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ステンドグラスの彼方に  作者: 羽月楓


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22/22

ⅩⅫ 《愚者》 はじめまして

挿絵(By みてみん)




 日曜日の朝、ライトは家族の誰よりも早く、朝食の席を立った。


「店を開けるのは、お前の仕事じゃないぞ」


 父に言われ、戸口で振り返る。


「分かってる。先に机を出しておきたいんだ」

 

「自分の分の皿ぐらい、片づけていって」


 レインは、まだ半分ほど残っているパンを口へ運びながら言った。


 ライトは食卓へ戻った。

 母が笑って、空になった父の皿もその上へ重ねた。


 流しに皿を置き、水を張る。窓の外では、干された布が、朝の風をいっぱいにはらんでいた。


 雨の心配はなさそうだった。


     *


 工房の前へ長机を運び出すと、向かいの家の窓から、女の子が顔を出した。


「もう行ってもいい?」


「まだ。硝子を並べてから」


 答える間に、小さな頭は窓から引っ込んだ。

 ほどなくして、玄関の扉が開く音がした。


 ライトは苦笑し、机の脚が石畳の溝にはまっていないか、確かめた。


 父と営む工房では、月に二度、子供たちにステンドグラスを教えていた。教室と呼ぶほど立派なものではない。軒先に机を出し、縁を磨いておいた色硝子を選んでもらう。小さな窓飾りがひとつできるまでには、たいてい午前中いっぱいかかった。


 工房の看板の下へ、教室の札を掛けようとしたときだった。


 右手が煉瓦に当たり、硬い音がした。


「あ」


 指輪の青い硝子が、縁から小さく欠けていた。


 初めて自分で受けた仕事の代金で、材料を買って作ったものだった。翼の形をした銀の枠へ硝子を収めるのに、何日もかかった。指輪にしては大きすぎると父に言われたが、気に入って、休みの日にはよく着けていた。


