第35話 レンズの前で
ギルド救済の祈り手結成の配信から数日。玲香さんのペントハウスでの三人暮らしは、予想に反して驚くほどスムーズに――あるいは、騒がしく回り始めていた。朝食のテーブルで玲香さんが優雅にコーヒーをすすり、望愛さんがその対面で挑戦的にエナジードリンクのプルタブを鳴らす。その中心でわたしがご飯を食べるのが、この家での日常になっていた。
「……優奈、望愛。今日の午後、予定を空けておいてくれるかい?」
玲香さんの言葉に、わたしと望愛さんが同時に顔を上げた。
「予定、ですか? 探索の訓練とか……?」
「いや、モデルの仕事だ。……正確には、救済の祈り手としての初のタイアップ撮影だね」
玲香さんの話では、例の配信を見た有名ファッション誌のディレクターが、三人の並びに衝撃を受け、企画を急遽変更したらしい。
「当初は私と優奈のペアだったんだが……光の聖女を巡って、対極の二人が火花を散らす構図を撮りたいそうだ」
「へぇ……。いいじゃない。日陰の刺客を光の下に引き摺り出すなんて、悪趣味で最高だわ」
望愛さんが不敵に口角を吊り上げた。かなり乗り気な彼女に対し、わたしは胃のあたりがキュッと縮むような緊張を覚える。
「わたしが……モデル? 無理ですよ、玲香さん! わたしみたいな普通の人が、そんな華やかな場所なんて……」
「嫌なら断っていい。君の意志を尊重すると決めているからね。……ただ、ディレクターが言うには君のあの浄化の光を、写真の中に閉じ込めてみたいそうだ」
玲香さんはそう言いながらも、期待を込めたような瞳でわたしを見つめる。……玲香さんと一緒に仕事ができる。彼女の生きているプロの世界を隣で見られる。そう思うと、断るという選択肢はわたしの心から消えていた。
「……わかりました。が、頑張ります」
「ふふ、ありがとう」
こうしてわたし達、救済の祈り手としての初の共同撮影が幕を開けた。
◇◇◇
扉を開けた瞬間、大勢のスタッフさんが忙しなく動き回り、怒号に近い活気に気圧される。すぐに、てきぱきとした女性スタッフさんがわたし達の前にやってきた。
「皆さん、お疲れ様です! 楽屋に案内しますのでついてきて下さい」
案内に従い、わたし達は別々の楽屋へと通された。案内された室内には大きな鏡とプロ仕様のメイクセットがズラリと並び、わたし専属のスタッフさんが三名も待機していた。用意されていた衣装は、純白の薄い絹で作られた、ギリシャの女神を思わせるドレスだった。着替えて鏡を見てみると、肌の露出自体はそれほど多くないはずなのに、布地が柔らかすぎて体のラインや胸の丸みがはっきりと浮き出てしまっている。恥ずかしさに身を縮めながら、ヘアセットとメイクを施してもらい、恐る恐る楽屋を出た。撮影セットの前では、すでに玲香さんと望愛さんが待機していた。
玲香さんは、鋭いカッティングが施された、銀の装飾が光るマニッシュなスーツスタイルだった。銀色の髪を小さくまとめたシニヨンヘアに、どこか凛々しさを引き立てるクールなメイク。普段の麗しさとは異なり、王子様のような男装の佇まいに、心臓がトクンと跳ねてしまう。一方で望愛さんは、身体のラインを肉感的に強調する、深い藍色のシースルーをあしらったドレスだった。宵闇の姫を彷彿とさせるそのミステリアスな美しさは、彼女が持つ艶めかしさを何倍にも跳ね上げていた。
「……お、お待たせしました」
声をかけると、二人は吸い寄せられるように一斉にわたしへと視線を向けた。
「ど、どうでしょうか。変じゃないですか?」
「……完璧だ。あまりにも綺麗で、今すぐ誰の目にも触れない場所に隠してしまいたい」
「……素敵。今日の主役は間違いなく優奈さんね。」
「ちょ、玲香さん! 望愛さん! 皆さん聞いてますから!」
