第28話 身支度を整える
大理石のカウンターテーブルの上に、人数分のホットサンドを並べる。ハムの塩気と、とろりと溶け出したチェダーチーズ。そこにトマトの酸味が加わる、王道の組み合わせだ。カップに入ったほうれん草のインスタントクリームスープを添え、玲香さんには彼女が好む深煎りのホットコーヒーを、望愛さんにはすでにエナジードリンクが置かれていたので、せめてものお冷やを用意した。
「それじゃあ、頂きましょう」
「「……頂きます」」
二人の声が重なる。玲香さんはナイフとフォークを使い、まるでお城の晩餐会かのように優雅な所作でホットサンドを切り分けていく。一方の望愛さんは、熱を逃がさないように両手でサンドを持ち、大切そうに一口ずつ咀嚼していた。サクッ、と小気味よい音がリビングに響く。表面はホットサンドメーカーの熱で香ばしく焼かれ、中は具材の旨味が凝縮されていて、自分でもなかなかの出来だと思う。
「おいしい……。優奈の手料理を食べると、やっと自分が家に帰ってきたのだと実感するよ」
玲香さんが、朝陽を浴びて透き通るような微笑を浮かべた。その言葉に、わたしは少しだけ顔が熱くなる。
「……おいしい。すごく。優奈さんの、心の温かみを感じるの」
望愛さんも目を閉じ、慈しむように味わっている。わたしは気恥ずかしくなって、自分のカップに視線を落とした。
「二人とも、少し大げさですよ。今日は料理と呼ぶにはあまりにも手抜きですし……。だって、ホットサンドメーカーで食材を挟んで焼いただけですよ? スープだってインスタントですし」
これは本当だ。一流シェフの料理を日常的に食べているであろう玲香さんと、人気探索者の望愛さんだって、高級なケータリングに慣れているはずだろうし。そんな二人が、わたしの作った時短メニューにこれほどまで満足げな表情を浮かべるなんて、何だか不思議な気持ちだった。けれど、二人の表情はどこまでも満足げだった。静かなリビングに、スープをすする音とフォークが皿に当たる音だけが流れる。昨夜までの激闘を思えば、和やかで奇跡のような平穏な時間。玲香さんが最後にコーヒーを一口すすり、カップを置いた。その瞳に、探索者としての鋭い色が戻る。
「……それで、望愛。君はこれから、どうするつもりなんだ?」
不意の問いかけに、望愛さんは視線を揺らした。
「そうね。暫くは、シーカーとしての活動は休止かな。……さっき、……『ホーリーアビス』の名前をエゴサしてみたんだけど、ひどい言われようだったわ。ふふ、あんな醜態を晒してしまったのだから、因果応報ね」
望愛さんは自嘲気味に笑った。薬物による暴走、そして仲間からの裏切り。配信を通してそのすべてを晒してしまった彼女に向けられる世間の目は、想像を絶するほど冷たいはずだ。彼女自身は被害者であるにも関わらず、ネットの海では欠陥品や裏切り者といった無責任な言葉が踊っているのだろう。
「……望愛さん、それは」
わたしが声をかけようとした時、玲香さんがそれを遮るように、真っ直ぐな眼差しを望愛さんへ向けた。
「そうか。ならば望愛、私達とパーティーを組まないか?」
望愛さんは一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。けれど、すぐに寂しげな笑みを浮かべて首を振る。
「玲香さん、気持ちだけ受け取っておくわ。……言ったはずよ、私の評判は地に堕ちた。これ以上、貴方達のキャリアに泥を塗るわけにはいかない」
「泥を塗るだなんて! わたしはそんなこと、全然思っていません!」
「優奈もこう言っている。それに望愛、今後の深層攻略には君のようなトリッキーな前衛が必要だと、純粋に戦力として評価している。……考え直してはくれないか?」
「ふふ……二人とも、本当にとんだお人よしね」
望愛さんは、初めて柔らかい笑みを浮かべた。けれど、その決意は固い。
「それでも、組めないわ。住む世界が違うのよ。貴方達は、これから光の中を進んでいく希望。対して私は、暗い影を彷徨う嫌われ者。……短い間だったけれど、いい夢を見せてもらったわ。ありがとう」
望愛さんは椅子を引き、席を立った。そのまま、透明な存在になって消えてしまいそうな危うい背中でリビングを出ようとする。
「待って! 望愛さん!」
わたしが彼女を引き留めようとした、その瞬間だった。玲香さんのスマートフォンから、ミシャの無機質な電子音が響き渡った。
『――緊急通知。玲香様、お取り込み中失礼します。政府より、最優先順位の強制執行命令が発令されました』
「何だと! またか! 内容は?」
『Sランク限定の臨時会議への招集です。本件に限り、氷室玲香様、および桜優奈様の同席が必須義務として指定されています。開始は本日午前10時、ダンジョン管理局・特別会議室にて』