 欠けたところに触れないよう外し、上着のポケットへ入れる。

 直すのは、子供たちが帰ってからだ。


「何色があるの?」


 さっきの女の子が、机の前でつま先立ちになっていた。


「いま持ってくる」


 ライトは工房へ戻り、硝子の箱を抱えた。


 箱の中で、赤と緑が触れ合った。

 乾いた、小さな音がした。


     *


 黒い外套の女性に気づいたのは、子供の選んだ硝子を、紙の上へ並べ直しているときだった。


 通りの向こうに立っていた。

 肩には旅の鞄を掛け、片手に折り畳んだ地図を持っている。被っていたフードを少し後ろへずらし、机の上を眺めていた。


 店の場所を探しているのかと思ったが、目はずっと、硝子を追っていた。


「ご覧になりますか」


 声を掛けると、女性は顔を上げた。


「邪魔にならないかしら」


「いまなら、まだ座れます」


 空いている椅子を引くと、隣の男の子が、自分の硝子を慌てて寄せた。


「お姉さんも作るの?」


「できるかしら」


「できるよ。僕、二回目だから」


 男の子が胸を張る。

 女性は笑って、鞄を椅子の脇へ下ろした。


 外套を脱ぐと、黒い髪が肩へ落ちた。袖口には、何度か繕った細い縫い目があった。机に置いた指は、硝子へすぐには触れず、色を確かめるように、その上をゆっくり動いた。


「切ったりするのは、初めてですか」


「ええ。見るのは好きなのだけれど」


「今日は、切らなくて大丈夫です。縁を磨いたものを選んでありますから」


 ライトは、浅い木箱を彼女の前へ滑らせた。


「俺はライト。この工房で、父と仕事をしています」


 彼女は木箱から目を上げた。


「ルファよ」


 それから、少し姿勢を正した。


「はじめまして」


「はじめまして」


 挨拶を終えたところで、隣の男の子が、二人の間へ黄色い硝子を差し出した。


「これ、お姉さんにあげる」


「あら。使わないの?」


「僕のは海だから」


 ルファは、男の子の前に並んだ青や緑を見た。

 黄色を一度、その脇へ置いてみる。


「海のそばに、窓を作ってもいいと思うけれど」


 男の子は、考え込んだ。


 やがて黄色を取り戻すと、青の隣に、そっと置いた。


     *


 昼の鐘が鳴るころには、机の上に、大小さまざまな窓飾りができていた。


 ルファが作ったものは、小さな四角だった。

 黄色と薄い緑、その間に細い透明な硝子が入っている。接ぎ目の幅が揃わず、片側だけが少し重たく見えた。


「ここが、難しいのね」


 彼女は、自分の指で継ぎ目をなぞった。


「最初は、どうしても太くなります」


「最初だけ?」


 ライトは少し笑った。


「俺も、急ぐと」


「では、急がないことにするわ」


 子供たちが帰ったあとも、彼女はしばらく、自分で作った硝子を光にかざしていた。


 父が工房から出てきて、残っていた椅子を壁へ寄せた。机の上を見て、ライトの指輪に気づく。


「それ、やったのか」


「看板を掛けるときに」


「だから、作業の前には外せと言っただろう」


「外すつもりだった」


「つもりで済めば、うちの修理仕事は半分になるな」


 父は指輪を裏返し、枠の歪みを確かめてから置いた。


 ルファが身を乗り出した。


「それも、あなたが?」


「ええ。少し前に」


「見てもいい?」


「欠けたところには、触らないでください。尖っているので」


 渡すと、彼女は両手で受け取った。


 翼の先から、机へ青い光が落ちた。

 欠けた箇所だけ、色が抜けている。


「ここには、同じ青を入れるの?」


「近い色を探そうかと」


 父が、端硝子の入った引き出しを抜いてきた。


「違う色でもいいんじゃないか。どうせ自分のだ」


 引き出しを机へ置き、二人を残して、工房へ引っ込んだ。


 ルファは中を覗き込んだ。

 小さな欠片ばかりだった。窓を作った余り、曲線を切り取ったあとの端。光に透かさなければ、何色か分からないものもある。


「選んでみますか」


 ライトが言うと、彼女は指輪と引き出しを見比べた。


「大切なものなのでしょう」


「だから、気に入らなかったら、そう言います」


 ルファは顔を上げた。

 その言い方が意外だったのか、少しの間、ライトを見た。


「それなら、遠慮なく」


 選んだのは、ごく淡い、琥珀色だった。


 青の隣へ置くと、硝子の中に朝の光が差したように見えた。ライトは、指輪を少し傾けた。


「これにしましょう」


「本当に?」


「こっちの方が好きです」


 ルファが笑った。


 必要な大きさに切り出すのは、ライトがした。

 彼女には磨くところを手伝ってもらった。教えたとおりに手を添え、少しずつ縁を整えていく。何度も指輪の脇へ置き、幅を確かめる。


 一度、削りすぎそうになって、二人で同時に声を出した。


 ルファが手を止めた。

