二十三話 亡者と天使
空の軍勢は完全に勢いを殺されていた。どんなに策を講じても、今度は教室内に入れない。
扉に立つ安佛を取り込もうにも、安佛の陽幸と、別の場所から発せられる圧倒的な陽幸に手を引かなければならない。
余裕を持って楽しんでいた乙女の亡者もあまりの出力に焦りが見え始める。
安佛と乙女の亡者が長い長い見合いの時間を続けている中に、乱入者が現れる。
教室内の影を消し終えた蓮村は、薄白く輝く姿で廊下に降り立ち、空に浮かぶ乙女の亡者へ立ち向かう。
蓮村が発光しているので、亡者の顔がうっすら見えるようになる。
酷いしかめ面を浮かべた年増の女性。
「やはりお后さまだね」
戸から身体を乗り出す格好で雁瀬先生は必死に亡者を確認する。
肖像画のような端正な無表情と大きく異なっているのは、蓮村が眩しいから。
蓮村が発する圧倒的な陽幸に苦しんでいる。
「野蛮な民は力だけを信用するのでしょう? 虎の威を借りたところで人間は狩られるだけですことよ」
お后様の亡者は口元を押さえながら、その目は左右に動き状況を確認する。
そして片手を振り上げ、まっすぐ下ろした。
教室に向かって大小様々な影が打ち出される。
それを遮るように神々しく、ふらふらと人間離れした蓮村が立ちはだかった。
暗い雨は蓮村に近づくことが出来ず、存在が消える。
闇の弾丸は勢いを殺され、抹消される。
黒い固まりはドーム型に削られる。
どうあがいても天使化した蓮村に近づく方法はない。
「気に入りませんわ。お父様、早くいらしてくださいな。待っていなさい、お父様が来ればあなたがたなんて」
圧倒的な戦力差に亡者は悔しげに歯を噛みしめる。
そんなしかめ面に向けて、一本の指が向けられる。
「いけない。ワタクシがいなければ、闇の雨が昼の空を覆えないのですのよ」
次の動作がどれほどの影響を及ぼすのか、乙女の亡者は甚大な被害を察して、何とかして避けようと背中を見せる。
蓮村は言葉にならない呪文を唱えた。
昼間と見紛うほど絶対的な明かりがその場を支配した。
目が焼けそうなほどの光に誰もが目をつぶった。
遠くに聞こえる断末魔を捕らえられるかどうか、人間達の五感の働きは随分制限されていた。
呆気なさ過ぎる最期に、亡者に同情する暇さえなかった。
相変わらず蓮村は焦点の合わない目のまま夢遊病のようにふらふら動く。
「蓮村先生さ。大丈夫っすか」
安佛が心配そうに肩を叩く。しかし、反応らしき反応はない。
「無駄だね。そいつは元から蓮村先生じゃあなかった」
雁瀬先生はぼーっと輝く蓮村を見ていた。
影に盗られた姿を亡者と呼ぶのならば、陽光に使われた姿は天使となる。
蓮村はすでに一度影に完全に飲み込まれ、姿を奪われた。その亡者は一度教室に乗り込み、嘘をついて教室中に混乱を引き起こした。
場木達が発掘した蓮村は、すでに人間の蓮村ではなかったのだ。
影を抜き取られた後、雁瀬先生が壁越しに描いた紋章が発した陽幸に形作られた蓮村だった。
ただ再現した姿に過ぎない蓮村だが、元もと有った記憶だけを頼りに人間として振る舞っていた。それが解放されただけなのだ。今はもう、ただ蓮村の形を借りた陽幸でしかない。
その瞳に何もうつらないのは人間になることを止めた為だ。
「この洋館に敷かれた呪術の気配に敏感だったのは、牡牛座の天使だったせいだね」
牡牛座が姿を貸した天使は、智天使となる。神を知覚することが出来る上級天使。
この洋館のルールを治める神であった呪術師。その御技である呪術を察知できるのは牡牛座である彼女が姿を貸した天使だったから。
問題は、元の蓮村が復元可能なのかということと、この天使がずっと天使のままで居続けることになるかどうか。
その時、智天使はまぶたを閉じかけた。ふらふらと身体を支える足はさらにおぼつかない。
身体や装飾品から発する光も力無く、薄まっている。
心配になっていつ倒れられてもフォローできるように安佛が腕を広げて近づくと、その腕にもたれるように柔らかく崩れ落ちた。
スーツに身を包んだエリート教育実習生の姿で、蓮村は眠りに落ちた。
その上階、ぼんやりとした闇の中で白ひげの男が乙女の最期をじっと見ていた。
最期の言葉を聞き漏らすことなく、ただただ眺めていた。
そして怒りに我を見失う鉄の犬をその優しい手でなだめている。
「ゆるさんゆるさんゆるさんゆるさん」
怒りのせいで吠えるように何度も何度も同じ事しかいえなくなった息子の影。
なだめ諭すように見せかけながら、その手は見事に怒りを誘導する。
「この部屋に連れてきなさい。我が直々に謁見してやろう」
太陽除けの紋の上に鎮座する空想の玉座。
ゆったりと腰を掛け、足下に王子を控えさせている。
「国を荒らす新参者には直々に罰を下さねばならぬ。我が息子ならば分かってくれるであろう」
「ですが」
何も言うなと目前に手をかざした。
「ならば一人だけ、その手にかけることを許そう」
慈愛に満ちた目で、かざした手は優しく息子の仮面をなぞる。
仮面に顔を隠す王子は怒りを湛える目を隠し、頷いた。
「全ては王の為に。王の為すままに」
限られた活動時間。それを惜しむように怖ろしい速さで仮面の青年は姿を消した。
闇の中で赤い光が怪しげに玉座を照らす。




