第10話 破天荒な少女は、真正面から惚れにくる
千堂千鶴という少女は、良くも悪くも自分の感情に素直だった。
玲奈に対する対抗心から俺へ近づき、最初は「学校一の座を奪うため」という、あまりにも分かりやすい理由を掲げていた。それが最近では、俺の言動を観察するたびに興味を深め、ついには本人の口から、後戻りしたくなくなってきたとまで言い出している。
あれを冗談として受け流すほど、俺は鈍感ではない。
千堂はまだ恋と呼べるほど自分の感情を理解していないのかもしれない。それでも、単なる勝負の道具としてではなく、俺自身を異性として意識し始めていることくらいは分かる。
そして当然、玲奈も同じ結論へ辿り着いていた。
「先輩、千堂さんと二人きりになってはいけません」
昼休みを終え、玲奈を教室まで送る途中、彼女は俺の袖を両手で掴みながら念を押してきた。
「昨日から何度目だ、それ」
「七回目です」
「数えてるのか」
「重要なことですから」
玲奈の表情には、学校一の清純派アイドルらしい穏やかな笑みが浮かんでいる。しかし、その指先は俺が逃げないよう確保するかのごとく、制服の布をしっかりと握り込んでいた。
千堂の好意が本物へ変わりつつある今、玲奈の警戒心が強くなるのも無理はない。
ただ、俺には千堂を一方的に拒絶するつもりもなかった。
もちろん、玲奈への嫌がらせや、俺を使って勝負をするような行動は止める。だが、千堂が一人の人間として俺へ向き合おうとするなら、俺も彼女の言葉を正面から受け止めるべきだと思っていた。
「玲奈。千堂が本気で何かを言ってきたら、俺はちゃんと話を聞く」
「……どうしてですか」
「好意を向けられてるのに、分からないふりをしたくないからだ」
玲奈の足が止まった。
俺も立ち止まり、彼女の顔を見る。そこに浮かんでいたのは怒りではなく、不安だった。
「先輩は、千堂さんの気持ちに応える可能性があるんですか?」
「今の時点ではない」
曖昧にせず、はっきりと答える。
「俺は玲奈との関係を立て直すことを一番に考えてる。千堂が面白い奴なのは認めるけど、好意を向けられたからすぐ好きになるわけじゃない」
「では、私が一番ですか?」
「少なくとも、今の俺が一番大切にしたいのは玲奈だ」
その言葉を聞いた瞬間、玲奈の瞳が大きく揺れた。
次いで、頬へ見る見るうちに赤みが広がっていく。俺の袖を掴んでいた手を胸元へ引き寄せ、何かを堪えるように俯いた。
「……今の言葉、録音してもよろしいでしょうか」
「駄目だ」
「では、記憶に永遠に保存します」
「それは好きにしろ」
「先輩が私を一番大切だと……一番……」
何度も同じ言葉を噛み締める玲奈を見て、俺は少しだけ笑った。
不安を誤魔化すのではなく、安心できる材料を与える。それが今の玲奈には必要なのだろう。
ただし、安心したからといって、彼女の警戒が解けるわけではなかった。
「ですが、二人きりは禁止です」
「話が戻ったな」
「先輩が誠実だからこそ危険なんです。千堂さんの話を真面目に聞いて、優しく諭して、気づけば相手を深く惚れさせてしまう可能性があります」
「俺を何だと思ってる」
「女性の人生を無自覚に変えてしまう人です」
「無自覚じゃない。千堂が俺に興味を持っていることは分かってる」
「それなら、なおさら駄目です」
玲奈は真剣な顔で俺を見上げた。
「私は先輩を信じています。ですが、千堂さんは信じていません」
「本人が聞いたら怒るぞ」
「構いません。先輩を奪おうとする人に好かれる必要はありませんから」
以前の玲奈であれば、嫉妬していること自体を隠し、冷たい態度で俺に察してもらおうとしただろう。今は違う。
不安なら不安だと言い、嫌なら嫌だと伝えている。
感情の重さは相変わらずだが、言葉にしてくれるだけで、俺も向き合うことができる。
「分かった。二人きりになるときは玲奈に伝える」
「ならないとは言ってくださらないんですね……」
「必要な話なら避けない。でも隠しもしない」
「……それで妥協します」
不満そうではあるものの、玲奈は小さく頷いた。
互いにすべてを思いどおりにするのではなく、納得できる場所を探す。それは以前の俺たちにはなかった関係だった。
その日の放課後、俺は担任に頼まれた書類を資料室へ運んでいた。
人気のない廊下を歩きながら、両腕に抱えたファイルの重さに耐えていると、後ろから軽快な足音が近づいてくる。
「守若先輩!」
振り返るまでもなく、千堂の声だった。
「何だ」
「奇遇ね。私もちょうど、この資料室に用事があったの」
「お前の教室、反対側だろ」
