3-5 頭を抱える苦労人と胃を痛める苦労人
建物の屋上を有効活用した、職人街の賑やかな表通りを見下ろせる見晴らしの良いテラス席。
木製のテーブルの上には、湯気の立っていないハーブティーと、ナッツの蜂蜜漬けが置かれていた。
「ん〜!職人街の料理も美味しいのさ!今度は来るなら、ガッツリ食べたいのさね!」
美味しそうにナッツを頬張るミュゲとは対照的に、向かいに座るアッシュはテーブルに顔を突っ伏している。
「……んなこと言ってる場合か。刺客探しはどうなった?」
アッシュはゆっくりと顔を上げると、背もたれに体重を預けた。
本来なら、今頃ラウールの暗殺を目論む刺客を探していたはずだった。
だが、ミュゲが「休憩したい」「お腹空いた」「疲れた」と駄々をこねだしたことにより、この緊迫した状態でお茶会を開く羽目になってしまったのである。
「……マジで殿下死ぬだろぉぉお〜」
アッシュは頭をかきむしり、絞り出すような声を上げた。
ラウールを死守せんと必死な彼に対し、ミュゲは不可解そうに首を傾げる。
「なんでそんなに殿下のことを守ろうとしてるのさ?あたし達には殿下が死のうと関係ないのさ」
ミュゲがアッシュに向かって蜂蜜漬けのナッツを差し出すと、彼の灰色のローブからひょっこりと黄土色のリスが顔を出した。
そのリスは、嬉しそうにナッツを両手で抱えてカリカリと齧り始める。
「……わざわざ、嘘の殺害予告を作ったり、シャンデリアを落とすことまでしなくていいのさ」
ミュゲの正論に、アッシュはため息をつきながら、ハーブティーのカップを手に取り続けた。
「……今の国王の跡継ぎはあの殿下だけだろ?つまり、あの殿下が死ぬと?」
「死ぬと?」
「……跡継ぎ争いするだろ」
アッシュは、平和で賑やかな職人街の景色をぼんやりと眺めながら呟く。
「……ルナリア・エドワードは信託を授からなかった。ということは、殿下が死んでも国は滅んでないってことだ。後継者を争って、その中で誰かが勝ち取るんだろうな」
「……跡継ぎ争いのなにが問題なのさ?国のことなんてほっとけばいいのさね」
「仮に戦争にでもなったらどうする?ましてや、何かをきっかけに俺らが利用されたらどうする?」
アッシュの食い気味な言葉に、ミュゲは顔を上げた。
どうやら、アッシュが何を言いたいのかミュゲに伝わったらしい。
アッシュは1口紅茶を含むと、吐き捨てるように呟いた。
「……そんなのごめんだ」
カップを乱暴にテーブルへ置くアッシュをみながら、ミュゲは微笑んだ。
「つまりアッシュは、自分が平穏に過ごすために、あの殿下を守ろうとしてるってことなのさね?それも、どんな方法を使ったとしても」
「言い方が悪い。俺は極めて建設的な防衛策を講じているだけだ」
「そんなことないのさ。アッシュなりの優しさなことはちゃんと伝わってるのさね!」
ミュゲはくすくすと笑いながら、ハーブティーの最後の一口を飲み干した。
「ふざけんな。一般人共に優しさを持つなんてあってたまるか」
「でも実際そうなのさ〜!アッシュだけなのさ、あれを誰かの為に使ってるのは」
ミュゲはナッツを食べながら再びクスクス笑うと、アッシュはバツが悪そうに目を逸らした。
「……そろそろ行くぞ。休憩はここまでだ」
アッシュが立ち上がろうとすると、ミュゲはすぐさま彼を止めるために声をあげる。
「待ってアッシュ。ちゃんとお茶会にも意味はあるのさ」
「なんだよ?」
アッシュは椅子の背から離しかけた体を止め、怪訝そうに眉をひそめた。
「ほら、あそこを見てほしいのさね」
ミュゲが視線で示したのは、彼らが今しがたまで見ていた表通りではなく、ガラス工房のちょうど真裏に位置する、狭く薄暗い交差点だった。
そこはちょうど、表通りから死角になりつつ、いくつかの路地が複雑に交わる合流地点になっている。
「この席に座った時からずっと、あの2人組が壁に張り付いてたのさ」
アッシュは目を細め、ミュゲが視線で示した場所を注視する。
その路地裏には、なにかを話し合っている小柄な男と大柄な男の2人組が立っていた。
明らかに怪しさを放つその2人組は、ずっとラウール達のいるガラス工房の様子を伺っている。
「……なるほどな。闇雲に歩き回るより、ここでじっと観察していた方が、不審な人物が一発で丸分かりだったってわけか」
アッシュは小さく口角を上げると、今度こそ完全に席を立った。
「ったく。お茶会の時間は無駄じゃなかった」
「ふふ〜ん!丁度小腹が空いたあたしに感謝するのさね!」
「本命が飯だったやつに感謝してたまるか」
ミュゲが席を立ち、ワイン色のリボンで結ばれたブロンズ色のポニーテールを軽く揺らす。
アッシュの懐からも、ナッツを満腹に食べたであろうリスが小さな顔を出す。
アッシュはテーブルに数枚の銅貨を置くと、ミュゲを伴ってテラス席の階段を静かに下りていく。
二人の影は賑やかな表通りを避け、再び深い陰の落ちる路地裏へと音もなく滑り込んでいくのだった。
きらびやかな硝子細工が所狭しと並ぶガラス工房の内側では、まったく異なる二つの空気が激しく衝突していた。
「見てくれ、ヒーアリック!この、光の当たり方で色を変える美しい細工を!ああ、なんと素晴らしい!職人の魂を感じるぞ……!」
ラウールはまるで遠足に来た少年のように目を輝かせ、棚に並んだ高級グラスや緻密な置物を覗き込んでは、無邪気に感嘆の声を上げていた。
「……さ、左様でございますね、殿下……」
そのすぐ斜め後ろのヒーアリックはというと、生きた心地がしていなかった。
藍色のマントの下で、いつでも聖剣を引き抜けるよう柄に手をかけたまま、全神経を周囲の空間へと尖らせている。
額には冷や汗がにじみ、胃のあたりがキリキリと悲鳴を上げていた。
(四方八方、すべてが割れ物……。もし今ここで、あの『確率をねじ曲げる脅威』が起こったらどうなる……?)
