第8話
夫と義母の目を盗んで、リンダくんに会いに行った。
大きめのマスクをして、帽子を深く被っていった。
私が今持っている中で一番可愛いと思った無地のワンピースを身に纏って。
秋に差し掛かり、少し肌寒い時期だった。
人目につかないような、静かで暗い路地で待ち合わせた。
昼間なのに暗くて怖いからすぐに来てほしかったけれど、緊張しすぎて吐きそうだったから来ないで。とも思った。
何より、こんな顔が傷だらけの時に会いたくない人だったから。
推しにはいつでも万全な状態で会いたい。
左腕の時計を何度も何度も見た。
少し身体が冷えてきた頃に、リンダくんは大きなサングラスとマスク、帽子を深く被ってやってきた。
「…ツムギちゃん?」
時がゆっくりと流れていた。
右耳にすんなりと入ってきた声は、私の大好きな声だった。
大好きな声が、私の名前を呼ぶ。
全体的に暗い色の服装だった。
かっこいい。
やっぱり私の推しは、ずっとかっこいい。
心臓がバクバクと音を立てて、静かになろうとしない。
「えっとあの…リンダ、くんですよね」
恐る恐る口にした名前。
リンダくんはマスクをゆっくり取り、ゆっくりと口角を上げて笑った。
癒された。
私にこんな風に笑いかけてくれる人が、まだいたなんて。
それがリンダくんだなんて、信じられなかった。
「あーよかった!リンダです!よろしく!」
私の知ってるリンダくんだった。
キラキラと笑って、元気に喋って。
私の大好きなリンダくんだった。
「なんか今日寒くない?どこか入る?」
「…え、あの、でも人に見られたら…」
「俺のこと知ってる人なんか全然いないし大丈夫だから!」
そう言って私の手を取り、歩き始めるリンダくん。
暖かくて大きな手だった。
優しさが伝わる。
この人は根から優しい人なんだ。
ドキドキしすぎて、心臓が止まってしまいそうだった。
現実味が全然なくて、ふわふわとした夢を見ている、そんな気分だった。
リンダくんは確かに、そこまで有名ではない。
知る人ぞ知る存在だった。
街を歩いていても、視線を感じることはなかった。
「昔からよくライブ来てくれてるよね」
「…えっ?」
自分でも拍子抜けするくらい間抜けな声が出てしまった。
「俺、いっつも元気もらってたからよく覚えてるよ」
30人規模の時から通っていた甲斐があったと思った。
リンダくんは私のことを、知ってくれていた。
覚えてくれていた。
「ごめんなさい、最近行けてなくて」
リンダくんは私の顔を見て、切なそうに微笑んだ。
何も答えてくれなかった。
冷たい風が頬の傷をかすむ。
風が吹くたびに傷が痛んだ。
ライブに行けなくなったどころか、あの頃一緒に行ってた友達とも会えなくなったんだよ。
久しぶりに感じた人の温もりを離したくなかった。
優しくされるって、こんなに嬉しいことなんだ。
リンダくんはいつでも私を癒してくれた。
しばらくして1台のタクシーを停めて乗り込んだ。
「近くのホテルまでお願いします」
彼はそう言った。
「え、リンダくんあの…」
私はそんなつもりじゃなかったのに。
あの笑顔で、シーとされる。
ダメだ、どうしてもドキドキしてしまう。
今この瞬間は、私にだけ向けられている。
リンダくんは今この時間だけは、私だけのものだった。
流されちゃダメ。
期待しちゃダメ。
そう思いながら、どこか期待している私がいた。
このまま遠くにさらってくれないかな。




