七話目 隣壁解放
「上向先生、ちょっと来てください」
日が出ると生徒達はこぞって教室から出て行きたがる。狭い空間で緊張しながら過ごす夜は堪えた。
器用に椅子に腰かけた黒い毛皮の獅子人は、呼び出されるままに廊下に出た。
「さっきから変な声が聞こえるんです」
無量は場木を連れている。
昨日なら彼女たちと共に神部も一緒にいたが、昨晩のこともあって今は中庭で一人、ひなたぼっこしているらしい。
無量に案内されるままに、教室の扉からそう遠くない場所までやってきた。距離にして二メートルもない。
「ここです、ここ」
無量は壁に手をついた。
上向も同様に壁に近づき様子を見る。剥げた土壁は手におうとつの感触を与える。
確かに何か聞こえる。よく聞こえるように耳を壁に押し当てた。
「……!」
「人の声ですか」
何か伝えようとしているが、壁でくぐもった声は内容まで聞こえない。
大声で叫んでみる。
「どなたですか。こちらの声は聞こえますか?」
「……!? ……!」
途端、向こうの様子が変わる。相変わらず言葉は聞き取れないが、必死さを感じる。あと壁を激しく叩く音が追加された。どちらかというと助けを求めている気もしてくる。
「出られないみたいです」
「壁があるもん」
これがゆとり世代と脱ゆとり世代の会話。会話が成り立っているようでその実中身がない。
そうだねと一区切り入れる。
「上向先生、この壁壊せないかな」
先生なら何でも出来ると思ったのか。こちとら一応学生なんだが。心の中で文句をたれながら、腕を見る。
今朝から変わらず獣人状態の体。影は退治できたようなので、安心して人間に戻れるはずとパソコン画面も太陽光も見ていない。
変身すれば力が出るといった効果を上向個人はまだ実感していない。
けれど、女子高生二人から期待のまなざしを向けられ、ついつい見栄を張ってしまう。
「崩せば良いですか」
もろそうな土壁といえども、いきなりグーパンチでは拳が泣く。
少しずつ崩していこうと手で撫でた。人間の手であったなら指先でぼろぼろ崩していけそうだ。しかし生憎現在上向の手はあまり動かない短すぎる指。
鋭い爪が壁の砂土に食い込み不快感に手が止まる。
「何か道具が欲しいですね」
呟きながら壁を叩いて回る。猫パンチではない。そう見えても仕方ないけど、猫パンチではない。
すると、ひびの見えていた場所がぼろりと崩れる。やはりもろい。下から銀色が覗く。
日本家屋なら竹格子の土台が見えていたはずだが、そうか洋風建築だからなんか上向も知らないような贅沢な土台を使っているのだろうか。
ぼろぼろ崩れていく。
無量も場木も遠巻きに見ていた。手伝う気配はない。ただ、真剣に見守っている。
結構崩れてきた。奥に見える銀色の板はどことなく見覚えがある。
向こうも気付いたのか、板を叩いている。
「もしかして、こっち?」
声が聞こえた。こもり方が変わり、女の声が聞き取れるほどになった。
いきなり、板ががらりと音を立てて開いた。
「あ」
間抜けな声が上がる。
「な、なによアナタ」
「蓮村さん!!」
出てきた女は獣人に驚き、名前を呼ばれてもう一度驚いて尻餅をついた。
上向は彼女に見覚えがある。同じ教育実習生として高校に通っていた、蓮村 妙。
そう言えばと学校の見取り図を脳内で描く。コンピュータ教室の隣は、家庭科兼情報科準備室だった。既視感を感じた銀の板は、準備室の扉だったのだ。見たことがあって当然。むしろ何故気づけなかったのか分からない。
蓮村は目の前の変な生き物が上向と気づいていない。人間の上向にしか会ったことはないのでそれも当然。
「蓮村先生? ああ、かんちゃん達のクラスに来ていた実習の先生だったんだ」
無量が上向を押しのけ手を伸ばす。
何が何だか分かっていないといった様子で、蓮村は挙動不審。
少しして落ち着いたのか、無量の手を断り、体を起こした。
「ありがとう。えっと、ごめんなさいお名前は?」
「無量です。無量栞沙」
「ありがとう、無量さん」
にっこりと微笑むが、眉根を寄せる。恥ずかしいところを見せてしまったと嘆いている顔だ。
「それで、こちらの方は誰なの?」
上向を見る顔が引きつっている。肩の辺りがよく見ると震えてもいる。
「言葉は通じますか?」
「俺、さっき蓮村さんの名前呼びましたよね。なにか、驚きすぎて記憶が飛んだか」
蓮村の態度に酷くいらついていた。丁寧キャラが崩壊するほどに。
