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沈黙の琵琶湖 ― 壊れた日常の向こうへ ―  作者: リンダ


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大輝の孤立

 第44話「大輝の孤立」


 刑務所での生活は、大輝が想像していた以上に重かった。


 決められた時間に起きる。


 決められた作業をする。


 決められた規則の中で暮らす。


 そして刑務内作業で得られたわずかな収入の大半は、賠償金の支払いへ回されていく。


 *


 娯楽に使える金はほとんどない。


 欲しいものも買えない。


 少しの楽しみすら、遠く感じる。


「こんなん、いつまで続くんや……」


 大輝は何度も投げ出したくなった。


 だが、投げ出すことすら許されない。


 責任は、逃げても消えない。


 *


 周囲の受刑者たちの視線も冷たかった。


「あいつ、まだ自分が被害者やと思ってるらしいで」


「嫁さんおったのに、別の女騙して妊娠させたんやろ」


「それで金払えへんからって逃げてるんか」


 そんな声が、作業場の隅から聞こえてくる。


 大輝は歯を食いしばる。


 だが、言い返せなかった。


 *


 ある日。


 刑務内作業の休憩中。


 一人の受刑者が大輝に声をかけた。


 年齢は五十代半ば。


 無口で、普段は誰ともあまり話さない男だった。


「お前、子どもがおるんか」


 大輝は少し警戒しながら答えた。


「……おる」


「男か女か」


「男」


「生きとるんか」


 大輝は眉をひそめた。


「何や、その聞き方」


 男は大輝を見た。


「生きとるんかって聞いとる」


「……生きとる」


 男の目が、鋭くなった。


 *


「お前、嫁さんがおるのに、他の女に手を出して、妊娠させて逃げとるんやな」


 大輝は黙った。


「そうなんやろ」


「……」


 男の声に怒りが混じる。


「甘ったれるな」


 大輝が顔を上げる。


「何やと」


「ふざけるな言うとんじゃ」


 男の声が作業場に響いた。


 周囲が静まる。


 *


「お前の子どもは生きとるんやろ」


「……」


「だったら、自分の罪を子どもに背負わせるな」


 大輝は言葉を失った。


 男は拳を握っていた。


 怒りを抑えているのが分かった。


 *


 その男には、過去があった。


 幼い息子を殺された。


 突然、何の理由もなく奪われた。


 そして、その犯人を取り押さえた時、怒りと悲しみに飲まれ、犯人を死なせてしまった。


 過剰防衛とされ、逮捕された。


 刑務所に入った。


 *


 男は低い声で言った。


「俺の息子は、もう帰ってこん」


 大輝は動けなかった。


「抱きしめることもできん」


「名前を呼んでも返事はない」


「飯を食わせることもできん」


「大きくなる姿を見ることもできん」


 *


 男は大輝を睨んだ。


「でもお前の子どもは生きとる」


「……」


「生きとるんやろうが」


 大輝は初めて、何も言い返せなかった。


 *


「馬鹿タレが」


 男は吐き捨てるように言った。


「金がない、苦しい、払えん?」


「……」


「そんなもん、子どもの命の前で言い訳になるか」


「……」


「お前が父親なら、せめて背中だけでも見せろ」


 *


 大輝はうつむいた。


 これまで何度も言われてきた。


 責任を取れ。


 逃げるな。


 子どもに背負わせるな。


 でも、この男の言葉は違った。


 息子を失った人間の言葉だった。


 命があることの重さを、失った側から突きつけられた。


 *


 その夜。


 大輝は眠れなかった。


 一幸の顔を、まともに見たことはない。


 抱いたこともない。


 声を聞いたこともない。


 それでも、自分には子どもがいる。


 生きている子どもがいる。


 そしてその子は、自分の逃げた責任の先で育っている。


 *


「自分の罪を、子どもに背負わせるな」


 その言葉が、大輝の耳に残り続けた。


 逃げ続けた先に、誰も待ってはいない。


 でも、責任の先には、まだ見ようとすれば見えるものがあるのかもしれない。


 大輝は初めて、賠償金の明細を最後まで見た。


 養育費。


 一幸のための金。


 その文字の前で、長い時間動けなかった。


 *


 次回予告

 第45話「もう怖くない」


 梨花は、久しぶりに大津を訪れる。


 かつて大輝と暮らした街。


 待ち続けた部屋。


 泣いた夜。


 だが今の梨花は、もうあの頃の梨花ではなかった。


 次回、

 第45話「もう怖くない」


 過去の場所に立っても、今の自分まで戻る必要はない。

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