第14話 隣に立つ資格なんて、誰が決めるのだろう
千堂が公開した写真をきっかけに生まれた噂は、数日が経っても完全には消えなかった。
俺と玲奈が特別な関係にあることも、その間へ千堂が割って入ろうとしていることも、校内では半ば公然の事実として扱われ始めている。廊下を歩けば興味本位の視線を向けられ、玲奈と昼食を取れば翌日には話が別の学年まで伝わり、千堂が俺の教室を訪れようものなら、見知らぬ生徒から結果を尋ねられる始末だった。
正直、落ち着かない。
だが、俺以上に噂の影響を受けているのは、学校中から注目される立場にある二人だろう。
玲奈は表面上こそ変わらず振る舞っているものの、俺と一緒にいるところを見られるたび、周囲の反応を確かめるようになっていた。以前なら、自分がどう見られるかを完璧に計算しながら笑顔を作っていた彼女が、最近では俺へ向ける感情を隠そうとしない。
それ自体は、玲奈が仮面を脱ぎ始めた証拠でもある。
しかし、その変化を快く思わない人間もいた。
「神楽坂さんって、最近ちょっと変わったよね」
昼休み、俺が飲み物を買うために教室を出たところで、近くの階段から女子生徒たちの声が聞こえてきた。
「分かる。前は誰にでも優しかったのに、今は守若先輩のことばかりじゃない?」
「清純派って呼ばれてるけど、結局は男を優先するんだ」
俺の名前が出たことで、足が止まる。
噂話へいちいち口を挟むつもりはない。玲奈ほど目立つ人間であれば、好意的な言葉だけを向けられるわけではないし、他人の評価をすべて訂正して回ることなど不可能だ。
それでも、俺との関係を理由に玲奈の人格まで否定されることには、腹の底が静かに熱くなった。
「でも、守若先輩も変じゃない? 神楽坂さんと千堂さんの二人を侍らせてるみたいで」
「地味そうな人ほど、裏では何を考えているか分からないよね」
どうやら矛先は俺にも向いているらしい。
こちらについては好きに言えばいい。自分が目立たない人間であることも、外から見れば二人の好意を曖昧に受け入れているように映ることも理解している。
だが、玲奈と千堂を俺の付属品のように語られるのは違う。
「その話、本人たちの前でも言えるか?」
階段へ姿を見せると、話していた三人が揃って顔を強張らせた。
責め立てるつもりはなかった。ただ、聞こえない場所であれば何を言っても許されると思っているなら、その認識だけは改めてほしかった。
「別に、悪口を言っていたわけじゃ……」
「玲奈が俺ばかり優先しているように見えたなら、それは俺たちにも考えるべき部分がある。でも、だからって、あいつが今まで周りにしてきたことまで嘘になるわけじゃない」
三人は黙り込んだ。
「千堂も俺に従ってるわけじゃない。あいつは自分で考えて、勝手なくらい自分の意思で動いてる。二人とも、俺の隣にいるだけの女の子じゃない」
俺は自分の言葉が、周囲からどう受け取られるかを分かっていた。
玲奈を擁護すれば関係を認めたと騒がれ、千堂まで庇えば二人へ良い顔をしていると言われるかもしれない。それでも、誤解されることを恐れて黙る方が、よほど格好悪い。
「俺のことは好きに言っていい。ただ、二人の気持ちまで勝手に軽く扱わないでくれ」
それだけ告げ、俺はその場を離れた。
売店へ向かう途中、胸の奥には小さな後悔が残った。もっと穏便な伝え方があったのではないか。玲奈たちの名前を出すことで、逆に噂を広げる結果になるのではないか。
考えれば不安は尽きない。
けれど、その日の放課後、玲奈から旧校舎裏へ来てほしいというメッセージが届いた。
指定された場所へ向かうと、玲奈は花壇の前に立っていた。以前の美化活動で雑草を抜いた場所には、小さな花がいくつか残されている。日陰に咲くその花を見つめる横顔は、夕暮れの中でひどく寂しそうだった。
「昼休みのこと、聞きました」
「誰からだ?」
「噂になっていますから」
「やっぱり余計なことをしたか」
「違います」
玲奈はすぐに否定した。
「嬉しかったです。先輩が私のことを、ただ庇うのではなく、一人の人間として認めてくださったことが」
その言葉とは裏腹に、彼女の表情は晴れない。
「なら、どうしてそんな顔をしてる」
「先輩が悪く言われるのが、耐えられないんです」
玲奈は制服の胸元を握り締めた。
「私が先輩への気持ちを隠さなくなったせいで、先輩まで噂の対象になりました。私がもっと上手に振る舞っていれば、先輩は今までどおり静かに過ごせたはずです」
「それは違う」
「違いません。私は自分が安心したくて、先輩の隣にいることを周囲へ見せつけました。千堂さんへの牽制もしました。先輩がどう見られるかより、私の不安を優先したんです」
玲奈は自分の感情を認められるようになった。
だからこそ、その感情が俺へ及ぼした影響まで見えるようになり、自分を責めているのだろう。
「私には、先輩の隣に立つ資格がないのかもしれません」
その言葉は、静かに胸を刺した。
「冷たくして傷つけたのに、許していただいたら今度は独占しようとして……先輩を幸せにするどころか、迷惑ばかりかけています」
玲奈は笑おうとした。
けれど、その唇は歪み、瞳には涙が浮かんでいる。