実際、生徒と先生に挟まれ緊張状態だったところに、同期が現れたものだからうっかり気が抜けてしまったようだ。
蓮村の方は剣幕に恐れを抱いたか少しひるむ。
「誰?」
ひるみながらも果敢に挑戦してくる。
そんな蓮村に気圧され、少し自分を取り戻した。
「上向です。情報科の実習の」
「上向……くん?」
正確に答えたというのに反応は鈍い。鈍いどころかフリーズしている。おおかた現実について行けなくて頭が処理落ちしたのだろう。
「そ、そうなの」
処理を諦めた返事だ。
「もっと驚くことがあると思うから、付いてきませんか?」
声をかけると、おそるおそるといった様子で壁の穴を抜け廊下へ出てきた。
眼前に広がる洋館内部を見て目を丸くするが、内心の困惑を悟らせたくないのか必死に無表情を装う。ただ単に処理落ちしているだけかも知れない。どちらにせよ反応としてはあまりかわいくない。
コンピュータ教室は現在無人。
雁瀬先生は図書室に出かけている。男子生徒は鬼ごっこしていたし、神部は日光浴中。
この状況を上手く説明する自信がなかったのだが、思いの外無量が説明上手だったので丸投げした。
おもしろおかしくこの三日間のことを話し終える。
面倒なので上向は話半分で聞き流していたが、それでも面白そうだった。
無量のおかげか、フリーズすることなく蓮村は笑って話を聞いている。
「魔方陣のおかげで上向くんがライオンさんなのね」
「ちなみに、蓮村先生は何座ですか?」
ひくりと引きつった笑みを浮かべた。
「ノーコメントかなー」
「かなー」
はははと笑い合う。二人とも渇いた笑いだ。
「気に入らないんですか? どうせ牛とか天秤とか。でも、いっそ乙女でも面白そうだ」
「そそそ、そんなんじゃねーよバカヤロウ」
適当に言ったつもりだったが、上向の予想はどれか当たった様子。
それにしてもここにいる女子の星座嫌い率は何故こうも高いのか。蓮村どころか未だに場木の星座も分かっていない。
「変身したくない場合は、英語の画面に近づかないことですね」
「わかった、気をつける」
無量の言葉に凄く警戒心の宿った目でパソコンを睨み付ける。
「警戒する相手が違いますよ、一番の敵はパソコンじゃなくて人間」
上向は二度も填められ変身する羽目になった。一度目は阿戸鳴の不注意に。二度目は雁瀬の実験。
パソコンが勝手に壊れることがないのと同じように勝手に動くことなど無いのだ。だいたい使う人間のせい。
「心得た。忠告どうも」
若干どもりながら蓮村は返事をした。
「でも三日目か」
意味ありげに蓮村は呟いた。
「私も雷には気付いたが、それから一晩くらいだと思っていたわ」
どういう事かと尋ねる前に蓮村は続ける。
「雷の後、様子を見ようとしたんだが準備室から出られなくなっちゃって、心配だけど授業準備が終わってからまた様子見ようと思って。その後結構時間がたった頃に停電が起きたのは憶えているんだけど、その後のことはちょっと、あいまいで……」
蓮村の語る不思議体験に上向達の体験を重ねる。
「僕たちは授業が終わる少し前に雷が鳴って、その十五分後に教室を出ようとして異変に気付いた。その後、阿戸鳴が馬になったりしたけど」
思い出したように無量が口を挟む。
「停電! 阿戸鳴がブラウザを消しちゃって、その時ゴーストが襲ってきたの」
上向は居なかったので印象には無いのだが、静かに動揺していた生徒達の姿を思い出す。
「もしかして、ゴーストに食べられちゃってたから今まで意識無かったんじゃ」
無量も後ろにいた場木も恐怖に引きつった顔をするが、逆に考えると悪い話だけでもない。
「なら安心だ。食べられても元に戻れるってことですね。早朝に書いたゴースト瞬殺の紋が効いたんですよ」
上向の言葉に女子高生達の顔が元に戻る。
少しして彼女たちの顔は輝きだした。
「そうですね、そうならもう怖くないですね!」
「でも保証はできないから、雁瀬先生が戻ってからにしましょう」
提案すると、場木が大人しくなる。
「上向先生は学習しない」
ぐさりと刺してくる。無口なくせに言葉の凶器使用率が高い。
「なぜですか」
「きっと、雁瀬先生は上向先生で実験するよ」
何が来てもすぐ言い返そうと待機していた口を思わず閉じた。閉じる前におう……と声が漏れた。はっきり否定を返せない。
「でも蓮村先生の実験が先かも」
蓮村はフリーズしている。
今度も上向は言い返せなかった。




