第12話 青春計画は、予定どおりにいかない
千堂が勝手に立案した『三人で放課後青春計画』の最初の項目は、校内美化活動への参加だった。
年に数回、生徒会と各委員会が中心となって実施する校内清掃であり、参加者は学年やクラスに関係なく班を組み、普段の清掃では手が回らない場所を片づける。基本的には有志による活動だが、内申点や教師からの評価を気にする生徒も多く、毎回それなりの人数が集まるらしい。
俺は元々、参加するつもりなどなかった。
放課後まで学校に残って掃除をするほど奉仕精神に満ちているわけではないし、清掃を通じて青春を体験できるという千堂の主張にも、いまひとつ説得力を感じられなかったからだ。
だが、翌朝には俺と玲奈の名前が参加者名簿へ記入されていた。
犯人が誰なのかを考える必要すらない。
「お前、人の名前を勝手に書くなよ」
「口頭で了承を得たわ」
「了承した覚えはない」
「はっきり断らなかったじゃない」
「それを世間では勝手な解釈って言うんだ」
放課後の昇降口前で問い詰めても、千堂は悪びれるどころか、清掃用の軍手を装着しながら得意げに胸を張った。
白い体操服に長い髪を一つにまとめた姿は、普段よりも活動的な印象を与える。黙っていれば運動部の爽やかな美少女にしか見えないが、その手にはなぜか箒ではなく、先端が何本にも分かれた高枝切り鋏が握られていた。
「どうしてそれを持ってるんだ」
「校内の悪しき枝を切り落とすためよ」
「お前が切り落とされないように気をつけろ」
「失礼ね。道具を持たせたら、私は学校一頼れる女よ」
「学校一を便利な称号みたいに使わないでください」
玲奈が俺の隣から冷静に訂正する。
彼女も体操服へ着替えていたが、俺との距離はいつも以上に近かった。参加者が多いせいで千堂以外の女子生徒も俺へ話しかける可能性があると考えたのか、班分けが発表される前から俺の袖を指先でつまんでいる。
「先輩、私から離れないでくださいね」
「掃除する場所が分かれたら無理だろ」
「では、同じ場所へ割り振られるよう先生へお願いしてきます」
「千堂の真似をして勝手に話を進めるな」
「私は愛情から動いています」
「私だって愛情からよ!」
「あなたのそれは好奇心です」
「最近は七割くらい本気よ!」
「三割も不純物が混ざっています」
始まる前から騒がしい二人を見ていると、教師が俺たちを同じ班へまとめた理由も何となく理解できた。他の生徒と組ませて混乱を広げるより、俺を監視役として置いた方が安全だと判断したのだろう。
俺たちが任されたのは、旧校舎裏の中庭だった。
普段はほとんど生徒が立ち入らず、花壇には雑草が伸び、落ち葉が排水溝を塞いでいる。校舎の陰になるため空気は少し冷たく、遠くから聞こえる部活動の声も、薄い壁を一枚隔てたようにぼやけていた。
三人で黙々と作業を始めると、意外にも千堂はよく働いた。
口では容姿を守るために日焼けしたくないだの、土が爪の間へ入っただのと不満を漏らしながらも、雑草を根元から抜き、重い植木鉢も自分から運ぶ。見栄っ張りではあるが、一度引き受けたことを途中で投げ出す性格ではないらしい。
「千堂、そっちは一人で持つな。底が割れてる」
「これくらい平気よ」
「落としたら足を怪我する。俺が持つから、玲奈と落ち葉を集めてくれ」
俺は千堂の返事を待たず、古い植木鉢へ手をかけた。
土まで入った鉢は想像以上に重かったが、持てないほどではない。割れ目へ指をかけないよう慎重に抱え、処分場所まで運ぶ。
戻ると、千堂が箒を動かすことも忘れ、こちらを見ていた。
「何だよ」
「別に。自然にそういうことするのね」
「怪我をされたら困るだけだ」
「神楽坂にも、いつもそうなの?」
「相手によって怪我を放置したりしない」
「……そういうところよ」
千堂は小さく笑い、再び箒を動かした。
普段の大袈裟な態度とは違う、年相応の柔らかな笑い方だった。
その横顔を見た玲奈の手が止まる。
俺へ向けられた感情の変化を、玲奈が見逃すはずもない。彼女は集めた落ち葉を袋へ入れながら、表面上は穏やかな微笑みを保っていたものの、千堂との間へさりげなく身体を滑り込ませた。
「千堂さん。作業が遅れていますよ」
「今の一瞬で何が遅れたのよ」
「先輩を見つめていた三秒です」
「数えてたの?」
「先輩へ向けられる視線は、すべて把握しています」
「重いわね!」
「愛です」
即答した玲奈に、千堂は呆れたように肩をすくめた。
