第29話 怪物達の品評会
車を降りると、鏡面仕上げのガラスが朝日にぎらつく高層ビル――ダンジョン管理局本部がそびえ立っていた。エントランスを通り、受付の女性に案内されるままエレベーターに乗り込む。静かな上昇。数字が上がるにつれ、わたしの心臓の鼓動も比例して速くなっていく。
「望愛、君はここで待機してくれ」
「ええ。……気を付けて。何かあれば、すぐに飛び込むわ」
最上階のラウンジで待機する望愛さんに見送られ、玲香さんが廊下の突き当たりにある重厚な両開きのドアに手をかけた。ゆっくりと開かれた扉の先。そこには深紅のカーペットが敷き詰められ、中央には重厚なローズウッドの円卓が鎮座していた。そして、そこに座る怪物達の視線が、一斉にわたしを射抜いた。空気が、物理的な重さを持って肌に張り付く。空気の濃度が地上とは明らかに違う。
「氷室さん、桜さん。貴方達はそこに座って」
円卓の最奥に座る女性が、事務的な口調で告げた。ゲート管理施設の制服を纏っているけど、その眼差しには並々ならぬ知性と、この場を仕切る覚悟が宿っている。彼女が副支部長の神無月真昼さんだろう。玲香さんへ来ていた強制執行命令の差出人の人だ。玲香さんは何も答えず、わたしの腕を引いて指定された席へと向かった。
改めて周囲を見渡し、わたしは息を呑む。そこに並んでいたのは、ネットやニュースでしか見たことのない、この国の最高戦力達だった。正面には、漆黒の騎士甲冑に身を包んだまま微動だにしない男性。漆黒の騎士という異名を持ち、ソロ専門の孤高の探索者、富岳兜さん。兜の隙間から漏れ出る殺気は、ただそこに座っているだけで周囲を凍りつかせる。その右隣には、腕を組んで目を瞑る筋骨隆々の青年。政府特殊部隊SECTの総隊長、本田励さん。ぴったりとしたインナーの上からでも、彼の筋肉が鋼のような密度で構成されているのが分かる。そしてその隣――。
「にひひ……」
焦げ茶色の髪をツーサイドアップにした褐色の女性が、猫のような瞳でわたしを捉えた。超武闘派ギルド闘源郷の主、黒鉄明楽さん。露出した肩やお腹には、無数の戦歴を物語る微細な傷跡が刻まれている。にやりと悪戯っぽく笑う彼女と目が合ってしまい、わたしは慌てて視線を逸らした。
「あれれー? 顔を赤くしてじろじろ見つめて、もしかして僕のこと好きになっちゃたー?」
猫撫で声。けれど、その声の裏には、いつでもこちらの喉笛を食いちぎれるような獣の獰猛さが隠れていた。
「そ、そそ、そんな、滅相もございません」
「優奈、あんな痴女に構うな。こちらの知能レベルが落ちる」
玲香さんが鋭い視線で明楽さんを牽制する。
「痴女だなんてひどーい。ねぇ、励はそうは思わないよね?」
玲香さんの暴言に全くこたえてないどころか、際どい質問をよりによって男性の本田さんに投げかける。彼はゆっくりと目を開けると、狼のようなライトグレーの瞳が、冷徹に明楽さんを射抜く。
「……黙れ」
「ひぇっ……」
玲香さんとは質の違う、軍人特有の冷たい死の気配にわたしは身を竦めた。
「はーい」
そう言って、明楽さんは後頭部で手を組んで椅子にもたれかかった。
「こんなところにいきなり連れてこられたら、緊張しちゃいますよねぇ」
玲香さんの隣。まったりとした、不思議と耳に残る声で話しかけてきた女性。上品なスーツの上からでも分かってしまう豊満なボディに、柔和な笑顔を向けてくれるのは春花貴鏡さん。彼女のゆるふわな雰囲気がこの殺伐とした会議室の中で唯一の救いのように見えた。
「あはは……。はい、正直、心臓が止まりそうです」
貴鏡さんは国内最大級のギルド天空神の門を経営し、シーカーのスキルや戦い方を体系的に初めてまとめた軍略家でもある。SECTの戦略立案の協力もしていたはずだ。そして、彼女の執筆した『スキル運用論』はシーカーの間では必読のバイブルになっている。つまり、すごく頭がいいということだ。こんな優しい彼女からはそんな雰囲気は微塵も感じない。
「うふふ、可愛いですねぇ。玲香ちゃんが必死に隠したくなる気持ちも分かります」
「あはは……」
わたしは、ただただ照れ笑いを浮かべる。
「優奈、貴鏡に心を開くな」
玲香さんがぴしゃりと遮った。
「こいつは、人の善意や弱みを計算式に組み込んで、自分に利するように世界を動かす『銀鏡の魔女』だ。……人の心なんて、とっくに捨てている」
「玲香ちゃん、そんな言い方はひどいですよぉ。私でも怒っちゃいますよ? ぷんぷん」
可愛らしく頬を膨らませる貴鏡さん。だけど、玲香さんの警告は冗談には聞こえなかった。
「はっはっは! 人の心が無いとは言い得て妙。我も同意するぞ!」
