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アストラルエデン 〜最弱なわたしの魔力譲渡に、最強の乙女達が群がる理由〜  作者: 植物めんじゅ
2章 極楽浄土に君臨せし破壊の修羅

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第57話 トーナメント閉幕

 アリーナを埋め尽くしていた警告のアラート音が、ぷつりと糸が切れたように途絶えた。視界を真っ赤に染め上げていた数千もの「ERROR」の文字が、ネオンブルーの淡い光の粒子となって空気中に溶けていく。システムの支配権を奪還した寧琉ちゃんの電子的な打鍵音が止まり、フィールド全体の痛覚設定が「OFF」へと強制書き換えされたのだ。


「終わった……んだよね?」


 わたしは、自分の乱れた呼吸を整えながら、そっとお腹に手を当てた。そこにはもう、傷一つ残っていなかった。つい数秒前まで、わたしの体を内側から焼き焦がしていた、文字通り脳のシナプスを焼き切るような死の激痛。それが、痛覚リミッターの再稼働によって、嘘のようにすっきりと消え去っていた。けれど、衣服は円形に破れたまんまなんだよね。お腹の柔肌がアリーナの明るい照明の下でこれでもかと無防備に晒されてしまっているのだ。流石にこれは恥ずかしすぎる。わたしは身を縮こまらせながら、自分の手でお腹あたりを必死に隠した。


「優奈……。ごめん、ごめんね。本当に痛い思いをさせちゃって……」


 わたしの慌てた様子を別の意味で捉えたのか、目の前に立っていた明楽さんがしょんぼりとした表情で俯いた。彼女の身体を侵食していた禍々しい結晶は、魔力浄化(マナブレイス)によって完全に霧散しており、いつもの不敵で、ちょっといたずら好きな本来の姿に戻っていた。でも、その猫のような瞳は潤み、泣き出しそうな子供のように震えている。


「僕、本当に頭がおかしくなっちゃってて……。この腕で貫いちゃって……。うぅ、本当にごめん……」


 明楽さんはすがるように、破れたわたしの服の隙間から、露出しているお腹へと手を伸ばした。そして、傷があったはずの場所を小さくて少し節くれ立ったシーカーの手で、慈しむように撫で始めた。


「ひゃうっ!? あ、明楽さん……! お腹撫でられると、ちょっと、いえ、かなりくすぐったいです……!」


「あ……。ご、ごめんっ!」


 わたしが思わず体をくねらせて悲鳴を上げると、明楽さんは弾かれたように、慌てて手を離した。自分の両手を気まずそうに見つめながら、彼女は再び肩を落として、小さく丸くなってしまう。そのしょんぼりした姿は、アリーナを地割れで粉砕した怪物とは同一人物とは思えないほど、健気で愛らしかった。


「……謝らないでください、明楽さん」


 わたしはお腹を手で隠しながらも、彼女に安心してもらえるように、穏やかに微笑みかけた。


「ここにいるみんな、明楽さんが悪いなんて、思っていませんから。大丈夫です。明楽さんの気持ちは伝わっていますから」


「優奈……」


「……フン。救われといて、感謝の言葉も無いのか、お前は」


 背後から、剣を腰の鞘へと納めた玲香さんが、呆れたような、ホッとしたような溜息を吐きながら歩み寄ってきた。その瞳は、傷ついたわたしへの心配と、露出したお腹をじっと撫で回していた明楽さんへの、隠しきれない嫉妬と警戒の色が宿っていたけれど。


「あたし達をあれだけハチャメチャに蹂躙しといて、しょんぼりされても調子狂うんだけど」


 加恋さんが、髪をかき上げながら、鋭いツッコミを投げかける。


「……ええ。優奈さんの奇跡に、感謝することね」


 望愛さんもまた、鎖鎌を空間ストレージに片付けながら、コバルトブルーの瞳を優しく細めてわたしに並び立つ。みんなの、軽口を交えた温かい言葉に、明楽さんは驚いたように目を瞬かせた。そして、ふにゃりと、締まりのない幸せそうな笑顔を浮かべ、黄金色の目を細めて喉を鳴らした。


