第40話 極楽浄土へダイブ
スノーメビウス本社からさらに地下深くへと進んだ、一般の職員すら立ち入ることのできない極秘の開発棟。寧琉ちゃんの後ろをついて歩くわたし達の目の前に広がったのは、まるでSF映画のセットをそのまま具現化したような、近未来的で無機質な大空間だった。天井からは無数の光ファイバーが束となって垂れ下がり、淡いブルーのLEDが複雑な魔導回路のラインに沿って脈動している。そしてその巨大な空間の床には、ズラリと、何十台もの奇妙なダイブ装置が並べられていた。人間を一人丸ごと繭のように包み込むような流線型の黒いシート。それが、次世代仮想空間訓練システム極楽浄土のダイブポッドだった。
「ようこそ、スノーメビウスとアークライトの共同開発チームが誇る魔導テクノロジーの結晶へ。――さぁ、能書は後にして、さっそく着替えてもらおうか」
寧琉ちゃんは不敵に笑うと、ロッカールームの扉を指し示した。手渡されたのは薄く、驚くほど頑丈そうな漆黒のラバー素材で作られたボディースーツ。それが、これからの悲劇(?)の始まりだった。
「これ、本当に裸の上から直に着るの……?」
ロッカールームの姿見の前で、わたしは自分の体を両手で隠すようにして、消え入りそうな声を上げた。手渡されたラバースーツは、一枚のツナギ仕様――いわゆるプラグスーツのようなデザインだった。けれど、その生地の薄さと伸縮性は尋常ではない。裸の上に直に着用した結果、わたしの胸のふくらみ、ウエスト、そして丸みを帯びたお尻のラインまで、すべてのボディラインがこれでもかというほどに生々しく浮き彫りになっていたのだ。生地が肌にピッチリと吸い付くたび、冷たい感触と同時に、とてつもない羞恥心が全身を駆け巡る。
「……素晴らしい。さすがはスノーメビウスの最新魔導繊維だ。優奈の、柔らかそうで完璧な肢体を、一寸の無駄もなく可視化してくれる……」
いつの間にか着替えを終えていた玲香さんが、トロンとした熱っぽい瞳で、わたしの全身を舐めるように見つめていた。玲香さんのラバースーツ姿は、完璧なモデル体型も相まって、まるでヴァルハラの戦乙女のように気高く、そして恐ろしく色っぽかった。けれど、その視線は完全にわたしの体に固定されている。
「……同感。優奈さん、白のドレスも素敵だったけれど、この黒のタイトなラバーも、彼女の白肌が引き立って……すごく、そそるわ」
望愛さんもまた、タイトなスーツに包まれた程よい大きさの胸を誇張するように腕を組み、コバルトブルーの瞳を妖しく輝かせていた。二人の熱い視線に晒され、わたしは頭から湯気が出そうになる。モデル撮影の時の、望愛さんとの秘密の過ちが脳裏をよぎり、望愛さんと視線が合うだけで、お腹の奥がキュンと疼いてしまう。玲香さんへの申し訳なさと、望愛さんへの背徳的な意識。ピッチリしたスーツの密着感が、その不純な熱をさらに高めていくようだった。
「ほ、ほら、早く行きましょう!!」
わたしは逃げるようにロッカールームを飛び出した。ダイブエリアに戻ると、寧琉ちゃんがニヤニヤとした意地の悪そうな笑みを浮かべて待っていた。
「おやおや、三人とも実に見事な着こなしだねぇ。特に優奈君、なんだかいつもより顔が赤いけれど、ラバースーツの着心地が良すぎて興奮しちゃったのかな?」
「違います! 恥ずかしいだけです! ほら、早くシステムの説明をしてください!」
わたしが必死に抗議すると、寧琉ちゃんは肩をすくめてダイブポッドのシートを指し示した。促されるまま、わたし達はポッドの座席に腰を下ろし、ヘッドセットを装着する。寧琉ちゃんが手元のデジタルディスプレイを素早く操作すると、ポッドの内壁から「シュルシュル」と、まるで生き物――そう、触手のような太い黒のケーブルが何本も這い出てきた。
「ひゃうっ!? な、何ですかこれ!?」
ケーブルの先端が、わたしのボディースーツの各所に設けられた金属製のコネクタに、容赦なく「カチリ、カチリ」と連結されていく。背中、腰、太もも、そして胸元。連結されるたびに、微弱な電流のような、魔力の波動が肌を直に刺激して、わたしは思わず背筋をそらせて悲鳴を漏らしてしまった。
「気色悪いな……。寧琉、これはいかがわしい機械じゃないだろうね?」