豪快に笑い飛ばす赤髪の男性は龍我轟さん。ギルド黒曜山の守手のリーダーで彼のギルドは精鋭と名高く、轟さんとギルドメンバーはまるで王と臣下の関係と言えるほど、信頼関係を築いていると評されている。轟さんの方にちらりと視線を送る。浅黒い肌に野性味溢れる顔つき、黒の半袖とジーパンといったラフな格好だ。第一印象では、正直、あまり近寄りたくない属性の人と思われがちだけど、実はSランクの中で最も人道支援に厚い人で、その背後に透けて見えるのは、数多の精鋭を従える王の器だ。だけど、その笑みはすぐに消えた。
「銀鏡の魔女よ。先の五層大規模遠征、我らに囮役を押し付け、戦果だけをかっさらった不義理……よもや忘れたとは言わせぬぞ」
「うふふー、押し付けるなんて人聞きの悪い。適性を鑑みた最適な人員配置だったはずですけれど?」
貴鏡さんが微笑を浮かべながら答えるけど、目が笑ってない。……地獄だ。ここには善人なんて一人もいないのかもしれない。そんな中、静かにドアが開いた。入室してきた女性を見た瞬間、わたしは呼吸を忘れた。純白のワンピースに、艶やかな白髪の姫カット。切れ長で高貴な藤色の瞳に、一切の汚れを知らない磁器のような肌。彼女が歩くたび、空気が浄化され、神聖な静寂が広がっていく。ま、まさか……本物の白河水姫様……!?
あの言わずと知れた静謐の巫女、白河水姫様をお目にかかれるなんて! 実は、彼女の大ファンなのだ。画面越しでも尊いと思っていたけれど、実物の美しさはもはや聖域レベル。推しが目の前にいるという現実に、テンションが急上昇しそうになるのを必死に抑える。――あ、今、目が合った!? 水姫様がふっと、わたしを見て微かに微笑んだ気がした。認知……された? 尊死する……! 感動に浸っていたわたしの右手がふいにぎゅっと握りしめられる。
「ひゃっ!?」
「……優奈。デレデレした顔でずっと水姫を見てる」
玲香さんは小声でそう言って、嫉妬深く冷たいアクアマリンの瞳が至近距離でわたしを責め立てる。
「こ、これは……。敵情視察と言いますか……」
……ごめんなさい、玲香さんが一番なのは変わらないから、見逃して! 勿論、わたしは玲香さんのこ、恋人だから、水姫様とそういう関係になりたいとか全く思ってないよ。これは推し活みたいなもので、ただ尊いと陰ながら思っているだけだからね。思うだけなら、別に浮気にはならないよね!
「まぁ、いいけど。水姫が危険人物というのは分かったから」
玲香さんが警戒するように水姫様に視線を向ける。
「私が最後かしら。遅れて申し訳ないわね、神無月さん」
水姫様が最奥の席に着き、神無月さんが頷く。
「いえ、まだ定刻前です。それに、まだ数名、到着しておりません」
「そう。今回は来るのね」
「えー、あいつら来るのー? 僕、嫌いなんだよね。なんか偉そうに余裕ぶってる感じがさー」
明楽さんが露骨に嫌な顔をした。わたしは不思議に思っていたのだ。Sランク探索者と言えば、真っ先に思い浮かべるギルドがあるのだけど、その方達がいないことに。そんな風に思っていると、再び扉が開かれた。
「あれ? 全員揃ってる? もしかして待たせちゃったかな。いやぁ、悪いね」
謝るような仕草をしながら、軽やかな足取りで入室してきた男性。その砕けた雰囲気とは裏腹に、彫刻のような完璧な顔の均衡を保つ美青年。全身をすっぽりと覆うコート、わたしでもセンスが良いと分かってしまうオシャレな着こなし。無造作に見えて多分しっかりとヘアセットした髪も、整えられた眉も、薄い唇も、まるで計算され尽くした設計図のように完璧な調和を保っている。
実のところ、わたしはイケメンがとても苦手だ……。別に今まで関わったことがあるわけじゃないけど、なんというかイケメンは怖いのだ。こちらに無遠慮にすり寄って、言葉巧みに騙して女の子を傷つけ、搾取する。もう、大分偏ったイメージ持ってしまって本当に申し訳ないけど、とにかくイケメンという存在とは距離を置きたい。わたしは警戒しながら彼を目で追う。
「てか、黒鉄。悪口聞こえてんぞ。……陰口言うなら、もう少し声を絞れよなぁ」
青年が明楽さんの後ろを通りながらそう言って、席に着く。
「どんだけ地獄耳ー? べー」
明楽さんは嫌そうな顔をして、舌を出す。
「ところで、君が桜優菜さんだよね?」
「へ? あ、はい!」
話しかけられるなんて全く思っていなかったので、めちゃくちゃ焦ってしまった。
「はは、めっちゃ緊張してんじゃん。俺は八雷刃。ギルドロビンフッドの副リーダーをやってる。てか、ロビンフッドは流石に知ってるよね? なんてたって、最強のギルドだからね」
八雷さんが、軽薄とも取れる明るい声でそう口にした瞬間。会議室の空気が、劇的なまでの変貌を遂げた。音が消えた。物理的な沈黙ではない。この場に集まった怪物達が一斉に放った殺気と、極限まで練り上げられた魔力のプレッシャーが、空間そのものを圧殺したのだ。……な、に、これ。空気が……重い……!
