第13話 聖なる深海からの挑戦状
第二層から帰ってきた次の日。遅めの朝食を済ませた私達は、リビングのソファで思い思いに過ごしていた。私が雑誌をめくっている横で、優奈は真面目な顔でスマートフォンをチェックしている。先ほどチラリと画面を見たが、どうやら優奈は配信アカウントに届いたメッセージをチェックしているらしい。活動上、DMが来るのは避けられないが、私にとっては正直に言って鬱陶しいだけのノイズだ。対応はすべてAIのミシャに任せきりで、返信内容に興味を持ったことすら一度もなかった。ふいに、優奈が不安そうに話しかけて来た。
「玲香さん、このDMなんですけど……」
「ん? どうしたんだい?」
私は自然な動作を装い、大きく身を寄せて彼女の肩に顎を載せるようにスマホを覗き込んだ。ふわり、と優奈から甘い果実のような瑞々しい香りがした。
『玲香センパイお疲れ様でーす! 加恋だよ☆ あのねあのね、マジでコラボのお誘い! 最近うちらの配信、百合営業(笑)全振りしたら数字がバグっててさ! 元祖百合探索者の玲香センパイと加恋が並んだら、エモすぎて視聴者死ぬと思うんだよね。 ぶっちゃけお互い得しかないし! お返事待ってるねー! んちゅっ♡』
……不快だ。画面から溢れ出る知性の欠片もない文章。そして何より、この女は私達の絆を営業(笑)と呼んだ。
「え、えっと、聖堂加恋さんって結構有名な探索者で、ちょっと気になって……。玲香さんどう思います?」
聖堂加恋、優奈が言うように多少名の知れたAランク探索者だが、所詮はAランク。知名度欲しさのコラボが見え透いている上に、こんな低俗な輩と関係を持っていると世間に思われることがそもそも耐えられない。
「興味はないな。私には優奈がいるし、こんな輩と関わると君の教育に悪い」
「あはは……。まあ、わたしも加恋さんとは気が合わなそうだなって思っていました」
「優奈もそう思うなら決まりだ。ミシャ、断っておいてくれ。一秒でだ」
『承知いたしました。一秒で拒絶完了です』
ミシャの有能な処理を見届け、私は満足して雑誌に視線を戻した。優奈が隣にいる。それだけで、世界が色づいて見えるのは、やはり寧琉の言う通り恋なのだろうか。もう少しだけ、彼女を感じたい……。私は雑誌を閉じてそのまま彼女の肩に頭を乗せると、銀の髪がまるで優奈を捕らえるように絡みついた。
「さて、昨日は色々あって大変だったからね。今日はゆっくり休もうか」
「それでしたら、その、ちょっと気になっているアニメがネトフロで配信されているらしくて。良かったら、一緒に見ませんか?」
「ああ、いいよ。君のオススメなら喜んで」
「本当ですか! ちょっと、待ってくださいね」
優奈が準備のためにソファを立つ。彼女の体温が無くなり、名残惜しい気持ちになる。しばらくして、お揃いのコップに入った冷たいお茶を両手に持って優奈が戻ってきた。そして、空中に投影されたデジタルディスプレイには、丸くて不思議な生き物たちが働くアニメ、『なにやつ』のサムネイルが表示されていた。
「可愛いね。これはどんなアニメ?」
「可愛いですよね! このキャラ達が仕事をしてお金を稼いで、時にはモンスターと戦ったりして、日々を生き抜く感じのアニメなんです」
『まるくて何だかへんなやつ』、略してなにやつ。ヘンテコだけど、どこか可愛いらしいキャラ達がほのぼのとした世界で、工場で汗と油にまみれて働いたり、その日食べるご飯が無くて雑草を食べたりと、中々にハードな生活とのギャップが魅力なアニメだとか。シーズン四まで放送されていて、かなりの人気アニメらしい。
「見た目の割に結構シビアな世界観だね。何だか、私達シーカーに通じるものがある気がするよ」
「言われてみればそうかもしれませんね。何だか、ちょっと親近感です」
