第7話 風が馴染むまで
マリアの身体は、ゆっくりと地面へ降りてきた。彼女の足先が草に触れた瞬間、それまで周囲を舞っていた風が、ほどけるように消えていく。大きくなびいていた髪が肩へ戻り、淡く輝いていた身体も、少しずつ元の姿へ戻っていった。
「マリア!」
ヒューは駆け寄り、倒れそうになった彼女の肩を支えた。
「大丈夫か?」
「ええ……驚いただけ」
マリアは何度か深呼吸をした。顔色は悪くない。苦しそうな様子もなかったが、自分の身体に何が起きたのか、まだ理解できていないようだった。
「急に魔力があふれ出して、止められなかったの。でも、今は大丈夫」
マリアが右手を持ち上げる。その指先へ、細い風が集まった。草の葉を揺らす程度の小さな風。しかし、今度は暴れることなく、マリアの指の動きに従って、ゆっくりと円を描いている。
「さっきとは違う」
「ええ」
マリアは風を見つめた。
「少しずつだけれど、分かるわ」
目を閉じる。
「今までの私にとって、風はただ周りにあるものだった」
頬を撫でる風。草を揺らす風。遠くから流れてくる空気。
「でも今は、どこから吹いてきて、どこへ向かおうとしているのか感じられる」
「《風術師》になったからか?」
「おそらくね。風への親和性が高くなったんだと思う」
マリアが一歩踏み出した。その足元へ、ふわりと風が集まる。
「……あ」
身体がわずかに前へ押し出された。
「風を使えば、今までより素早く動けそう」
「便利だな」
「魔法使いは接近されると弱いから、これはかなり大きいわ」
ヒューは先ほどの光景を思い出す。
「空も飛べるのか?」
「飛ぶというより」
マリアは少し困ったように笑った。
「風で身体を支えていただけだと思う」
「でも浮いてたぞ」
「浮いてはいたけど……」
自分の身体が宙へ持ち上げられたことを思い出したのか。マリアの表情が少し引きつる。
「使える魔力を一気に持っていかれたわ」
「そんなに?」
「ええ。今すぐもう一度やれって言われても、たぶん無理」
「じゃあ空中移動は」
「緊急時だけね」
「それでも」
ヒューは胸を撫で下ろした。
「逃げる手段が増えたのは大きい」
これまで、敵がマリアへ向かうたび。自分が間に合わなければどうなる。そんな不安があった。だが、風を使って自分から距離を取れるのなら。彼女の安全は、以前より確実に高まる。
「ありがとう、ヒュー」
「どうして俺に礼を言うんだ?」
「あなたが《共鳴》してくれなければ、この力は手に入らなかったもの」
「俺だけの力じゃない」
ヒューは答える。
「マリアが俺を信じてくれたからだ」
「……そうね」
マリアは少しだけ目を伏せた。二人の間を、穏やかな風が通り過ぎていった。
◇
町へ戻った二人は、そのまま冒険者ギルドへ向かった。受付の前へ、十五体分の討伐証明を並べる。受付係は一つずつ数えながら。何度もヒューたちの顔を見上げた。
「これを、今日だけで?」
「はい」
「二人で?」
「はい」
「……」
受付係の手が止まった。
「少々お待ちください」
討伐証明を抱え。慌ただしく奥へ引っ込んでいく。しばらくすると。別の職員も現れた。討伐証明の種類。状態。数。一つずつ確認していく。今回の討伐だけではない。これまで二人が達成した依頼。
ゴブリン。大牙ウルフ。そして、若いオーガを討伐した実績。それらも含めて。すでにギルド内で昇格が検討されていたらしい。やがて、受付係が戻ってくる。手には、二枚のギルドカード。
「ヒューさん、マリアさん」
「はい」
「お二人のEランクへの昇格が承認されました」
「本当ですか?」
マリアの顔が明るくなる。
「はい」
受付係はカードを差し出した。
「ただし」
少しだけ表情が厳しくなる。
