第7話 学校一の座を狙う女、なぜか俺に宣戦布告する
翌日から、玲奈の態度は目に見えて変わった。
以前までの彼女は、俺にだけ氷のような視線を向け、こちらが何かを尋ねても必要最低限の言葉しか返さなかった。ところが今では、朝の待ち合わせ場所へ俺より早く到着し、姿を見つけた瞬間に駆け寄ってくるばかりか、体調や睡眠時間、朝食の有無まで確認しなければ一日を始められないらしい。
しかも、その変化を隠すつもりは一切なかった。
「先輩、今日のお昼はどうされますか?」
「購買で適当に買うつもりだけど」
「では、私がお弁当を作ってきます」
「話を聞いてたか?」
「聞いたうえで、購買へ行く必要をなくそうとしています」
登校中の道でそう言い切った玲奈は、俺の隣を歩きながら満足そうに微笑んだ。周囲の生徒たちが何度もこちらを振り返っているが、本人はまったく気にしていない。
学校一の清純派アイドルが、目立たない上級生へ弁当を作ると宣言しているのだ。噂にならない方がおかしい。
「無理しなくていい。玲奈は委員会もあるだろ」
「無理ではありません。先輩が食べてくださるなら、毎朝二時間早く起きても平気です」
「それを無理って言うんだ」
「では、一時間半にします」
「交渉するところじゃない」
玲奈は以前よりもずっと素直になった。
ただし、素直になった結果、内側に抱えていた感情がすべて俺へ流れ込んでくるようになり、少々極端な方向へ振り切れている。
俺が一度でも咳をすれば体調不良を疑い、眠そうに目を擦れば昨夜何時に寝たのか問い詰め、他の女子生徒から話しかけられれば、会話が終わるまで少し離れた場所から静かに見つめている。
表情こそ穏やかだが、その瞳には笑顔だけでは説明できない熱が宿っていた。
玲奈が俺へ好意を抱いていることは、もはや疑いようがない。
俺もそれを理解しているからこそ、彼女の感情を曖昧に扱いたくなかった。罪悪感から過剰に尽くしている部分と、以前から抱いていた恋愛感情。その二つを整理するには、ある程度の時間が必要だろう。
だから今は、拒絶もせず、かといって何でも受け入れることもなく、玲奈が自分を見失わないように寄り添うべきだと考えていた。
そんな朝のやり取りを終え、校門をくぐった直後だった。
「見つけたわ、神楽坂玲奈!」
やたらと通る声が、登校中の生徒たちの間を突き抜けた。
正面に立っていたのは、鮮やかな栗色の髪を肩口で揺らす少女だった。目鼻立ちは華やかで、制服の着こなしにも妙な自信が表れている。黙っていれば上品な美少女に見えるが、腰へ両手を当て、校門の中央を堂々と塞いでいる姿からは、清楚という言葉よりも騒動の予感が強く漂っていた。
彼女の顔には見覚えがあった。
千堂千鶴。
玲奈と同じ学年であり、校内では玲奈と並ぶ美少女として知られている。本人も自分の容姿に強い自信を持っており、事あるごとに「学校一の美少女は自分だ」と主張しているらしい。
もっとも、玲奈が清純派として人気を集めているのに対し、千堂は言動の破天荒さで有名だった。
「朝から大声を出して、どうしたんですか?」
玲奈が俺の腕へ僅かに寄り添いながら尋ねる。
千堂はその距離を見逃さなかった。
「どうしたも何もないわ! 昨日から校内中があんたの話題で持ち切りなのよ!」
「私の話題なら、いつものことでは?」
「自然に上から来るのやめなさい!」
千堂の声に、周囲から小さな笑いが起きた。
玲奈は本気で疑問に思っているらしく、僅かに首を傾げている。その仕草だけで何人かの男子生徒が息を呑んだため、千堂の眉間に分かりやすく皺が寄った。
「そういう無自覚に可愛い仕草をするところが気に入らないのよ! 私が昨日、鏡の前で二時間かけて研究した首の角度を、あんたは呼吸みたいにやるじゃない!」
「何の研究をしているんですか……」
「学校一になるための努力よ!」
胸を張って断言する千堂に、俺は反応に困った。
本人は本気なのだろう。周囲から失笑されてもまったく怯まず、自分の美貌を高めるための努力を恥じる様子もない。その一点だけなら、むしろ清々しい。
しかし彼女は玲奈へ宣戦布告しに来たはずなのに、なぜか途中から首の角度の研究成果を発表している。
「それで、私に何の用でしょうか」
玲奈が話を戻すと、千堂は大袈裟に俺を指さした。
「その男よ!」
「俺?」
「そう、あなた!」
いきなり標的にされ、思わず自分の胸元を指す。
「名前は守若秀。二年生。成績は中の中。運動能力は平均よりやや下。昼休みは購買の焼きそばパンを選ぶ確率が高く、図書室では窓際の席を好む!」