 ライトも、伸ばしかけた手を止めた。


 互いの顔を見て、笑った。


 すべて収まり、仕上げた指輪を布で拭くころには、道の半分が日陰になっていた。


 ルファは、その向こうから覗いた。


「どう?」


 指輪の小さな翼越しに、彼女の片目が見えた。

 翡翠色の瞳が、ライトの返事を待っていた。


「よくなりました」


 そう答えてから、もうひとつ付け足した。


「直す前より」


     *


 ルファは、川沿いの宿に部屋を取っていた。


 この街へ来たのは三日前で、次の市が立つまで滞在する予定だという。


「何を探しているんですか」


「いろいろ」


 答えながら、鞄から小さな包みを取り出した。


 広げた布の上には、青い釉薬のかかった匙、小さな木彫りの鳥、平たい石がふたつあった。


「こっちは、海で拾ったもの。濡れると、もう少し赤くなるの」


 ライトは石を見た。


「それも、持って歩いてるんですか」


「重いのよ」


「でしょうね」


「でも、拾ったときには、持って帰ろうと思ってしまうでしょう」


 同意を求められて、ライトは自分の工房を振り返った。

 いつか使うつもりで取ってある硝子が、棚の隅まで詰まっていた。


「……分かります」


 ルファは満足そうに包みを閉じた。


 日が傾き、彼女が立ち上がったあとも、ライトは机を片づけずにいた。


 さっきまで硝子のあったところへ、四角い埃の跡が残っている。


「滞在中に、また来ませんか」


 ルファが振り返った。


「教室は、再来週なのでしょう」


「工房は開いています。見てもらいたい硝子も、まだありますから」


 言ってから、売り物の話に聞こえたかもしれないと思った。


 言い直すより先に、ルファが尋ねた。


「今日の黄色とは違うもの?」


「もっと薄いのがあります。夕方の光で見た方がきれいな」


「では、夕方に」


 彼女は、そう約束した。


     *


 次にルファが訪ねてきたとき、ライトは高い窓の修復をしていた。


 脚立の上から声を掛けると、彼女は入口で鞄を下ろし、待っていると言った。

 しばらくして振り向くと、机に肘をつき、旅の手帳へ何かを書いていた。


「待たせてすみません」


「ここ、明るくていいわね」


 見せてくれた頁には、窓が描かれていた。

 その下に、小さな机がふたつ。

 奥には棚らしい四角と、湯気のような線がある。


「宿ですか」


「カフェ。いつか、自分で開きたいの」


 まだ鉛筆の線だけの店だった。


 ライトは脚立を畳み、その横へしゃがんだ。


「旅は、やめるんですか」


「少なくするかもしれない。でも、出かけたくなったら、出かけるわ。休みの日を、長めに取って」


 彼女は手帳の下の方へ、扉を描き足した。


「知らない街へ着くと、最初にお茶を飲めるところを探すの。宿を決める前に、少し座りたくなるから」


 慣れない道を歩いた足を休める。

 鞄を下ろし、湯が沸く音を聞く。

 注文したものが運ばれてくるまで、何もしなくていい。


「そういう店を、私もひとつ、作れたらと思って」


 ライトは、紙の上の机を見た。


「この席には、午後の日が入りますね」


「分かるの?」


「工房と、同じ向きの窓だから」


 ルファは紙を少し回した。

 夕日が、描かれた店の上へ落ちた。


「この街で開くかは、まだ決めていないの」


 言われて、ライトは顔を上げた。


「そうですか」


「ええ」


 ルファは、彼の表情を見ていた。

 ライトは立ち上がり、約束していた硝子を取りに行った。


 棚から出した薄い黄色は、日にかざすと、向こうの道が透けて見えた。


 ルファは窓辺へ立ち、長いこと、それを眺めた。


「これは、朝にも見ていい?」


「もちろん」


「では、明日も来るわ」


     *


 彼女のいる時間が、少しずつ増えた。


 昼過ぎに姿を見せる日もあれば、来ない日もあった。

 市場で見つけた果物を持ってくることもあったし、手帳を広げたまま、ライトの仕事が終わるまで何時間も黙っていることもあった。


 ルファは、硝子を切る練習を始めた。


 真っすぐな線を引くことにも、思った以上に力加減が要った。

 失敗すると、欠片をしばらく眺めてから、別の形に使えないか考えた。どうしても使えないものは、自分で箱へ戻した。


 ライトは、何でも教えたくなった。

 けれど、彼女が考えているときには、口を挟まずに待つ方がいいことも知った。


 ルファの方も、ライトが硝子を選ぶとき、急に返事をしなくなることを覚えた。


 ある午後、二度目の問いかけにも答えがなく、彼女が覗き込んできた。


「その二枚、そんなに違う?」


「こっちは、縁に緑がある」


 並べて見せると、ルファは窓へ顔を近づけた。


「本当ね」


 言葉のあとも、その場を離れなかった。