玲香さんが不快そうに眉をひそめる。
「心外だなぁ。これはダイバーのアストラル細胞における魔力波形を正確に感知し、仮想空間内に百パーセント出力するための連結端子だよ。ラバースーツ自体が超感度の魔導センサーになっていて、君達の脳と仮想世界を繋ぐ神経バイパスとして機能するんだ。――さぁ、説明はここまで。いってらっしゃい、素晴らしい極楽浄土の旅へ」
寧琉ちゃんがディスプレイのエンターキーを静かに押し込んだ。次の瞬間、目の前がカッと白い閃光に包まれ、わたしの意識は無限の加速と共に引きずり込まれていった。
◇◇◇
――ストン。
軽い着地感。恐る恐る目を開けると、そこは、現実世界の重力や大気の感覚と全く遜色のない空間だった。だけど、景色が異常だった。頭上には天井も足元もどこまでも、水平線の彼方まで真っ白な塩湖のような、平坦な平面が無限に続いている。
「ここは……?」
「極楽浄土の初期トレーニング空間だよ」
空中から、寧琉ちゃんの声がスピーカー越しのように響いてきた。
「現実世界と全く区別がつかないだろ? 脳のシナプスに直接信号を送っているからね。風の匂いも、足裏に感じる床の硬さも、すべて本物と同じ魔導演算で再現しているのさ」
わたし達のアバターの衣服は、いつものダンジョン用の装備へと自動的に書き換えられていた。玲香さんは腰の剣を抜き、軽く数回振ってみせた。風を切り裂く「ヒュン、ヒュン」という鋭い音。彼女は驚いたように、自分の手のひらを見つめる。
「……凄いな。刃の重量バランスから、筋肉の収縮、重心移動の感覚まで、現実と一ミリの狂いもない。これなら、本格的な実戦訓練が可能だ」
「でしょう? でもね、怪我をしないための仮想システムとはいえ、実戦の緊張感を保つために、いくつか尖った仕様にしてあるんだ」
寧琉ちゃんの声が、どこか科学者特有の不気味なトーンを帯びる。
「この空間には痛覚はない。攻撃を受けても、痛いと感じる信号は脳へ送られない仕組みになっているんだ。……ただし、その他の五感は現実そのもの。つまり、剣で斬られれば、何かが肉体に食い込んでくる強烈な圧迫感は感じるし、相応の肉体的な破壊ダメージは百パーセント反映される」
「肉体的な破壊ダメージ……?」
望愛さんが首をかしげる。
「簡単に言えばさ。腕を深く斬りつけられれば、視覚的にも、感覚的にも腕が切り落とされる。強烈な打撃を受ければ骨が砕け、腕があらぬ方向へと曲がる。血だってドバドバ流れるよ。痛くないだけで、肉体損壊のリアリティは現実そのもの。アストラル細胞の欠損としてシステムが処理するからね」
寧琉ちゃんの淡々とした説明に、わたしは背筋が寒くなった。痛くないけれど、自分の腕が目の前でボトリと落ちたり、足がへし折れたりする感覚を視覚と触圧覚で体験するのだ。それは精神的に、現実の怪我と同等、あるいはそれ以上のトラウマになりかねない。
「……それでは寧琉。トーナメントでは、相手が行動不能になるまで、凄惨な殺し合いを続けなければならないのか?」
玲香さんが鋭い質問を投げかける。もしそうなら、いくら仮想空間とはいえ、参加者の精神が崩壊してしまう。
「まさか。そんなグロテスクなバトル形式もモードとしては用意しているけれど、今回のベータテスト・トーナメントでは、もっとカジュアルなスポーツ仕様を採用しているよ。お互いに体力(HP)ゲージが設定されていて、それがゼロになった時点で、肉体が損壊していなくても強制的に敗北となる仕様だ。安心したかい?」
「……ああ。それなら、無駄な精神的消耗は避けられそうだな」
玲香さんがホッと胸を撫で下ろす。
「ただ、戦いは3on3のパーティー連携バトルだ。お互いのスキルシナジー、そして誰が誰をカバーするかという連携が、勝敗の決定的な鍵になる。――よし、それじゃあさっそく、小手調べに模擬戦といこうか」
寧琉ちゃんがパチンと指を鳴らす音が空間に響いた。すると、真っ白な平面の数十メートル先から、粒子が集まるようにして、銀色の全身甲冑を纏った騎士の姿をしたNPCが三体、ぬっと姿を現した。手には巨大な剣と盾を握りしめている。
「彼らはAランク相当の標準的な戦士型NPCだ。優奈君のサポートを含めた、三人での連携を試してみるといいよ」
「……いくぞ、望愛」
