八話目 残留思念
机の上に前足を乗せて、窓の方を向きぶーたれた顔をしている。
蓮村の不満についてはわからなくもない。
椅子に拘束されて、抵抗むなしく人間を止めていくのだ。あれほどの暴力を振るったのだ、蓮村はよほど自分の星座を認めたくなかったらしい。
上向だってそのくらい分かる。まあ、雁瀬先生の指示とは言え、押さえつけたのは他でもない上向だったが。
もう買った買った、大ひんしゅく。
蓮村だけじゃなく女子からの怒声、罵声、陰にない陰口、よりどりみどりの罵詈雑言。女ってどうしてあんなに怖い言葉知っているのか。物理攻撃がこなかっただけマシか。
教室内の空気は最悪。上向は安佛達に庇われながら部屋の外で縮こまっている。太陽の位置が高いことだけが救いだ。
「白く輝く牛が窓辺で黄昏れてんのを見ると、なんか、こう。笑いがこみ上げてくるな」
阿戸鳴、お前は味方なのか敵なのか。
こんな時にこんな事で笑ったら上向はきっと日暮れになっても教室には入れない。むしろ日が暮れてから追い出される。夜になっても基地に回収してもらえなかった命は、エサとして食べられるという残酷な運命しかないというのに。
顔を背け笑いを必死にこらえていると、安佛が悪ガキをたしなめる。
「阿戸鳴さ、ほどほどにしな。蓮村先生がさ、可哀想だろ」
牛になった蓮村の首がぎこちなく回る。鬼だ。牛だけど、鬼だ。角だって有る。
ひいいと情けない声を上げて体をピンと伸ばす。
まさか、しっかり者のお姉さんが牛になるなんて誰が想像しただろう。
今ではすっかり白色無地の家畜系美人。ホルスタインなら妄想がはかどっただろうに、惜しい。
しかしどうしてこうまで牛に完全変態するまで拘束を続けさせられたのか。上向には少し不満が残る。獣人の段階で超良い感じのシーンがあったんだ。割と一瞬だが、手が蹄になった頃、顔が伸びる直前。耳と小角だけ付いた牛お姉さん。まつげ超長いから顔に色気有るし。しっぽもいい。
でもやっぱり夢で語るなら牛になるのは胸だろう。けれど、蓮村は元々大きい方だったのでその必要性も感じない。
気に入らないのは蓮村も同じらしい、ぶるると唸っている。天井を睨みながら。
ぴくんぴくんと角の後ろで筒状の耳が動く。
ふてくされていた蓮村は気怠そうに立ち上がった。慣れない体ということもあってその動作はゆっくりしている。
開け放ったままの扉をくぐり、廊下に出る。
「どこかへ行くのですか?」
声をかけると非常に冷気を纏った目が向く。怒りは通り越した目だ。竦んだがとりあえず、反省していますという体勢を取る。
「……上向くんもついてきて」
「体育館裏に来いってやつか」
怒ってるんだろうな、あの蹄痛そうだな等と考えると、上向の視線は蹄に釘付けになる。
いくらたてがみがモフモフだからってあの硬そうな物防げる気がしない。頭に食らったらと考えるだけで頭痛がする。
「ばばば、バカヤロウ。ただ何かあったときに盾にしてやろうって思っただけよ」
その提案が一発殴らせろよりもえげつない発想だとは気付かない蓮村。
それでも上向は、牛が鼻息荒くバカヤロウと言う様子がかわいかったので素直についていく事にした。バカヤロウと言いながら顔を真っ赤にしてた人間の蓮村も良かったがこれはこれでいい。
「雁瀬先生が来てくれたら良いのに」
牛はちらりと今朝発掘された扉を見やる。
彼は蓮村が無事に牛になったことを確認した後、現在も準備室に引きこもり中。教室を追われ居場所に困った上向が入ろうとしたら怒鳴られた。非常に珍しい。怒鳴り声があまりにも響いたので蓮村も怖じ気づいて準備室には入れない。
「どこ行くんだよ」
獣人状態が直らない上向の歩き方はひょこひょこ。慣れない牛の歩き方はぷるぷるてんぷるぷるてん。全くもって進まない。
うーんと牛の口からうなり声が聞こえる。
「なんか違和感があって、呼んでる気がする」
端的に言えば勘かな。などと言うので、上向はその舌を抜いてやりたい衝動を必死に押さえた。
「雁瀬先生ならこの建物のこと、いくらかわかっていそうでしょ」
「それには同意する」