「私が先輩から離れた方が、先輩のためになるのでしょうか」
少し前の俺なら、その問いの裏にあるものを見落としていたかもしれない。
玲奈は離れたいのではない。
俺に否定してほしいのだ。自分にはここにいていい理由があると、俺の言葉で確かめたがっている。
しかし、ただ「離れなくていい」と答えるだけでは足りない。
「玲奈。隣に立つ資格って、誰が決めるんだ?」
「それは……」
「周りの生徒か? 学校一の清純派アイドルっていう肩書きか? それとも、間違いを一度も犯さないことか?」
玲奈は答えられず、視線を落とした。
「俺は、玲奈に完璧でいてほしいから隣にいるんじゃない」
一歩近づき、彼女の前に立つ。
「玲奈が間違えたことも、俺を傷つけたことも知ってる。嫉妬深くて、感情が重くて、ときどき俺の予定まで勝手に決めようとすることもな」
「……そこまで並べられると、苦しいです」
「でも、それだけじゃない」
俺は逃げずに続けた。
「玲奈は自分の間違いから逃げなかった。怖くても本音を話した。俺が傷ついたことを知って、今度は大切にしようとしてくれた。今日だって、自分が俺へ迷惑をかけていないか考えてる」
玲奈の瞳から、一滴の涙が落ちる。
「そういう玲奈を見て、俺は隣にいてほしいと思ってる」
「先輩が、そう望んでくださるんですか?」
「ああ。ただし、周りに見せつけるためじゃない。俺たちが一緒にいたいから、一緒にいるんだ」
玲奈は唇を噛み、涙を堪えようとした。
俺はその涙を止める代わりに、彼女へ右手を差し出す。
「離れるかどうかを一人で決めるな。俺の気持ちまで勝手に決めるのは、もうやめる約束だろ」
「……はい」
「俺は玲奈に離れてほしくない」
玲奈は差し出した手を見つめたあと、壊れ物へ触れるように指先を重ねた。
次の瞬間には堪えきれなくなったらしく、俺の手を両手で包み、額を押し当てる。
「本当に、ずるいです」
「またそれか」
「私が一番欲しい言葉を、先輩は必ずくださいます」
「欲しがってると分かったうえで言ってるからな」
「それでは、私がもっと先輩を好きになると分かっているんですか?」
「分かってる」
玲奈が顔を上げた。
涙に濡れた瞳が、大きく見開かれている。
「俺も、玲奈を大切にしてることを隠すつもりはない」
告白ではない。
けれど、逃げ道を残した曖昧な言葉でもなかった。
玲奈はしばらく俺を見つめたあと、今度こそ柔らかな笑顔を浮かべた。
「でしたら、もう少しだけ近くへ行ってもいいですか?」
「ああ」
俺が頷くと、玲奈はゆっくりと距離を詰め、肩へ額を預けた。
抱きつくわけでも、腕を絡めるわけでもない。俺の許可を確かめながら選んだ、小さな接触だった。
「先輩の隣に立つ資格を、誰かに認めてもらう必要はないんですね」
「少なくとも、俺の隣については俺と玲奈が決めればいい」
「では私は、何度でも先輩に選んでいただける人になります」
「自分を作り変える必要はないぞ」
「いいえ。これは無理をするという意味ではありません」
玲奈は俺の肩へ顔を寄せたまま、静かに続ける。
「先輩に選ばれることだけを目的にするのではなく、私自身が好きになれる私になります。そのうえで、先輩の隣を誰にも譲らないんです」
その声には、依存だけではない強さが宿っていた。
失うことを恐れ、俺へ縋るだけだった玲奈が、自分自身の足で隣に立とうとしている。
俺はその変化を、心から嬉しいと思った。
「……いい話のところ悪いんだけど」
背後の花壇から、聞き慣れた声がした。
振り返ると、千堂が小さなスコップを手に立っていた。
「どうしてそこにいる」
「美化活動で植えた花の様子を見に来たのよ! 今回は盗み聞きじゃないわ!」
「どこから聞いてたんだ?」
「『隣に立つ資格って、誰が決めるんだ』の辺りから」
「ほとんど聞いてるじゃないか」
千堂は不満そうに頬を膨らませ、俺たちへ近づいてくる。
「神楽坂だけ格好いい言葉をもらって不公平よ。私にも何か言いなさい」
「何を言えばいいんだ」
「私が先輩の隣に立つ資格について」
「今のところ、勝手に会話を盗み聞きしないことから始めろ」
「条件が厳しい!」
「最低限です」
玲奈は俺の肩から離れず、どこか余裕のある笑みを千堂へ向けた。
以前なら、千堂が現れただけで不安に揺れていたはずだ。今は俺の意思を確かめられたことで、感情を押し殺さず、それでも必要以上に怯えずに向き合っている。
千堂はそんな玲奈を見て一瞬だけ悔しそうな表情を浮かべたものの、すぐにいつもの強気な笑みを取り戻した。
「分かったわ。資格なんて求めない。私も先輩に、隣にいてほしいと思わせればいいのよね?」
「話を都合よく解釈するな」
「恋する女は前向きなのよ!」
「あなたは前方へ暴走しているだけです」
夕暮れの中庭に、二人の言い争いが響く。
けれど、その声を聞きながら、俺は少しだけ笑っていた。
隣に立つ資格など、最初から存在しない。
あるのは、相手の隣にいたいと願う気持ちと、その願いに応えたいと思う意思だけだ。
そして俺はもう、玲奈の願いを理解しながら、知らないふりをするつもりはなかった。
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