準備は静かに
第21話「準備は静かに」
一絵のお腹は、五か月に入った。
冬のコートの下でも、少しずつ丸みが分かるようになっていた。
一絵はお腹に手を当てるたび、複雑な表情を浮かべた。
大輝に騙された痛み。
梨花を傷つけてしまった後悔。
それでも、この子だけは守るという決意。
そのすべてを抱えて、一絵は法廷に通っていた。
*
家庭裁判所から、養育費に関する通知が届いた。
毎月五万円。
子どもが二十歳を迎えるまで。
合計一千二百万円。
それは、一絵と子どもの生活を支えるための、最低限の責任だった。
大輝は通知を見て、また顔を歪めた。
「まだ払わせるんか……」
その言葉を聞いた弁護士は、静かに告げた。
「子どもに対する責任です」
大輝は黙った。
だが、その沈黙は反省ではなかった。
*
刑事裁判。
この日、検察側は大輝の暴言記録を開示した。
録音。
文字起こし。
SNS投稿。
病院への接触記録。
梨花の仕事を侮辱した言葉。
麻里子への侮辱。
一絵の妊娠を疑った発言。
すべてが、法廷に並べられた。
*
《お前は何もできない》
《看護師なんて適当に注射して、適当に話聞いて、適当に薬出せば終わる》
《妹に頼らな何もできへんな》
《妻に人生を壊された》
《本当に俺の子なんか?》
読み上げられるたび、法廷の空気が冷えていった。
裁判員たちは言葉を失っていた。
ただの夫婦喧嘩。
ただの言い過ぎ。
そんな言葉では片づけられないものが、そこにはあった。
*
梨花は俯かなかった。
苦しかった。
あの日の言葉をもう一度聞くのは、胸を切られるようだった。
それでも、顔を上げていた。
あれは自分の弱さではない。
大輝が投げた暴力だった。
そう証明するために。
*
一方、大輝の弁護士は、なお罪を軽くしようと策を練っていた。
「発言は感情的な口論の中で出たものです」
「被告人も精神的に追い詰められていました」
「SNS投稿についても、社会的制裁を受けている点を考慮すべきです」
法廷に、その主張が響く。
だが、検察側はすぐに反論した。
「被告人は、発覚後も責任転嫁を続けています」
「被害者側が証拠を示してなお、発言を撤回せず、SNSでさらに傷を広げました」
「社会的制裁は、被害者が受けた苦痛を消すものではありません」
*
裁判員の視線は、重かった。
大輝は初めて、その視線を避けるようになった。
知らない人たちの目。
血縁も感情もない人たちが、自分の言葉を聞いている。
そして、その表情が物語っていた。
これは軽くない。
*
閉廷後。
梨花、一絵、麻里子は廊下のベンチに並んで座った。
一絵はお腹をさすりながら言った。
「この子が大きくなった時、ちゃんと説明できるようにしたい」
梨花は静かにうなずいた。
「うん」
麻里子も言った。
「そのためにも、今は逃げたらあかんね」
三人はしばらく黙った。
でも、その沈黙は昔のような孤独ではなかった。
*
次回予告
第22話「大輝の逆ギレ」
養育費、慰謝料、会社への賠償。
大輝は追い詰められ、再び怒りを爆発させる。
だが、怒鳴れば怒鳴るほど、記録は増えていく。
次回、
第22話「大輝の逆ギレ」
責任から逃げる声ほど、大きく響く。




