第54話 反撃と急変
彼女は、鋭いステップで一度距離を取ると、私と望愛の身体から立ち上るある魔力をじっと見つめ、合点がいったようにニヤリと笑った。
「にひひ……。ねぇ、おかしいと思ったんだよねー。いくらなんでも、玲香も望愛も、さっきの試合より明らかにスピードもパワーも上がってんじゃん。……その身体から漂う、すっごく甘くて桜色の魔力。――いつの間に、ギフトをもらったのかな?」
「……さて。何のことだか、私には分からないな」
私は息を整えながら、冷淡に言い返す。 膠着状態の中、明楽は首を傾げ、心底不思議そうに私に問いかけてきた。
「ねぇ、なんでそこまでして、あの子にこだわるわけ? 優奈がちょっと優しいからって、玲香はほだされちゃった感じでしょ? それだったらさ、別に違う子でも良くない? ぶっちゃけ、あの子みたいに優しくて、ちょっと可愛くて、守りたくなるようなお荷物な子なんて、この世界に掃いて捨てる程いると思うんだよねー」
掃いて捨てるほど、いる。その言葉を聞いた瞬間、私の中で、明楽に対する怒りすらも消え失せ、深い哀れみだけが胸を満たした。
「……黒鉄明楽。お前のその言葉を聞いて、確信したよ」
私は剣を構え直し、静かに声を紡いだ。
「物事を表面的な実力や数値でしか測れないお前は、一生、本当の意味で人を愛することはできない。そしてお前は……この先もずっと、底寒い孤独のまま生きていくのだろう」
確かに私は最初、優奈のあの見目麗しい姿や、どこか庇いたくなるような儚さに惹かれた部分はある。それは自覚している。だが、私が本当に魂のすべてを賭けて彼女に惚れ抜いたのは、そんな表面的な理由ではない。優奈は、どんな相手であっても、どれほど自分が傷つこうとも、目の前で苦しむ人を救うために、見返りも危険も一切顧みずに自己犠牲の精神で手を差し伸べることができる。あのパンデミックの時、敵だった望愛を救ったように、見ず知らずの者達を救うために命を賭けたように。 あまりにも純粋で、触れれば壊れてしまいそうなほどの、無償の博愛と慈しみ。お父様の人形として育てられ、誰からも無条件の愛を与えられず、凍りついていた私の孤独な心を、彼女のその温かな光が、跡形もなく溶かして癒してくれたのだ。
だからこそ、私は彼女を強く欲し、私のすべてを賭けて、彼女という光を守らねばならないと誓ったのだ。 お前のような、ただ破壊を楽しむだけの修羅には、その尊さが一生理解できない。
「……あっそ。だったらここでボコボコにして、優奈を奪ってやる!」
明楽は初めてその余裕の表情を歪め、怒りを剥き出しにして拳を振り上げた。 全身の筋肉が爆発的に膨れ上がり、クレーターの地面が彼女の踏み込みだけで消し飛ぶ。だが――勝機は、今、この瞬間にあった。
「――望愛!!」
私が叫ぶ。それが、私達の最大の罠の起動合図だった。
ドガガガガガガガガガッッ!!!!
「なっ……!?」
突撃しようとした明楽の足元、その周囲の地面から、突如として無数の氷の棘が槍の群れとなって一斉に射出された。数十本、数百本という、鋭利に研ぎ澄まされた無数の氷の棘が、逃げ場のない密度で明楽の肉体へと殺到する。これは、先ほどの超高速戦闘の最中、私が望愛のスキルを利用して、アリーナの地下一面に密かに仕込んでおいた、完全な初見殺しの奇襲だ。
至近距離からの予想外の飽和攻撃に、さしもの明楽も回避不能と判断。両腕をクロスして防御姿勢に徹するが、防ぎきれなかった数十本の氷の棘が、彼女の脇腹、そして硬化が極端に薄い膝の関節部へと容赦なく深く突き刺さった。
「――氷よ、内側から浸蝕しろ」
私は突き出した左手を強く握りしめる。刺さった氷の棘を起点にして、明楽の肉体が徐々に白銀の強固な氷によって物質的に覆っていく。
「くっ……何これ、ウイルスみたいで超気持ち悪いっ!!」
明楽は顔をしかめ、強引に肉体を震わせて氷を引き抜こうとする。 だが、その最大の隙を見逃す私達ではない。
「逃がさない……!」
背後から、望愛が超高速で愛用の鎖鎌を投擲した。明楽は棘を抜き取った直後、その化け物染みた動体視力でそれに気づき、残った左拳で鎌を弾き飛ばそうとする。しかし――次の瞬間、望愛の鎌は、明楽の拳をまるで幻影のように綺麗に透過した。
「えっ……!?」
