第17話 落ちた先
暗闇の中を自由落下していく恐怖。激しい風が服を叩き、吹き上がる髪が視界を遮る。
「きゃああああ!!」
喉が裂けるような絶叫を上げながら、わたしは奈落の底へと堕ちていく。死ぬ。そう確信した瞬間、真下に光が見え始めた。それは瞬く間に広がり、わたしを飲み込む。そこは、夕焼け色の空、正確には夕日を閉じ込めたような結晶に支配された、終わりの世界だった。眼下には真っ白な砂漠がどこまでも広がり、朽ち果てた高層ビルが、まるで巨人の墓標のように点々と突き出している。幻想的な光景に目を奪われたのも束の間、地表が恐ろしい速度で迫る。地面はもうすぐそこだ。わたしは死を覚悟して目を瞑った。
――ドプンッ。
え……? 衝撃はない。代わりに、水の中に飛び込んだような感覚。訳が分からず、目を閉じ、息を止め、もがいていると何かがわたしの腰を力強く引き上げた。ザバン、と水面から顔を出すようにして、わたしは白い砂の上へ這い上がった。荒い呼吸を整えながら周囲を見渡す。そこは先ほど空から見た、白亜の砂丘だった。そして、となりには鎖鎌を手にした望愛さんが仰向けに倒れていた。彼女が放ったであろう鎖鎌の先は、近くの廃ビルに深く突き刺さっている。
望愛さんのスキル……地面を水のように扱う潜行で、衝撃を殺してくれたんだ。あの水の中に入る感覚は望愛さんのスキルに違いない。そして、鎖鎌で引っ張り上げられて今に至ると。敵だったはずの彼女に救われた事実に困惑するけど、彼女の状態を見てそんな思考は吹き飛んだ。望愛さんは、文字通り虫の息だった。虚ろな瞳は焦点が合わず、鼻からは真っ黒な結晶混じりの血が流れている。体中から突き出した赤黒い結晶は見るも無惨で、その根元からは鮮血が滲んでいた。
「望愛さん! しっかりして!」
さっきまでの命のやり取りなんてどうでもよかった。ボロボロになってしまった彼女をすぐにでも癒してあげたかった。わたしは祈るように彼女の手を握り、スキルを発動する。
「『魔力浄化』……!!」
瞬間、ドロドロとした赤黒い奔流が、わたしの手のひらを通じて吸い込まれてくる。汚染された魔力をわたしの体で濾過をすると、望愛さんの肌を覆っていた結晶が光の粒子となって消え、彼女の頬に朱が差した。
「うっ……」
望愛さんがむくりと起き上がる。わたしはどう声を掛ければ分からずじっと彼女を観察していた。望愛さんは周囲を見渡す。
「第三層……」
次に自身の手の平を見た後、点検するように手で体の部位に触れていく。最後にわたしへコバルトブルーの儚げな眼差しを向ける。
「私は貴方に生かされたのね……」
そう言って、彼女は膝を抱えて丸くなり、深く、重いため息を吐いた。
「はぁぁぁぁ~~~~」
「み、望愛さん?」
心配になって声をかける。
「……あのまま死にたかった」
「え?」
「加恋さんに見捨てられた私にもう価値なんてない。生きる意味も、目的も。……貴方、余計なことしてくれたのね」
自嘲する彼女の言葉は、まるで自分を呪っているようだった。でも。
「望愛さんは本当はそんなこと思ってないよ」
「貴方に何が分かるの? 私の絶望を……愛していた光に、ゴミのように捨てられた苦しみを……」
望愛さんは怨嗟の声で呟き、ギロリと睨む。彼女にこんなにも拒絶されているのに、少しも怖くなかった。今の彼女は、ただ震えているだけの迷子にしか見えなかったから。
「望愛さんのことは、正直まだ良く分からない。でも、落ちる時、助けてくれたよね?」
「……っ!」
「本当に死にたいのなら、なにもかもがどうでもいいなら、わたしを助けたりしない。望愛さんは……生きたいって思ったはずだよ」
「私の何が分かるの!!」
望愛さんが怒声を上げ、短剣を喉元に突きつけられる。けれど、刃を持つ彼女の手は、痛々しいほどに震えていた。
「悲しいなら、泣いていいんだよ」
「な、なにを……」
わたしの言葉に、彼女の瞳が揺れた。一筋の涙が頬を伝った瞬間、ダムが決壊したように、彼女の目から涙が溢れ出した。
「う、うわあああああああああん!!」
子供のように泣きじゃくる彼女の背中を、わたしは静かにさすり続けた。長い時間が過ぎ、望愛さんは真っ赤な目で、わたしの差し出したハンカチを受け取った。
「ありがどう……」
鼻声で返事をしながら、ハンカチで涙を拭く。
「落ち着いた?」
「うん……。何だか、清々しい気分なの。さっきまではこの世の終わりだと思っていたのに、不思議なものね」