「細かいことを気にする男はモテないわよ」
「嘘を指摘しただけだ」
千堂は悪びれる様子もなく、俺の隣へ並んだ。
俺が抱えているファイルを数秒見つめたあと、何の断りもなく半分を奪う。
「おい」
「持ってあげる。感謝しなさい」
「手伝うなら普通に言えばいいだろ」
「素直に親切にしたら、私の破天荒キャラが崩れるじゃない」
「自分で演じてるのか」
「半分は天然よ」
「一番扱いに困るやつだな」
資料室へ向かいながら、千堂は珍しく騒がなかった。
普段なら自分の可愛さを主張するか、玲奈への対抗策を得意げに語るところだが、今日は何かを考えるように前を向いている。
やがて資料室へ入り、ファイルを棚へ戻し終えると、千堂は扉の前へ立った。
俺の退路を塞ぐような位置だが、表情にはふざけた色がない。
「先輩。私が来たこと、神楽坂に報告するの?」
「する」
「即答なのね」
「隠すと約束を破ることになる」
「私が口止めしても?」
「同じだ」
千堂はしばらく俺の顔を見つめたあと、小さく息を吐いた。
「本当に、つまらないくらい真っ直ぐね」
「悪かったな」
「褒めてるのよ」
彼女は窓際へ歩き、夕日に染まった校庭へ目を向けた。
「私、今まで男子から何度も告白されたわ」
「だろうな」
「でも、みんな私の顔しか見てなかった。学校一になれるとか、隣を歩けば自慢できるとか、そういうのばかり」
千堂は自信家だ。
けれど、その自信の裏側に、容姿だけで判断され続けてきた寂しさがあることを、俺は初めて知った。
「私自身を見てくれる人なんて、ほとんどいなかった」
「玲奈と似てるな」
「一緒にしないで。あの女は天然で人を落とすけど、私は血の滲む努力で可愛さを作ってるの」
「そこは張り合うんだな」
「重要よ」
千堂は俺へ向き直った。
「でも先輩は、私の顔に流されなかった。迷惑なことは迷惑だと言って、努力したところには礼を言った。神楽坂を肩書きで見ず、一人の女の子として大切にしていた」
彼女の頬が、僅かに赤く染まる。
「最初は、神楽坂から奪えば勝ちだと思ってた」
「性格が悪いな」
「知ってるわ。でも今は、少し違う」
千堂は一歩ずつ近づいてくる。
俺は逃げなかった。
ここで曖昧に笑えば、彼女の気持ちを軽く扱うことになる。だから、真正面からその瞳を見返す。
「私は、あなたに興味がある」
「分かってる」
「これから本気で好きになるかもしれない」
「それも分かってる」
「……本当に鈍くないのね」
「最初からそう言ってるだろ」
千堂は一瞬、呆気に取られたあと、声を上げて笑った。
「いいわ。ますます気に入った」
「ただし、今の俺は玲奈を大切にしたい」
「それも知ってる」
「玲奈を傷つけるために近づくなら、俺はお前を拒絶する」
「じゃあ、傷つけなければいいのね?」
千堂の切り返しに、今度は俺が言葉を失った。
彼女は勝ち誇ったように人差し指を立てる。
「神楽坂を陥れない。先輩を騙さない。正面から私を見てもらう。それなら文句はないでしょう?」
「お前、諦める気はないんだな」
「ないわ。学校一の座も、恋も、欲しいものは全力で取りにいく主義なの」
破天荒で、強引で、どこまでも自分勝手。
けれど、自分の感情から逃げず、拒絶される可能性ごと受け止めて前へ進む姿勢は、嫌いではなかった。
「分かった。好きにしろ」
「言ったわね?」
「ただし、俺も思ったことは遠慮なく言う」
「望むところよ」
千堂は満足そうに笑うと、資料室の扉を開けた。
その先には、微笑みを浮かべた玲奈が立っていた。
「……先輩」
「玲奈。ちょうど今、千堂と話していたところだ」
「はい。最初から聞いていました」
声は穏やかだった。
しかし、背後に立つ玲奈の周囲だけ、空気が異様に冷たい。
千堂は怯むどころか、俺の隣へ堂々と並んだ。
「聞いていたなら話が早いわね。私、先輩を本気で好きになることにしたから」
「許可しません」
「感情に許可なんていらないでしょう?」
「では、好きになるだけにしてください。触れる、誘惑する、二人きりになる、連絡先を交換する、先輩の半径一メートル以内へ入ることは禁止です」
「好きになる以外、全部禁止じゃない!」
玲奈は俺の腕へ抱きつき、千堂へ完璧な笑顔を向けた。
「先輩を好きになる苦しさだけは、共有して差し上げます」
「性格悪いわね、あんた!」
「千堂さんほどではありません」
二人が睨み合う間で、俺は小さく息を吐いた。
どうやら俺の日常は、当分静かにはなりそうになかった。
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