驚愕に明楽の黄金の瞳が見開かれる。
「――私の深淵潜行は、地面だけでなく、肉体すらも透過する」
望愛の冷酷な声が響く。明楽の拳を透過した鎖鎌は、彼女の背後に回り込んだ瞬間に実体化。
「くっそおおぉぉぉぉ!!!!」
明楽はあり得ない運動神経で身体を強引にひねり、首への直撃こそ紙一重で回避したものの、体勢を完全に崩して膝をついた。そこへ、望愛が手元で鎖を巧みに操り、流れるような動作で明楽の全身を、がんじがらめに縛り上げて完全拘束した。
「くっ……! こんな鎖……っ!」
「ナイス望愛! あたしのとっておき、世界中に拝ませてあげるわ!!」
アリーナの端で、加恋がその白銀のショットガンを大空へと掲げた。 瞬間、彼女の持つ銃身が、パキパキと機械的なノイズを上げて急速に変形を開始する。砲身はまたたく間に一メートルを超え、まるで戦艦の主砲をそのまま手持ちにしたかのような、超巨大な白銀のロケットランチャーへとその姿を変えた。
「破壊天使っっ!!」
加恋の叫びとともに、彼女の全身から、自身の金色の魔力と、桜色の魔力が混ざり合い、極大のエネルギーとなってランチャーの砲口へと収束していく。ターゲットは、完全に動きを止められた黒鉄明楽。
ドンッッ!!!!
アリーナの空間そのものが激しく歪むほどの轟音とともに、ランチャーから放たれたのは、太い柱のような極太の黄金の破壊光線だった。それは一直線にアリーナを焼き焦がしながら進み、明楽の身体を正面から完全に呑み込んだ。まばゆい光の奔流がアリーナを一瞬にして真っ白に染め上げ、凄まじい熱風が吹き荒れる。やがて、光の残滓が徐々に消え去り、もうもうと立ち込める白い硝煙の向こう側から、その影が姿を現した。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
煙の向こうにいたのは、衣服の大部分を焼き切られ、全身から凄まじい高熱による白煙を立ち昇らせながらも、両肘をクロスして辛うじてその場に直立している明楽だった。望愛の鎖は高熱で焼き切られ、自由の身にはなっている。だが、彼女の頭上に浮かぶ体力ゲージは、残りわずか数パーセント――文字通りの瀕死状態まで削り取られていた。あの修羅が、完全に肩で激しく息をし、膝をガタガタと震わせている。勝てる。次の一撃で、私達の勝利だ。そう確信して、トドメの一歩を踏み出そうとした、その刹那だった。
ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッッ!!!!!!
突如として、アリーナ全体に不気味でけたたましい緊急サイレンが鳴り響いた。 同時に、周囲のきらびやかな空間が一瞬にして真っ赤に染まり、空中にはネオンレッドの巨大な『ERROR』『WARNING』のデジタル文字が、何百個も異常な増殖を始めてアリーナを埋め尽くしていった。
「な……何が起きている……!?」
私は咄嗟に足を止め、周囲を警戒する。体勢を崩していた望愛と加恋も、即座に私のもとへと集まり、背中合わせの陣形を組んだ。満身創痍の明楽すらも、この異常事態に眉をひそめて周囲を見回している。
「シ、システムへのアクセスが完全に拒絶されている!? 待って、僕のマスター権限が書き換えられて……こんなのあり得ない! 一体、誰がバックドアを――」
スピーカーから響く寧琉の実況が、完全な驚愕とパニックの声へと変貌した。世界中の中継画面が激しく乱れ、ノイズが走る。その、真っ赤に染まった最悪の静寂のなかで。アリーナの天井から、ねっとりとした不気味な中年男性の笑い声が、スピーカーを介さずに空間そのものから響き渡った。
「ひひ……。ひはははは! 久しぶりだねぇ、諸君。……実に見事な戦いだったよ」
アリーナの中央、クレーターのド真ん中の空間が歪み、ドロドロとした黒いノイズの中から、一人の男がゆっくりと姿を現した。ヨレヨレの白衣を纏い、狂気に満ちた濁った瞳で私達を見下ろす男。
「お前は……中谷……っ!?」
あのパンデミックを引き起こし、世界の崩壊を企んだアークライトの元研究員。最悪の笑顔を浮かべて、私達の目の前に出現したのだった。
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