彼女が恥ずかしそうに浮かべた、幼い照れ笑い。和やかな空気が流れた――その時だった。地響きが、砂丘全体を揺らした。
「地面が!」
渦潮が発生したように白い砂が螺旋を巻きながら中央に吸い込まれ、巨大な蟻地獄が形成される。中央から姿を現したのは、白銀の甲殻に覆われた四本の大顎を持つ昆虫――大地の捕食者。
「少し、大げさに泣きすぎたみたい……。砂の振動で、モンスターを呼んじゃった」
「ど、ど、どうすればいいですか!?」
初めての状況にわたしはテンパりながら望愛さんに聞く。
「貴方はこれに捕まって。ビルまで引き寄せるから」
望愛さんは握っていた伸縮自在の鎖鎌の鎖を、わたしに握らせる。その先には廃墟の建造物に鎌が突き刺さっていた。わたし達が落下した時にあそこに刺したやつだ。だけど、なぜか彼女は鎖を手放した。徐々に彼女は蟻地獄の中心地に引き寄せられ、距離が離れていく。
「望愛さん、早く捕まって!」
「私はいい。あいつの息の根を止める」
望愛さんは短刀を構えた。やつを倒すにしても、こんな身動きが取れない状態で倒せるのだろうか。いや、身動きが取れないって、望愛さんならスキルでなんとでもなるはずだ。彼女は地面の中を自由に移動できるのだから。だけど、スキルを使う素振りを見せない。そもそも、スキルが使えるなら、わたしに鎖を掴ませて脱出させるなんてことはしないはずだ。
「望愛さん、そんな状態で倒せるの? スキルは使えるの?」
「実は、もう魔力は残ってないの」
「だったら、一緒に逃げようよ!」
「私があいつを倒さないときっといつまでも追ってくるよ。だから、貴方だけでも生き残って欲しい」
望愛さんの瞳に覚悟を決めた強い意思を感じられた。さっきまで、絶望していた彼女の面影はどこにもなかった。
「……最後に、貴方に出会えてよかった。さよなら、優奈さん」
そう言って、望愛さんはわたしに背を向けた。迫りくる巨大な白銀の化け物。大きく口を広げ、望愛さんを飲み込もうとしている。彼女はここで死ぬつもりだ。そんなの黙って見過ごせるわけがない。わたしは鎖を手放し、中心へと崩れ落ちる砂をかき分けながら望愛さんの元へ飛び込んだ。そして、彼女の体を後ろから強く抱きしめる。
「ゆ、優奈さん!? どうして……」
「望愛さんを置いて逃げるなんてできないよ……わたしの魔力を、全部使って!」
「――『魔力譲渡』っっ!!」
スキルが発動した瞬間、ドクンっと心臓が大きく鼓動した。桜色の光がわたし達を中心に渦巻く。この感覚、玲香さんの時と同じ。
「何、これ……。体の奥底がポカポカする」
「望愛さん、お願い!!」
「……ええ。任せて。潜行」
ドプン、と地中に沈むと同時に、鎖鎌も地中へ引きずりこまれる。彼女は砂の渦を自在に泳ぎ、一瞬でモンスターの死角へと回り込んだ。そして、望愛さんが地中から飛び出し、鎖鎌を叩きつける。
「ギイイイイィィィィ」
金属をこすり合わせたような不快な悲鳴。鎖鎌が大地の捕食者の甲殻を凹ませる。
「流石に硬い。なら、これならどう? ――『深淵潜行』!!」
コバルトブルーの瞳を見開き、望愛さんがスキルを口ずさむ。鎖鎌を巧みに操って手元に戻すと、再び投擲。鎌が白銀の昆虫に衝突すると思った瞬間、なんと鎌が甲殻の中にドプンと音を立てて溶け込んだのだ。そして、望愛さんが何か重いものを引き上げるように鎖を引き寄せると、そこには鎖で巻き取られた魔石が彼女の手元に収まっていた。大地の捕食者は何度か大顎震わせた後、巨体を地に伏すのであった。甲殻がさらさらと溶けるように砕け、砂と同質化する。
「望愛さん! 体は平気?」
彼女の元へ向かい声を掛ける。二層から連戦続きで、しかもアストラルブースターの副作用を強く受けていたのだ。こうして、モンスターを倒せたけど、心配でしかなかった。また、あの時のように体から結晶が飛び出したらどうしようって……。
「平気。むしろ、すごく調子がいいの」
望愛さんが、優しく目を細めた。その視線には、もう死を望むような影はどこにもなかった。
「良かったぁ。それとさっきのスキルは……? 初めて見た気がするから」
「深淵潜行ね。さっき思いついたの。甲殻が硬いのなら、いっそモンスターの身体に潜ればいい。試してみたら、鎖に魔石が引っ掛かってた」
深淵潜行、なんて恐ろしいスキルなんだろう。彼女の説明を聞く限り、相手の身体を透過するスキルだ。だから、魔石だけを抜き取ることができたんだ。まさに、一撃必殺。
「そうなんだ。……すごい」
