六話目 復活の呪文
床に倒れる神部。呼吸は荒い。
無量がつんざく高音で名前を呼ぶが、応じる気配はない。
ひとしきり叫んだ後で、今は他の手を取るべきだと冷静に判断した。
その隣で静かにたたずんで考えこんでいた雁瀬先生が、かがみ込み神部の様子をうかがう。
「外傷はないし、太陽の力を食われかけたんだと思うんだがね」
推測だけで組み上げられた考えだけどとつけくわえる。
「あの化けもん、マレフィキだと名乗ったろう?」
暴れ倒して逃げていった角有り女は、名を聞かれてマレフィキと名乗った。雁瀬先生だけが変に反応した例の異国風の名前だ。
図書室から持ち込んだ大型本を指さす。
「あれによるとマレフィキつうのは、ゴーストが太陽の力を手に入れたときに出てくるゴーストの上位種。まあ、上位種の一つと言った方が正しいね」
要するに、奴の正体は例の生徒達を襲った影が、実際に人間を取り込んだ後の姿だという。上位種の一つと言ったのは、マレフィキ以外にも多様な姿があるからだ。取り込まれた人間が持つ黄道十二宮のクラスにより名前は変わるらしい。マレフィキは山羊座クラスの人間が影響している。
栄養源となった人の姿をとれるが、はじめから人間ではない。つまり、亡者の姿を借りている。
だから雁瀬先生はマレフィキのことを「山羊の亡者」と形容した。マレフィキ自身それを否定していなかったのだ、推測は大体あっていると思って差し支えない。
「わっしが捕まえたとき、化けもんが苦しんどったろ? それはわっしが水瓶座に成っていたからだ。変身は太陽の力を放出してる姿なんで、ゴースト側にすれば人間が生意気にもトゲ付きバリア張ってるようなもんだ」
微妙な喩えを交えながら授業を進める。
「上向先生を見てみ」
雁瀬先生の言葉で生徒が一斉に上向に視線を向ける。非常に素直で優秀な生徒達だ。いくらか従順すぎるほどに。
「マレフィキに手を出す前は、完全な獅子の姿だった。今はどうだ?」
「中途半端に人間くさいです」
安佛は真顔でも冗談を言える。
「そうだ、力の放出を控えてしまい人間らしくなってきた。マレフィキが物を投げてきた理由はそこだ」
どこだ、と古典的なギャグを挟む阿戸鳴。
阿戸鳴が後ろから尻を叩いた。
「あの化けもんは放出を止めさせる手段か、触れる事無く力を奪う手段を持っている」
断言した。教師は自信のない態度を見せるべきではないと確かに教えられたが、こんなよく分からない状況で、しかも明らかに専門外の事をよくもそんな言い切りの形で話せるもんだ。上向は教職の恐ろしさを実感した。
けれどその断言のおかげか、生徒達の班会議は始まる。
「初めマレフィキがかんちゃんに近づけなかった理由は双子座になっていたからなんだね」
「最後は踏んづけてたぞ」
「神部のさ、双子座が上手くさ、放出しなかったんだろ?」
「マレフィキがしてきた最後のキックの時には、もうかんちゃんは人間に戻ってて、バリアを張れないから、それで、蹴られちゃったんだよね」
「無敵の鎧がぱあん」
「黙れ阿戸鳴」
緊張感の欠片も無いどころか、不謹慎。二人から怒罵されて、さすがの阿戸鳴も縮こまる。
「すません」
いらいらと頬の肉を引きつらせる無量の隣でぼそぼそと場木がささやく。
「魚実、聞こえない」
機嫌の悪さに困惑を見せつつ少し大きくなった声で呟く。
「神部さん、どうしたら起きるかな」
気まずそうに神部の体を見下ろす。
「先生の話だと、太陽の力を失ったかんじかな」
「いいや、他の考えもある」
思い詰めた顔で、言いにくそうに雁瀬先生が乱入する。
「ゴーストが神部の中に入り込んでいる場合」
ぴんと人差し指を立てた。
マレフィキの手によって送り込まれた視認不可能なほど少量の影が中から神部を取り込もうとしている。イヤな想像だが、もしそうだとすると神部が亡者の仲間入りするのは時間の問題。
「その場合だと、今も中から力を奪い続けている」
人間の体に残る太陽の力を失えばどうなるのか、雁瀬先生が語らない理由は情報が少なくまだ不確定だからであってほしいだれもが願った。
「太陽の力を取り戻せば?」
阿戸鳴の視線はパソコン画面に向いていた。
