第23話 優奈地上へ
息を切らしながら螺旋階段を駆け上り、ようやく辿り着いた第二層。荒木さん達が周囲を警戒し、道を切り拓いてくれる中、わたし達は最短ルートを無我夢中で駆け抜けた。これまでの強行軍、そして三層での死闘。私の身体はとうに限界を超えていた。鉛のように重い足を動かし続けられたのは、隣を走る望愛さんの手があったからだ。彼女の瞳には、かつての虚無感はない。代わりに、わたしという存在を一時も離さないという、熱を孕んだ決意が宿っていた。探索者達の砦にたどり着き、休むことなく魔導列車へ乗り込む。ガタゴトと揺れる車内、わたし達は言葉もなく、ただ互いの存在を確かめるように肩を並べた。束の間の休息。そしてついに、わたし達は地上へと繋がるゲートへと辿り着く。
「……見えた。ゲートの光」
望愛さんの呟きと共に、紫色の不気味な裂け目に飛び込んだ。肌を撫でる、人工的な空調の風。懐かしい、地上の匂い。帰って来たんだ。ゲートを潜り抜けた瞬間、わたしは真っ先に周囲を見渡した。玲香さんが、今もどこかで戦っている。一刻も早く彼女の元へ行かなければ。そう思って、駆け出そうとした時、ゲート管理スタッフの人と目が合った。彼はわたしの装備と、背後の望愛さんを見て、鋭い声を張り上げた。
「今は緊急事態だ、武器の携行は特別に許可されている! 騒ぎが収まったら速やかに預けろ! いいな!」
「はい、分かりました!!」
懸念していた手続きを叫び声一つでパスし、わたし達は持ち物保管所を突き抜けて商業区画へと躍り出た。いつもなら観光客や探索者でごった返しているはずの広場には、人っ子一人いない。不気味な静寂が、事態の深刻さを物語っていた。施設の出口を飛び出したわたし達の視界に飛び込んできたのは――かつての平和な日常が無惨に崩れ去った、荒れ果てた東京の風景だった。
「……何、これ……」
思わず声が漏れた。目に映るのは、炎と暴力に支配された東京の街。ビルからは黒煙が立ち上り、遠くで爆発音と悲鳴が絶え間なく鳴り響いている。そして、路上の至る所に、全身を赤黒い結晶に覆われた人々が転がっていた。彼らは巨大な鋼鉄製の拘束具で地面に固定され、獣のような咆哮を上げて身をよじっている。
「アストラルブースターの末路ね。……醜い。加恋さんが求めていたのは、こんなゴミ溜めみたいな光景だったの?」
望愛さんが吐き捨てるように言う。彼女の視線の先では、結晶化した暴徒たちの周囲には、特殊装甲に身を包んだ集団が銃を構えて警戒していた。政府直属の特殊部隊、SECT。無力化された元・探索者達をどこかへ移送しようとしているのだろう。あそこまで進行してしまったら、彼らはもう、人間として死ぬのを待つだけなのだろうか。そう思ったわたしは居ても立ってもいられなくなった。
「助けなきゃ……っ!!」
「優奈さん! むやみに近づいたら危ない!」
望愛さんの制止も聞かず、わたしは足を踏み出していた。拘束され、苦しげに喘ぐ男性の元へ駆け寄ろうとした瞬間、SECTの隊員が私を遮った。
「そこの君! 止まれ!!」
「す、すみません。わたしはあの人達を助けたくて……」
詰め寄るわたしに対し、隊員が反射的に銃口を向けた。背筋が凍るような冷たい感触。
「我々は政府からの要請に従い任務を遂行中だ。これ以上、近づくなら任務を妨害したとみなし、君を排除する」
「あ……、えっと……」
権力という巨大な壁を前に、わたしは息を呑む。何を言えばいいか分からない。ただ、目の前で苦しんでいる人を救いたいだけなのに。
「彼女を近づけることすら、叶わないというのですか?」
背後から、凛とした声が響いた。風香さんだ。彼女は荒木さん達と共に駆けつけ、真っ直ぐに隊員を見据えた。
「私は、桜さんに結晶化を治してもらったんです。彼女には、彼らを救う力があります」
