第46話 金の亡者と壊れた約束
わたしは、お茶に少しだけ口をつけ、意を決して切り出した。
「加恋さん。……実は、お願いがあって来ました」
「ああ。あれでしょ? 代理でトーナメントに出て欲しいってやつ?」
「どうしてそのことを……!?」
わたしが驚くと、加恋さんはスマホの画面を私達に向けた。
「え? ネットでめっちゃ話題になってたよ。『救済の祈り手、Fランクのお荷物を入れて勝てるのか!?』って。まぁ、あんたが特別なのは薄々気づいてるけどさぁ、流石にあの面々を前にしてFランクは身が重いんじゃねって思ってたのよ。まさかその代理の依頼が、あたしみたいな宿敵のところに回ってくるとは、斜め上すぎて全く予想してなかったけどさ」
加恋さんはローテーブルに肘をつき、ニヤニヤと笑う。帝人さんの追加ルール――わたしが出場できないという内容は、内密の情報なので世間には漏れていない。けれど世間は「Fランクのお荷物を抱えて勝てるわけがないから、裏で代理のシーカーを探しているはずだ」と勝手に噂していたのだ。加恋さんは、わたしが何か特別な力を持っていることは過去の対決から薄々察してはいるようだけど、魔晶や結晶化の完全浄化や魔力供給といった真の能力までは把握していない。だからこそ、単純な戦力不足としての代理探しだと思い込んでいるのだ。否定するメリットもないため、わたしは加恋さんの勘違いをそのまま受け入れることにした。
「それで、聖堂。お前はトーナメントに出場する意思はあるのか?」
玲香さんの問いに、加恋さんは天井を見上げて、あっさりと答えた。
「別に、いいよ」
「えっ……本当に、いいんですか!?」
あまりの即答に、わたしは思わず身を乗り出した。だけど、加恋さんはその整った顔立ちに、じっとりとした嗜虐的な笑みを浮かべた。人指し指と親指で、お金を仄めかす丸を作り、わたしの目の前に突き出してくる。
「ただし。これは必須。ビジネスだからね、ボランティアじゃないの」
「……いくらだ」
玲香さんが冷淡に尋ねる。加恋さんは、丸くした指をほどき、人差し指をピンと一本立てて、可愛らしくウインクした。
「千億」
「「なっ……!?」」
わたしと玲香さんの声が重なった。千億。それは、個人がシーカーとして一生かかっても稼ぎ出せるかどうかも怪しい、あまりにもふざけた、非現実的な額だった。
「……それ以下は無理なのか」
「無理。一ペニーだって値引きしないよ」
「……はなから受ける気はなかったな。金の亡者め」
玲香さんが呆れたように溜息を吐き、席を立とうとする。交渉決裂だ。その時、ずっと黙って加恋さんの様子を見つめていた望愛さんが、悲痛な声を絞り出すように口を開いた。
「加恋さん。……まだ、日和さんのこと、諦めていないのね」
その名前が出た瞬間。加恋さんの顔から、すべての笑みが消え失せた。
「……あんたには関係ない。言っとくけど、あんたと話すことなんてもうないの。とっとと帰りなよ、目障りだから」
凍りつくような拒絶。その時。玲香さんのスマートフォンが、けたたましく振動する。
『玲香様、アークライトの寧琉様から、至急この場へ電話を繋ぐよう要請が来ています』
ミシャの音声。玲香さんは怪訝そうに眉をひそめながらも、「繋げ」と指示した。スピーカーから響いてきたのは、気だるげながらも、すべてを見透かしたような寧琉ちゃんの発言だった。
『やぁ、玲香。いきなりすまないね。……そこに、聖堂加恋君はいるかい?』
「ああ。いるが、それが何か?」
『彼女をトーナメントに出場させたいんだろう? 僕に、交渉を任せてくれないかな?』
玲香さんの目が、油断も隙もない天才科学者への警戒に細められる。どこかでこちらの会話をハッキングして盗み聞きしていたに違いない。けれど、これ以上の手立てがないのも事実だった。玲香さんは無言で頷き、スマホを加恋さんの前に置いた。
「何よ。あんたがあたしに、千億積んでくれるわけ?」
