃ……っ!?」
うわごとのように名前を呼ばれ、次の瞬間、生暖かい感触が耳を這った。
「え? ふぁ……、や……っ」
舐められてる……。舌で耳全体を撫でられて、背筋がゾワゾワする。
「ん、ちゅ……。甘い……ここ、魔力が濃い……」
「ん……、あぅ……。玲香さん……」
玲香さんの舌が、耳の輪郭をなぞり、耳たぶを甘噛みする。背筋に電流のようなゾワゾワ感が走った。
「ぴちゃ、じゅる……。はぁ、はぁ……」
「あ、んん……。玲香さん、ダメぇ……」
頭の中に水音が直接響く。まるで脳を犯されているような感覚。玲香さんは無心にわたしの耳を貪っている。これは、寧琉ちゃんが言っていた細胞の飢餓だ。理性を失うほど、彼女の細胞がわたしを求めている。
「あっ……!」
耳の奥に舌を差し込まれ、わたしは声を押し殺して身をよじった。耳ばっかり、ダメなのに……。恥ずかしいのに、変な声を我慢できない。しばらくして、玲香さんの動きが止まる。恐る恐る見上げると、彼女はトロンとした瞳でわたしを見下ろしていた。頬は紅潮し、口元は唾液で濡れている。普段のクールな氷の令嬢とはかけ離れた、無防備で扇情的な姿。
「すまない、優奈……。我慢、できなかった……」
多分、玲香さんはまだ副作用が完全に収まっていない。切なげに眉を寄せる彼女を見て、わたしは覚悟を決めた。これは治療なのだ。
「……キス、しなくていいんですか?」
微かに揺れる眼差し。わたしの言葉に、玲香さんの理性が揺らいだのが分かった。
「嫌じゃ、ないのか?」
「恥ずかしいけど、嫌じゃないです。玲香さんとなら……」
言い終わる前に、唇が塞がれた。
「んむ……っ!」
前よりも強引で、荒々しい大人のキス。まるで砂漠で水を求める遭難者のように、玲香さんは貪欲に舌を絡めてくる。歯列をなぞり、舌先を吸い上げられ、唾液が混じり合う音が静かな玄関に響く。玲香さんは今、わたしを捕食している。その事実が怖くもあり、同時にどうしようもないほど甘美な喜びに感じられた。長い、長い口づけの後。唇が離れると、銀の糸が引いた。玲香さんの瞳に理性の光が戻り――そして、みるみるうちに青ざめていく。
「私は、なんてことを……」
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