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アストラルエデン 〜最弱なわたしの魔力譲渡に、最強の乙女達が群がる理由〜  作者: 植物めんじゅ
2章 極楽浄土に君臨せし破壊の修羅

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第55話 極楽浄土の死闘前編

「――今すぐトーナメントを中止しろ!!」


 アリーナを包む赤い警告灯の明滅のなか、頭上から響き渡ったのは、スノーメビウスの貴賓室から発せられたお父様――氷室帝人の、これまでに聞いたこともないほど焦燥を滲ませた怒声だった。寧琉が、冷や汗を流しながら必死にキーボードを叩いている様子が、システムの混線によってアリーナの巨大モニターに一瞬だけ映し出される。


「中止しようとしても無駄だよ、氷室社長。ひひ……すでに極楽浄土(エリュシオン)の基幹システムは、完全に私の制御下にあるからねぇ」


 白衣の男中谷はアリーナの中空で、不気味に手を擦り合わせながら話す。


「なんかよく分からないけど、ぶっ飛ばせばいいんでしょ!!」


 加恋が巨大な砲身を中谷に向けると、轟音と共に魔力の弾丸が放たれる。しかし、弾丸は中谷を目前にして透明の壁に阻まれてしまうのであった。


「言っただろう? 基幹システムを掌握していると」


 加恋が奥歯を噛みしめるような悔しい表情を浮かべる。


「君は一体、何のつもりでこんなふざけたことをしてくれたのかなぁ?」


 スピーカー越しに響く寧琉の地声は、普段の気だるげな様子を完全に失い、激しい怒りと焦燥に震えていた。


「何、ちょっとした実験と余興だよ。ルールに守られた痛みのない殺し合いなんて、見ていて退屈極まりないだろう? 実験を遂行するついでに、このトーナメントをもう少し刺激的にしてあげようと思ってねぇ。――さぁ、始めようか」


 中谷がパチン、と愉しげに指を鳴らした。その瞬間、満身創痍で膝をついていた明楽の身体が、異常なまでに痙攣を開始した。


「が……あ、あ、あああああぁぁぁぁ!!!!」


 アリーナの空間そのものを引き裂くような、女性の絶叫。明楽はその場に崩れ落ち、頭を抱えて悶え苦しむ。彼女の四肢を覆っていた漆黒の金剛身術(アダマンスフィア)の美しい金属光沢が、見るも無惨に波打ち、ドロドロとした赤黒い結晶質へと強制的に変異を開始した。パキパキ、メキメキと、骨が砕けるような不快な破壊音が静まり返ったアリーナに響く。赤黒い結晶は彼女の皮膚を内側から突き破り、両腕から肩へ、両足から太ももへと急速に侵食していく。背中からは、肉と骨を乱暴に突き破るようにして、禍々しい結晶の大棘が何本も生え、そこからアバターの鮮血がどくどくと流れ落ちた。さらに腰から生えた結晶が伸長し、蛇腹状の尻尾となって、ゆらゆらと蠢く。


 四つん這いになりながら、口からよだれを滴らせる明楽。その黄金の瞳からは、先ほどまでの人間的な理性は完全に消え失せ、ただ破壊衝動だけに支配された獣の狂気だけが宿っていた。


「ひひひ……! 素晴らしい、大成功だ。仮想空間内であっても、結晶化は完全に再現できる」


「う、嘘……。明楽センパイの様子、マジでヤバすぎるんだけど……っ!」


 加恋がロケットランチャーを構えたまま、トパーズの瞳を戦慄に細め、数歩後退した。


「明楽に、何をした……!」


 私は全身から冷気を爆発させ、中空に浮かぶ中谷を睨みつける。


「そんなことを私に聞いている暇はあるのかい?  すでに、本物のデスゲームは始まっているのだよ?」


「がああああぁぁぁぁ!!!!」


 地を這うような咆哮とともに、変異体と化した明楽が突進してきた。その速度は先ほどまでとは次元が違う。灰色の突風。避けることはできない。咄嗟に剣の腹に手を添えて、その強大な質量を正面から受け止めた。


 ズドォォン!!


 アリーナの強固な床が、衝突の衝撃だけで陥没する。口からよだれを垂らし、狂犬のように噛み付こうと顔を近づけてくる明楽。その瞳には、私を生きた肉としか認識していない、純粋な殺戮の意志だけがあった。


「狂犬に成り下がって……っ! ぐっ……あぁっ!?」


 私の脇腹を、明楽の蛇腹状の結晶尻尾が、音もなく背後から正確に貫いた。肉を突き破り、鋭い激痛が走る。


「――っ、が、は……っ!!」


 極楽浄土(エリュシオン)内でのどんな攻撃とも違う、文字通り脳を直接焼き焦がされるような、生々しく、烈烈たる死の痛み。あまりの苦痛に、私の喉から悲鳴すら出ない。


「玲香さん!!」


「クロムウェル、バスターシュート!!」


 加恋が放った魔力の弾が明楽の側面に直撃。爆風に押された明楽は体を回転さながら、離れた場所へ着地。私は貫かれた脇腹を強く押さえ、指の隙間からアバターの鮮血がどくどくと流れ落ち、床を赤く染めていく。