「ええ、玲香さん」
玲香さんと望愛さんが、瞬時に戦闘態勢に入る。模擬戦が開始された。NPCの騎士が重厚な足音を立てて突進してくる。玲香さんが神速の踏み込みで一体目の懐に入り、氷の剣で大剣を受け止める。激しい金属音と、魔力の火花が真っ白な空間に飛び散る。その影から、望愛さんが流れるような動作で滑り込み、死角から鎖鎌を放って二体目の騎士の足を絡め取った。素晴らしいコンビネーション。けれど、三体目の騎士が、手薄になった望愛さんの側面を狙って盾を構えて突撃してくる。
「望愛さん、危ない!」
わたしは居ても立っても居られず、望愛さんに向かって走り出した。彼女の体に、直接触れるために。望愛さんの背中に、わたしの両手を強く押し当てる。
「魔力譲渡……っ!!」
心の中で叫び、スキルを発動した。その瞬間、あの懐かしい、ドクンという心臓の激しい鼓動が、わたしの胸の中を駆け巡った。純粋な魔力の奔流が、桜色のまばゆい光となって、両手から望愛さんへと流れ込んでいく。
「んっ……あ、はぁ……っ♡」
望愛さんの口から、脳が蕩けるような、艶めかしく甘い吐息が漏れた。桜色のオーラを纏った望愛さんは、その青色の瞳を激しく潤ませながらも、一瞬にして跳ね上がった魔力出力を全身に漲らせる。
「潜行……!!」
望愛さんの身体が、真っ白な地面の中へと、水面に飛び込むようにして一瞬で溶け込んだ。突進してきた騎士の盾が、むなしく空を切る。次の瞬間、騎士の真後ろの地面から飛び出した望愛さんが、桜色の魔力を宿した鎖鎌を一閃させ、騎士の首を一撃で切り裂いた。体力ゲージが一瞬でゼロになり、騎士のNPCは光の粒子となって消滅していく。そして、玲香さん残りの二体を一瞬にして凍結・粉砕した。
「お見事」
寧琉ちゃんの感心したような声が響く。わたしは、自分の手のひらを見つめながら、驚きと安堵に胸を震わせていた。
「すごい……。本当に、仮想空間の中でも、わたしのスキルがそのまま発動するなんて……」
「ええ。驚いたわ。優奈さんの魔力が、現実と全く同じ……いえ、アバターはいつもの装備なのに、まるで裸の上から直接触れ合っているみたい。いつも以上にダイレクトに私の中に流れ込んできて、身体の奥が……すごく、熱い……っ」
望愛さんが、はだけた首筋を自らの手で抑え、ハァハァと荒い息を吐きながら、熱っぽい視線をわたしに送ってくる。衣装越しでも、肌が直に密着しているかのような生々しい感覚が脳に直接送られてくるため、スキルの副作用である甘い熱が、いつも以上に強く彼女の体を支配してしまっているようだった。
「優奈君。……この仮想空間内でのスキルの発動、これは学術的にも非常に興味深い現象だよ」
寧琉ちゃんの声が、少し真面目なトーンに変わる。
「優奈君の魔力譲渡は、対象に直接触れることが発動の絶対条件だった。けれど、ここは脳が見せている仮想世界だ。現実の君達の肉体は、ポッドのシートに座ったまま、一ミリも触れ合っていない」
言われてみれば、そうだ。わたし達の本体は、何メートルも離れた別のシートに固定されている。
「つまりね、優奈君。君のスキルのトリガーは、物理的な皮膚の接触そのものではなく、君の脳が相手に触れていると、そして相手の脳が優奈君に触れられていると、お互いのアストラル細胞が認識した瞬間に成立するんだ。脳の認識こそが、スキルの発動キーになっている。……これは、君の能力の汎用性を広げるための、大きな発見だよ」
脳の認識。触れていると信じるだけで、この奇跡の力は発動する。
「一通り、システムの基本的な説明と動作検証は完了だね。……あとは、トーナメントに向けて、この空間を好きに使いなよ。ログアウトは、システムメニューからいつでも行えるから。――じゃあ、僕は新CEOとしての退屈なデスクワークに戻るよ。一応、チャンネルは繋いでおくから何かあったら連絡ちょうだい」
寧琉ちゃんの気配が、空間から完全に消え去った。真っ白な無限の平原に取り残された、わたし達三人。繋がれた魔力の熱と、これから始まる過酷なトーナメントへの緊張感を胸に、わたしは玲香さんと望愛さんの顔を見つめるのだった。
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