3-6 刺客の獲物狩り
ガラス工房の裏口を挟んだ薄暗い路地の陰。
刺客たちは呼吸の音すら消し、獲物が現れる瞬間をじっと待っていた。
ターゲットはルミエール王国の次期国王、ラウール・フォン・ルミエール。
しかし護衛は、あの『至高の星階』と謳われる騎士団長ヒーアリック・アダルバートだ。
「たった一振りの剣圧で城門を粉砕した」「彼に剣を向けた者は、刃を交える前に戦意を喪失する」という圧倒的な戦績を持つ人間離れした強さ持つ男。
最近では、禁忌の森ーー『黒き森』に住まう【暗殺の魔女】を討伐したという噂まで流れ始めている。
普通なら、生きて帰ることすら叶わない自殺志願者のような作戦。
だが、彼らの手元にはそれを可能にするだけの切り札があった。
「おい、あの野郎……ルンルンでガラス工房から出てきたぞ。緊張感のねぇ国だな、おい」
大柄な男が、兜の奥から吐き捨てるように囁いた。その背には、肉厚の漆黒の戦鎚が重苦しくそびえている。
「ふん、呑気な買い物もそこまでだ。……おい、準備はいいな」
男は仕立ての悪い灰色のローブの内側から、赤黒い呪符をそっと引き抜いた。
指先で呪符をなぞると、不気味な魔力がじわじわと熱を帯び、空気をピリピリと震わせ始める。
「いつでもいけるぜ。あの金髪の騎士がどれほど化け物だろうが、俺らの呪符で一瞬でも動きが鈍りゃ、あんたの戦鎚であの馬鹿殿ごと叩き潰して終わりだ」
表通りを歩く、ラウールの歩調に合わせて、作戦開始のタイミングを脳内でカウントダウンする。
(3……2……1……。今だ……!)
刺客は一歩踏み出し、呪符の呪いを一気に解放しようとした。
すべては寸分の狂いもなく、完璧なはずだった……というのに。
刺客たちがラウールに攻撃を仕掛けようと歩を進めよたはずが、彼らの足は1歩たりとも動かなかった。
突然の事態に、刺客たちの思考が一瞬で真っ白に染まる。
「な、なんだこれは……!?」
灰色のローブの男が、焦燥に駆られた声を漏らし、自身の足元を見下ろした。
地面からは、不気味なほど透明で鋭い氷が音もなく這い上がり、彼らの古汚い革靴をすっぽりと包み込んで完全に凍りつかせている。
一歩踏み出そうとした大柄な男も、完全にバランスを崩してその場に棒立ちになっていた。
「クソっ、足が抜けねえ!水の魔術の罠か!? いや、氷だ……!いつからこんなものがーー」
もがけばもがくほど、冷気は骨の髄まで染み渡り、彼らの感覚を麻痺させていく。
呪符を構えたままの男の手元で、起術寸前だった赤黒い魔力がぶるぶると不安定に震え始めた。
「ーーあれあれ〜?早くいかないと獲物が逃げちゃうのさ。行かなくていいのさね?」
その時、男たちの頭上から、場違いなほど明るく楽しげな声が降ってきた。
驚愕して見上げた先ーー古い建物の配管の上に、ワインレッド色のローブを着てフードを深く被った少女が、刺客たちにいたずらっぽく声をかけながら、しゃがみ込んでいる。
少女が自身の口元を人差し指で押さえると、刺客たちの足元の氷が一気に彼らの膝元まで這い上がり、凍結の速度を速めていった。
「おい、やめろ、呪符がーー!」
極限のパニックの中、男が起術しかけた呪符を無理やり少女へ向けようとした瞬間、起術寸前だった赤黒い呪符は、その対象を変えた。
「がはっ……!?あ、あああぁぁっ!」
本来なら少女に向けて放たれるはずだった重力崩壊の圧力が、逃げ道を失って凍りついた刺客たち自身へと牙を剥いだ。
自らの放った強力な重圧に押し潰され、氷に囚われた二人の身体が内側から悲鳴を上げる。
「あり、えねぇ……俺たちの、作戦が……」
大柄な男の漆黒の戦鎚が手元から滑り落ち、氷の張った冷たい地面に鈍い音を立てて転がった。
そのまま、暴力的な重圧と骨まで凍らせる冷気によって、刺客の二人組は意識を刈り取られ、糸が切れた人形のように静かに崩れ落ちていく。
少女は彼らが完全に気を失ったのを確認すると、フードを取り、少し遠くから様子を伺っていた青年に手を振りながら声をかけた。
「アッシュ~、気絶したのさ〜!」
深くフードを被った青年、アッシュはため息混じりに少女の元へゆっくりと歩み寄った。
「……相変わらずまぁまぁ派手にやるな、ミュゲ」
「えへへ、これくらいがカッコイイのさ〜♪」
少女、ミュゲは、配管からぴょんと地面にたち降りると、誇らしげな顔を浮かべる。
そんなミュゲを横目に、アッシュはすぐさま懐に忍ばせていたロープを取り出して気絶した刺客2人組を括りあげた。
「……早くここから逃げるぞ。変に長居したら誰かに見つかる。それに、コイツらにはお前の存在がバレた」
「気にすることないのさ!あたしなんて、もう二度と見つけられないのさ〜!」
ミュゲは「問題ない」と言わんばかりに、細い路地で優雅にくるりと1周回る。
そんなミュゲに呆れつつ、アッシュは括り上げた刺客の2人を壁に寄りかからせると、小さく微笑んだ。
「行くぞ、ミュゲ。良い時間だし、ついでに晩飯奢ってやる」
「わーい!ステーキ!ステーキ食べたいのさ〜っ!」
「それは高いからダメだ」
「……ケチ〜っ!」
ミュゲはプクっと頬を膨らませ、歩き出したアッシュを追いかけた。
たわいもない二人の会話が、表通りの雑踏に紛れていく。
薄暗い職人街の路地裏に残ったのは、気絶をし、縄で括られた男二人だけ。
彼らを恐怖に攫った氷も、呪符も、気づけば跡形もなく無くなっている。
静けさを取り戻した路地裏に冷たい風が吹き抜け、残された男たちの影をひっそりと揺らしていた。