「馬鹿を言うな。結晶化の浄化など、現代魔導科学では不可能だ。下がれ!」
隊員の頑なな態度。そこに、望愛さんが一歩前に出た。
「私からもお願い……。結晶化して死にかけていた私を救ってくれたのが、そこにいる桜優奈さん」
「Aランクの深海望愛か。君までそんな与太話を……」
「嘘だと思うなら、私の配信ログを確認して。記録にある私は、全身を結晶に侵食されていたはず。……でも、今の私は、この通り」
望愛さんが優雅に両手を広げ、一片の結晶も残っていない滑らかな肌を見せつけた。SECTの隊員達が動揺し、小声で通信を交わし始める。数秒の後、彼らは軽く頷いた。
「……分かった。短時間だけ許可する。ただし、不審な動きがあれば即座に排除する」
「ありがとうございます!」
わたしは風香さんと望愛さんに深く感謝し、拘束された探索者達の元へ膝をついた。唸り声を上げ、苦悶に満ちた表情を浮かべる彼ら。一刻も早く癒してあげたい。 わたしは迷うことなく、最も結晶化が進んだ男性の胸に手を当てた。
「『魔力浄化』……!!」
桜色の光が爆発的に広がる。男性の身体を蝕んでいた赤黒い不純物が、春の陽光を浴びた雪のように、さらさらと蒸発していく。
「あ……あぁ……。俺は、一体……」
「大丈夫ですよ。もう、安心してください」
一人、また一人と浄化を繰り返す。周囲を囲む隊員たちの視線が、疑念から驚愕へ、そして未知の力に対する畏怖へと変わっていくのが分かった。膨大な赤黒い魔力の奔流、最初は何ともなかったのに最後の五人目の彼の治療が終わる頃には、わたしの息は上がり、額からは汗が流れ落ちる。赤黒い魔力を吸い取り、浄化する作業は、想像以上に体力を消耗するらしい。
「信じられない……。君は一体……」
SECTの隊員が呆然と呟いた、その時だった。
キィィィィィン……ッ!!
鼓膜を劈くような、鋭く、あまりにも清廉な金属音が街に響き渡った。大気そのものが凍りつくような、絶対的な威圧感。上空から、一筋の銀色の流星がわたしの目の前に降り立った。
「……優奈」
その声を聞いた瞬間、わたしの心臓が大きく跳ねた。土煙の中から現れたのは、氷の霧を纏った――氷室玲香。彼女の瞳は、これまでに見たことがないほど鋭く、そして絶望的なほどに潤んでいた。
「玲香、さん……」
名前を呼ぼうとしたわたしの唇は、強引に塞がれた。玲香さんがわたしを突き飛ばさんばかりの勢いで抱き寄せ、そのまま唇を重ねてきたのだ。
「ん……ぅ、んんっ……!!」
それは治療でも副作用の緩和でもない。ただ、わたしが生きてここにいることを確認するための、むせ返るような執着と愛情に満ちた、存在の再確認。玲香さんの震える手がわたしの背中に回され、折れそうなほど強く抱きしめられる。
「……生きて、いた……。本当に、君なのか……?」
唇を離した玲香さんの頬を、一筋の涙が伝う。あのクールで氷の令嬢と言われている彼女が、大勢の人が見ている前で、子供のように泣いていた。
「玲香さん、ごめんなさい……心配かけて。でも、今は皆がいるので、その……」
わたしも玲香さんの温かさを、存在を最大限確かめたいけど、玲香さんとの再会をわたしも感動したいところだけど、周囲の視線があると流石に……。そう思った矢先、鋭い刃のような声が割り込んだ。
「――そこまでにして。どう見ても優奈さん嫌がっている」
玲香さんの身体が、ピクリと強張る。わたしから身体を離すと、玲香さんはゆっくりと顔を上げ、背後に立つ望愛さんを睨み据えた。別に、わたしは嫌がっているのではなく、恥ずかしいだけなんだけど……。とてもそんなことを言える雰囲気ではなく、玲香さんと望愛さんの間に張りつめた空気が流れる。
「……深海望愛。なぜ貴様が、優奈の隣にいる」