 ライトが次の硝子を選ぶのを、隣で見ていた。


 窓の狭い光を分け合うために、肩が少し触れていた。


     *


 市の立つ日が過ぎても、ルファは街に残った。


 ただ、北へ向かう旅は、取りやめなかった。


 知り合いの宿へ、夏の忙しい間だけ手伝いに行く約束をしているのだという。茶の淹れ方も、菓子の焼き方も、その宿で教わったのだと話した。


 発つ日の朝、ライトは停車場まで鞄を運んだ。


「重い」


「石が、少し増えたの」


「知ってる」


 川岸で一緒に拾ったものだった。


 乗合馬車の屋根へ荷物を載せる間、ルファは袖口の紐を結び直した。

 いつも椅子の背に掛けていた外套を、今日は身につけている。


 それを見ると、急に、旅人なのだと分かった。


「手紙を出してもいいですか」


 ライトが尋ねた。


 ルファは、鞄の小さなポケットから、紙を取り出した。


「宿の名前を書いてきたの。渡そうと思って」


 紙には、北の町の名と、宿の名があった。

 その下に、彼女の名前が書かれていた。


 ライトは、折らずにしばらく持っていた。


「戻ってきたら、続きを作りませんか。あの窓飾り」


「ええ」


「それから」


 馭者が、最後の荷物を縄で留めていた。


 ルファは急かさず、ライトの言葉を待った。


「硝子の用がなくても、会いたい」


 言ってしまうと、飾り気のない言葉だった。

 他に言い方を探している間に、ルファが笑った。


「私も、そう思っていたの」


 ライトを見て、それから、手元の紙を見る。


「手紙にも、仕事以外のことを書いてね」


「何を?」


「あなたが、その日、私に話したかったこと」


 馬車へ上がる彼女の手を、ライトは支えた。

 踏み段の上で、ルファの指が、一度だけ彼の手を握り返した。


 馬車が通りへ出ても、ライトはその場に立っていた。


 角を曲がる前に、窓から手が出た。

 彼も、手を上げた。


     *


 最初の手紙を書くのに、二晩かかった。


 窓の修復が終わったこと。

 父が仕入れた青い硝子に、細かな気泡が入っていたこと。

 教室の男の子が、今度は船を作ると言っていたこと。


 そこまで書いて、読み返した。

 ほとんど仕事の話だった。


 紙の下には、まだ余白があった。


 ライトは窓を開けた。

 夜の空気の中に、昼の熱が少し残っていた。


 彼女の座っていた椅子へ、明日は誰かが座るかもしれない。

 そうでなければ、一日、空いたままだ。


 机へ戻り、続きを書いた。


 夕方になると、入口を見る癖がつきました。


 そこだけ消すかどうか、しばらく迷った。

 結局、そのまま封をした。


 返事には、宿の忙しさと、焦がしてしまった菓子の話が書いてあった。


 北の町では、もう朝が寒い。

 窓を開けると、山の斜面が見える。

 近くに硝子を扱う店があるので、休みの日に見てくるつもりだという。


 最後の数行だけ、少し小さな字になっていた。


 こちらでは、夕方になると、お茶が二杯淹れたくなります。

 帰ったら、飲みに来てください。


 ライトは手紙を畳み、引き出しへしまった。

 それからもう一度開いて、帰ったら、というところを読んだ。


     *


 ルファが戻ってきたのは、街路樹の葉の先が、黄色くなり始めたころだった。


 昼下がりの工房へ、鞄を肩に掛けたまま入ってきた。

 ライトは、手にしていた道具を置いた。


「宿は?」


「これから」


「先に、部屋を取った方がよかったんじゃ」


「そう思ったのだけれど」


 ルファは言って、入口から一歩、入ってきた。


「こちらへ来たくなったの」


 ライトは椅子を引いた。


 彼女が鞄を下ろす。

 少し迷ったあとで、ライトはその肩へ手を置いた。


 ルファが見上げた。

 そのまま身を寄せてきたので、腕を回した。


 外套は、外の風の匂いがした。

 旅の鞄の留め金が、二人の間で、小さく鳴った。


「おかえり」


「ただいま」


 離れたあと、ルファは笑っていた。

 ライトも、何を言えばいいのか分からないまま、笑った。


     *


 カフェにする場所は、三軒見て回った。


 表通りの店は、家賃が高すぎた。

 広場の角の空き家は、明るかったが、水場を直すのに手間がかかった。


 三軒目は、昔、仕立屋だったという小さな店だった。


 運河へ下る道の途中にあり、表から見ると、二階の窓の方が大きい。階下の扉は少し傾いていて、開けるのに肩で押す必要があった。


 中は埃っぽかった。

 長いこと家具の置かれていた壁に、薄い日焼けの跡が残っている。


 ルファは鞄を下ろした。


 部屋の奥まで歩き、それから、窓のそばへ戻ってきた。

 外では、配達の荷車が坂を上がっていた。車輪の音が遠ざかると、運河の水音がかすかに聞こえた。


「ここにしようと思うの」