『いやいや、まさか。アークライトの新CEOになったとはいえ、そんな大金を一介のシーカーにポンと払えるわけがないだろう?』
寧琉ちゃんの楽しげな声が響く。
『僕はね、加恋君。……以前、君がアークライトインダストリーと交わした契約書を、更新したいと思ってね。それの確認さ』
「は? 何の話?」
『忘れたのかい? 新薬の開発計画だよ。……あの契約書には、神崎のサインが入っているから、本来なら神崎の死と会社の再建に伴って、無効化・廃棄されるはずだった。……だけどね。もし君がトーナメントに出場して玲香達が優勝できたなら、僕がアークライトのCEOとしてその契約を更新し、新薬の開発プロジェクトを再始動してもいいよ』
「っ……!!」
加恋さんの体が、目に見えて強張った。その橙色の瞳が、激しい動揺と、懇願するような、すがるような光に細められる。
「……その話、本当に信じていいの?」
『ああ。僕は神崎のようなペテン師じゃないからね。契約書はすでにデジタル署名済みで用意してある。君が特訓を開始した瞬間に、ラボは再稼働するよ』
長い、重苦しい沈黙。加恋さんは、ぎゅっと拳を握りしめ、畳の上にポツリと視線を落とした後、消え入りそうな声で呟いた。
「……その話、乗ってあげる」
「待て、寧琉。加入してくれるのは有難いが、新薬とは一体何のことだ? まさか、アストラルブースターのような劇薬をまた造るつもりじゃないだろうね?」
玲香さんが鋭く問いかける。アストラルブースターによって地上に起きたパンデミックを、玲香さんは身を以て体験しているのだ。通信の向こうで、寧琉ちゃんが「加恋君、事情を話してもいいかい?」と尋ねる。加恋さんは、これ以上ないほどバツが悪そうに顔を背けながら、吐き捨てるように言った。
「……別に。好きにすれば」
『神崎が開発を中止し、データを闇に葬ろうとしていたのは、アストラルブースターだけじゃないんだよ、玲香。……加恋君が神崎と裏で契約していたのは、ある特定の病の治療薬開発計画だったんだ』
「病……?」
『うん。シーカー特有の不治の病……通称『魔晶壊疽』。肉体の細胞が徐々に、生きたまま腐り落ち、患者に凄まじい苦痛を与える奇病だ。……加恋君の妹である日和君は、現在、その病を患っていてね』
魔晶壊疽。生きたまま、体が腐っていく奇病。初めて聞いた……。そんなおぞましい病気があるなんて。
『日和君の生命を維持するための莫大な延命治療費、そして新薬の開発費……。それらすべてを賄うために、加恋君はアークライトに魂を売り、望愛君を搾取してまで、金を稼ぎ、アストラルブースターの広告塔を演じるしかなかったんだよ』
頭を殴られたような衝撃だった。加恋さんが、なぜあれほどまでに傲慢で、守銭奴で、手段を選ばないシーカーを演じていたのか。そのすべてのピースが、妹の命を救うためという、悲痛な動機のもとに繋がったのだ。加恋さんは、あのコラボ対決の時も、自分の妹を救うために必死で戦っていたのだ。
「加恋さん……。そんな事情があったなんて……」
わたしがそっと手を伸ばそうとすると、加恋さんは立ち上がり、顔を真っ赤にして叫んだ。
「ああ、もう! だから嫌なのよ! あたしの話をするのは! 同情なんかされたら調子狂うし、マジうざいんだけど!」
加恋さんは、目元に涙を滲ませながらも、いつもの調子を取り戻すように、自分のほっぺたを両手でパンと叩いた。
「トーナメントまであと五日しかないんでしょ!? さっさと極楽浄土に行くわよ! やるからには優勝以外ありえないから!」
「……フッ。言ってくれる。いいだろう、お前の実力、存分に見せてもらうよ」
玲香さんが不敵に微笑む。望愛さんもまた、静かに頷いていた。こうして、過去の因縁を越え、妹を救うという確固たる覚悟を胸に秘めた加恋さんが仲間に加わり、わたし達の、本当の特訓が開始されたのだった。
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