第10話
その後、夫が帰宅した。
「明日は会社で食事会だ」
「…え?明日はお休みでは…」
ハア、と深くため息をつく。
箸を置いて、手を動かすたびに私はビクビクしてしまう。
また、何かされるのではないかと。
暴力に慣れていると思っていたけれど、そんなことはなかった。
「みなさんご家族を連れて来るそうだ。お前も来い」
…またか。
会社の人たちは本当に仲良しで、こうしてよく食事会を開いていた。
「部長に呼ばれているんだ。そんな顔の妻を本当は連れて行きたくないが、行くしかないだろう」
…そんな顔?
あなたがこんな顔にしたくせに?
傷はまだまだ痛みます。
「どうご説明するおつもりですか?課長の奥様はとてもお優しい方です。こんなの、聞かれるに決まっています」
それぞれの頬に入った3〜4本の傷跡を隠すのに、大きめのガーゼを被せるのが1番都合がよかった。
「近所の犬にでも引っ掻かれたと言っておけ」
そう言ってお酒を飲む。
悲しくてたまらなかった。
人前にも出たくないのに。
リンダくんは気を遣ってくれて、人目につかないようにしてくれたのに。
「…分かりました」
断ることなんかできなかった。
断ることなんて、許されないから私は従うことしかできない。
自分の意思を持つことさえ許されない人生はなんてつまらないんだろう。
さっきまでの幸せだった時間を返してほしい。
どうして結婚する前に見抜けなかったんだろう。
好きで結婚したはずなのにな。
どうしてこうなってしまったのだろう。
義母との同居を拒めばよかった?
私が仕事を続けていればよかった?
何を言ってもあとの祭りだ。
夫が食事を終え、お風呂へ行った。
私は急いで寝室の棚を漁り、イヤホンを取り出す。
今はもうリンダくんの声しか聞きたくない。
リンダくんの顔しか見たくない。
私は昔から好きな音楽は何度でもリピートして聴くし、好きなドラマも何度も見返すタイプだった。
好きなものしか感じたくない。
好きなものだけを感じていたい。
さっきまで一緒にいたはずの人が今は画面の中にしかいなくて、とても遠い存在に思えた。
最初から遠い存在だったじゃない。
でも今日、手が触れた。
名前を呼ばれた。
笑い合った。
昔のことを覚えてくれていた。
私は欲張りだ。
また会いたい、もっと話したいと思ってしまう。
出会えただけで幸せだったはずなのに。
もっとリンダくんを知りたい。
本名は何?
兄弟はいるの?
ご両親は優しい方?
帰り際、またねって言ってくれたけど、それはまた会ってくれるということ?
リンダくんはいつでも私の心を踊らせてくれる。
リンダくんのことを考えていると楽しい。
私はいつの間にか、リビングのソファの下で泣きながら眠っていた。
朝まで。
誰も私を気遣うことなく、そのままだった。
でも、それでいいと思った。
リンダくんの夢を見た気がする。
顔の傷は綺麗に治っていて、リンダくんは私の手を引いて笑っていた。
私もよく笑っていた。
ただ笑っているだけだったけれど、とても幸せな夢だった。
幸せな時間を邪魔しないでいてくれて、ありがとう。