心なしか棚のグラスが時折「ユラ……」と、触れてもいないのにかすかに共鳴して震えているように見える。
ヒーアリックはその微小な振動を捉えるたびに、ビクッと肩を震わせ、鋭い視線を周囲に走らせた。
「ヒーアリック、そんなに怖い顔をしてどうした?ほら、この金箔の入った皿など、母上の贈り物にぴったりだと思わないか?!」
「殿下、お願いですからそれ以上その棚に近づかないでください……っ!自分の胃が持ちません……!」
国最強の騎士団長が必死の形相で懇願する横で、ラウールは「お前は心配性だなぁ」と、どこまでもマイペースに美しいガラスを品定めし続ける。
(……頼む……!お願いだから、今は何も起こらないでくれ……!)
「ーーうむ、この深淵を湛えた蒼と眩い黄金のコントラストをまとった、まるで煌めく星海を閉じ込めたかのような逸品にしよう!」
ヒーアリックが心の中で祈っているうちに、ラウールは海のような青を基調とした、流麗な金の線で繊細な花々が描かれたグラスを手にとり、満面の笑みを浮かべていた。
「ふっ……見えるぞ……!この杯に咲き誇るは、宵闇の星空にのみ開花するという伝説の『金華』……!我が魂の波動と、実に心地よく共鳴しているではないか!」
「で、殿下!お願いですからそのグラスを振り回さないでください……っ!自分が先に死にます……っ!」
うっとりとグラスを掲げるラウールは、割れ物の恐怖に顔を蒼白にするヒーアリックをみては、優雅に店主に話しかけた。
「素晴らしい、店主!この『金華のグラス』を手に入れるための対価を提示するがいい!我が護衛が死を迎える前にな!」
「……金貨五枚でございます」
店主は一切表情を変えず、カウンターの下から静かにそろばんと手帳を取り出した。
そんな店主を見るなり、ラウールは掲げていたグラスをそっと手元に戻し、フッと片眉を上げた。
「このグラス、よほど特別な由来があると見える。我が魂の共鳴に相応しい価値だが……店主、その根拠を聞かせてもらおうか」
「至極当然の理由でございます。それを作り上げたのは、何を隠そうこの私め自身にございますれば」
店主は腕を組み、不敵な笑みを浮かべて見せた。
「その金華の模様は、東方の特殊な鉱石を粉末状にしてガラスに練り込み、三日三晩不眠不休で炉の温度を調整し続けてようやく焼き上げた一点もの。割られでもすれば二度と作れぬ逸品にございます。……ゆえに、私めの命がけの技術料が上乗せされているのです」
「店主自らの手による至高の作であったか……!素晴らしい、その執念と技術、まさに買いだ!」
ラウールは鷹揚に胸を張り、眩いばかりの笑顔で懐からずっしりと重い革袋を取り出した。
「殿下、まさか本当にお出しになるおつもりですか……?」
ヒーアリックは青ざめた顔で額の汗をぐっと拭い、目の前に積まれた金貨の山とラウールの顔を何度も往復して見つめた。
「当たり前だ!我が魂を揺さぶる至高の逸品に対し、金貨五枚など安いもの!」
ラウールは豪快に胸を張り、バサリと絢爛なマントを翻しながら、机の上にドスンと金貨袋を叩きつけた。
「ヒーアリックよ、これで一安心だな!お前は死なずに済むぞ!ハーハッハッハ!」
高らかに笑い声を上げると、ラウールはがっしりとヒーアリックの肩を叩く。
その勢いに押され、ヒーアリックはよろめいた。
(……駄目だ、色々な意味でこれ以上胃が持ちそうにない……)
ルミエール王国の次期国王である、ラウール・フォン・ルミエールという男。
彼は、自身の死のカウントダウンに怯える様子もないだけではなく、どこまでもマイペースで、金銭感覚もないらしい。
ヒーアリックは、「もうこの殿下を止められない」と改めて感じさせられた。
彼は、悲鳴を上げるみぞおちを思わず手で押さえる。
ラウールが、ジャラリとカウンターに金貨を並べると、店主は口元をほころばせ恭しく頭を下げた。
「お買い上げ、誠にありがとうございます。……では、こちらのグラス、傷ひとつ付けぬよう厳重に箱へお納めいたしますね」
「うむ!届くのが楽しみだぞ。……母上へのプレゼントは生憎見つからなかったが、いい買い物が出来た!……さあ行くぞ、ヒーアリック。職人たちの元へ向かうとしようか!」
「……は、はい。御意に、ございます……」
日没が近づき、恐怖のタイムリミットが刻一刻と迫る中、ヒーアリックは「今ので寿命が5年は縮んだ」と確信しながら、どこまでも自由なラウールの後ろを限界まで胃を痛めながらついていくのだった。