教室・廊下・中庭が行動範囲の上向と生徒諸君に比べ、雁瀬の行動範囲は広い。他にも、本か何かで知識だってつけていそうだ。
先生自ら話しだしたりはしないけど。
「それに私、英語自信ない」
きっぱり言い切るがどれだけ胸を張って宣言したところで自慢にはならない。
「……俺も頼りにはならないぞ」
上向は去年、アプリケーション制作のために見た資料が英語で発狂した所だ。情報科は基本、アルファベットと数字。日本語だとしてもカタカナ用語が飛び交うワンダーランド。
泣いた笑った発狂した。黒歴史に収めておこう。
歩みこそ遅いがその足取りに迷いはなく、たどり着いた先は階段だった。
段差は大したことないが横幅の広さに圧倒される。廊下といいこの階段といい、普通乗用車で行き来するために作られているわけでもないのに。むしろトラックでも通れそう。
白い石壁は少ない光を上手く照らし返す。足下に不安はない。
「むり、ダメ、怖い」
それでも四足歩行の牛には無理らしい。
前足を段にかけたは良いがその後ふるふると固まってしまう。
原因は段の幅。宝塚の大階段程ではないが、獣人上向の足でもはみ出してしまう程の幅なので、仕方がない。
また明日雁瀬先生を連れて出直そうと提案すると、別の場所へ行くと言い出した。
角の後ろでぴんぴん耳が揺れる。
意識してやっているのなら面白いと上向は暇に飽かして考えてしまう。
牛の足は遅い。
それで、随分長い時間をかけて扉の前に立った。
白い牛はその美脚で軽く扉を蹴ってみる。押し戸ではない。
上向に変わり、短い指を引っかけて引いてみる。どうやらスライド式らしい。
立て付けが悪いのか、がたがた揺らして右に開く。陽光が入り、室内は明るく照らされた。
長机が置かれている。椅子がまばらに立ったり転けたり崩壊していたり。
人の気配はやはりない。長年放置されていたようだ。
迷うことなくその中を蓮村は一直線に進む。椅子を避けようとしていたが、最終的には諦めた。
そんな牛の後を追う。
突き当たりの壁際で止まった蓮村の隣へ並んだ。
壁際の椅子は一つ異様な存在感を醸し出していた。
まるでそこに誰かが今も座っているかのように錯覚する。
「ゆ、幽霊」
何を見たのか、蓮村は目を見開く。後ずさりしようにも体が動かないらしく、足をがくがく震えさせる。
なだめるように上向が肩の辺りへ手を伸ばすと、ビクリと体を緊張させた後上向の手を確認し、安心したようにため息をついた。
「そこに誰か座っているのか?」
返事の代わりにカカカと快活な笑い声が響いた。
「ワシを読み取る輩が来るとは、世も捨てたもんじゃあない」
今度は上向が驚く番だった。姿が見えていたらしい蓮村は今更声が響くぐらい平気なようで足の震えを止め、椅子の方を向く。
「この部屋は下働きの部屋だ、たいしたもんは残しとらん。とはいうものの、この王宮はもうダメだ。何も残らんさ」
陽気な声はこちらの様子を気にすることなく響き続ける。
「よう聞け、ワシの言葉を残す。貴様の話は聞けねども、ワシの話は悪いもんでもないぞ」
虚空に響く音に圧倒されて何も返せない。
「こんにちは、おばあさん」
どもりながら牛が話しかける。蓮村には老婆が見えているらしい。どうりでだみ声が響いているわけだ。
しかし返事はない。
「全て失ったのだ、王も后も子ども達も。窮地に立った我らを待つのは滅びのみ」
声は響くが蓮村の挨拶に対する返事とは思えない。
「ここは呪われた王宮よ。愚かな罪人にそそのかされた王がおわす王宮よ。夜の王とは愚かなことよ。死することも出来ず、陽光に怯え逃げ惑い続ける」
初めに貴様の話は聞けねども、とこの老婆が言っていた。一方的なメッセージが残っているのだと気付く。
「あの犯罪者を裁いておくれ。人の身に余る愚かな支配を破壊しておくれ」
明朗とした笑いは何所へやら、今となっては痛みを伴うような叫びしか響かない。
「ワシが残せるのは、助けを求める声だけぞ。皮肉ぞな。残留思念の法なぞあの犯罪者から学んだ物で助けを求めるなど」
叫びが落ち着き、ヒヒヒと自嘲的に笑った。
「あの女に全てが奪われたのだ。山羊の女ぞ気をつけよ……」