「奪われたんならそれで戻るはず、だが、もし影が入ってれば……」
画面からの影響では間に合わない可能性がある。
それでも一時しのぎにと、生徒達にかりだされた上向は意識のない神部を引き上げ、パソコンの前に座らせる。
座らせようと体を起こした時、神部の荒かった呼吸が浅くなっていた。回復に向かっているのか、弱っているのか傍目では判断できない。
何か思いついたのか、雁瀬先生は大型本をぺらぺらとめくり始める。
先ほどの雁瀬先生の話を聞いて不安になった上向は、神部の隣でパソコン画面の光を浴び次の指令を待つことにした。
非常に静かな呼吸だ。安らかな寝息に聞こえないこともない。
ただ寝ているだけなら良いのに。そう思いながら獅子は机に突っ伏した顔を隣の神部に向けた。
苦しげな様子はない。少し開いた唇から前歯が覗く。けっして出っ歯というわけではないが真っ白で健康的な歯は目立った。
体に力が入っていないせいで両腕はだらりと垂れ下がる。姿勢には気をつけてやったつもりだが、変に癖が付くと可哀想だ。
「よーし、上向先生、神部をこっち連れてきて」
大声で意識が戻される。眠っていたことに起こされてから気付いた。
顔を上げると、教卓の向こうで雁瀬先生がホワイトボードに向かっている。
頭が痛かった。画面に表示されている時刻は早朝。いくら朝早い日でもこんな時刻に起きたことはない。寝不足のようだ。
「はやくしろー」
教卓を両手で叩く。容赦ない追い立てに渋々目を覚ます。
相変わらず意識のない神部の脇に手を入れて体を起こし、起こしたはいいが抱き上げるまでの力は入らずそのまま引きずる。
「上向先生。完全に獣やめたね」
何を言っているのか分からないが、未だ上向の手は人間の姿ではない。
「昨日みたいに画面の前に四時間きっかし座っていたのに、今日は変な獣人だ」
ぼーっとした頭で雁瀬の言葉を考える。
「つまり、昨晩から現状維持ですか?」
「そー。つまり、影に食われてる」
やっぱり眠っていないのか、雁瀬先生の顔は昨日にまして真っ白。
あれと上向は頭を押さえた。
目に続きやっと頭が覚めた。
「大変じゃないですか」
パソコン画面の効果で太陽の力は補充しているはず。しかし、上向の姿が変わらないのは補充した分だけ影に奪われているから。
軽度の攻撃しか受けていない上向が影の侵攻を受けているのなら、神部の方がもっと深刻なはずだ。
「だから、はやくー」
ばんばんばんと教卓を叩く姿は幼児退行を疑う。
仕方なく神部の足を引きずりながらホワイトボード前まで運ぶ。
「はい、そこ立って」
雁瀬先生が今立っていたところを示す。すぐ脇のボード上には黒のマーカーで変な魔方陣が描かれている。
言われるままにあやしい魔方陣の前に立つ。神部を胸の前でホールドしたままだ。
「よーし、せーの」
雁瀬先生が神部の両肩を掴み、勢いよく魔方陣に押しつける。
そして派手にホワイトボードに打ち付けられた上向の肩。獣化のせいで猫背になっていた事もあり、頭はかろうじて死守された。背骨は痛い。あと、腰にボード下のマーカー受けがクリティカルヒットした。
くうと唸っていると、背中が輝き出す。
光度はみるみる増し、教室中が照らされる。
眠っていた生徒達も全員起きた。
意識を取り戻した神部は、はりつけ姿に気付くと暴れた。非常に暴れた。
上向の腕がむしられると恐怖するほど暴れた。むしられはしなかったが、ヘッドバンギングをかまされ、鼻を打ち付けた。
「何だったんですか、これ」
殴られる恐怖から生じたパニックから解放され、神部を放した上向。その背中に有ったはずの雁瀬先生力作魔方陣は消えてしまった。
くたくたとその場に倒れそうな雁瀬先生を早く寝かせてあげたいとも思うが、一応聞いておく。
「ゴースト瞬殺の紋」
直球の表現は酷くダサイ名前に聞こえた。太陽の力といい、雁瀬先生の和訳センスは少し疑問の余地がある。
「効果は取り付いたゴーストの消滅。発動条件は太陽が出ている時間帯であること」
憶えておくように、と開いた大型本を指さすと、そのままごろりと寝転んだ。
現在時刻、午前四時。確かに空は白んでいた。