スタッフさんの間で、「やっぱり本当の恋人同士なんだ」とヒソヒソ声が聞こえた。配信での玲香さんの恋人宣言は、業界内でも完全に共有されているらしい。恥ずかしさで溶けてしまいそうだ。
「それでは、まず、氷室さんと深海さんの撮影から始めます!」
ディレクターの声がかかった瞬間、さっきまで火花を散らしていた二人の顔つきが、プロのそれへと一変した。眩いばかりの照明器具に照らされながら、二人が次々とポーズを決め、シャッターが何度も切られていく。飛び交う専門用語、走り回るスタッフ、そしてその中心で圧倒的なオーラを放つ玲香さんと望愛さん。
背筋を伸ばし、周囲を支配するような美しさを放つ玲香さんは、近寄りがたいほどに完成されていた。そして、色っぽい流し目をカメラに送る望愛さんには、女性スタッフさん達でさえ頬を朱色に染めている。望愛さんも何度かモデルの経験があると言っていたけれど、その一挙手一投足はトップモデルそのものだった。やっぱり、場違いだったかも……。気後れからくる後悔が胸をよぎるが、ディレクターから大きな声が上がる。
「よーし、二人とも最高だよ。ここからは三人で取っていくよー」
ついに、わたしの番が来てしまった。緊張で指先まで強張りながらセットに立つと、スタジオ全体が息を呑むような静寂に包まれた。全員の視線がわたしに集中する。喉がカラカラに渇き、上手く呼吸ができない。
「ひゃ……」
肩にそっと触れられた冷たい温度に、短く声を上げてしまう。
「優奈、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。周りが気になるなら私だけを見ればいい。撮影を楽しもう」
「玲香さん……」
「優奈さん、不安にならなくて大丈夫。貴方は綺麗よ……」
望愛さんがわたしの腕に自分の腕を絡め、そっと指を交わして恋人繋ぎをしてくる。二人の体温と優しい言葉に当てられているうちに、いつの間にか撮影への恐怖心は消え去っていた。
「最高だ……! まさにこれだよ! 一人の光を奪い合う、氷と影!」
ディレクターの興奮した叫びと共に、激しいシャッター音が鼓膜を叩いた。そして、三人での撮影が本格的に始まる、
「桜さんは氷室さんの胸に身を預けて! 深海さんは背後から桜さんの首筋に顔を近づけて、独占欲を剥き出しにして!」
指示が飛ぶたび、二人の距離が近くなる。右側からは玲香さんの冷たくも熱いミントの香りが、左側からは望愛さんの湿り気を帯びた甘い香りが、わたしの感覚を麻痺させていく。
「……優奈。私だけを見て」
玲香さんがわたしの腰を強く抱き寄せ、耳元で独占欲を囁く。
「……ダメよ優奈さん。私の温度を、忘れないで」
望愛さんが反対側からわたしの肩を抱き、指先で鎖骨をなぞる。シャッター音が重なるごとに、二人のポージングはエスカレートしていった。ドレスの裾が絡み合い、視線が交錯し、スタジオ内は撮影を超えた本物の執着に支配されていく。
漆黒のスーツに身を包んだ玲香さんが、膝をつくわたしの背後からきつく抱きしめる。望愛さんがわたしの胸にもたれかかり、すがるようにその肩を抱く。吐息が首筋にかかり、柔らかな髪が耳たぶをかすめ、薄い布越しに肌を重ね合う。カメラの前だというのに、官能的な甘い雰囲気に飲まれ、わたしの体は勝手に熱くなっていく。二人からの過剰な愛撫に近いポージングに、わたしは恥ずかしさと興奮で、立っているのがやっとだった。
「いいね! その蕩けた表情だ、優奈さん! 完璧だよ!!」
撮影は、予定時間を大幅に超えて終了した。仕上がりを確認したスタッフ達は伝説に残る一冊になると口々に称賛していた。
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