第30話 聖女の価値
「まずは、先日の事件について報告します」
神無月さんの事務的な声と共に、会議室の大型モニターが青白い光を放った。 映し出されたのは、無惨に崩落したアークライトインダストリーが所有していた地近悦。そして、赤黒い結晶に侵食され、もはや人の形を留めていない神崎透の無惨な死体。会議室の空気が、一際冷たく研ぎ澄まされる。
「……以上が、今回の『探索者暴徒化事件』の真実です。アストラルブースターによる人為的な結晶化、神崎の死亡。そして――」
神無月さんが言葉を切り、わたしの方へ鋭い、値踏みするような視線を向けた。
「それらを全て浄化し、事態を収拾させた桜優奈さんの特異スキルについて。彼女には魔晶と人体結晶化を完全に浄化する力および、他者の魔力を百パーセント以上回復させる力が報告されています。これらは事実で相違ありませんか、桜さん?」
え? わたし!? 突然振られた言葉に、心臓が跳ねた。隣に座る玲香さんを見ると、彼女はわたしの震える手をテーブルの下で強く握り、微かに頷いた。
「そ、相違、ありません」
答えた瞬間、会議室の温度がさらに数度下がったような錯覚に陥った。沈黙。けれどそれは無関心ではない。この場に集まった怪物達が、わたしという存在をただのシーカーではなく、国家の趨勢を左右するリソースとして再定義し、思案を巡らせる音なき緊張感だ。
「お答えいただき感謝します。……では、これより彼女の処遇を検討します」
神無月さんの言葉は、無慈悲な宣告のように響いた。
「まず政府として、桜優奈さんの身辺およびスキルの詳細調査を提言します。彼女の力は既存のヒーラーとは一線を画しており、国家の安全保障に関わる重要事項です。本件については強制執行権の行使も辞さない構えです」
その言葉に、隣に座る玲香さんの周囲からパキパキと氷の結晶が弾ける音がした。
「反対だ。優奈は犯罪者でもなければ、政府の所有物でもない」
玲香さんの声は、絶対零度の吹雪のように冷徹だった。
「シーカーにはスキル秘匿権が認められているはずだ。情報の流出は他国へのアドバンテージを奪われ、当人の生存権を脅かす。……現に、ロビンフッドの杠羅戯のように、スキルが一切不明の者もいる。優奈もそれと同じ扱いを受ける権利がある」
「……氷室さん。スキル秘匿権の行使が認められるのはAランク以上のシーカーのみです。規約上、Fランクの彼女にその権利は適応されません」
「そんな差別的な記述はどこにもない。規約には『高ランクシーカーに推奨される』とあるだけで、低ランクを除外する法的根拠はないはずだ!」
玲香さんの反論に、神無月さんが困ったように眉根を寄せた。法的な解釈の不一致を盾にした泥沼の議論。玲香さんは分かっているのだ。一度でも政府の調査という名の檻にわたしを渡してしまえば、二度と自由な体では戻ってこられないことを。そうならないように玲香さんは必死にわたしを守ろうとしてくれている。玲香さんの献身はありがたい。でも、そこまで言う程政府はそんな恐ろしいことをするのだろうか。そういう気持ちもあったりするんだよね。だけど、そんなわたしの楽観的思考を切り裂いたのは、優雅な毒を持つ聖域からの言葉だった。
「……不愉快だわ」
鈴を転がすような、清らかで毒を含んだ声。静謐の巫女である水姫様が、藤色の瞳を冷酷に細めていた。
「そんな得体の知れない力に皆が浮かれているなんて。彼女のスキルが本当に無害だという保証がどこにあるのかしら? 私達の魔力に干渉し、書き換える……。それは救済ではなく、心身の汚染かもしれない。政府は彼女を隔離し、細胞の一つ、神経の末端まで解剖レベルで精密検査すべきよ」
か、解剖……っ!? 憧れていたはずの女性から発せられた、死刑宣告にも似た言葉。わたしは全身の血が引くのを感じ、震えが止まらなくなった。
「水姫、そんな人権を無視するような行為が本当にまかり通るとでも思っているのか?」
玲香さんが怒りを隠そうともせず、言い放つ。水姫様は一息つくと、憐れむような、それでいて射殺すような視線を私に固定した。
「じゃあ聞くけれど、桜さん。……貴方は未知の治療を他者に施すリスクを、承知の上で行ったのかしら? 失敗による症状の悪化は当然として、予後に命に関わる重大な副作用や身体の突然変異が起きる可能性を、貴方は考慮した? ……もし助けたいからという無知な情熱だけで行動していたのだとしたら、それはあまりにも杜撰で、無責任な蛮行よ。医者として……いえ、命を扱う者として、失格と言わざるを得ないわ」