けれど、その表情には以前ほどの挑発心がなかった。玲奈から俺を奪って勝利するという当初の目的は、すでに彼女の中でも形を変え始めているのだろう。
俺へ惹かれているからこそ、玲奈の感情を単なる弱点として扱えなくなっている。
そう見えた。
作業が半分ほど終わった頃、突然空が暗くなった。
天気予報では晴れだったはずだが、校舎の向こうから厚い雲が流れ込み、間もなく大粒の雨が中庭へ落ち始める。乾いていた土は一瞬で濃い色へ変わり、集めた落ち葉が風に煽られて散らばった。
「最悪! 私の計画では夕日を浴びながら爽やかな汗を流す予定だったのに!」
「青春は予定どおりにいかないんじゃなかったのか」
「雨に濡れる青春は髪が崩れるから除外よ!」
千堂が頭を押さえて騒ぐ一方、玲奈は濡れ始めた清掃道具を片づけようとしていた。
「玲奈、先に軒下へ行け」
「でも、道具が」
「俺が運ぶ」
「私も手伝います」
玲奈は引かなかった。
以前の彼女なら、俺の役に立とうとして無理をしていたのだろう。しかし今は、俺の顔を見てから、自分の意思で箒を二本持ち上げた。
「一人で背負わせたくありません。一緒にやらせてください」
その言葉に、俺は頷いた。
玲奈のすべてを遠ざけるのではなく、無理のない形で頼る。それも、俺たちが作り直している関係の一つなのだと思う。
「分かった。滑るから足元だけ気をつけろ」
「はい」
「私もいるんだけど!」
「千堂はその袋を持て」
「扱いに差がないのが逆に悔しいわ!」
三人で道具を抱え、校舎脇の軒下へ駆け込む。
間に合うはずもなく、体操服はすっかり濡れてしまった。髪から水滴を落とす玲奈は、それでも俺の方を見て、怪我がないことを確認すると安堵したように息を吐いた。
千堂は濡れた前髪を指で持ち上げ、恨めしそうに空を睨んでいる。
「せっかく完璧な青春イベントを用意したのに、全部台無しじゃない」
「そうか?」
俺が答えると、二人がこちらを向いた。
「三人で掃除して、くだらないことで言い合って、急な雨に濡れた。予定とは違ったけど、あとで思い出すのは、たぶんこういう日の方だろ」
青春という言葉に、正解があるとは思えない。
誰かが用意した象徴的な出来事をなぞることでも、映画のように美しい場面を集めることでもない。思いどおりにならない時間の中で、誰と一緒にいたのか。その人たちと過ごした瞬間を、いつか手放したくないと思えるのか。
きっと、それだけで十分なのだ。
「……先輩は、ずるいですね」
玲奈が濡れた髪を耳へかけながら呟く。
「何がだ」
「どんな状況でも、私が先輩と一緒にいられてよかったと思う言葉をくださるので」
彼女は俺の袖を握り、静かに身体を寄せた。
「今日のことも、ずっと忘れません」
「忘れていいことまで記憶しそうだな」
「先輩と過ごした時間に、忘れていいものはありません」
重い言葉だった。
しかし、その重さを俺はもう恐ろしいとは思わない。
玲奈が自分を壊さず、言葉で感情を伝えてくれる限り、俺も正面から受け止めればいい。
「ちょっと待ちなさいよ」
千堂が俺たちの間へ顔を割り込ませる。
「いい雰囲気で終わらせないで。今日の企画者は私なんだから、私も思い出の中心にいる権利があるわ」
「権利を主張するものじゃないだろ」
「じゃあ三人で記念写真を撮るわよ!」
「今の姿でですか?」
「ずぶ濡れだからこそ青春っぽいの!」
千堂は返事を待たず、スマートフォンを取り出した。
玲奈は不満そうにしながらも、俺の隣から離れようとはしない。結局、俺を中央にして、右には玲奈、左には千堂が並ぶことになった。
撮影直前、千堂が俺の肩へ寄ろうとし、玲奈が無言で押し戻す。
「近すぎます」
「あんたは腕を組んでるでしょう!」
「私は先輩の後輩なので許されています」
「その肩書き、無敵じゃないわよ!」
言い争う二人の間で、シャッター音が鳴った。
画面に映ったのは、完璧な笑顔とは程遠い一枚だった。
玲奈は千堂を警戒して頬を膨らませ、千堂は押し返されたせいで表情を崩し、俺も呆れたように眉を下げている。
それでも、誰かに見せるためではないその写真を、俺は嫌いになれなかった。
何者でもない関係を、これから少しずつ形にしていく。
その途中にある俺たちには、整いすぎた写真よりも、こんな一枚の方が似合っている気がした。
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