笑えた日
第50話「笑えた日」
徳田薫との食事から数日後。
梨花は週末、いつものように実家の旅館へ顔を出していた。
その日は、麻里子と陽介も来ていた。
一絵は厨房で仕込みを終え、一幸を連れて奥の座敷へ戻ってくる。
穏やかな午後だった。
……の、はずだった。
*
麻里子が、梨花の向かいに座る。
目が完全に探偵のそれだった。
「では、これより聞き取り調査を開始します」
「何の?」
「梨花お姉ちゃん恋愛捜査本部」
「やめなさい」
梨花はお茶を飲もうとした。
その瞬間。
畳の上をてくてく歩いてきた一幸が、梨花の膝元に来て、きらきらした目で言った。
「梨花おねえしゃん」
「なあに、一幸くん」
「好きな人おるん?」
*
ぶふっ!!
梨花は飲みかけていたお茶を盛大に吹き出した。
「ごほっ、ごほっ!」
麻里子は腹を抱えて爆笑。
「一幸くん、ナイス!」
一絵は慌ててタオルを取る。
「一幸! どこでそんな言葉覚えたの!」
一幸は得意げに胸を張る。
「麻里子しゃん」
「麻里子ぉ!」
梨花が真っ赤な顔で叫ぶ。
*
麻里子は悪びれない。
「いやぁ、幼児の純粋な質問は刺さるねぇ」
「刺さるどころか急所やわ!」
「で?」
「で、じゃない!」
「好きな人おるん?」
一幸も真似する。
「おるん?」
陽介まで小声で言う。
「おるんですか?」
「陽介さんまで乗らないで!」
*
七海は台所から顔を出して笑っている。
光博は新聞を広げたまま、肩だけ震えている。
完全に聞いている。
梨花は耳まで真っ赤だった。
*
「別に、まだそういうんじゃないから」
梨花は小さく言った。
麻里子が目を細める。
「まだ?」
「……」
「今、まだって言った」
「言ってない」
「言った」
「言ってない!」
一幸がまた言う。
「まだ?」
全員が吹き出した。
*
梨花は顔を手で覆った。
でも。
嫌ではなかった。
こんなふうに笑われる日が戻ってくるなんて、少し前までは想像できなかった。
責められる笑いではない。
バカにされる笑いでもない。
家族の中で、温かく転がる笑いだった。
*
麻里子が少し優しい声で言う。
「お姉ちゃん」
「何よ」
「無理に恋せんでいいよ」
「……」
「でも、笑えてるなら、それでいい」
梨花は少しだけ表情を緩めた。
「うん」
*
一幸が梨花の膝に乗ってくる。
「梨花おねえしゃん、にこにこ」
「うん。にこにこやね」
「よかったね」
その小さな言葉に、梨花は胸が温かくなった。
「ありがとう、一幸くん」
*
笑える日は、ちゃんと戻ってくる。
それは突然ではなく、こんなふうに、誰かの無邪気な一言から戻ってくるのかもしれない。
*
次回予告
第51話「琵琶湖に映る私」
梨花は再び琵琶湖を訪れる。
かつて泣いた場所。
自分を失いかけた場所。
そして、今の自分を確かめる場所。
一方、徳田薫との関係も少しずつ穏やかに進み始める。
次回、
第51話「琵琶湖に映る私」
水面に映る私は、もうあの日の私ではない。