「そっか。にひひ……。ありがとうね、みんな。……僕を助けてくれて、本当にありがとう、優奈」


「どういたしまして。……お帰りなさい、明楽さん」


 わたしが微笑むと、明楽さんは嬉しそうに頷いた。ひとまずの平穏。でも、わたしの頭の中には、まだ解決していない重大な疑問が残っていた。


「そう言えば、みんな。……中谷は、どこへ行ったんですか?」


 アリーナの瓦礫の山を見渡しながら尋ねると、スピーカーの向こうから、寧琉ちゃんのひどく重苦しい声が返ってきた。


『……消えてしまったよ、優奈君。アリーナの接続ログをハッキングして、奴のログイン元を追跡しようとしたんだけど……。IPアドレスも、物理サーバーの場所も、すべてが幽霊みたいに最初から白紙だったんだ。……どこかの仮想ハブからプロキシを重ねていたのか、それとも中谷という存在自体が、システムが自己生成したAIプログラムだったのかすら、僕でも判別がつかなかった。……本当に、底の知れない不気味な奴だよ』


「消えた……。最初から、存在しない……」


 玲香さんの表情が険しくなる。中谷という男。アークライトの地下から消え去り、今またこうして、仮想世界を自在にハッキングして消えて見せた。あいつの本当の目的は、一体何なのだろう。 アリーナに、重苦しい沈黙が流れた。


 その時。アリーナの中央、クレーターの真上の空間に、再び巨大なホログラムの映像が投影された。 静まり返る数百万の観客。そこに映し出されたのは、スノーメビウスグループの頂点に君臨する男――氷室帝人さんの姿だった。


「……諸君。この度は、次世代仮想訓練システム極楽浄土(エリュシオン)の基幹サーバーに対し、極めて悪質な外部からの不正アクセス、およびハッキングによるシステム障害が発生した。……システムを提供したスノーメビウスの最高責任者として、この不祥事に対し、深くお詫び申し上げる」


 帝人さんの、感情の起伏を一切排した圧倒的な覇王の説得力を伴う声が、アリーナ全体を静粛に陥れた。彼は、壇上でお辞儀をすることすらなく、淡々と、しかし完璧な事後処理を世界に向けて宣言していった。すでにセキュリティの不備は特定され、改善のプロセスに入っていること。今回の障害に関与した疑いのあるデータを当局に提供し、さらなる魔導防衛の強化に全力を注ぐこと。その冷徹なスピーチは、スノーメビウスの株価下落を最小限に防ぐための、完璧なビジネスマンとしての防壁だった。けれど、帝人さんの演説は、そこでは終わらなかった。


「……さて。今回のトーナメント決勝戦についてだ」


 帝人さんのアクアマリンの瞳が、画面越しにわたし達を捉えた。


「ハッキングによる痛覚リミッターの解除、およびプログラムの暴走。……ルールを根底から破壊するイレギュラーが多発した本試合は、競技の性質上、本来であれば無効試合と判定されるべきものである」


 アリーナの観客席から、にわかにブーイングと混乱のざわめきが上がり始めた。無効試合。それでは、玲香さん達の命がけの戦いは、すべて無駄になってしまうのか。わたしがぎゅっと拳を握りしめた、その瞬間。帝人さんは、その薄い唇を微かに吊り上げ、世界中を黙らせる覇王の言葉を放った。


「――だが。自らの命の危機、そして痛覚ONという極限の恐怖を前にして。システムを支配する悪意のプログラムを、その圧倒的な実力と絆を以て完全に打ち破り、この極楽浄土(エリュシオン)の不祥事を前向きに解決したのは、他でもない彼女達だ」


