第48話 トーナメント開幕
電脳の海を滑り落ちるような浮遊感の果てに、わたし達はまばゆい光に包まれて、アリーナの中央へと転送された。視界が開けた瞬間、鼓膜を破らんばかりの地鳴りのような大歓声が、わたし達の全身を激しく揺さぶった。
「うわ……っ! すごい人……!!」
お披露目イベントの時とは比較にならない、圧倒的なスケール。円形劇場を模してすり鉢状にそびえ立つ観客席は、天井が見えないほど高く、そこを埋め尽くす何百万人もの観客アバターたちが色とりどりのサイリウムを振り回し、地響きのようなコールを送っている。空中には、お披露目会の時と同じように無数のアルマが、まるで光る羽虫の群れのように飛び交っていた。この戦いはすべて、現実世界のメディアやネット配信を通じて世界中に生中継されている。
「諸君。これより、魔導科学の結晶たる極楽浄土ベータテスト・トーナメントの開幕を宣言する」
アリーナの中央に投影された超巨大なホログラム。そこに映し出された氷室帝人さんの冷徹な声が、数百万の観客を静粛に陥れた。その厳かな開会宣言が終わると同時に、わたしの足元にネオンブルーのノイズが走った。
「えっ……あ、あれ!?」
「優奈!?」
玲香さんが慌てて手を伸ばすが、アバターの衣服の裾がその指先をかすめるだけで、わたしの体は光の粒子となってアリーナから強制的に排除された。追加ルールの通り、景品であるわたしは、試合中フィールドに立つことは許されない。転送された先は、アリーナ全体を最も高い位置から見下ろすことができる、一面ガラス張りの貴賓室だった。ふかふかの革張りソファと、最高級のシャンパン(実際には飲めないだろうけど)。静まり返ったその部屋の奥、最も見晴らしの良い席に脚を組んで座っていたのは――。
「……あ、えっと。お、お久しぶりです、お義父さん……じゃなくて、氷室社長」
わたしは直立不動で、喉から這い出たような挨拶を絞り出した。そう、この部屋にはわたしと、玲香さんのお父様である氷室帝人さんしかいないのだ。お披露目会で恥ずかしい醜態を晒してから、まだ数日。お義父さんと言っても良いのか分からないけど、彼の隣で観戦するなど、胃が何個あっても足りないほどの拷問でしかなかった。帝人さんはわたしを一瞥することすらせず、無機質なアクアマリンの瞳をアリーナへと向けた。
「そこに座りなさい。トーナメントの行く末を見るには特等席だ」
「…………」
スノーメビウスCEOという巨大な威圧感に怯えながらも、わたしはぎゅっと拳を握りしめ、彼の少し離れた隣のソファに腰掛けた。そして、アリーナの中央に再びスポットライトが当たり、司会進行のアナウンスが響き渡った。
『ハロー、世界中のシーカーの皆さん! アークライトインダストリーCEOの明石寧琉だよ! さぁ、お堅い社長の挨拶も終わったことだし、さっそくこの血湧き肉躍るフェスティバルを開始しようか!』
空中を滑空するアルマに乗り、白衣をなびかせながらノリノリで実況を始める寧琉ちゃん。アークライトを傘下に収めたスノーメビウスの肝入りプロジェクトだけあって、彼女の司会にも力が入っている。
『まずはAブロック第一試合! 闘源郷の主、黒鉄明楽……って、おやおや? 彼女のチーム、メンバーが明楽君『一人』しか登録されていないねぇ! 余裕の現れか、それともただのうっかりか! 対するは、静謐の巫女ことSランクヒーラー、白河水姫チーム!』
アリーナの両端から、それぞれ明楽さんと水姫様が転送されてくる。明楽さんは露出が激しい光沢感のある黒の衣装に身を包み、不敵な笑みを浮かべながら腕を首の後ろで組んでいる。対する水姫様は、純白と紫紺の巫女服を静かに揺らし、藤色の瞳で明楽さんを冷ややかに見据えていた。