「すごいのは貴方。こんな簡単に新しいスキルは習得できるわけない。貴方が私に魔力を託してくれたからできたの。これが、優奈さんの力なのね……」
「そう言われると、ちょっと照れます」
「ふふ……。さぁ、上を目指しましょう」
彼女はそう言って前を行こうとする。
「え?」
「どうしたの?」
「えっと、もしかして、一緒にいてくれるの? その、二層では色々あったから……」
「その件は、本当に申し訳ない……」
望愛さんは沈痛な面持ちで、静かに頭を下げた。
「あ、いや、わたしは全然気にしてなくて! 望愛さんはわたしと一緒にいて嫌じゃないのかなと。今の望愛さんなら、わたしを置いて一人で帰れるはずだし」
「貴方を置いて行くなんて考えられない。私は優奈さんに救われたから。むしろ、ずっと一緒にいさせてほしい……。ダメ……?」
「そんなことないよ! 一緒に帰ろう」
「ありがとう。どんなことがあっても、必ず貴方を守る」
わたしと望愛さんは、夕闇の砂漠の中を一歩ずつ歩き出した。
◇◇◇
土煙が舞い、静寂が戻った大聖堂の跡地。ポッかりと空いた巨大な穴の縁で、私は絶望の深淵を凝視していた。
「優奈、優奈……」
震える声で彼女の名前を漏らす。この高さから、落ちたら彼女はもう……。なぜ、こんなことに。なぜ私は、彼女の手を離してしまった。
「……ぁ、はは。ざまぁないよね、玲香センパイ……」
聖堂加恋が、力なく笑った。こいつがDMを送ってこなければ、神崎がこいつらを差し向けなければ……! こいつらが今回の全ての元凶なんだ。こいつらさえ、存在していなければ、優奈は……。私はゆらりと立ち上がる。
「神崎……聖堂加恋……。お前達が、彼女を殺したんだ……。お前達を、私は一生許さない。お前達を殺し、地獄まで追いかけてさらに殺す。永遠に殺し続けてやる」
「ちょ、玲香センパイ、まずは落ち着こう。あたしも今回のことは被害者なんだってば。あたしは神崎に脅されて、無理やり……」
「黙れ」
一言。それだけで、教会内の酸素が氷に変わり、極寒の領域に変貌する。剣を持ち上げるのも億劫だ。引きずられた剣が石畳を削り、火花ではなく氷を散らす。
「あ……ぁ……」
戦意を喪失した加恋が地面にへたり込み、何かを呟いている。もう、憎くて、殺したくて仕方がなかった。殺す。その後のことなんてどうでもいい。こいつの命を、優奈への手向けにする。
「こ、こんなことしてる場合じゃないと、あたしは、お、思うけどなぁ」
剣を振り上げ、それの首を刎ねようとした時――。
「……優奈。三層で、玲香センパイを待ってるかもよ?」
彼女の首筋の前でピタリと剣を止める。
「そんなことはありえるはずが……」
優奈の生存の可能性。それはあまりにも絶望的だ。
「望愛が生きていれば、スキルで衝撃を逃した可能性があるかもよ……。あの子のスキルかなり特殊だから」
嘘かもしれない。私を逃がすためのデタラメかもしれない。けれど、そのわずか一パーセントの可能性が、私の狂気を理性へと引き戻した。優奈が……生きている? もし、万が一にも彼女が生きていたならば……。苦しい表情を浮かべながら助けを呼ぶ優奈の姿が脳裏に浮かんだ。その時、すでに私は駆け出していた。
「早く、優奈を助けないと。彼女はきっと生きている」
自分に言い聞かせるように呟く。そうでもしないと自分の理性を保てる自信が無かった。これは私にとって都合のいい妄想でしかない。そんな妄想を拠りどころにしなければ、私は再び狂気に飲まれ氷の怪物になってしまうだろう。
「ミシャ、三層への最短ルートを」
『玲香様、心中お察ししますが、まずは砦に戻り十分な準備を整えるべきです。三層白亜の砂丘は広大です。一人で探すのは無謀と言わざるを得ません』
「そんな時間はない! 早くルートを示せ!」
『今、無謀な特攻をしても、貴方が力尽きれば優奈様は永遠に失われます。……冷静になってください。ひとまず、探索者達の砦まで戻り、そこで準備を整えるべきです』
AIの冷徹な正論が、私の焦燥を繋ぎ止めた。私は奥歯が折れるほど強く噛み締め、ミシャの意見に従うのであった。
「くっ……。探索者達の砦への最短ルートをガイドしてくれ」
『承知しました』
「……待っていてくれ、優奈。必ず、迎えに行く」
私は、地上の誰よりも深い絶望と、誰よりも熱い希望を胸に、爆発的な速度で地上へと駆け出した。
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