二十一話目 陽幸の足りない夜
夜が来た。
非常に静かな夜だ。
相変わらず阿戸鳴は人間をやっている。早く人馬にならないものかと安佛と一緒に尻をさすっている。
そして気絶していた上向も、未だ意識を戻さない。
「眠っているだけだと良いんだけど」
蓮村と場木が心配そうにのぞき込む。
「先生はねぼすけ」
椅子を並べたベッドの脇にはパソコンの画面が引っ張ってきて置かれている。そのせいか側で看病をしていた蓮村は牛になっていた。それで場木にバトンタッチ。
場木は日中陽光を失った神部に付き添っていたせいで随分陽光を溜めている。不安だった呼吸も心配いらなかった。その上陽幸の使い方を意識した結果、どれだけ陽幸を溜めようがその姿は人魚姫で安定した。誰よりも調整が上手い。完全に人魚分離出来ているわけではないが、鱗の肌はきっちり第一ボタンまで留めた長袖シャツに隠されているので違和感はほぼ無い。手のひらがいくらかヒレっぽすぎることに目をつぶれば完璧といって差し支えない。
違和感と言えば、教室の隅にいる巨大な蟹がとてつもない違和感を放っている。普通ではあり得ないサイズの蟹だ。言うまでもなく、場木の練習に付き合った無量のなれの果てだ。
近づくとヒステリックな声を上げる。たまに人間の首が生えたりスカートが出てきたりして不気味なことこの上ない。
場木ほど上手く扱えないことを気にしているのか、ぐすぐす声を殺して泣いている。神部だけが彼女の逆鱗に触れることなく側に寄り添っている。無量の場合、大蟹なので人間と組み合わせた変身はいかに上手く扱えたとしても行き着く先はミュータントだと誰もが思っていた。
人魚姫と牛に看病されている男の姿を見て、安佛は何かを思い出した。
「そういえばさ、最初の頃山羊女に襲われた時さ。なかなか神部の意識が戻らなかったぞ」
そうだと阿戸鳴が興奮したように当時を思い返す。
「山羊に蹴られたときだろ。あの山羊が帰った後も神部はすっごい苦しそうにしてた。んでもって、雁瀬先生が影抜きみたいなことしてたよな」
名前を呼ばれ、半分眠っていそうな雁瀬先生が首をかしげる。
「わっしが? 何したっけ」
どうも今日は反応がぼんやりしている。
「何てったっけ。ゴースト瞬殺とかなんとか」
「上向先生にさ神部を支えさせてさ、ホワイトボードにさ押しつけたっす」
安佛は教卓の向こうを指さした。ホワイトボードにはかすれた円状の模様がかすかに残っている。
それでもうーんと雁瀬先生は悩みこんでしまう。横の筋を伸ばす運動ぐらい身体は傾いた。
「したっけ?」
したんだよと男子生徒がまくし立てるが、どうも思い出せないらしい。
しびれを切らして教室の隅に置いてあった、呪術師の本を取り上げた。
分厚い本を乱暴に開き、ぺらぺらとめくる。
「読めねえ」
アルファベットの羅列に頭をかかえながら、図だけを頼りに探し続ける。
だが逆にいえば、そのおかげで探しだすのは早かった。
「これだ!!」
阿戸鳴の声に全員の視線が彼に集中する。
「今描くぞ。先生、もうすぐだ」
がんばれよと走り際に横たわる上向を励ます。
反応がない上向を脇に教卓に回り込むと、黒のマーカーで丸を書く。
そして描かれた非常に不器用な丸に、熱心に本とホワイトボードを見比べながら細かい模様を一つ一つ入れていく。
「待って」
阿戸鳴の動作を黙って見上げていた場木がぼそりと言った。
「その紋、確か発動に条件があった」
とても単純で、けれど自在には扱えない条件。
「瞬殺の紋は日の出ている間だけ」
太陽が隠れている夜にはその紋は効果を発揮できない。
しかも今は日が暮れたところだ。日が出る時間まではまだ十時間ほどかかる。
「他の手段」
考えがまとまらないのか、ぼそぼそとした声でそれだけ言うと何か無いのかと問うように本を見つめた。
蓮村はおろおろしていた。この教室が何を行われようとしているのか分からない。
不安の行き場が無くて、場木に相談する。
「どういう事?」
蓮村には、部屋から出てくる前の話なので生徒達が何を考えているのかを知らなかった。
それを察した場木は困った顔をしながら短く的確な言葉を贈る。
「蓮村先生が元に戻ったきっかけ。たぶん」
場木は言葉を選びながら雁瀬先生が使ったゴースト瞬殺の紋の話をした。
「そ、んな」
牛は目を見開いた。ただでさえ大きな目がこぼれ落ちそうな程見開かれた。
けれど取り乱すことはなく、一つ深呼吸をしてから分析に入る。
「陽幸があれば起きるのね」
場木は頷く。
「何らかの方法で陽幸を溜めることが出来ればいいのだけど」
ちらりと上向の枕元を見た。側には件の陽幸が溜まる画面が開かれている。
「陽幸の摂取は出来ているのに目覚めない。当時の雁瀬先生は影を取り込んだせいと言っていた」
「そう」
「でも考えてみて。影は陽幸が弱点なんでしょ? 影を取り込んだ上向くんに陽幸を発している私達が触れている。これは遠回しに上向くんの中の影に攻撃をしていることにはならないのかしら」
場木は答えに詰まった。
「人間は、陽幸のカプセルって言うし」
助けを求めるようにちらりと雁瀬先生を見た。膨大な情報源は眠っていた。
「……あの本を読んでください」
もう分からないといった様子で阿戸鳴の持つ分厚いぼろぼろの本を指さした。
動きを止めていた阿戸鳴は様子を察して、歩いてくる蓮村に向かって行き本を差し出した。
蓮村は大人しくなった。熱中して本を読んでいる。
集中しないと内容が頭に入ってこないらしく、一言も喋らない。
無量はもう完全に諦めて巨大な蟹になったままだ。その脇に神部が座っている。
「かんちゃん、まだ陽幸使えないの?」
赤土色の足を一本伸ばす。
その足を握り返しながら神部は首を横に振った。
「ダメみてえだ」
肩を落として大きくため息をついてみせた。
「かんちゃんは陽幸をどんな風に感じてる?」
「どんな風にっていわれてもな」
肩を落としすぎて猫背の背中。そこから頭を重そうに持ち上げた。
「全身に毛が生えているのと同じように、体中から糸が出ててさ。グローブとか、ブーツとか、何でも良いからパーツを考えてその場所に固めるんだ」
神部の話だとそのとらえ方は陽幸が見える訳じゃなくて自分のイメージ。
「本当にそういうもんなのかは怪しいけど、話を聞いていたらそんなイメージがわいてきてな。実際、脳裏にそのイメージが描けるようになってから拳も走りも格段に変わった」
手を握ってみたり足を蹴り上げてみせるが、覇気は感じられない。
「じゃ、今みたいに使えない時ってどんな感じなのさ」
「なんだよ、質問攻めなんてお前らしくない」
蟹の顔をのぞき込む。
だってと棒の先に付いた目をそらした。
「かんちゃんこそ。いつも一方的に話してるのに、今は随分静かだから。心配してるんだよ」
その言葉に、神部は姿勢を少し上向けた。はんっと鼻で笑う。
「いつもの心配の押し売りか」
「そうよ」
無量は顔にこそ出さないが乱暴な返事に呆れと怒りが混じっていた。
「いつもどおりよ」




