第2話 氷獄
「お前! 勝手に……」
神崎さんが叫ぶより早く、玲香さんの姿が掻き消えた。ドンッ! という衝撃音だけが置き去りにされる。一直線に走り抜ける彼女はまるで彗星の如く。とてもじゃないけど目では追いきれない速度。銀の軌跡がドールの群れを貫通し、次の瞬間には数体のマネキンが粉々に砕け散っていた。
「すごい……」
それは蹂躙だった。彼女が剣を一閃させるたび、無機質なドールのパーツが花吹雪のように舞い散る。圧倒的な暴力なのに、舞踏のように美しい。これが、Sランク探索者。玲香さんがあまりにも簡単に倒してしまうので、敵が動かないマネキンのようにしか見えない。
「よく見ろ。囲まれている。調子に乗って前へ出過ぎだ」
神崎さんが苦虫を嚙み潰したような顔になる。確かに玲香さんは圧倒的だけど、敵の数が多すぎる。アルマの俯瞰映像には、玲香さんがドール軍団の中央に取り残されている状況が映し出されていた。三百体以上のドールが彼女を押し潰そうとひしめき合っている。いくらドールが低級モンスターだとしても、その能力は成人男性の運動能力を軽く凌駕しているのだ。これでは逃げることができないし、四方八方から攻撃され放題だ。Sランクの玲香さんでも凌ぐのは厳しいはず。
「チッ、これだから単騎特化型は扱いにくいんだよ! 援護するぞ!」
神崎さんが銃型の魔導具を構えた、その時だ。背筋が凍るような冷気が、戦場を支配した。
「――『氷獄の風』」
玲香さんが静かに呟くと、一陣の突風が吹き荒れた。瞬間、世界が色を失った。彼女を中心とした半径五十メートルが一瞬にして凍りつき、ドールも、地面の結晶も、後方に控えていた変異体さえも、白銀の霜に覆われる。時が止まったような静寂。儚く美しいとさえ感じるほどの光景に、まるで絵画を見ているような気持ちになる。そして、凍りついた数百体のドールが一斉に砕け散った。
『うおおおおおおお!!』
『氷雪系最強スキル『氷獄』キターーーー!!』
『原理はモンスターの身体ごと周囲の魔力を凝結して魔力供給を遮断。モンスターの生命活動を停止させるんだっけ』
『コメ欄に学者がおるのだが』
戦いに集中してたから余裕がなかったけど、気づいたらコメント欄が爆速で流れている。窮地だと思っていたのに、それを一発で逆転しちゃうんだもん。皆が興奮するのもすごく分かる。やっぱ、玲香さん凄すぎるー! わたし達も、画面の向こうの視聴者も、誰もが彼女の勝利を確信した。
「ふん、派手にやったな」
神崎さんがぶっきらぼうにそんなことを言う。さっきまで、慌てていたのが嘘のようだ。
「……まだ終わってない」
彼女の鋭い視線の先。砕け散ったドールの残骸の奥に、あの『赤色』の変異体が立っていた。他のドールがバラバラになったのに、あいつだけは彫像のように立っている。表面は凍りついているのに、内側から煮えたぎるような紅蓮の光が揺らいでいる。
「お前のスキルが直撃したんだろ? もう、大丈夫だろ」
神崎さんが事も無げに言った。嫌な予感がする。そして、予感が的中するようにパキンッ、と硬質な音が響いた。
「~~~~~~~!!??」
耳をつんざくような音と同時に、変異体を覆っていた氷が弾け飛ぶ。死んでなどいなかった。その殺意はむしろ膨れ上がっているように見える。変異体が両手を大きく振り上げたと思ったら、赤い影が爆発的な加速で玲香さんに肉薄する。
「伏せて!!」
赤色の影が目の前にいた。玲香さんの叫びと同時に、悪魔のような手が振り下ろされる。
「あ……」
「くっ!!」
玲香さんが巨大な鍵爪を剣で受け止める。そんな細腕のどこに力があるのだろうか。彼女の足元が陥没し、敵が繰り出した一撃の重さを物語っている。それでも、玲香さんは一歩も引かない。
「早く離れて!!」
「は、はいぃぃ!」
ここにいるのは邪魔にしかならない。わたしは転がるように距離を取るしかなかった。そこから先は、次元の違う戦いだった。凄まじい高速戦闘が繰り広げられ、変異体の一撃は地面を砕き、玲香さんの剣戟は空気を裂く。彼女は紙一重で攻撃を躱し、カウンターを叩き込んでいる。持ち前の速さで変異体を翻弄し、敵の必殺級の攻撃を掻いくぐり的確にダメージを与えていく。これがSランクの実力。この場にいる誰もが彼女の戦闘に参加する素振りを見せない。自分達が足手まといになることを理解していると同時に、玲香さんが勝つと信じているのだ。実際、誰が見ても玲香さんが優勢だ。けれど、何かがおかしい。ずっと彼女の配信を見てきたわたしには、違和感があった。いつもなら、もっと流れるように動くはずだ。なのに、今の玲香さんは動きが硬い。まるで、目に見えない重りを背負っているような……。