「待て。なんでそこまで知ってる」
「昨日一日かけて調べたからよ!」
「堂々と言うな」
それは調査というより監視に近い。
俺が一歩引くと、玲奈の表情から柔らかさが消えた。
「千堂さん。先輩を勝手に調べたんですか?」
「そうよ。だって不自然じゃない。あの神楽坂玲奈が、人前で男子の手を握って、しかも捨てられた子犬みたいな顔で後ろをついて歩いているのよ?」
「子犬ではありません」
「そこだけ否定するの?」
玲奈の声は静かだったが、俺の腕を掴む指先には力が入っていた。
「先輩は見世物ではありません。これ以上、勝手なことをするなら許しません」
「その反応が怪しいのよ!」
千堂は勢いよく俺の前まで歩いてくると、値踏みするように顔を覗き込んだ。
距離が近い。
玲奈とは異なる華やかな香りが鼻先を掠めるものの、俺は反射的に半歩下がった。
「何だよ」
「顔は普通ね」
「初対面で失礼だな」
「身長も普通。雰囲気も地味。なのに、神楽坂がここまで執着する理由が分からない」
千堂は顎へ指を添え、真剣な表情で俺を観察している。
玲奈は今にも俺と千堂の間へ割って入りそうだったが、俺は手で制した。ここで過剰に庇えば、千堂の興味をさらに煽るだけだろう。
「理由が分からないなら、それでいいだろ。玲奈が誰を大切にするかは、玲奈が決めることだ」
「……へえ」
千堂の目つきが変わった。
「自分が学校一の美少女に好かれているのに、自慢もしないのね」
「玲奈は肩書きじゃない。学校一とか、清純派アイドルとか、俺にとっては関係ない」
俺が知っている神楽坂玲奈は、完璧な笑顔を振りまく偶像ではない。
寂しがり屋で、不器用で、好きな相手へ素直になれず、ときには間違った方法で愛情を求めてしまう一人の後輩だ。
だからこそ、周囲の評価だけを理由に特別扱いするつもりはなかった。
「玲奈が傷ついていたら寄り添う。それだけだ」
俺がそう言うと、玲奈は息を呑んだ。
腕へ触れていた指が震え、次の瞬間には、俺の袖を両手で強く握り締める。
「先輩……」
「朝から泣くなよ」
「泣いていません。少し、目に先輩への愛が溢れただけです」
「それを普通は涙って言うんだ」
一方、千堂はしばらく黙ったまま俺を見つめていた。
先ほどまでの挑発的な笑みは消え、何かを見定めるような眼差しへ変わっている。
「なるほどね」
やがて、彼女は納得したように頷いた。
「顔でも成績でも運動神経でもなく、こういうところに神楽坂は落ちたわけだ」
「勝手に分析するな」
「決めた」
千堂は俺へ人差し指を突きつけた。
「今日からあなたを攻略するわ」
「何を言ってるんだ?」
「神楽坂が心酔するほどの男を私が奪えば、学校一の可愛さだけじゃなく、女としても私の完全勝利でしょう?」
周囲が一斉にざわつく。
俺も言葉を失ったが、それ以上に玲奈の反応は明確だった。
俺の腕へしがみつき、千堂との間に自分の身体を滑り込ませる。表情には清純派らしい柔らかな微笑みが浮かんでいるものの、瞳の奥には冷たい光が宿っていた。
「先輩は物ではありません」
「分かってるわ。だから本人に惚れさせるのよ」
「不可能です」
「随分な自信ね」
「先輩が私を大切にしてくださることは、もう知っていますから」
玲奈の言葉には、以前にはなかった確信が込められていた。
ただし、その直後、俺の腕を抱く力がさらに強くなる。自信を口にしながらも、内心では千堂の存在を警戒しているのだろう。
「先輩」
「何だ」
「この人に話しかけられても、ついていかないでくださいね」
「俺を幼児みたいに扱うな」
「お菓子を渡されても駄目です」
「だからついていかない」
「何よ、その信用のなさ。私だって男を誘拐するときは、もっと高級なものを用意するわよ」
「誘拐する前提で話すな!」
校門前に笑い声が広がる。
こうして、千堂千鶴という騒がしい少女は、俺たちの日常へ強引に入り込んできた。
この時点では、彼女の言葉をただの対抗心から出た冗談だと思っていた。
玲奈から学校一の座を奪うため、その玲奈が執着する俺へ興味を持っただけ。飽きればすぐに別の勝負を見つけるだろうと。
けれど、教室へ向かう俺の背中を見つめる千堂の瞳には、単なる好奇心だけではない光が生まれ始めていた。
「守若秀、ね」
千堂は俺に聞こえないほど小さな声で呟き、楽しげに唇を吊り上げる。
「思っていたより、ずっと面白そうじゃない」
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