第16話 友人がいるから、恋は一人で抱え込まなくていい
柏木武久と村田康介が、俺と玲奈の関係を本格的に気にかけるようになってから、教室で過ごす時間は以前にも増して騒がしくなった。
武久は玲奈が昼休みに迎えへ来るたび、俺たちの距離や表情を観察しては、勝手に進展度を判定するようになった。昨日より袖を掴む位置が近い、弁当箱の大きさが増している、玲奈が俺を呼ぶ声に含まれる糖度が過去最高を記録した――などと、本人以外には何の役にも立たない分析を大声で発表している。
一方の康介は、そんな武久を呆れた目で眺めながらも、俺が玲奈や千堂との関係について一人で考え込みすぎていないかを、さりげなく確認していた。
二人の接し方は正反対だ。
それでも、俺を放っておかないという一点だけは共通していた。
「秀、今日の放課後は空いてるか?」
昼休みが終わる少し前、武久が前の席から振り返った。
「今のところは。どうした?」
「男三人で寄り道しようぜ!」
「珍しいな。恋愛作戦会議じゃないのか」
「それも含む!」
「結局それか」
武久は額のバンダナを整えながら、妙に真剣な顔を作った。
「最近のお前は神楽坂さんと千堂さんに囲まれっぱなしだろ。だからこそ、男友達だけの時間も必要だと思うんだよ」
冗談めかした口調ではあったが、言っていること自体は理解できた。
玲奈との関係を修復してからというもの、俺の意識は彼女へ向くことが増えていた。千堂が加わったことで考えるべきことも多くなり、以前なら三人で何気なく過ごしていた放課後さえ、いつの間にか減っている。
恋愛を大切にすることと、友人との時間を疎かにすることは同じではない。
「分かった。行こう」
「よし! 康介も決定な!」
「最初から参加するつもりだった」
康介が参考書を閉じ、淡々と答えた。
その日の放課後、俺たちは学校から少し離れた商店街へ向かった。
昔ながらの店が並ぶ通りには、部活動帰りの学生や買い物客の姿があり、夕方特有の落ち着いた活気が満ちている。武久は途中で見つけた揚げ物屋へ迷いなく入り、三人分のコロッケを購入すると、一番大きいものを当然のように自分の袋へ入れた。
「お前が誘ったなら、普通は奢る側じゃないのか」
「友情に金銭的な上下関係を持ち込むな!」
「都合のいいときだけ綺麗なことを言うな」
「柏木は昔からこうだ」
康介は自分の分の代金を払いながら、小さく息を吐いた。
俺たちは商店街を抜け、川沿いの遊歩道まで歩いた。夕日を反射した水面は穏やかに揺れ、部活動帰りらしい学生たちが自転車で横を通り過ぎていく。
三人で並んで土手へ腰を下ろすと、武久は熱いコロッケへ齧りつきながら、待ちきれない様子で口を開いた。
「それで秀。神楽坂さんとは、いつ付き合うんだ?」
「いきなり核心から入るな」
「俺は遠回しな質問が苦手なんだよ!」
「お前の場合、考える前に口が動いているだけだろ」
康介の指摘を聞き流し、武久は俺へ身を乗り出した。
「好きになってるって認めた。神楽坂さんもお前を好きだ。それなら、もう付き合えばいいじゃないか」
理屈だけなら、その通りだった。
玲奈の好意は疑いようがない。俺も彼女を大切に思い、異性として惹かれていることを自覚し始めている。互いの気持ちが向き合っているなら、関係に名前をつけることは不自然ではない。
それでも、すぐに告白しない理由が俺にはあった。
「玲奈はまだ、俺に捨てられることを怖がってる」
俺は川面を見つめながら答えた。
「今のあいつは、俺が何か言うだけで関係が終わるかもしれないと思ってる。俺に尽くそうとするのも、好きだからだけじゃなく、必要とされなければ離れられるって不安があるからだ」
「だから、もう少し待つのか?」
「ああ。今付き合えば玲奈は喜ぶと思う。でも、それで不安が消えるとは限らない。むしろ恋人になったことを失わないために、今以上に無理をするかもしれない」
好きだからこそ、すぐに手に入れることが正しいとは限らない。
恋人という関係は、傷を覆い隠す包帯ではない。互いに向き合う覚悟ができていないまま名前だけを与えれば、そこへ新しい不安が生まれるだけだ。
「俺は、玲奈が俺に好かれるために自分を削る状態で告白したくない。俺が好きだから隣にいるんじゃなく、捨てられないために隣へ縋るような関係にはしたくない」