わたしは椅子に座ったまま、呼吸の仕方を忘れそうになる。玲香さんの隣から放たれる冷気は、先ほどまでの嫉妬混じりの甘いものではなく、獲物を一瞬で凍結粉砕しようとする戦士のそれへと研ぎ澄まされている。横に目を向ければ、明楽さんの黄緑色の瞳が、獰猛な獣のそれへと細められていた。彼女の周囲の絨毯が、無意識に漏れ出た魔力によってミシミシと音を立てて沈み込んでいる。本田さんは、ただでさえ鋭い眼光をさらに険しくし、龍我さんは、不敵な笑みを消して岩盤のような威圧感を八雷さんへと向けた。この場にいる全員が、個として最強を自負するSランク。そんな彼らにとって、自らを最強と定義し、他のSランクをその下に置く八雷さんの言葉は、これ以上ない侮辱であり、宣戦布告に他ならなかった。
「……随分な言い草だな、八雷。君達が一歩先を歩いているのは認めるが、それは追いつけないという意味じゃない」
玲香さんの声が、氷の刃となって八雷さんを射抜く。その声には、国内No.1ギルドという巨大な壁に対する、焦燥を塗りつぶすほどの烈烈たる対抗心が宿っていた。
「にひひ……。最強、ねぇ。その首をへし折って、砂利の中に埋めても同じことが言えるかな?」
明楽さんの言葉に、八雷さんは微塵も動じない。むしろ、周囲から叩きつけられる猛烈な重圧を、心地よい春風でも浴びているかのように受け流し、爽やかな笑みさえ浮かべている。
――ロビンフッド。四名のSランクだけで構成された、国家の天秤を狂わせる世界のバランスブレーカー。彼ら一組の機嫌次第で、小国の軍事バランスすら崩壊すると言われる伝説のギルド。目の前の青年は、その圧倒的な差を誰よりも理解しているからこそ、これほどまでに無防備で、これほどまでに傲慢でいられるのだ。
「はは。怖い怖い。……でもさ、事実だろ? 俺達が潜れば、ダンジョンの階層が更新される。俺達が戦えば、勝負は一瞬で終わる。……それがロビンフッドだ」
八雷さんが何気なく肩をすくめたその動作一つに、わたしは背筋が凍るような戦慄を覚えた。彼から漏れ出たのは、戦意ですらない。ただの事実を語る者の、あまりにも巨大な絶対強者の余裕。
「八雷様。……それ以上の挑発は、会議の進行を妨げるものと見なします」
神無月さんの声が、張り詰めた糸のような緊張感を辛うじて繋ぎ止める。彼女の額には、隠しきれない冷や汗が流れていた。この場の誰か一人が引き金を引けば、この建物ごと東京が消滅しかねない。それほどの狂気が、この場を支配していた。
「あ、ごめん。つい、みんなの反応が楽しくてさ」
八雷さんがヒラヒラと手を振った。それと同時に、張り詰めていた魔力の衝突が、嘘のように霧散した。でも、完全に消えたわけではない。玲香さん達の瞳の奥には、八雷刃、そしてその背後にいる最強ギルドロビンフッドに対する、どろりとした黒い火が灯ったままだった。
「八雷様。……ロビンフッドの他の方々は?」
「ああ、羅戯は海外出張中。他の二人はいつも通りの不参加。今日は俺が代理だ」
ちらりと出た羅戯という名前。表舞台には全く姿を表さない正体も能力も謎に包まれているロビンフッドのリーダー。八雷さんよりもさらに上の存在がいるということを想像できない。最早、荒唐無稽なネットのつくり話とさえ思えてくる。でも、実在しているのは確かなのだ。こうして、彼から名前が出るということは。だから、今回の会議で会えるかもって、実は、少し期待していたり。結果は不在でちょっぴり残念だったけどね。
「左様ですか。……八雷様、四分の遅刻です。今後はお控えください」
「次は気をつけるよ、神無月ちゃん」
八雷さんがウィンクすると、神無月さんが僅かに赤面して目を逸らした。これだから、イケメンは……。
「コホン……。それでは、全員お集まりいただきましたので。臨時会議を始めます」
ここからが、本番。いよいよ、怪物達との会議が幕を開ける。
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