「Eランクになれば、これまでより危険な依頼を受けられるようになります」
「ああ」
「自分の実力を過信しないでください」
「分かりました」
ヒューがカードを受け取る。刻まれていた文字。
【冒険者ランク:E】
「本当に変わってる」
マリアも、自分のカードを眺めた。
「これで護衛依頼を受けられるわね」
「ああ」
二人は、早速。依頼掲示板の前へ移動した。Eランク以上を対象にした依頼。Fランクまでとは、内容が明らかに違う。魔物の群れの討伐。遠方での薬草採取。行商人の護衛。町の外へ出るものが多い。
「ヒュー」
マリアが、一枚の依頼書を指した。
「これ」
ヒューも覗き込む。
【商隊護衛】
【目的地:リーヴェン】
【出発:三日後】
「目的地も同じだ」
「ええ」
マリアが頷く。
「これなら路銀を稼ぎながらリーヴェンまで行ける」
依頼を受けるには、翌日。依頼主の商人と面談する必要がある。
「申し込もう」
「ええ」
二人は受付で申し込みを済ませた。
◇
翌日。ヒューとマリアは、町の商業区にある倉庫を訪れていた。大きな扉の前には、荷物を積み始めた二台の馬車が並んでいる。依頼主の商人は、護衛へ応募した二人を見ると。手元の書類と。ヒューたちの顔を、交互に見比べた。
「二人とも、昨日Eランクになったばかりなのか」
「はい」
「若いな……」
商人が、不安そうに眉を寄せる。ヒューが何か言おうとした。そのとき。
「年齢だけでは、腕前は分からないわ」
背後から、女性の声。振り返る。倉庫の入口に、一人の女性が立っていた。長く伸びた。緑色の髪。細身で、すらりとした身体。髪の間から、人間よりも長く尖った耳が覗いている。背には弓。腰には矢筒。小さな短剣。
整った顔立ちの女性だった。だが、その瞳は鋭い。ヒューとマリアの姿を、観察している。
「ああ、フィローネさん」
商人の表情が、少しだけ明るくなった。
「来てくれましたか」
「ええ」
女性が答える。
「リーヴェン行きの護衛依頼でしょう?」
「はい」
商人がヒューたちへ向き直る。
「こちらはフィローネさん。Eランクの《狩人》です」
「今回の護衛には、三人で参加していただく予定です」
「フィローネよ」
彼女が名乗る。
「ヒューです。職業は《剣士》」
「マリアです。《魔法使い》です」
マリアが名乗った瞬間。フィローネの尖った耳が、わずかに動いた。視線。マリアの髪。肩。手。足元。ゆっくり、確認するように動く。
「何か?」
「いいえ」
フィローネは答えた。だが、まだマリアを見ている。
「ただ」
「?」
「魔力の流れが少し変わってると思っただけ」
マリアの表情が固まった。
「分かるんですか?」
「詳しくは分からないわ」
フィローネが首を傾ける。
「昨日までとは違う身体になったのに」
一度、マリアの足元を見る。
「まだ自分でも扱い方をつかめていない」
「そんな感じがする」
「……」
続いて。フィローネの視線が、ヒューへ移った。
「あなたも変ね」
「俺も?」
「Eランクになったばかりの剣士にしては」
ヒューの立ち方。肩。足。
「隙が少ない」
「……」
「腕や肩だけじゃなくて」
フィローネが自分の腰を軽く叩く。
「身体全体で剣を振る人の立ち方をしてる」
ヒューは、無意識に自分の足元を見る。《戦士》を装備してから、身体の動きが変わった。それは、自分でも感じている。だが、初対面の人間に。立っているだけで違和感を持たれるとは思っていなかった。
「二人とも」
フィローネが尋ねる。
「昨日Eランクになったばかりなのよね?」
「そうです」
「なら」
少し考え。
「出発前に、一度一緒に戦っておきたいわ」
「一緒に?」
「ええ」
フィローネは商人へ向き直った。