 ライトは、窓枠を見ていた顔を上げた。


「まだ、二階を見てない」


「二階も見るわ。屋根も、水場も」


 ルファは笑った。


「でも、ここでお茶を淹れたいと思ったの」


 鞄から手帳を出し、以前描いた店の頁を開いた。

 何度も描き直して、線が重なっていた。


「窓を、お願いできる?」


「俺に?」


「ええ。あなたに」


 ライトは手帳を受け取った。

 そこに描かれた窓と、目の前の古い枠を見比べた。


「どんな光にしたい?」


 ルファはすぐには答えなかった。


 窓の外を人が通った。

 その影が、床を横切っていく。


「朝、ひとりで座った人が、自分の手を少し眺めたくなるような」


 彼女は掌を上へ向けた。


「綺麗な色が載っていたら、お茶を待つ間、退屈しないでしょう」


 ライトは、紙の端へ線を引いた。


「全部を色硝子にすると、外が見えなくなる」


「道は見たいわ」


「なら、下は透明にして、上に色を入れよう」


「青も?」


「青も」


 窓辺の床へ二人でしゃがみ、手帳を広げた。

 線を引くたびに、鉛筆の音が、何もない部屋へ響いた。


     *


 店は、一日ではできなかった。


 ルファが鍵を受け取ってからも、扉はしばらく開けにくいままだった。床を磨けば、翌日には棚を取りつける木屑が積もった。運び込んだ椅子はひとつ、脚が短かった。


 ライトは工房の仕事を終えてから通った。

 父も何度か手を貸してくれたが、頼まれていた窓が入ると、そちらへ戻った。


 夕方、二人だけになった店で、冷めかけたパンを食べることがあった。


 ルファが茶を注ぐ。

 ライトは、まだ色の入っていない窓越しに、通りを見た。


「疲れた?」


「腕が、上がらないわ」


「今日は、やめよう」


「あと、あの棚だけ」


「それ、さっきも言ってた」


 ルファは壁を見上げた。

 やがて諦めたように息をつき、両手でカップを包んだ。


 まだ、何も売っていなかった。

 窓辺には硝子の代わりに紙の型が貼ってあり、床の隅には、包みから出していない皿が重ねてあった。


 それでも、茶の湯気が上がると、少しだけ店らしくなった。


 ルファはそれを眺め、疲れた顔で微笑んだ。


 ライトは、その顔を見ていた。

 手伝いに来るたびに、好きなところが増えていった。


     *


 窓の色を決めるときには、一度、意見が合わなかった。


 ライトが選んだ深い赤を、ルファはもっと明るくしたいと言った。


「この方が、他の色が引き立つ」


「でも、午後には暗くならない?」


「窓に入れれば、違って見える」


「入れる前に見たいの。毎日、ここに座るのだから」


 ライトは返しかけた言葉を止めた。


 それぞれの赤を枠へ仮に留め、午後まで待った。

 ルファはその下へ椅子を運び、本を開いた。


 夕方には、薄い方の赤を選んだ。


 代わりに、隣の青を少し深くした。

 するとルファが、最初の図案より好きだと言った。


 ライトも、そう思った。


 彼女は、同じようには硝子を見なかった。

 まだその色に気づくのかと、何度も思わされた。


 そのたびに、次も一緒に見たいと思った。


     *


 最後の一枚は、ルファが切った。


 小さな、透明な硝子だった。

 表面にわずかな揺らぎがあり、その向こうのものを、柔らかく歪めて映した。


 線を入れるあいだ、ライトは隣に立っていた。


 細い音が途切れた。

 ルファが手を止める。


「ここまで?」


「うん」


 彼女は息を吐いてから、硝子を割り離した。

 余分な部分が、きれいに落ちた。


 しばらく、二人とも何も言わなかった。


 ルファが、切り取った一枚を持ち上げた。


「できた」


 ライトは頷いた。


 彼女の目が、硝子越しにこちらを見た。

 今度は青でも琥珀でもなく、そのままの色だった。


 ルファは硝子を机へ置いた。

 それから、ライトの手を取った。


「ありがとう」


 その手を、彼は握り返した。

 指先を包むようにすると、彼女の方から、もう少し近づいてきた。


     *


 白猫は、向かいの軒下にいた。


 冬の近い日だったが、陽の当たる石はまだ温かかった。

 店の扉が開け放たれ、中で二人が、出来上がった窓を見上げていた。


 ルクルは、前脚の間へ顎を下ろした。


 窓は、以前のものとは違っていた。

 背が低く、色の置き方も、縁を巡る模様も違う。透明な部分が多いので、中に座った人の顔が、通りからよく見えた。


 ルファが何か言った。

 ライトが、窓の端を指で示した。


 声までは届かなかった。


 窓の下に並んだ二人を、ルクルは見ていた。


 雪山で何を話したかも、最後の朝に何を失ったかも、二人は知らなかった。

 彼の中には、そのひとつひとつがあった。


