二十五話 Aの戦車
身体には陽幸を身に纏う。後先考えず全力で陽幸を放っていた。
影に削られてはいけない。今ここを抜けなければ安ずるべきこの後のことなんて永遠にやってこない。
安佛は阿戸鳴の背で飛ばされそうなほど揺られながら、慎重に後ろを振り返った。
煌々と明かりが漏れているのは教室の扉が開け放たれたままだから。その中に黒い姿が見受けられた。
逆光を浴び、どんな構えをとっているのか分からないそいつは阿戸鳴の後を追って、走ってくる。
神部と仮面の王子との硬直状態は解けたらしい。
先ほど教室に王子が乗り込んできたとき拘束され、喉に受けたあの装飾で飾られた鞘の感触を思い出されて、自然と安佛の片手は首元に伸びていた。
鞘を受けたとき、あの青年はこぼれ落ちるような声で今は亡き母を何度も何度も繰り返し呼んでいた。
仮面の王子にとってその大きな喪失は、妹の復讐と同じようにたった一人に宛てたりはできない。その消失に関わった全ての者が恨めしい。
あの仮面の王子にとって母がどれほど大きな存在だったのか、安佛は言葉の外で汲み取ることができた。
だから、目立った行動をすれば誰でも囮になれると確信していた。
暗闇の中で、かすかな光を感じて身を伏せる。馬上なのであまり大きな行動は出来ない。
すると、すぐ後ろから剣が突き出されていた。即座の判断が身を救っていた。
「なんだよ、あまり動くなよ。振り落とすぞ」
背中に目が付いているわけでもない阿戸鳴は仮面の青年がすぐそこにいることに気付いていない。安佛に乱暴な声をあげる。
「大丈夫っす」
阿戸鳴に返事をしつつ、肘鉄を食らわせようとしたら、鉄の色はさっと身を引いた。
安佛の舌打ちを聞いて、阿戸鳴は広い中庭でカーブを描いた。
「こっちに来てんなら来てるって言えよ」
阿戸鳴も青年を視認したらしい。
曲がるために体重が移動し、随分上体が傾く。安佛は難なく阿戸鳴に姿勢を合わせる。
その動きに合わせるように、そのカーブの内側を走って何とか馬の足に追いついた仮面の青年はもう一度付きを繰り出した。
「阿戸鳴、左っす」
阿戸鳴を誘導し、少しジグザクに走る。直線の付きは予備動作が見えれば何とか避けることが出来た。
そしてカーブで折り返しまた直線コースに入ると、青年の方も動きを変えた。阿戸鳴の足はやはり速い。普通に追いかけるだけではその俊足に追いつけないとわかり、こちらの動きをうかがいだした。
「どうする」
「どうするって、なにさ」
立ち止まった青年をぐいぐい放す。
「あの王子どう相手すんだ?」
安佛は後ろを見た。闇に紛れそうな青年をかろうじて捕らえる。
「神部はどうしてたっすか?」
その問いに、何が言いたいんだと阿戸鳴は不審そうに語尾を上げる。
「神部はさ、陽幸を叩き込んでるっす」
だだんだだんと一定のリズムで馬の足が地を蹴る音が響く。
「近づいてさ、この拳を叩き込んでやるっす」
だっと馬の足並みが少し崩れた。
「無茶言うなよ」
片眉をつり上げるどころか、ひん曲がった顔をしている。
速度が落ちたことを狙ってか、風を切る音がしそうな走り方で青年がこちらに向かってくる。
「いいか、あんなの振り回してる奴に近づけるもんか」
諭すように、それでも怒りを抱えながら阿戸鳴は忠言する。
「射程距離が倍ってもんじゃすまないぞ」
前足で地を蹴り、はねるように走り始める。
「けどさ」
「あーあ、俺何で射手座なのに何も持ってないんだろ。そしたら遠くに逃げてはちまちま攻撃できんのに」
面倒臭そうな顔をして、愚痴りながらスピードを上げる。
「俺をさ、打ち出せば良いんだ。阿戸鳴はさ、ただの射る奴じゃなくてさ」
首ががくがく揺れるのを我慢しながら、安佛は協力を仰いだ。
「お前のその機動力があればさ、俺の拳だって届く」
だから、あの王子に向かってくれ。安佛は言い切った。
「馬鹿じゃねえの」
「本気だぞ。俺たちがやればさ、戦車にだって負けないっす」
阿戸鳴は笑った。
「あまり時間ねえぞ」
「それくらいはさ、分かってるっす」
スピードを緩め、身体を反転させる。恐怖を吹っ飛ばすために猛々しく叫んだ。
「あいつばっか良い格好してんのも気にくわなかったんだ」
「俺らだって、やりゃあできるってもんっすよ」
だんだんと阿戸鳴の身体はスピードを上げていく。愚かなほどの直進。
その動きに合わせ、安佛も姿勢を整える。
仮面の王子も、安佛達の動きが変わったことに気が付いた。その場で止まり、暗闇に紛れながら構えをとった。
一瞬で決めると、思っただろう。
「右っす」
阿戸鳴は安佛の声に従い、馬離れしたギャロップを見せる。
交差する一瞬だけを狙っていた王子は虚を突かれたように付きを虚空にはなった。
阿戸鳴はまた進路を調整する。
「隙有り」
ちょうどその無防備な肩が安佛の脇に来た。
上から振り下ろすように、渾身の一撃を浴びせかけた。
見事にフェイントからの攻撃に繋がった。
安佛の洞察力や判断力、それに答えるだけの身体能力を持つ阿戸鳴。二人揃っての一撃だった。