ヒーラー失格。国内最高の治癒能力を持ち、医療の最前線でも命を救い続けてきた彼女の言葉は、正論という名の鈍器となってわたしの胸を打ち砕いた。わたしは……玲香さん望愛さんや他の皆を救う時、そんな未来のリスクなんて考えていなかった。
「にひひ、水姫は過激だねぇ。でも玲香、僕も独占は良くないと思うなー。君、その子を自分のマンションに囲ってるんだって? 狡いじゃん。僕らにも触らせてよ。最高級のバッテリーなんでしょ?」
明楽さんがニヤニヤと笑いながら追い打ちをかける。
「貴様ぁ……」
空気が、玲香さんを孤立させる方向へと流れ始めたその時、貴鏡さんがゆったりとした、包み込むような声で口を開いた。
「玲香ちゃん、政府に反発しすぎるのは賢明ではありませんよぉ。貴方の立場まで危うくなります」
「……貴鏡」
「でも、水姫ちゃんの言う解剖もやりすぎです。……それに、昨日の現場のように一刻の猶予を争う状況では、優奈ちゃんの行動は正しかったと私は思いますけれどね」
貴鏡さんの言葉にわたしの胸の奥が少しだけ軽くなった。
「……それについて一理あることは認めるわ」
水姫様が不本意そうに引き下がる。貴鏡さんはにっこりと笑みを浮かべ、軽く手を合わせた。
「うふふー。でしたら、一先ず身辺調査と魔力波形の簡易検査に留め、問題が見つかったらその時に深掘りする……。それが一番妥当ではありませんか?」
貴鏡さんの提案は、一見玲香さんを助けているように見えた。けれど、それは調査の実行を確定させるための巧妙な落とし所にしか見えなかった。玲香さんは苦渋に満ちた表情で唇を噛み、不承不承、頷いた。
「……分かった。ただし、全ての調査に私の同伴は認めさせてもらう」
「簡易検査ですから安心してください。……さて、二つ目の議題です」
神無月さんが、より重いトーンで告げた。
「桜優奈さんのスキルの運用について。これについて政府からの命令や要望は特にありません。彼女の取り扱いは、今日ここに集まったSランクの合議によって決定して良いとの許可が下りています」
その瞬間、会議室にいた怪物達の瞳が、獲物を狙うそれへと変わった。
「優奈は私のペアだ。それ以外の運用など認めない」
玲香さんの宣言を、明楽さんが鼻で笑った。
「玲香さぁ、最近のスコア見てる? その子を連れてから、明らかに効率が落ちてるよね。Sランクは魔石の納品数と質が全て。彼女を独占しているくせに成果を出せないなら、その権利を返上してもらうのが筋じゃない?」
「それは……彼女がFランクだからだ。下の階層の魔力濃度に耐えられないのは当然だろう!」
「でしたら」
貴鏡さんが、歌うような優しい声で提案を重ねる。
「優奈さんを共有化しましょう。彼女の都合が合えば、他のSランクの遠征にも同行させる。そうすれば、日本全体のシーカーの質が底上げされ、世界競争でも優位に立てます。玲香ちゃん一人の所有物にしておくには、彼女はあまりにも価値がありすぎると思うんです」
「共有化……だと?」
玲香さんの表情が、怒りを通り越して虚無に染まった。
「お前達は……優奈を、魔力の供給機か何かだと思っているのか?」
「そうだよ? それ以外にあるの?」
明楽さんの言葉が、会議室に冷たく響く。その瞬間、玲香さんは椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「――ふざけるな」
絶対零度の威圧感が、会議室の壁を白く凍らせていく。
「どこの馬の骨とも知れない貴様らに、私の優奈を渡すわけがないだろう。……いいか、よく聞け」
玲香さんは、わたしの肩を抱き寄せ、その場にいる全員に聞こえるように、そして世界に宣戦布告するように告げた。
「優奈は私の恋人だ。ビジネス上のパートナーではない。愛し合っている特別な存在だ。……貴様らは、自分の恋人を他人に貸し出し、使い回すような趣味があるのか!?」
「………………は?」
静寂。八雷さんは目を見開き、本田さんは飲んでいた水を吹き出しそうになり、沈黙を貫いていた富岳さんがガシャリと鎧を揺らした。
「まぁ♡」
貴鏡さんはうっとりとした表情で頬を染め、龍我さんはニヤリと笑い、水姫様は顔を赤らめて絶句している。あ、あああ……っ、玲香さん、なんてことを……!! わたしは羞恥心で爆発しそうになり、顔を両手で覆った。Sランク会議。国家の重要会議で、何を、何を発表しているんですかこの人は!