 ルファが、忘れたくないと言った声も。

 ライトが、その名を呼べなくなるまで呼んでいたことも。


 いま笑っている二人を見ても、消えなかった。

 奪った時間を、返せたわけではなかった。


 窓辺で、ライトが手を伸ばした。

 硝子の表面を布で拭き、少し離れて、光を確かめた。


 ルファは、その隣へ椅子を持ってきた。

 実際に腰を下ろし、膝に載った色を見て、彼を呼んだ。


 ライトが近づいた。

 彼女の掌にも、淡い黄色が載っていた。


 ルクルは、長く、そこにいた。


 風が吹いて、店先に立て掛けてあった紙が倒れた。


 ルファが出てきて拾った。

 軒下の猫に気づき、目を細める。


「暖かいところを知っているのね」


 彼女はそれだけ言って、店へ戻った。


 白猫は目を閉じた。


 しばらくして、石畳から立ち上がった。


     *


 開店の朝、ライトは工房から花を持ってきた。


 母に頼まれた白い百合だった。

 途中でレインに会い、店の菓子がなくなる前に行くと、言づけられた。


 ルファは花を受け取ると、水差しを探して棚を開けた。


「忙しいのに、来てくれたのね」


「午前中はいいって、父さんが」


「そう」


 その一言のあとで、彼女は少し笑った。

 朝から張りつめていた肩が、ようやく下がったように見えた。


 ライトは窓際へ花を運んだ。


 向きを変えると、白い花びらに青が載った。

 少し戻すと、今度は黄色になった。


「そこがいいわ」


 ルファの声に、手を止めた。


 席は、まだ六つしかなかった。


 壁際に二人掛けの小さな机がふたつ。

 窓辺に、ひとりでも座れる席がふたつ。


 扉は直っていた。

 手を掛ければ、静かに開いた。


 厨房の奥で、湯が沸き始めている。

 ルファが火を弱め、並べたカップをひとつずつ確かめた。


 ライトは壁へ掛ける札を裏返した。


 虹色Café。


 何枚も紙に書き、声に出してみて、二人で選んだ名前だった。


 ルファは、出来上がった札を受け取ると、扉のそばへ持っていった。


「曲がっていない?」


「少し、右が高い」


 直してから、こちらを見る。


「これで?」


「うん」


 札から手を離す。

 誰の支えもなく、そこに掛かっていた。


 ルファは、一歩下がって店を見た。

 椅子、机、窓、花。

 それから、ライトを見た。


「今日の夕方、時間はある?」


「あるよ」


「終わったら、一緒にお茶を飲みたいの。どんな一日だったか、聞いてほしい」


 ライトは、窓辺の席を見た。


「ここに座っても?」


「もちろん」


 彼女はその椅子の背に触れた。


「あなたの一日も、聞かせて」


     *


 店先に、人が立っていた。


 淡い髪が、風に揺れていた。

 看板を見上げ、それから、窓の中へ目を向けた。


 ライトが先に気づいた。


「お客さん」


 ルファは振り向いた。

 前掛けの裾を一度整え、扉へ歩いていった。


 開けると、小さな鈴が鳴った。


「いらっしゃいませ」


 ルクルは、敷居の外に立っていた。


 焼いた菓子の匂いがした。

 奥にはライトがいて、窓から入る光が、彼の右手の指輪へ落ちていた。


 ルファは、ルクルの顔を見た。

 そして、初めて来た客へ向ける笑顔で、言った。


「今日、開けたばかりなの。よかったら、お茶を飲んでいかない?」


 ルクルは、すぐには答えられなかった。


 ルファは待っていた。


 彼は、扉の取っ手に添えられた手を見た。

 硝子を磨いた指先に、小さな擦り傷があった。


「……うん」


 顔を上げた。


「いただこうかな」


「お好きな席へどうぞ。私はルファ。あちらは、窓を作ってくれたライト」


 ライトが会釈した。


 ルクルは、二人を見た。


「はじめまして」


 声は、思っていたより静かに出た。


「僕は、ルクル」


 ルファが、彼の名前を繰り返した。


 ルクルは敷居を越えた。

 窓辺の、空いている椅子へ向かった。


     *


 最初の茶を運び終えると、ルファは扉のそばへ戻ってきた。


 ライトは、道に面した窓を少し開けていた。

 風に揺れる百合が、薄い影を机へ落とした。


 通りの向こうから、話し声が近づいてくる。

 店の看板に気づいた誰かが、足を緩めた。


 ルファは、ライトの隣に立った。


 窓を通った光が、二人の足元に重なっていた。

 その先には、まだ色のついていない、朝の道が続いていた。


「開けておこうか」


 ライトが、扉に手を掛けた。


 ルファは外を見た。

 それから、頷いた。


「ええ」


 二人で、扉を大きく開いた。



                    了


 

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