「まずいな……。ガス欠か?」
神崎さんが冷徹に呟く。その言葉を裏付けるように、玲香さんが大きく体勢を崩した。回避が遅れる。変異体の裏拳が、彼女のお腹を直撃した。
「がはっ……!」
玲香さんの身体が吹き飛ばされ、地面を削りながら後退する。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
彼女は片膝をつき、心臓を鷲掴みにするように胸を押さえていた。苦しそうに肩で息をしている。その顔は蒼白で、見ているだけで痛々しい。どうしたんだろう。いつも余裕の態度を崩さない彼女がこんなにも辛そうな表情をするなんて。それにいつもならスキルを使うのに、その素振りがない。
「撤退だ」
神崎さんの指示と同時に、プツン、と視界の配信映像が途切れた。 唐突な配信停止。
「ちょっと待ってください。玲香さんを置いていくんですか……?」
「そうだ。万全の氷室が勝てない相手に、俺達が勝てるわけがない。全滅する前に損切りする」
「そ、そんな……! だって彼女のおかげで、わたし達は助かっているわけで」
「なら、お前が戦って時間を稼ぐか?」
「え……?」
神崎さんの冷酷な瞳がわたしを射抜く。
「まさか戦えませーんって言わないよなぁ? 今まで散々、他人の成果に寄生して生きてきたんだ。最後くらい役に立ったらどうだ?」
「あ、えと……」
「戦う気概もない寄生虫野郎。それがお前だ。分かったらとっと逃げる準備しろ」
息が詰まる。神崎さんの目を見れなかった。まるで、わたしの心を見透かされたようで。弱いことは仕方がないって諦めていた。だから、他人に頼るしかなかった。皆に馬鹿にされながらも笑顔で媚びへつらっているわたしはなんて惨めなんだろう。神崎さん達は迷いなく背を向け、ゲートの方角へ走り去っていく。わたしはその場にただ立ち尽くす。足が震える。怖い。逃げたい。でも……。視線の先。土煙の中で、玲香さんが必死に立ち上がろうとしていた。あんなに強く、気高く、わたしの憧れだった人が、泥まみれになって死にかけている。これを見捨てて逃げたら、わたしは本当に……一生、自分を許せなくなる。
「ぐっ!」
相手の攻撃を受けた玲香さん。距離にして数十メートルは飛んだかもしれない。灰色の大地を転がりながら、やっと動きが止まる。
「あぁもう! わたしのバカ!!」
背負っていたリュックサックを投げ捨て、神崎さんとは逆方向へ――死地へ向かって駆け出した。
「玲香さん!!」
剣を地面に突き刺し、玲香さんは片膝を着いたままだ。
「……ッ、なぜ戻ってきた」
駆け寄るわたしを見て、玲香さんが目を見開く。近くで見ると、彼女の状態は深刻だった。肌のあちこちに赤黒いヒビのような紋様が浮かび上がっている。
「あはは……。自分でもよく分からないです」
「寝ぼけたことを。……恐らく、わたしはあいつに勝てない。ここにいたら間違いなく死ぬぞ」
「それでいいです。だから、わたしが囮になるのでその隙にどうか逃げてください」
「なっ! 何を馬鹿なことを!」
「わたしにはこれくらいしか役に立てませんから」
これが、惨めなわたしの罪滅ぼしだ。こんな自分でも役に立つことができたんだって……。推しの役に立って死ねるなら本望。……いや、本当は死にたくないけど! 後顧の憂いがあるとすれば、果たしてわたしがどのくらいあいつの注意を、引き付けられるかだけだ。玲香さんが逃げるだけの時間は稼ぎたいけども……。正直、三秒で死ねる自信はある。
「ふざけるな!」
玲香さんがわたしの腕を掴んだ。その手は、凍えるほど冷たい。
「私を庇って誰かが死んだなんてことになったら、私のプライドが許さない。……逃げるなら、君だ」
「で、でも……!」
言い争っている猶予はない。ズシン、ズシン、と地面を揺らしながら、赤い死神が迫ってくる。玲香さんは剣を杖にして立ち上がるも、その足は限界を迎えて震えていた。もう、戦う力なんて残っていない。魔力さえあれば。彼女にもっと、魔力があれば……。
魔力? わたしのスキルは魔力譲渡。モバイルバッテリーと馬鹿にされた、微量の魔力を渡すだけのゴミスキル。Aランクの魔力タンクを一パーセント回復させるのがやっとの、役立たずの能力。でも。空っぽになった今の玲香さんになら、この『1』が届くかもしれない。
「玲香さん、わたしの魔力受け取ってください!」
「え? ちょっ、何を――」
わたしは拒絶される前に、彼女の冷たい体を強く抱きしめた。心臓の音が聞こえるほどの密着。わたしの命そのものを流し込むつもりで、スキルを発動する。