「ひひひ、伝え忘れていたが、痛覚を百パーセントONにさせてもらったよ。体力ゲージによるセーフティも廃止だ。どちらかが動かなくなるまで――いや、死ぬまで戦ってもらう。言っておくが、仮想空間での精神の死は、脳への過負荷による現実の肉体の死と同義だからねぇ。ひひひ……」


 中谷の冷酷な宣告が、赤いノイズとともにアリーナに響き渡る。


「玲香さん、平気……!?」


 望愛が駆け寄り、私の肩を支える。その細い手が血で汚れていく。


「……問題ない。ただの、かすり傷だ。それよりも、あいつをどうにかしなければ、私達全員がここで終わる……!」


 震える足に無理やり魔力を込め、剣を構え直した。一撃貰えば、精神が破壊され、現実の肉体も死に至る本物の死闘。そして、相手を倒すということは、暴走させられた明楽を殺すということに他ならない。私達は、自らの死を回避しながら、同時に明楽を殺さずに制圧しなければならないという、無理難題を課されたのだ。


「なんてことを……! 中谷、私は君を、絶対に許さない……!!」


 スピーカー越しに、寧琉の引き裂くような怒声が響く。


「好きにしたまえ。脆弱なセキュリティシステムを構築した己の無能さを、後悔するがいい」


 中谷は一瞥すら与えず、あざ笑う。寧琉は奥歯を噛み締め、システムの主導権を奪還するために、猛烈な速度でデジタルキーボードを叩く。


「無駄な努力だね。君も特等席で、彼女達が美しく散る姿を鑑賞するといい」


「うるさい!! 僕は絶対に、みんなを死なせたりしない!!」


◇◇◇


 防音仕様のはずの貴賓室の、強固な一面ガラス。それが、階下のアリーナで炸裂する激突の風圧と、赤いシステムの警告アラートによって、ビリビリと不気味に震え続けていた。


「玲香さん……! みんな……っ!」


 わたしはガラス窓に両手を押し当て、爪が白くなるほど強くすがりつきながら、巨大モニターを見上げていた。視界の端を埋め尽くすのは、血のようなネオンレッドの『ERROR』『痛覚リミッター解除:100%』というおぞましい文字列。画面の向こう、ノイズが吹き荒れる砂煙の中で、玲香さんは脇腹を押さている。彼女の細い指の隙間から、生々しい朱色の鮮血がどくどくと流れ落ち、アリーナの床を赤く染めていく。苦痛に歪む愛しい彼女の横顔。望愛さんも、加恋さんも、狂い狂った結晶の獣と化した明楽さんの猛攻を前に、防戦を強いられている。一撃でも貰えば、精神が破壊され、現実世界の肉体すらも死に至る。そんな狂った本物のデスゲームが、目の前で行われているのだ。


 どうして。どうしてわたしは、ここで見ていることしかできないの。役立たずの、何の力もないFランクサポーター。玲香さん達に守られるだけで、彼女達の命が削られていくのを、特等席から指をくわえて鑑賞していることしかできない、ただの景品。胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように苦しい。無力な自分に対する、烈火のような怒りと悲しみで、涙が零れ落ちそうになる。その時。 貴賓室の奥、先ほどまで覇王の如き威圧感で組んだ脚の上に手を置いていた男が、深く、深く、革張りのソファへと沈み込んでいくのが見えた。


「……ぁ……」


 かすれた、信じられないほど力ない声。振り返ると、そこには完璧に整えられていた白髪交じりの黒髪を乱暴に掻きむしり、両手で頭を抱えるようにして俯いている、スノーメビウスCEO氷室帝人さんの姿があった。


「どうして……どうして、こんなことに……」


 帝人さん……? いつも感情の起伏を一切排し、娘である玲香さんすら自分の完璧な人形に仕立て上げようとしていた、絶対的な支配者。その人が、今は見る影もなく全身を小刻みに震わせ、絶望していた。


「あの子に不条理を押し付け、こんなくだらないお披露目の舞台に引きずり込んでしまった。その結果がこれだ……。……間違った、私への……罰だというのか……?」


 そのあまりにも人間らしく、悲痛な不器用な親としての絶望を前にして、不思議とわたしの心は落ち着きを取り戻していた。帝人さんだって、完璧なマシンなんかじゃない。玲香さんのことが大切で、でも向き合い方が分からなかった、ただの不器用な一人の父親だったんだ。泣いている暇はない。わたしが、終わらせなきゃ。寧琉ちゃんへ通信を試みる。


