三十四話目 天使化して
暗い。酷く暗い。
誰が何をしているかじゃない。自分が何をしているのかすら分からない。
随分長い間、こんな暗闇を忘れていた気がする。
いつも教室では光があった。昼でも夜でも構わず。
甘やかされていた。恐怖から逃げていた。
目が慣れたとしても、わずかな光も入らないこの空間では何かが見えることはない。
ここには光がない。
そんなのは。ごめんだ。
上向は叫んだ。
限界だ。耐えられない。
こんな事に耐えるふりなんてしていられない。
なぜ、無力な人間のふりなど続けるのか。
一瞬で、こんな不愉快な所など変えてしまおう。
闇から這い出た獣が静かに襲いかかる。
上向は身を翻らせた。
目を焼くような突然の光。
黒い獣はあまりの閃光に獲物のことを忘れて身をよじった。
前足で目を押さえてその場に転がった。
その様子を見下ろす非情な目は光源の中にあって、無感動にただただのたうつ獣を眺めていた。
光が弱まる。
陽幸が足りない。
真白の毛並みは流れを持ち、そのたてがみは太陽のように。
神々しく輝く尊い白銀の獅子が佇んでいた。
冷たく輝く黄金の目はただただ、目前にある影の王者を見下ろしている。
光に顔をしかめながら、黒毛の獅子は目をぎらりと光らせる。
「早く来ないかとうずうずしていたよ」
「そうですか」
たいした抑揚もなく、無関心な返答。それが面白くないのか、黒獅子は牙をむいて唸る。
やはり先に攻撃にうつったのは影。
まっすぐに走り、その胴体に体当たりを仕掛ける。
真っ正面に受け、白い身体が部屋の中を飛ぶ。
勝ち誇ったような影はあごを上げて大きく鼻を鳴らす。しかしその肩は酷い火傷を負っていた。
傷口をなめようと舌を伸ばすが、上手くいかない。
身体を引きつらせ、ぷるぷると舌を伸ばしている横に厄介な光玉が飛んでくる。
とっさに黒い影は左に避けた。
その脇をいったん通過すると、振り返り黄金の目が影を見据える。
「ずいぶん鈍臭い動きをしていますね」
「君に言われたくない」
どちらも気取った話し方なのは、元が同じ存在だからだろうか。
その後も何度か体当たり合戦を行うが、光の方がどうも不利だった。半端に光量を失った光はこの暗闇の中では狙いが付けられやすいようだ。
それを悟った光側はじわじわ距離を詰める。
そうして色違いの双子はついにとっくみあいを始めた。
互いの前足を掛け合い、相手ののど元に噛みつこうとする。
ただ、どちらも動きが鈍い。
小学生の指相撲の方が随分スピーディでハイレベルな戦いになるだろう。
上向が光を放ったおかげで、隣でもう一試合が行われている。
奇妙奇天烈な化け物は王の脇でぼんやり立っていた。その真正面に阿戸鳴は立っていた。
人間に戻っても阿戸鳴は背が高い。それでも、馬の半身を持つ巨大な合成人には見下ろされる。
精巧な人形に近い虚ろな瞳で見下ろされると、ぞわぞわと鳥肌が立つほどの不快感に襲われる。
それでも目を離したりはしなかった。
今は阿戸鳴が狙われている。他の誰かが襲われるよりも安心する。
自分が上手く立ち回りさえすればいいのだ。
身長以外はどちらかというと体型に恵まれていない阿戸鳴だが、どうもこちらに来てから気が大きくなってしょうがない。
馬となり風となった経験がそうさせる。
「こんな人形、操り主共々蹴飛ばしてやんよ」
陽幸が少ないことも忘れ挑発する。怪物は相変わらず無反応で、王様は哀れみの目を向けてくる。
すっと王様が右手を挙げた。何が始まるのかと構えると、口の端をつり上がらせてまっすぐ阿戸鳴に向けて手を下ろした。
それを合図に、怪物は尾ひれで地を叩いた。
一瞬で目前まで迫ってくる。挑発をしたまではよかったが、こんな攻撃までは想定していなかった。
気がつけば阿戸鳴は一歩下がったまま動けなくなっていた。
「阿戸鳴! 動け!」
突然脇から名前を呼ばれ、固まっていた足で声の方へと飛び出した。
薄明かりの中に彼女の姿が見える。
「お前も命令がないと動けないじゃねえかよ」
へへっと神部が笑っている。ほっとした。
「オレが手綱握ってやるよ。安佛ほど上手くはねえけど」
「言ってろよ」
苦虫を噛み潰したような顔をして返事をしてから、神戸に背中を向けた。
悪くはない。
むしろこいつのせいで気がさらに大きくなる。
「変身は出来るか?」
「せんせーが陽幸出しまくってるから、もう少ししたらいける」
上向が光として放出する陽幸。側にいるだけで例のパソコンよりも影響が出る。
「そうじゃねえし」
神部が否定した。
「上向先生と同じようになれるかってきいてんだ」
その問いには顔を曇らさざるをえない。
「無理」
「オレも」
目の前の怪物を睨み付けながら二人はあえて笑みを浮かべた。
「だよな」
そうして、出来る限りの陽幸を自らの思い通りに集め始めた。