「ヒュー! 熱いねぇ」
明楽さんだけが机を叩いて大笑いしている。
「……恋人だと? 氷室、お前は正気か」
本田さんが呆れたように言うけど、玲香さんは微動だにしない。
「本気だ。私は、この子の指一本、誰にも触れさせん。……共有化など、断固として拒否する!」
その時、沈黙を守っていた龍我さんが、地鳴りのような声で口を開いた。
「本田、人の色恋に口を挟むのは無粋であろう。……我は氷の令嬢の覚悟を見た。まさに、天晴。我も共有化には反対の所存だ。いや、そもそもかようなか弱き女性に頼ること自体、シーカーの頂点たる我らがすることではなかろうて」
「……とはいえですよ」
貴鏡さんが、ため息混じりの苦笑いを浮かべた。
「恋人だろうと何だろうと、唯一無二の彼女を独占する理由には無理があります。……ですが、そうですね。現状、我々の主戦場である五層以降の魔力濃度にFランクの彼女が耐えられるとは思えません」
貴鏡さんが、わたしを憐れむような、それでいて冷徹な視線で見据える。
「五層の空気は、Fランクにとっては毒と同義です。……共有化したところで、連れて行けるのは二層や三層の浅瀬だけ。運用としては意味がありません。……共有化の話は、一旦白紙にしましょう」
玲香さんの恋人宣言の衝撃と、Fランクという物理的な制約。皮肉にも、わたしの弱さが盾となった。
「えぇー、つまんなーい。ところで、刃はどう思ってるの? さっきから一言も話してないけどさ」
明楽さんが、退屈そうに八雷さんに話を振った。
「ん? 桜ちゃんを共有化しないこと? 別にそれでいいんじゃない。彼女が誰のものになろうが、俺達が最強なのは変わらないしな」
八雷さんは興味なさそうに吐き捨てた。最強ギルドの余裕か、あるいは傲慢か。
「それでは、皆さん同意したでよろしいですよねぇ」
貴鏡さんが周囲を見回し、反対意見が出ないことを確認する。
「ありがとうございます。ですが、もし他のSランクに結晶化の予兆が現れた場合、あるいは国家的な有事の際は、優先的に彼女のスキルを提供すること。これだけは、認めてくれますよね? 玲香ちゃん。……先日の事件では見知らぬ人すら救ったのに、まさか、私達を見捨てるなんて言いませんよね?」
貴鏡さんの最後通告。玲香さんはわたしを抱きしめたまま、忌々しげに、しかし勝利を確信した笑みで頷いた。
「……いいだろう。緊急時のみ、私が同伴する条件下で認める」
こうして、わたしは氷の令嬢の所有物であることを公認され、怪物達の宴は一旦の幕を閉じたのだった。けれど、繋がれた玲香さんの手の震えが、この会議の結末が綱渡りのような危ういものだったことを物語っていた。
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