玲香さんの瞳に宿ったのは、かつてないほどの敵意。望愛さんも負けじと、冷酷なコバルトブルーの瞳で玲香さんを見つめ返している。
「私が優奈さんを救ったからよ。……三層に優奈さんを取り残したまま早々に地上に戻った貴方と違って、私はずっと、彼女を守り続けていたの」
「私には地上に平和を取り戻す使命があった。それは優奈が帰ってくる場所を守るため。そもそも、貴様が優奈を道連れにしたのが全ての原因だろう。貴様に優奈の隣にいる資格はない」
「あの事故については謝罪する。でも、結果として貴方は優奈さんを救い上げることができなかった。一緒に奈落へ堕ちる選択もあったはず。けれど、しなかった。貴方は優奈さんを見捨てたのよ」
「貴様……っ、私が一体どんな思いで優奈を……!」
玲香さんの周囲の温度が、一気に氷点下まで下がる。アスファルトが凍りつき、氷の剣が空中に顕現する。
「言葉ならなんとだって言える。優奈さんは、私が守る。貴方のような、嘘つきな令嬢には渡さない……!」
望愛さんが鎖鎌を構え、殺気を放つ。二つの巨大な感情が激突し、火花が散る。放っておけば、本当にここで殺し合いを始めてしまいかねない。どちらも大切な人で、どちらもわたしを助けてくれた人。わたしは彼女達の間に割って入った。
「……玲香さん、望愛さん! やめてください!!」
「優奈……下がっていろ。そいつを擁護する必要はない」
「優奈さん。……貴方は、どちらの隣にいたいの?」
二人の瞳が、同時にわたしを捉える。え? 待って、それ、今答えないといけないやつなの!? ここはわたしの申し出に一旦休戦するのが流れじゃないの。絶体絶命の修羅場の中、救いの手が、予想もしないところから差し伸べられた。
『お取り込み中申し訳ないけど、玲香? そんなことをやっている時間はあるのかい?』
「その声、寧琉ちゃん?」
『やぁ、優奈君。元気そうで何より。さて、詳細は省くけど、玲香は神崎を捕らえるためあるところを目指している最中だったんだよね』
「神崎さんを、捕らえる?」
「今回の事件を私達のせいにされたからな。あいつを捕まえ全ての責任を取らせる必要がある。優奈、君は安全なところに避難してくれ」
「何言っているんですか! わたしも行きます!」
「ダメだ! 何が起きるか分からないんだぞ!」
『はいはい、もうそういうのはいいから。優奈君がいなかったら、君はどうやって全力でスキルを使うつもりなんだい? 何が起きるか分からないなら、万全を期すべきだろう』
寧琉ちゃんの正論に、玲香さんは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。
「くっ……。背に腹は代えられない。優奈、一緒に来てくれ」
「はい! 勿論です!」
荒木さんやSECTにこの場の収拾を任せ、わたし達は駆け出す。そこに、もう一人が並走してきた。
「私も行くわ……」
「望愛さん! いいんですか?」
「優奈さんを守るのが私の役目。どんなことがあっても貴方を守らせて。……誰かさんみたいに、手を離したりしないから」
「ついて来るのは勝手だが、貴様がどんなにピンチになろうが一切手は貸さないからな」
「ええ……。助けてもらえるなんて期待していないし、必要もないわ。私、強いから」
「ふん、Aランク風情が良く吠える。……行くぞ、優奈」
嫌味な言葉に反して、玲香さんは不敵な笑みを浮かべた。その表情には、口では認めないものの、望愛さんの実力を認め、ライバルとして受け入れたような戦友の気配があった。そうしてわたし達三人は、元凶である神崎さんが待ち受ける最終決戦の地へと向けて、街を駆け抜けるのであった。
この作品・続きにご興味をお持ち頂けましたら、下の☆☆☆☆☆をクリックして頂けると執筆の励みになります。よろしくお願いいたします。




