第25話 救済と可愛い嘘
背後で轟音が響き、地下施設の入り口が完全に瓦礫で埋まった。わたし達は土煙を振り払いながら、崩落する奈落から這い出すようにして地上へと帰還する。目に飛び込んできたのは、燦然と降り注ぐ眩いばかりの朝日だった。昨夜の地獄のような炎上劇が嘘のように、空はどこまでも高く、青い。だけど、その光が照らし出すのは、無惨に破壊された東京の骸だ。生々しく暴力の跡が刻まれたビル群、ひっくり返った車両、そして静まり返った街路。神崎さんの死、中谷の不気味な去り際、そして政府の影――。あまりにも多くのことが起こりすぎて、わたし達の思考は飽和状態にあった。けれど、立ち止まっている暇はない。
「……やらなきゃ」
わたしの呟きに、隣を歩いていた玲香さんが鋭い反応を見せた。
「優奈? 何を……?」
「まだ、苦しんでいる人達がたくさんいます。アストラルブースターを使って、結晶化した探索者の人達が……。彼らを、このままにはしておけません」
わたしの宣言に、玲香さんは苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「君の体はもう限界だ。三層を生き延び、神崎との戦いでもあれだけの魔力を使ったんだぞ。これ以上のスキルの連発は、君の命を削ることになる」
「それでも……! わたしにしかできないことなんです。彼らを見捨てたら、わたしは一生後悔します」
わたしの決意は揺るがなかった。そんなわたし達のやり取りを遮るように、アルマから聞き慣れた声が響く。
『――繋がった! 優奈君、玲香、聞こえる!?』
「寧琉ちゃん!」
『地下施設からの電磁妨害が酷くて連絡が取れなかったけど、ようやくだよ。ひと段落したような感じだけど……。神崎はどうなったの?』
「……死んだよ。中谷という研究者の手によってね」
玲香さんが短く答えると、通信の向こうで寧琉ちゃんが小さく息を呑む音がした。
『……そう。予想はしていたけど、後味の悪い話だね。でも、感傷に浸っている暇はないよ。優奈君、君の言っていた結晶化した探索者のことだけど……状況は最悪だね』
寧琉ちゃんの声が、一気に真剣なトーンに変わる。
『現在、無力化された暴徒達は、すべてゲート管理施設の収容所に集められているね。表向きは治療のための隔離だけど、実態は違う』
「どういうこと?」
『……あそこは、堅牢で、かつ情報が遮断しやすい場所。僕の推測だけど、政府は結晶化した彼らを秘密裏に処分するつもりだろうね』
「処分って……殺すっていうこと!?」
『……公式には『容体急変による死亡』、あるいは『未知の変異体に対する致死性の拒絶反応』とでも適当な理由をでっち上げるだろうね。世間において、探索者はダンジョン内の脅威を退ける正義の味方であり、大衆の憧憬を一身に浴びる『平和の象徴』だよ。その象徴が、薬物の副作用で理性を失い、化け物となって無辜の民を蹂躙した……なんて事実は、政府にとって万死に値するタブー』
「要するに、探索者というブランドのイメージダウンを、政府は何が何でも阻止したいという話だろう。私達はこの国にとって、魔石を回収してくる生きた集金装置であり、有事の際に投入される使い捨ての軍事力なのだから」
玲香さんが淡々と話す。
『もし今回の件で探索者への恐怖が蔓延し、志願者が減るようなことがあれば、それは即座に国家の衰退――エネルギー供給の停止と国防の崩壊に直結する。だからこそ、政府にとって、結晶化してしまった彼らはもう守るべき国民じゃない。国の威信を守るために、密かに処理されるべき不良在庫でしかないんだよ。長々と説明したけど、急がないと探索者達の命が危ないってこと』
国の都合で切り捨てられる。彼らは被害者なのに……。
「行きましょう。……ゲート管理施設へ。玲香さん、望愛さん。わたしを連れていってくれますか?」
「それが優奈の望みなら」
玲香さんは悲しげな表情で頷いてくれた。玲香さん、心配かけてごめんなさい。
