第36話 撮影後の部屋で
撮影終了後の待合室。わたしはまだ火照った顔を冷ましながら、ソファに座っていた。中央のわたしを挟んで、二人が疲労と高揚の入り混じった顔で座っている。
「……玲香さん。貴方、わざと私の場所を塞いだわね?」
「仕事だ。構図のバランスを考えたまでだよ。……まあ、君の影の使い方は、少しだけ画になっていたけれど」
「ふふ、素直じゃないわね」
そんなふうに、三人の間に奇妙な連帯感が生まれ始めていた、その時だった。遠慮がちなノックの音と共に、秘書風の女性が顔を出した。
「……失礼します。氷室玲香さん。CEOがお呼びです。至急、別室まで」
玲香さんの表情から、一瞬で温度が消えた。
「……父が?」
「はい。三分の遅れも許さないとのことです」
玲香さんは私の手を一度だけ強く握り締めると、ゆっくりと立ち上がった。
「すぐ戻る。望愛、優奈を頼む。……変な真似はするなよ」
「……ええ。わかっているわ」
玲香さんが部屋を出ていく。残されたのは、静まり返った室内と、わたしをじっと見つめる望愛さん。不穏な予感と、二人きりになったという緊張感が、わたしの胸をざわつかせていた。
「さっき、玲香さん『父』って言ってたけど、何かあったのかな……」
「そうね。大企業の社長から直接呼び出されたのだから、ただ事ではなそうね」
「大企業?」
「日本を代表する企業スノーメビウスの社長氷室帝人は、玲香さんの実の父親よ。もしかして、知らなかった?」
「え、ええ!? スノーメビウスってあの有名な?」
スノーメビウスと言えばわたしでも知っている超大企業だ。具体的にどんなことをしている会社かはよく知らないけど……。
「そうよ。てっきり知っていると思っていたけど」
まさか、玲香さんがそんな大企業のご令嬢だったなんて、今まで夢にも思わなかった。トップモデルでありながら、Sランクシーカー、そして超大企業の社長の娘。玲香さんがあまりにも遠い存在に思えて……。そんなお方がわたしの恋人だという現実が信じられない。
「全然知りませんでした……。やっぱり、会社についての話でしょうか? 会社を継いでほしいとか」
「分からない。玲香さんの帰りを待つしかないわね」
「そうだね……」
わたし達の間に沈黙が流れる。慣れないモデル撮影の疲れも重なり、わたしはソファに深く腰掛けた。すると、おもむろに望愛さんが肩に頭を預けてきた。
「初めての撮影、どうだった?」
彼女の髪から甘いシトラスの香りが鼻孔をくすぐり、さっきの撮影の倒錯的な熱が蘇ってくる。
「えっと……。最初はすごく緊張したけど、途中からは、撮影に集中できた気がする」
「そう。私は……、優奈さんに夢中になってたわ」
「え……?」
望愛さんが、上目遣いでわたしを見上げてくる。撮影の時にレンズへ向けていたあの艶めかしい眼差しが、今はまっすぐにわたしだけを捉えていた。
「蠱惑的なボディライン、ドレス越しに伝わる鼓動、私を見つめる視線……。撮影中、ずっとお腹の奥が疼いていたの」
「み、あ、さん……」
彼女のコバルトブルーの瞳から、目が離せない。どんどん体が熱くなってくる。吐息がかかるほどの距離まで彼女の顔が近づく。そして、わたし達は、静かに唇を重ねていた。
「ん……」
望愛さんの細い手が頬に添えられ、わたしは彼女の細い肩を優しく抱く。お互いの熱を分け合うような、もどかしく甘いキス。ゆっくりと唇が離れると、銀糸の淫らな橋がつながった。
「望愛さん、これ以上は……」
「きゃ……っ」
望愛さんがわたしの太ももを跨ぎ、ソファの上で膝立ちになった。そのまま、背後の壁に手をつき、わたしを閉じ込めるようにして、縋るような瞳で口を開く。
「優奈さん、どうか私の疼きを鎮めて……」
そんな濡れた表情で懇願されたら、わたしは……。肯定も否定もできないまま、唇が再び塞がれる。今度は、確かな熱と情欲を押し付ける、貪るような口づけ。
「んん……んむ……っ」
誰かくるか分からない場所で……。こんなことしたらいけないのに。わたしには玲香さんがいるのに……! ごめんなさい、玲香さん。罪悪感を抱きつつも、興奮で体が疼いてしまう。わたしは望愛さんのドレスの裾を強く掴みながら、必死に舌を絡ませ合い、誰もいない室内に卑猥な水音を響かせた。
「んはっ……! はぁ、はぁ……」
望愛さんの口元にてらてらと光る唾液を、彼女は手の甲で乱暴に拭った。
「望愛さん……。ダメだよ。こんなことしたら、わたし達」
「でも、玲香さんとはしたんでしょう?」
耳元で囁かれた、確信犯的な言葉。
「……っ。それは、玲香さんとは恋人だから……」
「でも、私は優奈さんのモノなんでしょう? しっかり面倒見てくれないと……、私、死んじゃうかも」
この殺し文句が、わたしの「モノ宣言」を逆手に取った脅迫であることは分かっていた。でも、彼女の切実な声はわたしの抵抗する意思を甘く溶かし、完全に呪縛するには十分だった。望愛さんがわたしの首筋に歯を立て、甘噛みしてくる。
「ん……! んむぅっ……!」
咄嗟に自分の口を手で塞ぎ、彼女の嫉妬と情欲が混ざり合った劣情を全身で受け止める。望愛さんの両手が、わたしの胸をドレスの上か鷲掴みにし、激しく揉みしだく。
「ここ、すごく柔らかい……」
望愛さんはわたしの胸元に手をかけ、強引にたくし上げた。白い柔肌が晒され、恥ずかしさで咄嗟に彼女を押しのけようとする。
「だ、ダメ! んんっ!」
しかし、わたしの口は再び彼女の唇で塞がれ、抵抗しようとした両手は、望愛さんの片手によってソファに縫い付けられるように押さえ込まれた。望愛さんの腕はこんなにも細いのに、その筋力はAランクシーカーのそれだ。いくらもがいても、ビクともしない。そして、直接、熱い手のひらで胸を揉みしだかれ、その頂を指先で強く摘まみ上げられた瞬間……。わたしの思考は、快楽と底なしの背徳感の中に、ドロドロと混濁していったのだった。
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