 帝人さんは、右手を大きく差し出し、アリーナに立つ玲香さん達を示した。


「よって、我々は彼女達の功績を最大級に讃える。……本ベータテスト・トーナメントの栄えある優勝者は、ギルド――救済の祈り手(フィーリア)である!!」


 ドォン!! という祝砲の音とともに、アリーナ全体を埋め尽くす数百万の観客席から、地鳴りのような割れんばかりの大歓声と拍手が巻き起こった。デジタル掲示板に『フィーリア優勝!』という金色の文字が躍る。ネット配信のコメント欄も、このドラマチックな大逆転と、帝人さんの太っ腹な決定に、狂喜乱舞のお祭り騒ぎを起こしていた。


『フィーリア優勝キターーーー!!』


『帝人、マジで最高にわかってるじゃん!!』


『ハッキングを実力でねじ伏せて優勝するとか、展開が主人公すぎて震える』


『大聖女桜優奈の浄化、世界中に配信されてたからな。誰も不満はないだろ!』


 突然の優勝宣言に、玲香さんはぽかんとしたマヌケな表情で固まっていた。クールビューティを誇る彼女が、完全に思考停止している。その時、アリーナの中央にネオンブルーのノイズが走り、一人の男性が転送されてきた。仕立ての良い完璧な高級スーツを着こなし、白髪交じりの黒髪を几帳面に整えた、絶対の支配者。帝人さんが、悠然とした足取りで、玲香さんの目の前へと歩み寄ってきた。


「……お父様」


 玲香さんが、ハッとして彼を睨み据えた。その瞳には、かつてのような恐怖や呪縛の影はない。自分の力で勝ち抜いた、戦士としての揺るぎない誇りがあった。


「……見事な戦いだったよ、玲香」


 帝人さんは、相変わらず無表情のまま、冷徹な声で告げた。


「お前がシーカーを続けることを公式に認めよう。お前が、自らの意志で、自らの剣で、私の呪縛を完全に断ち切ってみせたのだからな。……私がお前にこれ以上強制する資格は、もうない」


「……当然です」


 玲香さんは、凛とした声で胸を張った。


「私はお父様の人形ではありません。……私は、大切な仲間達とこれからも深層の闇を切り拓いていきます。……貴方の会社にお世話になることなど、一生、一秒たりともありませんから!」


 玲香さんの決然たる拒絶。普通の親なら激昂するか、寂しそうな顔をするところだ。けれど、帝人さんは、その冷徹なアクアマリンの瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、父親としての誇らしげな笑みを滲ませ、ふっと、小さく口角を上げた。


「ふっ……そうか。それなら、いい」


 吹っ切れたような、どこか穏やかな表情。玲香さんが「え……?」と戸惑う間もなく、帝人さんはゆっくりと歩みを進め、わたしの目の前へと直立した。その威圧感に、わたしは思わず背筋を伸ばして固まる。帝人さんはわたしの瞳を、まっすぐに見つめた。


 そして、スノーメビウスグループの頂点に君臨する、あの氷室帝人が。 わたしという、一介のFランクサポーターの前に、腰を直角に折り曲げ――。


「――桜優奈さん。……今後とも、不器用な娘のことを、よろしく頼みます」


 深々と、世界中のカメラの目の前で、頭を下げたのだった。


「……え? えええっ!? お、お義父さん、頭を上げてください! わたし、そんな大層な人間じゃ……!」


 わたしは完全に大パニックを起こし、両手で破れたお腹を隠すのも忘れて、おろおろと空中で手を泳がせた。


「お、お、お父様!? そ、それは一体、どういう意味だ!? なぜ優奈に頭を!? おい、聞いてるのか!!」


 玲香さんもまた、顔を真っ赤にして目を白黒させながら、帝人さんの背中に向かって大声で叫んだ。けれど、帝人さんは何もしゃべることなく、ただ、満足げな背中をわたし達に向け、優雅な足取りで転送ゲートへと歩いていき、光の中に消え去ってしまった。残されたのは、割れんばかりの大歓声に揺れるアリーナと、完全に大パニックに陥ったわたし達救済の祈り手(フィーリア)の面々だけだった。こうして、世界を震撼させたベータテスト・トーナメントは、あまりにも衝撃的で、そしてあまりにも温かい大逆転劇を以て、その幕を閉じるのだった。

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