「貴方の行く道が例え奈落への再突入だとしても、私は貴方を支えるわ。優奈さん、……私に、貴方の勇気のお手伝いをさせて」
望愛さんの瞳には、玲香さんへの対抗心とは別の、純粋な献身が宿っていた。
「ありがとう、二人とも」
そうして、わたし達はゲート管理施設へ向かった。そこは、物々しい警備のSECT隊員たちによって封鎖されていた。だけど、望愛さんのスキルの前では、どんな障壁も無意味だった。
「私の手を掴んで。壁の中を潜るよ」
言われ通り、わたしと玲香さんは望愛さんの腕を掴むと、彼女は潜行を発動した。壁が液面のように波打ち、わたし達は壁の中に入り込み、そのまますり抜ける。そして、わたし達は迷うことなく地下の収容所へと突入した。そこに広がっていたのは、まさに廃棄物のように並べられた、結晶化に苦しむ数十人の探索者達の姿だった。皆、拘束具に固定されながらうめき声を上げている。身体の至る所から突き出した赤黒い結晶が、彼らの命を削り取っている。
「……ひどい」
わたしは、震える手を一番近くにいた少年の胸に当てた。正直、体力も魔力もあまり残っていない。でも、絞り出す。玲香さんや望愛さんを助けたこの力で、わたしはわたしにしかできないことをやりたいんだ。
「『魔力浄化』……ッ!!」
桜色の輝きが、暗い収容所を白昼のように照らした。一人、二人。わたしの手が触れるたびに、死を待つだけだった彼らの中から毒が抜け、安らかな寝息へと変わっていく。
「……優奈、もうやめるんだ! 君の顔色は真っ白だ、これ以上は――」
「だめ……です。まだ、あそこに……っ」
視界が明滅する。心臓が、早鐘を打つように苦しい。けれど、わたしは止まらなかった。最後の一人の浄化を終えた瞬間。「……ありがとう……」という、誰かの掠れた感謝の声が聞こえた気がした。周囲には、目覚めた探索者達が呆然と、そして涙を流しながらわたしを見つめている。いつの間にか来ていたSECTの隊員達も、本来なら処分するはずだった対象が目の前で救われていく様子に、銃を握る手を下ろしていた。
「……よかっ……た」
安堵が胸を満たした瞬間、張り詰めていた糸がぷつりと切れた。膝から力が抜け、重力に身を任せるようにわたしの体は倒れ込む。
「優奈!!」
「優奈さん!!」
玲香さんと望愛さんの、悲鳴のような呼声。二人の腕が同時に私を受け止める感覚を最後に、わたしの意識は深い、深い眠りの中へと落ちていった。
◇◇◇
目が覚めると、そこは見慣れた天井だった。玲香さんのマンション。最高級のベッドの柔らかさが、わたしの傷ついた体を優しく受け止めている。窓の外は、すでに夕闇が街を包み始めていた。
「……気がついたかい」
傍らで、低い、けれど震える声がした。見れば、玲香さんが椅子をベッドに寄せ、わたしの手を握ったまま座っていた。彼女の髪は少し乱れ、その瞳の周囲は少し赤く腫れ、深い疲労が滲んでいる。
「玲香、さん……わたし」
「あんな無茶な魔力の使い方をして……馬鹿な子だ。君がいなくなったら、私は……」
玲香さんが私の手を、自分の頬に押し当てる。その手が、ひどく冷たくて、けれど頬からは確かな熱を感じた。
「ごめんなさい、心配かけて。でも、みんなを助けられてよかった……」
「……君はいつもそうだ。自分のことよりも、誰かのために命を削る」
玲香さんは自嘲するように笑うと、ふっと視線を落とした。部屋を支配する静寂の中で、彼女がぽつりと、懺悔するように言葉を漏らした。
「優奈。……謝らなければならないことがある」
「え……?」
「私がずっと言っていた、副作用のことだ」
玲香さんはわたしの手を離さないまま、苦しげに言葉を続ける。
「……最初は確かにあった。君の魔力を受けた後、身体が疼き、君に触れたくて仕方がなくなる感覚。……でも、それはいつからか、スキルのせいだけではなくなっていた」
玲香さんの瞳が、真っ直ぐにわたしを捉える。そこには、Sランク探索者としての威厳など微塵もない、ただ一人の悩める女性の顔が現れた。