「十中八九、昨日の暴徒化事件の事後処理と、優奈の処遇についてだな……」
玲香さんの表情が険しくなる。彼女はドアノブに手をかけていた望愛さんの背中に向かって、強く言い放った。
「望愛、君もこい」
「……え?」
「政府が優奈に何を仕掛けてくるか分からない。最悪の場合、彼女を国有資産として拘束しようとするだろう。……奴らの汚いやり口から優奈を守るためには、Sランクの私だけでは足りない。影から動ける君の力が必要だ」
望愛さんは足を止め、肩を震わせた。一度は日陰の者として身を引こうとした彼女が、ゆっくりとこちらを振り返る。
「……いいでしょう。優奈さんのためなら、喜んでその牙を剥いてあげるわ。けれど、今回限りよ」
その瞳には、先ほどの自嘲の影はなく、昏く熱い守護者の光が宿っていた。こうしてわたし達は、平和な朝食を切り上げ、次なる戦いの場――政治という名の伏魔殿へと乗り込むことになる。食器を食洗機に放り込んだところで、玲香さんがわたしの手首を掴んだ。
「優奈。そのままの格好で行くつもりか?」
「え? あ、はい。動きやすいのが一番かなって……」
わたしが着ているのは、昨日からずっと着倒している―そして望愛さんに脱がされかけた―薄汚れたダンジョン用のインナーとパーカーだ。玲香さんはありえないとでも言いたげに眉間に皺を寄せ、わたしを広大なウォークインクローゼットへと引きずり込んだ。
「これから向かうのは怪物達の巣窟だ。格好で舐められるわけにはいかない。君は私の……その、恋人なんだからね。君にふさわしい、最高級のものを着てもらう」
玲香さんが次々と取り出すのは、名前も聞いたことがないような海外ブランドのドレスや、魔導繊維で作られた洗練されたスーツ。鏡の前で着せ替え人形にされていると、いつの間にか背後に望愛さんが立っていた。
「……玲香さん、センスが古いわ。そんなカチッとしたスーツ、優奈さんの柔らかい雰囲気が死んでしまう」
「何だと? これは今季の最新トレンドだぞ」
「優奈さんには、もう少し透明感のあるブルーや、このシフォン素材のほうが似合う。……ねえ、優奈さん。こっちを試してみて?」
左右から押し付けられる高級服。二人の視線がわたしの体の上でバチバチと火花を散らす。結局、玲香さんが選んだ清楚な白のブラウスに、望愛さんが選んだ夜の海のような深い青のスカートという、折衷案という名の妥協で落ち着くことになった。
準備を整え、リビングへ戻る。出発までの数分、望愛さんがデジタルディスプレイでニュースをチェックしていた。
「……見て。政府の火消しが始まっているわ」
画面には、昨日のゲート管理施設での映像が流れていた。わたしの浄化の光が映っているはずなのに、ノイズがひどく、テロップには救助隊による特殊中和剤の散布という文字が踊っている。どうやら、今回の結晶化したシーカー達はアストラルブースターによる混乱状態に陥ったことになっていた。当然、結晶化の部分は無かったことになっている。ニュースのテロップには死亡者ゼロの文字が映り、わたしは胸をなで下ろす。
「良かった……。あの事件で亡くなった人がいなくて」
「君は本当に優しい子だね」
玲香さんはそう言うと、わたしの肩を抱き寄せ耳元で低く囁いた。
「いいかい、優奈。Sランクの連中は、君を人間だと思っていない。便利な装置か、あるいは自分達の地位を脅かす異物だとしか考えていない。……何があっても、私の側を離れてはいけないよ。いいね?」
「……はい」
その時、マンションの地下駐車場に玲香さんの専用車が到着したと通知が入った。黒塗りの高級セダン。後部座席の中央に私。右に玲香さん。左に望愛さんが乗り込む。
「いつもの車とは違うんですね」
「何があるか分からないからね。特殊装甲仕様の車両を手配したんだ。多少の銃撃は耐えられるはずだよ」
「じゅ、銃撃……」
流石、玲香さんと言うべきか。そんな特殊車両をこんな短時間で用意するとは。そして、無人運転車は静かに動き出す。玲香さんが無言で私の右手を、望愛さんが左手を握りしめる。二人の手の温度は対照的だった。玲香さんの手は、触れると凍りつきそうなほど冷たいのに、奥底に熱を感じる。望愛さんの手は、湿り気を帯びていて、縋り付くような強さがある。これから始まるのは、モンスターとの戦いよりもずっと醜く、激しい、人間の欲望との戦いが待ち受けているかもしれない。だけど、繋がれた両手の重みが、わたしに不思議な勇気を与えてくれるのであった。
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