オープニングが始まり、ほのぼのとした音楽が流れる。なにやつ達の穏やかな日常パートが映り、白い丸いやつと縞々模様の丸いやつがぴょんぴょん跳ねている。私は、横で夢中になって画面を見つめる優奈を見つめた。長いまつ毛が震え、時折「可愛い……」と呟く唇。触れたい……。私はおもむろに優奈の肩に腕を回し、彼女の細い体を自分の方へと引き寄せた。一瞬、強張る彼女の身体。頬を赤らめさせながら、遠慮がちに上目遣いで見つめてきた。
「どうかしたかい?」
「な、なんでもありません……」
そう言って、優奈は正面へ視線を向ける。羞恥と困惑半々と言うべきだろうか。そんな複雑な表情も魅力的だ。優奈の体温が直に伝わってくる。彼女の肩が私の胸に触れ、やわらかな重みが心地よい。アニメの内容なんて、一ミリも頭に入ってこなかった。私は微笑を浮かべながら、腕の中の宝物を独占する幸福に、深く溺れていくのだった。
◇◇◇
玲香さんとアニメを見始めてかなり時間が経った。タワーマンションの屋上に位置するこの部屋は、夕日の光でオレンジ色に染め上げられている。そして、わたしのすぐ隣にいる玲香さんはアニメを見ている間ずっと肩に腕を回していた。密着した体から伝わる熱のせいで、私の心臓は常に全力疾走している。……玲香さん、今日はなんだか距離が近すぎる気がする。
本日十三回目のなにやつのエンディングが流れる。ヘンテコで可愛いキャラ達が雑草を食べながら過酷な世界を生き抜くシュールな物語。これで今シーズンは全部見終わった。本来なら癒やされるはずの内容なのに、玲香さんに意識が集中してしまって、アニメなんて落ち着いて見ていられなかった……。ずーっと同じ姿勢で見ていたから伸びのひとつでもしたいところだけど……。こんな密着状態でそんなことする勇気はわたしにはなかった。
「見終わっちゃいましたね……」
「とても、心地いい時間だったよ」
遠慮がちに話しかけると、玲香さんは心底満足そうに目を細めている。わたしの趣味に付き合わせてしまって少し申し訳ないことをしてしまったかもと思っていたけど、杞憂だったらしい。ソファから立ち上がり、凝り固まった体の節々を伸ばす。
「さて、コップ片付けちゃいますね」
そう言って、キッチンへ向かおうとした時、ミシャが音声で話し始める。
『玲香様、優奈様、お寛ぎの所恐縮ですが……、確認して頂きたい案件がありまして』
「ミシャがそんなことを言うなんて珍しいね。いいよ、表示して」
珍しくミシャの歯切れが悪い。嫌な予感がする。手に持ったコップを一旦テーブルに置いて、わたしは玲香さんの隣に座った。
リビングの巨大なデジタルディスプレイに、現在急上昇ランキング一位の配信が映し出された。画面の中では、ド派手な教会の祭壇のようなスタジオで、二人の少女がポーズを決めている。金色の長髪、橙色の瞳を持つ派手な装いの美女が聖堂加恋さんだ。白のベールを身に着け白の修道服らしき服を着ているけど、服のイメージとは裏腹にかなり蠱惑的だ。ボディラインが強調され、豊かな胸元は肌が見え、膝から大きく入ったスリットからは、大胆にも下着の紐の結び目をチラリと覗かせている。
「おは聖☆ みんな、今日も推しへのお布施の準備はできてるかなー? 聖なるギャル、聖堂加恋だよん! 不浄なモンスターは加恋がまとめて浄化(物理)してあげるから、みんなは画面の前でお祈りしててね! せーのっ、アーメン♡」
加恋さんが胸を強調するように、大きく開いた胸元の前で両手を組みウィンクをする。一方で、隣にいる深い藍色の髪に水色の瞳を持ち、病的な美しさを湛えた女性が深海望愛さんだ。紺と黒を基調としたキャミソールに青色に染められたタイツを履いている。望愛さんが囁くように声を響かせる。
「……ふふ、おは深。暗い海の底から、あなたをずっと見つめてる……深海望愛です。望愛は、加恋さんの光さえあれば、他には何もいらないの……。ねぇ、あなたも一緒に沈んでくれる……?」
最後凄むように破滅的な笑みを浮かべる。目元の隈のようなメイクと相まって陰鬱的だ。そして、お互いに手を繋ぎピースをしながらセリフを合わせる。
『『二人合わせて、ホーリーアビス!』』
