第20話 望愛の渇望
「……っ、ふ……あ……」
うん……? 耳元で、湿った吐息が聞こえた気がして、わたしは微かに目を開けた。意識が混濁している。交代の時間だろうか。けれど、体に感じる重みが、それを否定していた。目を見開いて視界に飛び込んできたのは、望愛さんの顔だった。彼女は馬乗りになり、両手をついてわたしを覗き込んでいたのだ。
「はぁ、はぁ……っ、優奈、さん……」
荒い呼吸。潤んだ瞳。その瞳孔は異常なほどに開き、熱に浮かされた捕食者のような視線がわたしを射抜いている。この目には、見覚えがある。玲香さんが副作用に耐えかね、わたしを求めてくる時の、あの飢えた目だ。
「望愛、さん……? 苦しいの……?」
「優奈さん……私、変なの。胸の奥が焼けるみたいに熱くて……貴方に触れたくて……どうにかなってしまいそうなの」
震える声で、彼女が縋るように訴える。ごめんね、と胸の内で謝罪した。わたしのスキルを受けたことで、彼女もまた、わたしなしではいられない体質に書き換えられてしまったのだ。
「いいよ、望愛さん……。したいようにして……」
わたしが言い切る前に、望愛さんは耐えきれないといった様子で、唇を塞いできた。
「ん……むっ!?」
それは玲香さんの洗練されたキスとは違う、荒削りで、どこか必死な口づけだった。何度も、何度も角度を変えて唇を押し付け、わたしの存在を確かめるように貪る。銀糸を引いて一度唇が離れた瞬間、望愛さんの瞳に完全に理性の光が消えるのが分かった。
「はぁ、はぁ……、あ……ん……っ」
再び唇を押し付けられ、今度は深い場所まで蹂躙される。望愛さんの舌が、戸惑うわたしの口内をまさぐるように動き回った。普段の彼女からは想像もつかないほど大胆で、いやらしいキス。これは治療行為のはずなのに、何だか変な気持ちになってくる。淫らな水音が静まり返った廃ビルに生々しく響き渡る。
「優奈さん……優奈さん……っ♡」
絡め合った指先が、痛いほどに強く握られる。首筋に顔を埋められ、鼻腔をくすぐる彼女の匂い――柑橘系の香りに混ざった、どこか焦燥を感じさせる甘い残り香。甘美な刺激が全身を駆け抜け、頭の中がグニャリと蕩けていく。
「あ……そこ、だめぇ……っ」
首筋の柔らかな皮膚を、熱い唇が吸い上げる。強く吸い込まれるたびに、お腹の奥がキュンと疼いて、わたしは無意識に足を擦り合わせてしまった。
「ゆうなふぁん、もっと、ほへをきかへて……っ」
「ああっ……! そんな、強くしたら……、んんっ」
甘噛みされ、鎖骨のあたりにまで彼女の熱が広がっていく。逃げたいのに、快感のせいで力が入らない。わたしはただ、彼女の激しい愛撫を全身で享受するしかなかった。どのくらいの時間が経っただろうか。望愛さんが顔を上げ、震える手でわたしの服に手をかけた。
「え……? 望愛さん、なにを……」
「貴方の……全てが知りたいの……」
抗う間もなかった。上着がはだけ、生暖かい空気が肌を撫でる。下着が露わになり、無防備な胸元が彼女の視線に晒される。望愛さんの手がゆっくりと、胸へと伸びてくる。
嘘……玲香さんとも、ここまでやってないのに……!
羞恥心で死んでしまいそうだった。わたしはギュッと目を瞑り、その瞬間が来るのを待った。このまま、彼女にすべてを奪われてしまう。パニックで思考がショートしかけた――その時。体に感じていた重みが、不意に消えた。
「……っ!?」
恐る恐る目を開けると、そこには自分の両手を見つめ、ガタガタと震えている望愛さんの姿があった。副作用によるトランス状態が解け、正気に戻ったのだ。
「え、えっと……。落ち着いた?」
わたしが上着を整えながら遠慮がちに尋ねると、望愛さんは弾かれたように後ろへ飛び退き、壁に背を打ち付けた。
「わ、私……私は……っ!」
彼女の顔はみるみるうちに蒼白になり、絶望に染まっていく。
「こんなことする、つもりじゃ……。どうしよう、どうしよう! 貴方を、こんな……っ。ごめんなさい、ごめんなさい! 嫌わないで、どうか、私を嫌わないで……!」
錯乱し、涙を流しながら床に頭を擦り付けようとする彼女を見て、わたしはたまらず駆け寄った。
「望愛さん、落ち着いて! これはわたしのせいなんです! わたしのスキルを受けると、そいう風になっちゃうんです!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
涙を流しながら、謝罪を続ける。ダメだ、全く聞いていない。うぅぅ~、こうなれば。わたしは彼女の頬を両手で挟み込み、無理やり自分の方を向かせた。コバルトブルーの瞳に溢れる涙。不謹慎にも美しいと思ってしまったその顔に、わたしはお返しのように優しく唇を重ねた。
「……あ」
唇を離すと、望愛さんは放心したように口を半開きにしたまま固まった。
「落ち着いたかな?」
「……ええ。……多分」
ようやく会話ができる状態になった彼女に、わたしはこの奇妙な現象の正体を語り始めた。自分の魔力が、相手に副作用として強烈な執着を引き起こしてしまうこと。これは玲香さんにも起きている、避けられない事象であること。
「だから、さっきのは事故みたいなもので、望愛さんは何も悪くないの。むしろ、悪いのはわたし。説明してなかったし、望愛さんを副作用で苦しめてしまった。ごめんなさい」
「そう、だったのね……」
望愛さんは納得したように、自分の首筋に触れた。そこには、先ほどまでわたしにつけていたのと同じような、激しい感情の痕跡が残っている気がしたのかもしれない。
「ちなみに、玲香さんとも……さっきのようなことを、定期的に?」
「あ、えーと……うん。配信でベタベタしてるのも、実は副作用を抑えるためなんだ。そうしないと、玲香さん、もっと大変なことになっちゃうから……」
「そう……」
望愛さんが、ふいっと顔を逸らした。その横顔に、一瞬だけ暗い火が灯ったように見えたのは、私の気のせいだろうか。
「少し、休む。三十分くらい経ったら、起こして」
「え! そんな短くて大丈夫なの? 二層から戦い通しなのに……」
「ふふ……。私はAランク探索者よ? 数日徹夜しても問題ない体になってる。……優奈さんに魔力をもらったから、今はむしろ、溢れるくらい力があるよ」
「そうなんだぁ。やっぱり、望愛さんすごいなぁ」
「そういうことだから、心配しないで。それじゃ、おやすみ」
彼女はそう言って、壁に背を預けたまま、吸い込まれるように深い眠りについた。静かになったビルの中で、わたしは自分の首筋に残る熱を指でなぞった。玲香さん。わたしを救出するために地上で必死に走り回っているに違いない。そんな彼女が今のこの状況を知ったら――。うん、考えないようにしよう。今は、とにかく生き残って帰るのが先決だもんね。わたしは眠る望愛さんの肩にタオルケットを掛けてから、再び監視のために窓の外へと目を向けた。
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