第21話 合流
静寂が支配する第三層白亜の砂丘。朽ちたビルの窓辺で、わたしは頭の中で秒数を数えていた。一、二、三……。望愛さんが三十分だけと言って眠りについてから、正確に千八百秒。
「……望愛さん、時間だよ。起きて」
声をかけた瞬間、彼女の瞼が弾かれたように開いた。寝起きの気だるさなど微塵も感じさせない、鋭いコバルトブルーの瞳。彼女は短く「ん……」と声を漏らし、しなやかな動作で立ち上がると、軽く背伸びをした。
「よく寝た……。タオルケット、温かかった。ありがとう、優奈さん」
わずか三十分。わたしなら寝返りを一回打っただけで終わってしまうような時間だけど、彼女の血色は驚くほど良くなっていた。Aランク探索者の身体機能と、わたしの魔力譲渡の相乗効果だろうか。タオルケットを畳んでリュックに仕舞い、二層へと続く螺旋階段を目指して、わたし達は再び白い砂漠へと踏み出した。そこからの道中、望愛さんの様子は激変していた。
「優奈さん、足元が崩れやすくなってる。……危ないから、私の腕を掴んでいて」
「あ、ありがとうございます……」
「いいえ。……本当は、私が抱いて移動するのが一番効率的なんだけど。……ダメ?」
「い、いえ! 自分で歩けるから大丈夫です!」
とにかく、過保護なのだ。砂からモンスターの気配が微かにしただけで、彼女は私の前に立ちはだかり、苛烈な連撃で瞬殺してしまう。しかも、一匹倒すたびに彼女はわたしを振り返り、真剣な顔で聞いてくるのだ。
「……今の私の戦い、どうだった? 玲香さんなら、もっと早く倒せた?」
「えっ、ええと……玲香さんも凄いけど、今の望愛さんも凄かったよ!」
「そう。……彼女は確かに強いけれど、今の私には優奈さんの魔力が満ちている。……正直、負けるつもりはないわ。……ねえ、優奈さん。玲香さんと比べて、私は役に立ててる?」
重い……。質問の意図が玲香さんへの対抗意識剥き出しで、わたしは愛想笑いを浮かべて「も、もちろんです!」と返すしかなかった。望愛さんの瞳には、加恋さんに向けられていた依存が、より純粋で、より執着の強い忠誠のような形に変質して刻まれている気がした。そう思うのは考え過ぎじゃないよね。これ、玲香さんと会わせたら、一体どうなっちゃうんだろう……。
数時間の強行軍の末、わたし達はついに第二層へと繋がる巨大な螺旋階段の入り口へと辿り着いた。人工的な構造物が見えてホッとしたのも束の間、上層から複数の足音が響いてくる。
「っ、優奈さん、下がって!」
望愛さんが瞬時に鎖鎌を構え、殺気を放つ。階段の上から現れたのは、フル装備の探索者達の集団だった。
「――桜!? 無事だったのか!」
先頭に立っていたのは、荒木さんだった。その後ろには風香さんや、彼らのパーティーメンバー達が続いている。荒木さん達は、こちらを庇うように立つ望愛さんの姿を見て、一気に表情を険しくした。
「……深海望愛! なぜお前がここに……!」
「あ、待ってください! 荒木さん、彼女とは協力関係にあるんです! わたし、彼女に命を救われたんです!」
わたしが慌てて二人の間に割って入り、これまでの経緯を説明した。加恋さんに切り捨てられたこと、わたしが彼女を浄化したこと、そして二人で三層を生き延びたこと。荒木さんは信じられないといった様子で、望愛さんとわたしを交互に見た後、ようやく武器を下ろした。
「……そうか。桜、会って早々で悪いが聞いてくれ。地上は今、パニックに陥っている。そして、氷室さんは最前線で今も戦い続けている」
「玲香さんが戦っている……? 一体、どういうことなんですか?」
わたしの問いに、荒木さんは真剣な表情で口を開いた。彼から語られた地上の現状は、わたしの想像を遥かに超える地獄だった。荒木さんは、自分達が持ってきたアルマを起動し、ネットワークに接続してくれた。空中に投影されたホログラムディスプレイ。そこに映し出されていたのは、見慣れた東京の街並みが、不気味な紫色の輝きに包まれている光景だった。
「アストラブースターの副作用が、一気に臨界点を突破したんだ。ブースターを常用していた探索者達が、街中で同時に結晶化を開始した。理性を失い、破壊衝動に突き動かされる結晶化した暴徒。……都市機能は麻痺し、政府は非常事態宣言を出した」
画面には、ニュース映像やSNSの投稿動画が次々と流れる。泣き叫ぶ人々。暴れ回る、皮膚を赤黒い結晶に覆われたかつての英雄達。そして、その混乱の元凶として――。
『――現在、アークライトインダストリーの神崎CEOは、今回の汚染源が氷室玲香氏および桜優奈氏の持ち込んだ変異体であると断定。政府に対し、両名の拘束と責任追及を強く求めています』
ニュースキャスターの無機質な声に、わたしの血の気が引いていく。神崎さん。あの人は、どこまで汚いことを……。
「氷室さんは今、政府からの強制執行命令を受けて、暴徒の鎮圧と、身の潔白を証明するために一人で戦っている。……神崎を捕まえるために、アークライト本社へ向かったらしい」
画面が切り替わり、ヘリからの空撮映像が映し出された。立ち並ぶ高層ビルの間。一帯を白銀の氷で凍てつかせ、押し寄せる結晶化した暴徒を沈黙させていく、一人の女性の姿。氷室玲香。その姿はあまりにも美しく、そしてあまりにも孤独だった。彼女が放つ冷気は、怒りそのもののように見えた。
「……玲香さん」
「優奈さんの力がなきゃ、あの暴徒化した連中は救えないわ。氷室さんも、桜さんが戻ってくるまで、自分一人で泥を被るつもりだと思うの。……行こう、優奈さん。あなたを待ってる人が、地上にいる」
風香さんの言葉に、わたしは強く拳を握りしめた。怖い。神崎さんの策略も、押し寄せる怪物達も。わたしの浄化の力が通用しないかもしれない。でも、玲香さんが一人で戦っているのに、わたしがここで震えているわけにはいかない。
「わたし、みんなを助けたい。玲香さんのところへ、帰らなきゃ」
わたしの言葉に、隣の望愛さんが静かに決然とした声で応えた。
「……ええ。行きましょう、優奈さん。……貴方を汚す全ての不純物は、私が沈めてあげるわ」
彼女の瞳に宿る、異常なまでの熱量。わたし達は荒木さんたちと共に、地獄と化した地上へと向けて、螺旋の階段を駆け上がり始めた。玲香さん。待っていて。今度こそ、わたしが助ける番だから。
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