これがあのDMの送り主、今話題のAランクペアホーリーアビスの配信だ。玲香さんはソファに深く腰掛け、不快感を隠そうともせず眉間に皺を寄せている。
『加恋ちゃん今日もかわちい!』
『望愛様、俺を沈めてくれ!』
『てか今日重大発表あるってマ?』
画面右側を流れるコメント欄は、熱狂的なファンたちの書き込みで埋め尽くされている。
「ねぇねぇ、みんな! マジでヤバいニュースがあるんだよね」
加恋さんがカメラに向かってウィンクを飛ばす。隣に座る望愛さんは、加恋さんの腕に縋り付くようにして、虚ろな瞳でカメラを見つめていた。
「うちらホーリーアビス……なんと! あの元祖百合探索者、氷室玲香センパイとのコラボが決定しましたぁー!! 拍手ー!!」
「……は?」
玲香さんの口から、地を這うような低い声が漏れた。ディスプレイの中では、加恋さんが待ってましたとばかりにスマホの画面を掲げている。そこには、ミシャが送ったはずの断り文句が映っていた。
「見て見て! コラボ誘ったら、マジ1秒で返信来たからね? 玲香センパイ、うちらのこと好きすぎっしょ! 文面は『多忙につきお断り』とかツンデレなこと書いてあるけど、これ絶対『早く会いたい』の裏返しだから! 加恋にはわかるんだよねー」
『1秒返信草』
『令嬢、実はホリアビのファンだった説』
『ツンデレ令嬢てぇてぇww』
コメント欄がさらに加速する。捏造。いや、もはや妄想と言っていいレベルの超解釈。玲香さんの周りの空気が、みるみるうちに凍りついていくのが分かった。
「……ミシャ」
『はい、玲香様。私のログに間違いはありません。明確に拒絶の意思を送信しました。彼女の解釈は……論理的ではありません』
「だろうね。……不愉快だ」
しかし、加恋さんの暴走は止まらない。
「てかさ、最近の玲香センパイ、ちょっと守りに入りすぎじゃない? どこかの歩くモバイルバッテリーだっけ? あんな低ランクの子とチマチマ一層とか二層を散歩してさー。探索者なら、もっと数字で語らなきゃ!」
加恋さんがテーブルの上に、あの紫色の液体が入った瓶アストラルブースターを置いた。
「次の配信では二層でどっちが真の百合探索者か、コラボ対決で決めちゃいたいと思いまーす! うちらは本気なのでアークライト社の全面バックアップで、勝ちに行くからねー! もちろん、負けた方は……ビジネス百合の看板を下ろして、引退ってことで!」
「……っ、何言ってるの、この人達……!」
わたしは思わず立ち上がった。勝手にコラボを決めつけただけでなく、引退を賭けた勝負なんて。
「望愛も……加恋さんと一緒なら、誰にも負けない……。偽物のキズナなんて、アビスに沈めてあげる……」
望愛さんがカメラ越しに、冷たい視線をこちらへ向ける。その瞳は異常に瞳孔が開いているように見えた。
「――優奈、座って」
玲香さんが、わたしの手首をそっと掴んだ。その手は驚くほど冷たかったけれど、握る力は力強く、確かな意思を感じさせた。
「……ミシャ。全SNSのアカウントで、今の配信を引用して告知しなさい」
『指示を確認しました。内容はいかがいたしましょうか?』
玲香さんはディスプレイを睨みつけ、唇の端を吊り上げた。それは、獲物を見つけた捕食者のような、美しくも恐ろしい笑み。
「『その挑戦、謹んでお受けする。二層の地底で、どちらが本物か身の程を教えてやろう』――とね」
「玲香さん!? 本当にいいんですか?」
「ああ。優奈をただのバッテリー扱いし、私との絆を侮辱した。……万死に値するよ」
玲香さんがわたしを引き寄せ、耳元で囁く。
「大丈夫。私が、優奈が最高に輝ける舞台を整えてあげる。……あんな偽物に、私達が負けるはずがない」
玲香さんの言葉に、わたしの胸が高鳴る。怖い。でも、それ以上に玲香さんの隣に立って、あんな人達を黙らせたいと思ってしまった。こうして、わたし達は史上空前の配信対決へと引きずり込まれることになったのだ。
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