10 水陽炎
「……先に見つかるなんて、初めて。不覚」
男を見たシズクが目を見開き、唇を噛み締める。
ニンジャって誰にも見つからないイメージがあるし、実際そうだったのかもしれない。
男は剣鉈をゆらゆらと揺らしながら口を開く。
「なぁ、いい加減、教えてくれよ……何が神サマの試練だよ。俺らはただの哀れな家畜か? うんざりなんだよ。もう疲れてんだよ、なぁ……。……おい! なあ!!」
「……なに……誰? ……よく分からないけど……殺す」
『え……』
「待って、アヤ」
武器を向けられたのでとりあえずリコリスラディアータを鞘から抜こうとしたところ、シズクに止められた。
もう戦うしかないと思ったのだが……なんだろう。
「任務において不要な戦闘は避けるべき。敗北のリスクはもちろん、勝ったとしても、現地の第三者に伝わると面倒なことになりやすいから」
「……確かに」
シズクの論は一理ある。この人を斬ったとして、その現場を誰かに見られた場合、私たちはこの国の治安部隊のお世話になることだろう。それはきっと著しく行動を制限されるし、楽しくもないだろう。ミラに似合う服を探す時間も減ってしまう。
……かと言って、出口が分からないまま逃げるのも難しい気がする。
どうしよう……と思っていると、いつの間にかミラが私の目の前に来ていた。そして私の頬を両手ではさみ、目を合わせてくる。
「え……な、なに……わ、わわ……」
『アヤ…………殺すとか、簡単に言っちゃ駄目よ。それが癖になったら悪い人になっちゃうわ』
「え……」
ミラはいつになく真剣な声音で告げる。それは、私を心から慮っての言葉だということが分かった。
「ご、ごめんなさい……気をつける」
『うん、分かればよろしい』
ミラが手を離し、両腕を組む。
私は呆然として、ミラの言葉を反芻していた。
……そうだ、ミラを悲しませることは、絶対にしない。
「ミラの言葉は、絶対に守る……」
決意を新たに男の方を見る。……結局どうすればいいのかは、決めてないけど。
「いいんだ、もう……俺には失うものなんかねえ。殺してやるよ! お前ら全員よお!」
男が剣鉈を持ち直し、こちらを睨みつけて吠える。シズクが私の前に立つ。
私は右手に集中し、いつでも指輪の力で守れるように準備をした。
――そして男が一歩踏み出した瞬間。シズクの重心が一瞬ずれて、すぐ元に戻る。
ミラの前の方から、男とはまた別の声がした。
「おい。そこで何をしている」
それは凛々しく毅然とした声音で、どこまでもまっすぐ響く。
男はそれに構わずシズクに突進した。
「オラァァァァァァアアアッ!!」
……結構足速いな。そして何故かシズクはノーガードである。シズクも私みたいにすぐ防御ができるのだろうか。そんなことを思っていると。
「水陽炎」
瞬間、シズクの前の空間が揺らめき、波紋が広がる。そしてそれは現実と重なり合い、質量を伴う。直後にガキンと音がした。
気がつくと、男とシズクの間に見知らぬ女性が立っている。
しろがねに煌めく真っ直ぐな剣を男の剣鉈に合わせており、力んで震える男とは対照的に、その剣は不動のままそこにあった。
流水を思わせる蒼の長髪を下ろし、全身は立派な鎧で覆われている。姿勢も全く乱れがなく、堂々と正義を執行している雰囲気がある。
「……現地の第三者だ」
『……騎士さま?』
ミラの言う通り、それは物語に出てくる美しい女騎士そのものという風貌だった。
騎士という存在を生で見たのは初めてだが、目の前にするとなんというか……威圧感がある。味方ならば頼もしいし、敵ならばなんだかこっちが悪者に見えるような……そういうコテコテの感じがした。何となく、面倒なことになった予感がする……。
女騎士は私とシズクをちらりと見て口を開く。
「私はミリシア。君たちは下がっていろ」
それを言い終わるのと同時、男とミリシアの打ち合いが始まった。
……しかしそれは、まるで勝負になっていなかった。ミリシアは、まるで師が出来の悪い弟子を窘めるように、男の振るう一撃にこれ以上ない正解の一手を取り続ける。
あるときは男の剣を正面から止め、またあるときは、にべもなく受け流す。ずっと男から攻撃を仕掛けているのに、その戦いの緩急はミリシアが握り続けていた。
「ああ…………呪いが……あの音が来る。嫌だ……嫌だあああ!!」
男は泣きながら駄々をこねるように攻撃を続ける。
そのうちの一撃を受け止め、ミリシアは言った。
「……やはりお前、疾風のジャンか?」
「あぁ? ああ…………アハ! ハハハハッ! ギャハハハハハ!!」
男は頷いたかのように見えたが、直後、狂ったように笑い出した。……疾風のジャン……誰だろう。この国では有名な人なのかな。
ミリシアは会話の通じない男にため息を吐くと、そこで初めて攻撃を振るった。
あっさりと男の右肩が切り裂かれる。男は悲鳴を上げ、壁にもたれる。肩を押さえるが、どくどくと流れる血は止まらない。
そして先ほどまでの勢いが嘘かのように、ボソボソと呟く。
「あぁ……そうさ。変わらないさ……どうせ、逃げられないんだ……」
「……ふむ」
ミリシアは剣を構えたまま、何故か周りを観察し始めた。……男の味方がいるかの警戒とか? もしいたとして、こんな圧倒的な戦いを見てまだ出てくる気概があるのだろうか。
――そのとき、鐘が鳴った。
それは不吉で、底冷えのする、不快な音だった。
「む……」
ミリシアが訝しむ声がして視線を戻すと――先ほどまでいたはずの男の姿が、どこにもなかった。
壁際には浅く赤黒い血溜まりだけが残っていた。