「寧琉ちゃん!! 聞こえる!?」


『――っ、優奈君!? ごめんね、今すっごく取り込み中なんだよ!』


 デバイスのスピーカーから、寧琉ちゃんのこれまでに聞いたこともないほど焦燥を滲ませた早口の声が響く。彼女が必死にキーボードを叩き、システムの制御権を奪還しようと悪戦苦闘している高速の打鍵音が、通信の向こうから激しく聞こえてきた。


「寧琉ちゃん。……お願い、わたしを『アリーナの中央』に転送して」


 打鍵音が、ピタリと止まった。 一瞬の、重苦しい沈黙。


『……はぁ!? 君、正気かい!? あそこは今、痛覚が百パーセントで、一発でも喰らえば即死亡する戦場なんだよ!? 戦闘能力のない君なんかをあそこに放り込んだら、一瞬で殺されちゃうよ!  自殺しに行きたいのかい!』


「分かってる! 分かってるよ! でも、このままだと、玲香さん達はあの結晶の化け物になった明楽さんと、お互いにどちらかが死ぬまで戦い続けることになる! ……わたし、そんなの絶対に嫌だ!」


 ガラス窓の向こうで口からよだれを垂らしながら咆哮を上げる明楽さんの姿を、わたしは睨みつけた。あれは、明楽さんの本意じゃない。彼女はただ、強い者と純粋に戦うことを楽しむ、ちょっといたずら好きの女の子なのだ。中谷のような悪党に、あんな醜い化け物にされて、殺し合いをさせられるなんて。私は彼を絶対に許せない。


「あの赤黒い結晶……変異体の結晶は、わたしのスキルで完全に浄化できるはずです。二層で、風香さんの結晶を綺麗に消し去った時と同じように!」


『……悪い冗談だね。百歩譲って、君のスキルが結晶化の暴走に有効だとしよう。でもね、君はどうやってあの超速で暴れ回る化け物に触れるつもりだい!? 君のスキルの発動トリガーは、対象に直接触れることなんだよ!』


 寧琉ちゃんの、冷徹な科学者としての正論。でも、そんな計算、今のわたしにはどうでもよかった。


「分からない! 方法なんて、行ってから考えます!」


『なっ……!』


「できる、できないなんて関係ありません! ……このまま、あそこで傷ついていく玲香さん達を、ただここで見ていることしかできないなら……! 何もせずにみんなを失うくらいなら、わたしはあそこに行って、一緒に死んだ方がマシです!!」


 わたしの、魂を削り出すような叫びが、貴賓室の中に響き渡った。スピーカーの向こうで、寧琉ちゃんが小さく息を呑む音が聞こえる。


『……はぁ。本当に、とんでもないお姫様だね。……君のその、とんでもない無茶に振り回される玲香が不憫でしかたないよ』


 寧琉ちゃんが、あきらめたように、けれどどこか嬉しそうにふっと息を吐いた。わたしの、常軌を逸した自己犠牲と絶対の覚悟の熱量が、天才科学者の打算を、完全に打ち砕いたのだ。


『分かったよ、優奈君。……アリーナの座標に、君の強制ログインを割り込ませる。ただし、転送のコンマ数秒、システムエラーのノイズが走るから、出現位置は多少ずれる。……準備が整ったら、教えて』


「ありがとう、寧琉ちゃん……!」


 わたしは通信を一度切ると、未だにソファの上で、自分の過ちに押し潰されて俯いているお帝人さんの目の前に歩み寄った。わたしは彼を見下ろすのではなく、その前にそっと膝をつき、彼の震える、冷たくなった両手に手を添える。


「え……?」


 驚いたように、帝人さんが顔を上げる。そのアクアマリンの瞳に、子供のような、すがるような光が揺れていた。


「帝人さん。……これは、罰なんかじゃありません」


彼を安心させるように、これ以上ないほど温かく、穏やかに微笑みかけた。


「きっと、神様がわたし達に与えてくれた、最後の試練です。……わたし達の絆が、こんな理不尽なシステムや悪意なんかに、絶対に負けないってことを証明するための」


 帝人さんの手が、わたしの言葉の熱に、ビクリと震える。


「絶対に、玲香さん達と一緒に、生きてここに戻ってきます。……だから、帝人さんは、しっかり、わたし達のことを見守っていてくださいね」


「桜……優奈さん……。君、は……」


 帝人さんが、呆然と唇を震わせる。


「寧琉ちゃん、お願い!! わたしを、みんなの元へ!」


『了解! ログインゲート、オープン! 玲香、突然だけど、そっちに優奈君を強制転送するよ!』


「なんだと!? 今、なんて言っ――」


 脳裏に響く玲香さんの驚愕の絶叫を最後に、わたしの視界は、ネオンブルーの光に包み込まれ、奈落の底、死闘が吹き荒れる極楽の戦場へと、真っ逆さまに落ちていった。

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