「――『魔力譲渡』っっ!!」
ドクンッ。
わたしの心臓が大きく跳ねた。いつもの感覚とは違う。蛇口をひねるような感覚じゃない。わたしの中にある熱いものが、大きな奔流となって玲香さんの体へ吸い込まれていく。
「ぁ……っ!?」
玲香さんの喉から、艶っぽい吐息が漏れた。わたし達が触れ合っている場所から、カッと熱い光が溢れ出す。視界を埋め尽くすほどの、鮮やかな桜色の光が弾けた。光は結晶のようにキラキラと光を乱反射させ、神秘的な雰囲気に包まれる。
「なに、これ……。熱い……すごい勢いで、魔力が……」
玲香さんの瞳孔が開く。彼女の肌に浮かんでいたヒビが、桜色の光に満たされて消えていく。魔力が枯渇していたはずの彼女の体が、内側から発光しているように見えた。
「玲香さん! 前!」
光に反応した変異体が、目前まで迫っていた。真っ赤な鍵爪が振り上げられる。もう避けられない。死はもうすぐそこだ。わたしは反射的に玲香さんを庇うように強く抱きしめ、目を閉じた。高く、澄んだ音が響いた。痛みは来ない。恐る恐る目を開けると――目の前に、巨大な氷壁がそびえ立っていた。変異体の爪は、壁に阻まれて止まっている。
「……すごい。体が、軽い」
わたしの腕の中で、玲香さんが恍惚とした表情で呟いた。彼女はわたしの腰を抱き寄せたまま、空いている手で剣を構える。その刀身は、美しい桜色のオーラを纏っていた。
「優菜。少しだけ、じっとしていて」
名前、呼ばれた。そう認識する間もなく、玲香さんが剣を振るった。一閃。今までのどの攻撃よりも速く、鋭く、そして美しい一撃。
パリンッ――。
変異体の巨体が、斜めにずれた。そして、サラサラと光の粒子になって崩れ去った。
「勝ったの?」
「私達の勝利だ」
玲香さんが、ふわりと微笑んだ。その笑顔があまりに綺麗で、わたしは緊張の糸が切れたようにへたり込んだ。
「よ、よかっ……うわぁぁぁぁぁん!! 死ぬかと思ったぁぁぁぁ!!」
「ちょ、ちょっと、泣くな! こんな時、どうすれば……」
今まで必死に抑えていたなにかが濁流のように溢れてくる。嗚咽が、涙が止まらない。生き残れた。それだけで、こんなにも嬉しいなんて。生きてて本当に良かった。みっともなく泣きじゃくるわたしを見て、氷の令嬢はオロオロと困ったように背中をさすってくれるのだった。ひとしきり泣いてしまったけど、めちゃくちゃ恥ずかしい……。隣には推しの玲香さんが今も心配そうな表情で、覗き込むように顔を近づけているのだ。こんな鼻水と涙でぐしゃぐしゃの泣き顔を見られるなんて。うぅぅ~、羞恥心で死にたくなる。
「落ち着いたか?」
「な、なんとか……」
恥ずかしすぎて俯きながら答える。裾でゴシゴシと顔を拭い、羞恥の底から脱出するように立ち上がろうとすると。ふわり、と。玲香さんの腕が、わたしの腰に回された。そのまま軽く引き寄せられると、凛としたミントの香りが鼻孔をくすぐる。玲香さんの匂いって爽やかで良い匂い。って! 何を堪能しているの! わたし。我に返って、戸惑いながら見上げると、そこには頬を朱色に染めながら、どこか甘い瞳でわたしを見つめる玲香さんがいた。
「えっと……。少し、近い気がするような……?」
「うん? あ……! こ、これは……すまない!」
玲香さんは目を白黒させ、飛び跳ねるように距離を取った。何だか気まずい。さっきまでの共闘が嘘のような、むず痒い沈黙。微妙な空気……。無理やりにでも雰囲気を変えたい。
「えっと、あ! 見てください。これ、変異体の魔石ですよね?」
わたしは慌てて灰色の大地に転がっていた結晶を持ち上げた。深紅の結晶には白い筋が血管のように張り巡らされていた。通常の魔石とは大分色も形状も違うけど、落ちていた場所的に変異体のだよね。
「そうだと思う」
「これ、なんか霜降りステーキに似てますね」
わたしがそう言うと、玲香さんが目を丸くした。
「ふふ、そうかもしれないな。あんな死闘の後で、食べ物のことを考えるなんて。君は面白いな」
玲香さんが手を口元に添えながら上品に笑う。その笑顔を見て、わたしの頬も自然と緩んだ。ちょっと、はしたなかったかな。でも、彼女が笑ってくれたなら、まあいっか。
「というか、こんなところで話している場合じゃなかった。早く戻らないと」
ここがダンジョンの中だということをすっかり忘れていた。いつ敵が襲ってくるか分からないのに、迂闊すぎだよね。わたしは魔石をリュックサックに大事に詰め込んでから、玲香さんと並んで、駆け足で来た道を戻るのだった。
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