「ねぇねぇ、水姫ー。驚いた? にひひ……。僕、強すぎるからさー、こうでもしないとたっぷり遊べないんだよね」
明楽さんが獣のように目を細めて楽しそうに呼びかける。しかし、水姫様はその言葉を耳に入れることすらせず、すっと右手をシステムメニューの空間へと伸ばした。
「……不毛ね。明石さん、私は辞退するわ」
『ええっ!?』
水姫様の突然の宣言に、寧琉ちゃんが驚愕の声を上げ、アリーナ全体が騒然とした。
「え、ちょっと待ってよ水姫! 戦わないの!?」
「勝てない戦い、意味のない消耗に身を投じるのは、愚者のすることよ。……それに、私は最初から、彼女の所有権などという俗なものに興味はないわ」
水姫様は冷淡にそう言い放つと、ログアウトのボタンを押し、光の粒子となってその場から消え去ってしまった。
『な、なんとー!! 白河水姫チーム、まさかの試合開始前の棄権! 黒鉄明楽の不戦勝です!!』
「えー!! つまんなーい!! 水姫のバカァァァ!!」
アリーナに明楽さんの子供のような大絶叫が響き渡る。けれど、驚きはそれだけでは終わらなかった。
『続いてBブロック第一試合! 銀鏡の魔女春花貴鏡チーム vs Aランク実力派鋼鉄の旅団』!』
アリーナに姿を現した貴鏡さんは、豊満なボディを揺らしながらおっとりとした笑みを浮かべ、マイクに向かってパチンとウィンクをしてみせた。
「うふふー。皆さん、ごめんなさいねぇ。私も、直接的な戦闘は専門ではありませんから、今回は辞退させていただきますねぇ。……アイアンガレージの皆さん、優勝目指して頑張ってください」
『な、何だってぇぇぇ!! 春花貴鏡チームも棄権!! Aランクのアイアンガレージが不戦勝で準決勝進出です!!』
観客席がにわかに混乱とブーイングに包まれる。Sランクの有力候補達が、まるで示し合わせたかのように次々と戦いを放棄していく。わたしは隣に座る帝人さんをちらりと見た。彼は表情を一切変えず、ただ静かに戦況を見つめている。水姫様も、貴鏡さんも……。明楽さんを警戒して、最初から戦うつもりはなかったの……? それとも、他に理由が? 例えば、この極楽浄土のシステムそのものに、何か違和感を感じているとか……。
『さぁ、気を取り直してCブロック! 政府特殊部隊SECT総隊長、本田励チーム vs Aランク期待の新星双極のジェミニ!! 頼むから棄権はしてくれるなよ!』
こちらは打って変わって、息を呑むような実力戦となった。るなとそらの双子による、血の繋がりを活かしたシンクロ攻撃。お互いの視界を共有し、寸分の狂いもないコンビネーション魔法と双剣が、SECT隊員たちへと襲いかかる。しかし――本田さんは、アリーナの端で大剣を地面に突き刺したまま、腕を組んで目を瞑り、一歩も動かなかった。
「そこだ、るな!」
「ええ、そら」
双子の完璧な同時攻撃がSECT隊員を捉えようとした瞬間、洗練されたコンバットスーツを纏ったSECT隊員二人が、無駄のないタクティカルアクションでジェミニの連携を遮断した。銃撃の弾幕と、魔力シールドによる完璧な防衛。一切の無駄を排除した軍隊としての戦闘技術。本田励という怪物が手を出すまでもなく、わずか数分で双子の体力ゲージはゼロにされ、ログアウトしていった。
『強すぎる! これが国家の防人、SECTの戦闘技術! 本田隊長は指一本動かすことなく完勝です!!』
本田さんの底知れない実力を見せつけられ、アリーナの興奮は再び最高潮に達した。そして――。
『さぁ、お待たせしました! 1回戦最後の戦い、Dブロック! ギルド救済の祈り手 vs シーカー界の歌姫黄昏の歌姫!!』
わたしの心臓が、ドクンと激しく跳ねた。
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