二十九話目 無量は虜
数時間が経った。仮面の青年は椅子に身体を預けたまま微動だにしない。
膝を開き、足はしっかり地に着いている。腕を組み、背筋は少し反り気味に。
堂々と鎮座するその姿は置物のようで、美術彫刻と並べ置いても遜色ない。
周りの誰もが展覧会にいるように一定の距離を置いて眺める。
その中で一人だけ、好奇心を抑えきれずに手を伸ばす者が居た。
赤茶げた色素を残す手は蟹から戻った無量のもので、さきほどまであらゆる角度から眺めていたのだがついに我慢できなくなったらしい。
音を立てないように、相手に動きを悟られないように、おそるおそるといった様子で手を仮面に向かい伸ばした。
その勇気ある行動を、周囲の者は生唾を飲み込みながら見守る。
そうしてあと少しであごの先に触れる距離に。
なったところで、動きは急激に止まる。
手首をがっちりと掴まれてしまった。さきほどまで隠れていた目の輝きは今はまた爛々と輝いている。
「僕の仮面に触れるつもりか、それとも、その汚い手は僕の仮面を盗るつもりか」
あわあわと手を振り払おうとするが、無量の手首は絶対的な握力で固定されている。
「盗むだなんて、いやね。ご尊顔をちょっと見たかっただけ」
しどろもどろになりながらも、自分のしようとした行いを恥じたのか、顔を真っ赤にさせて何とかして拘束から外れようと身をよじる。
それでも王子は手を放さない。
それどころか、その手を引いて無量に顔を近づける。
「止めるべきだ。僕には呪いがかけられている」
双眸の輝きはいつもまっすぐ相手の目を照らす。その目に魅入られれば、次の言葉など浮かんでくる暇もない。
「呪いって?」
魔眼に捕らわれていない場木が興味深そうに尋ねる。
仮面の奥から意味深な一瞥が送られたが、場木はさっと目をそらした。
視線を捕らえることが出来なかっら王子はため息を隠さずについた。
「たいしたものではない。呪術師の嫉妬が呼び起こした呪いだ」
もう一度無量の瞳を捕らえる。
府抜けた彼女はへたりと腰を落ち着けた。
「僕に惚れた呪術師は、僕が他のものに興味を持つことを恐れた。いかなものでも僕の目に触れることが許せなくなった」
どこから来るのか自信に充ち満ちた目。その自信はきっと仮面の力で外に漏れないようになっている。
「この仮面は僕を外界の全てと遮る力を持っている」
特に呪いの効果について語ることなく、それ以上は言いたくないのかその一言で話題を終えた。
「まー、顔を見るだけだったらここに肖像があるんだけどね」
とんとんと指先で厚い表紙を叩いた。
それに応答するように仮面の青年は立ち上がり近づく。
「これはまた、懐かしい」
中を開く前から、その声は感動に震えていた。
そうして肖像を手に取ると、表紙をめくりあげ指先で絵の縁をなぞった。
四人の並ぶ姿が楕円の鉄にかすかに映る。
うり二つの双子のような子ども達。凛とした母親、威厳のある父親。
尊厳に満ちあふれた、一般人の想像とはいくらかずれた幸福な一族の図。
かすかに声を響かせて、仮面に隠れて泣いていた。
「王は間違っておりません。呪術師の力を用いたが故に即神になられた」
その言葉とは裏腹に、感情は王の間違いを浮き彫りにしている。王に仕える呪術師への不信感をぬぐえぬまま、他に為す術もなく王に従うこの王子は泣いている。
魅了されたままの無量は側にかしずき、手をさしのべる。
「王様を利用している呪術師が憎いの」
本心と建前に板挟みされ仮面の青年は無量の言葉に返事が出来ない。
口先だけでの嘘はつけない。けれど、真実を口に出すのは自分自身への裏切りに値する。
動けない王子の本音は、無量を通し外に出てしまっていた。
「それでも、僕は呪術師を恨んではいけない」
ぎりぎりと歯を噛みしめる音がする。
「王に命ある限り、王の命には従うのみ」
忠誠心はかたくなで、王子と言うよりは騎士のそれであった。
「バカね」
無量は魅了から解き放たれていた。苛立ちを隠さずに声を上げる。
「なんだと」
弱っていた姿を切り離し、仮面の青年は神部にくってかかる。
「貴様もう一度言ってみろ」
「バカだって言ったの」
無量も真っ向から臨戦態勢をとる。口げんかは嫌いじゃない。
「なんで命には従うのみなのよ。あんた本当に考える事を止めるまでが早すぎなのよ」
そんなんだからすぐ復讐だ、カタキだって突っ走ってたんじゃないといさめる。
「あんたのお父さんがどんなにすごい人かは知らないけどさ、自分の行動を全部人任せにすんのはずるいってわけ」
「何故父に従うのが悪い」
「別に悪いってわけじゃないけど。でも、おかしいことをおかしいって言えないのは悪いわよ」
仮面の青年は訳が分からないと言いたげに首をかしげる。
「アタシの姉さんもすっごく頭良いよ。アタシとは比べものにならないくらいいいよ、でも時々とんでもなくバカなことするの。アタシでも分かるくらいバカな詐欺に引っかかるの。それを怒るのはアタシなのよ」
それから無量は姉の数々の失態を語っていく。夜店のテキ屋から高級美容品、フィッシング詐欺に、ついでにチェーンメールで慌てた話まで含めたありとあらゆる典型的巧妙手口のデパート。
「頭良い姉さんは親にそういうの言わないから、アタシしか気づけなかったし、怒れなかった」
「それがどうした」
王子の理解の遅さに、ついに無量はキレた。
「だから、アタシが姉さんに怒ってなかったら姉さん似たような手口に何回も引っかかってたんだ。それと同じで、あんたが言わなかったらあんたの父さんずっと呪術師に騙され続けるんだからね」
きゃんきゃんと耳をつんざく声が響く。
それが頭に響いたのか、あまりの声に言葉を聞き取るのに時間がかかっているのか、少しの間を置いて王子はやっと会話に沿った返事をした。
「言いたいことは分かった。けれど、僕は王に意見する方法を知らない」
きいいと声を出すほどに無量の神経が高ぶっている。
見かねた神部が押さえにかかった。
「謁見の時にでも、オレらが代わりに呪術師の件を話してやるよ」
ふーふーと荒い息を繰り返す興奮状態の冷めない無量を押さえる。
「だから、建前はこの際置いといて。正直に話してくれ。お前らに何があったのかを」