「私は、嘘をついていた。副作用を口実にすれば、君を私の側に縛り付けられると思った。君に触れ、抱きしめる正当な理由が欲しかったんだ。……私は、君の優しさを利用したんだよ、優奈」
衝撃だった。あんなに理性的で、気高かった玲香さんが。私を独占したいがために、そんな可愛い嘘を吐き続けていたなんて。
「……副作用がなくても、私は君を求めている。魔力なんて関係ない。君がそこにいて、笑ってくれるだけで、私は狂いそうになるんだ。……これが、私の本当の気持ち。君を好きになってしまった副作用だ」
玲香さんがベッドに膝をつき、わたしに真剣な眼差しを向ける。
「優奈。……ビジネスパートナーとしてではなく、ただ一人の女性として、君を愛している。君の隣に、一生私だけを置いてくれないか」
三層で離れ離れになった時、わたしも思い知った。玲香さんがいない世界は、あんなに寒くて、寂しい。そして、玲香さんの告白に、あまりの嬉しさに心が震えている。今まで自覚していなかったのだ。わたしはこんなにも玲香さんのことを好きになっていたことに。わたしは、腕を彼女の首に回して答える。
「……わたしも、玲香さんのことが大好きです。嘘をつかなくたって……わたしは、どこにも行きません」
「優奈……っ」
目を瞑り、彼女の唇を受け入れる。互いの想いを確認し合う、甘くて、溶けるような口づけ。わたし達はようやく、契約という鎖を解いて、本当の恋人になったのだ。
「玲香さん……。好きです……、えへへ」
「私もだよ。優奈……」
何だかこそばゆくて、わたしは彼女の胸に顔を埋めた。玲香さんは優しく包み込むように抱く。すっきりとしたミントの匂い。ドキドキしたこの匂いも、今ではすごく落ち着く。彼女の腕の中で、上目遣いで見つめる。心の奥から暖かい気持ちと、そしてもっと彼女と繋がりたいという欲求が溢れ出る。
「キス……、したいです」
彼女の頬に両手を添えて、熱い視線を絡ませる。彼女のアクアマリンの瞳に吸い込まれるように、わたしは顔を近づけた。
「優奈……」
玲香さんと心が通じ合えたことが嬉しくて。世界にはわたしと玲香さんだけしかいなかった。このまま身も心も玲香さんと一つになれる。そうなるはずだった。突然、ノックの音もなしに開けられた扉が、わたし達の甘い世界を破壊した。
「お熱いところ、申し訳ないわね。玲香さん」
部屋の入り口に立っていたのは、望愛さんだった。彼女は片手にコップと水差しが置かれたトレイを持ちながら、氷のような冷たい瞳でわたし達を射抜いている。
「望愛さん!? どうしてここに……」
「優奈さんに何かあるかもしれないから、護衛としてここにいさせてもらっていたの。それに、……優奈さんの看病は、私にも権利があるしね」
望愛さんは玲香さんの殺気立つ視線を平然と受け流し、わたしのベッドの反対側に座り込んだ。
「望愛。君に、恋人同士の時間を邪魔する権利はないはずだが?」
玲香さんが、威嚇するように目を細める。
「恋人? ……ええ、そうね。おめでとう。でも、優奈さんは聖女なのよ。玲香さんが一番でもいいけど、特定の誰か一人のものになるには、彼女の光はあまりに大きいわ」
望愛さんはわたしの手を、玲香さんとは反対側から握りしめた。
「私は二番目でも、影でもいい。優奈さんが、私の魔力を浄化してくれないと、私は死んでしまうの。……ねえ、優奈さん。私を、捨てたりしないわよね?」
望愛さんの瞳には、玲香さんとはまた違う、ドロドロとした欲望が渦巻いているように見えた。
「……いい度胸だな。君を凍らせて、二度と優奈の視界に入らないようにしてあげようか」
「やれるものなら、やってみれば?」
バチバチと火花が散る二人。玲香さんと結ばれたはずなのに、わたしの毎日は、前よりもずっと騒がしく、そして、重くなりそうな予感がした。
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