武久は珍しく黙っていた。
いつもなら勢いだけで結論を出そうとする男が、手元のコロッケを見つめながら真剣に俺の言葉を聞いている。
「千堂さんのことはどうする?」
康介が静かに尋ねた。
「玲奈を待つ間、千堂さんの好意にも向き合うつもりか」
「向き合う。ただ、期待させるようなことはしない」
「だが、彼女は待たないだろう」
「分かってる」
千堂は自分の感情から逃げない。
俺が玲奈を一番大切にしていると知ったうえで、それでも自分を見てもらうと宣言した。これからも遠慮なく近づいてくるだろうし、彼女の気持ちが深くなる可能性もある。
だからこそ、俺も曖昧な態度で受け流すわけにはいかない。
「千堂が好きだと言ってくれたら、俺は玲奈が大切だと答える。それでも友人として関わりたいなら拒まない。でも、都合よく二人の好意を受け取るつもりはない」
「お前、本当に変わったな」
武久がぽつりと呟いた。
「前だったら、神楽坂さんに冷たくされても『俺が何かしたんだろう』って一人で考えて、全部自分の中だけで終わらせようとしてただろ」
「そうかもしれない」
「今は神楽坂さんの気持ちも、千堂さんの気持ちも、自分の気持ちも、全部ちゃんと見ようとしてる」
武久は照れ隠しをするように、残りのコロッケを一口で頬張った。
「なんか、少し寂しいけどな」
「寂しい?」
「お前が俺たちの知らないところで、どんどん先に行ってる感じがするんだよ」
普段の武久からは想像しづらい、弱い声だった。
恋愛が始まれば、友人との関係も変わる。今まで三人で過ごしていた時間が減り、話せないことが増え、いつかそれぞれ別の場所へ進んでいく。
そんな当たり前の変化を、武久も感じているのだろう。
「先に行くつもりはない」
「でも、神楽坂さんと付き合ったら、俺たちよりあの子を優先するだろ?」
「場面によってはな」
「正直すぎる!」
「嘘を言っても仕方ないだろ」
俺は苦笑しながら、二人の顔を見た。
「でも、玲奈が大切になったからって、お前たちがいらなくなるわけじゃない」
武久が口を閉じる。
康介も静かにこちらを見ていた。
「二人がいたから、俺は玲奈に拒絶されたときも学校へ来られた。何も聞かずに普段どおり接してくれたし、今は一人で決めるなって言ってくれる。俺にとって二人との時間も、玲奈とは違う意味で大切だ」
「秀……!」
「抱きつくなよ」
「まだ何もしてないだろ!」
「顔で分かる」
立ち上がりかけた武久を康介が肩で押し戻す。
「守若の言うとおりだ。関係が変わることと、関係が終わることは同じではない」
「康介まで急に良いこと言いやがって!」
「お前が感傷的になっているから、話を整理しただけだ」
三人の間に笑いが生まれた。
恋愛だけが青春ではない。
誰かを好きになり、その人のことで悩む時間も確かに青春なのだろう。けれど、その悩みを笑いながら聞いてくれる友人や、自分では気づけない間違いを指摘してくれる友人がいることも、同じくらい大切な青春の一部だった。
そのとき、俺のスマートフォンが震えた。
画面には玲奈からのメッセージが表示されている。
『先輩、今日は柏木先輩と村田先輩と一緒でしょうか。楽しんできてください。帰る際に一言だけ連絡をいただけると嬉しいです』
以前の玲奈なら、俺が自分以外と過ごすことへ強い不安を抱き、何度も連絡してきたかもしれない。
今は寂しさを隠さずに伝えながらも、俺たちの時間を尊重しようとしている。
その変化が嬉しかった。
『分かった。帰るときに連絡する。明日は一緒に帰ろう』
そう返すと、すぐに既読がついた。
『はい。明日を楽しみに待っています』
短い文章の向こうに、玲奈の笑顔が浮かぶ。
「神楽坂さんか?」
武久が画面を覗こうとする。
「見るな」
「顔が緩んでるぞ!」
「緩んでない」
「いや、僅かに緩んでいた」
「康介まで乗るな」
二人の笑い声が、夕暮れの河川敷へ広がった。
恋をしても、友人でいる。
誰かを一番に大切にしても、それ以外の関係を捨てる必要はない。
そんな当たり前のことを、俺は二人と過ごす時間の中で、改めて理解していた。
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