11 黄昏時の神隠し
「……消えた……」
直前まで男がいたはずの空間。そこには血溜まりだけが残っていた。
その前まで歩き、しゃがみ込む。何らかの魔法陣が仕掛けられている様子もない。
「ふしぎ……」
もう少し調べてみたいが……直接手で触りたくはない。腰の鞘からリコリスラディアータを引き抜き、その先端で血溜まりをツンツンとつつく。
それは特段深い意味のある行為ではなかったのだが——血に触れた瞬間、リコリスラディアータが静かに脈動した。
刀身の表面を血脈のように走っている青い筋たちが暗く輝き、蠢く。そして血溜まりに接している部分から、血液をドクドクと吸収していった。まるで飢えた獣が久しぶりの獲物を貪るような光景。生物的で生々しい、一種のグロテスクさを感じさせる。
「ええ……」
『まあ……』
急に何これ……怖。リコリスラディアータってただ切れ味のいい刀じゃなかったんだ。
持ち主の私はドン引きなのだが、横を見ると、隣でしゃがんでいたミラはそれをどこか恍惚とする表情で見ていた。心なしか目も少し輝いている気がする。
『その子、血を吸えるのね。吸った血はどこに行っているのかしら……面白いわね』
ミラはそう言いながらリコリスラディアータを興味深そうに眺める。
「わわ……」
ミラの顔と美しい髪が近づいて、心臓の鼓動が早まる。…………えっと…………そうだ。……ミラが楽しそうなのだから、引いている私がおかしい。
これはポジティブに受け入れるべき現象なんだ……多分。
「……うん、面白いね」
そうとなれば、これからはなるべくたくさん、リコリスラディアータに血を吸わせていこう。それで何がどうなるのかは……分からないけど。何かが起きるまで溜め続ければ、きっとミラが喜んでくれる気がする。
と、そこで背後からミリシアの声がした。
「どうした? 何か分かることがあったか?」
「え? あ、えっと……」
唐突に声をかけられて戸惑う。私が持っている武器はなんと吸血能力がついていましたとか、そういうことを聞いているのではないだろう。むしろそれがバレたら危険人物として怪しまれる可能性すらある。
「いえ……何も」
「……そうか?」
後ろでは、ミリシアとシズクが不思議そうな顔でこちらを見ていた。そこに特段の感情は乗っていない。どうやら血溜まりの前にしゃがむ私がちょうど壁となって、リコリスラディアータの凶行は見られていないようだった。
ミリシアが血溜まりを見るために近づいてきたので、私は立ち上がって横に退き、現場の調査を譲る。一瞬、床の血が減っていることが突っ込まれるかとも思ったが、特に気づいた様子もなくミリシアが話す。
「……これが『黄昏時の神隠し』、か」
「黄昏時の神隠し?」
まあ確かに、今は黄昏時だ。穴だらけの天井から茜がさして、辺りをぼんやりと照らしている。黄昏時に神隠しが起きたから、黄昏時の神隠し。道理ではある。しかしミリシアの言い方は、それが固有名詞であるかのような口振りだった。
「? ……知らないのか?」
ミリシアが虚をつかれたようにぽかんとして、少しの疑念を乗せた声音で聞いてくる。
……もしかして知らないと不自然な類のものだろうか。この国に伝わる有名な言い伝えとか? 来たばかりだし、事前に研究所の図書室で読んだ本には書いてなかったけど……ミリシアに真っ直ぐ見つめられ、なんだかボロを出した犯人のような心地がする。
「日が沈む黄昏時、どこからともなく聞こえる鐘の音とともに、予兆も無いまま人間が忽然と姿を消す……そんな噂だ」
「……それは……今起きたこと、ほぼそのままですね」
「そうだ。噂の段階であれば、誘拐あるいは殺人などの犯罪を隠蔽するための方便という可能性もあったが……目の前で消えたとなれば、噂ではなく事実であると認めざるを得まい」
「ふむふむ確かに……」
「…………本当に知らないのか? この国にいて、そんなことがあり得るのか?」
ミリシアに鋭く睨みつけられる。
「…………あり得ると思いますけど……」
「……」
『あわわわ……』
やばい……全然信用されていない。
……なんか面倒になってきたし逃げようかな……結構足速そうだけど逃げられるかな……とか思っていると、シズクが寄ってきて助け舟を出してくれる。
「……私たちは最近引っ越してきた……家族。……そう、姉妹。だから、この街にはまだ詳しくない。今だって、道に迷って偶然、こんなところに来てしまっただけ」
「…………それを信じろと?」
ミリシアが剣の柄に手をかけ、試すようにこちらを見つめる。私とシズクは何もせず、身の潔白を証明するように身動き一つせずに待つ。
「…………そうか。……迷ったのであれば、表の道まで案内しよう。名前は?」
「……シズク」
「……アヤです」
「シズクにアヤか……覚えておこう」
覚えなくていい……むしろ早めに忘れてほしい。偽名を使おうかとも思ったが、これ以上嘘を重ねて怪しまれるのも良くない。シズクも返答が少し遅かったし、おそらく私と同じことを思ったのだろう。
ミリシアはそれ以上何も言わず、出口に向けてゆっくりと歩き出した。
「……ふぅ」
「はぁ……」
『とりあえずセーフ……みたいね』
私たち3人は安堵のため息を吐き、なるべくミリシアの気を引かないよう足音を控えめにしながらついて行く。
男との不要な戦闘を避ける提案をしたことといい、シズクは任務を円滑に進めるための経験や知識が意外にあるらしい。第一印象は危険なストーカーだったが……実は結構頼れる先輩なのかもしれない。
「……シズク先輩」
「!!!! !? ?!?! !!」
適当に呟いてみると、シズクが急に弾けた。挙動不審の極みみたいな動きをしながら顔を真っ赤にし、ちらちらとこちらを見てはすぐに顔を背けるのを繰り返す。
…………やっぱり少し怖いかもしれない。