「護衛の最中に初めて互いの実力を知るのは危険です」
「明日、この近くで出ている魔物討伐の共同依頼を受けても構いませんか?」
「安全のためなら」
商人は迷わず頷いた。
「こちらからもお願いします」
フィローネが、再び二人を見る。
「二人に不満があるわけではないの」
「ただ」
少しだけ声を低くする。
「実力の分からない相手に、背中を預けることはできない」
「俺も」
ヒューは頷いた。
「その方がいいと思います」
「私も異論はありません」
二人の答えを聞き。フィローネが、初めて少し笑った。
「話が早くて助かるわ」
◇
翌朝。三人は、町の北側に広がる森へ入った。今回受けたのは。
【グレートファングウルフ討伐】
グレートファングウルフ。以前ヒューとマリアが倒した《大牙ウルフ》と同じ狼型の魔物。だが、こちらは一回り大きく。森の中で群れを作って狩りを行う。Eランク冒険者が複数で対処することを推奨されている。数日前から、森の浅い場所で目撃される数が増え。薬草採取へ向かう者たちが、森へ入れなくなっているらしい。
「止まって」
先頭を歩いていたフィローネが、片手を上げた。ヒューとマリアも、すぐに止まる。フィローネは地面へしゃがみ込み。湿った土へ残った足跡を見る。指先で、縁をなぞる。
「五体」
「分かるのか?」
「ええ」
「一体は少し小さい」
さらに、周囲を見る。
「ここを通ったのも、それほど前じゃない」
ヒューも周囲を見る。木。草。土。それしか。分からない。
「足跡だけで、そこまで分かるのか?」
「足跡だけじゃない」
フィローネが、近くの枝を指す。
「折れた枝」
次に、草へ引っかかった毛。
「毛」
鼻を少し動かす。
「匂い」
そして、木の上。
「鳥の声」
「鳥?」
「左にはいる」
ヒューも見る。数羽。枝に止まっている。
「でも」
フィローネが、反対側を見る。
「右にはいない」
「……」
「だから」
立ち上がる。
「右へ進んだ可能性が高い」
フィローネは、迷わず森の中へ進んだ。しばらくして、低い唸り声。茂み。その向こう。三体。大型の狼。地面へ鼻を近づけ。何かの匂いを探っている。
「三体しかいない」
ヒューが小声で言う。
「残り二体は?」
「いるわ」
フィローネが、目だけを左右へ動かした。
「左右に一体ずつ」
「見えるのか?」
「見えない」
「……」
「でも」
小さく。
「囲みに来てる」
フィローネが弓を構えた。
「私が左」
「ヒューは正面」
「マリアは右から来る個体を警戒して」
「分かった」
「ええ」
弦が。静かに引かれる。ほとんど。音がしない。――シュッ。放たれた矢。木々の間を抜け。左側の茂みへ消える。
「ギャウッ!」
短い悲鳴。隠れていた一体の前脚を、矢が正確に貫いていた。同時。正面。三体。動く。
「来る!」
ヒューは剣を抜き。一歩前へ、一体目。飛びかかる。牙。ヒューは剣で、真正面から受けない。斜めへ流す。身体を回す。すれ違いざま。脇腹。斬る。
着地したところへ、二体目。横。迫る。ヒューは地面を蹴った。《戦士》。身体が、前へ。振り下ろされる前脚。半歩。外へ。かわす。
剣。首。
「右から!」
フィローネの声。木の陰。最後の一体。飛び出す。狙いは。
「マリア!」
ヒューが叫ぶ。
「分かってる!」
マリアが、杖を構える。
「風よ!」
足元。風。集まる。瞬間。
「えっ!?」
強すぎた。
「きゃっ!」
身体が、予想以上の勢いで。横へ押し出される。転びそうになる。
「っ!」
グレートファングウルフの牙。外套。かすめる。
「マリア!」
ヒューが向かおうとする。だが、正面。まだ一体。進路を塞ぐ。次の瞬間。――シュッ!矢。マリアを狙った個体の肩へ、深く突き刺さる。狼の身体が、一瞬止まった。
「今!」
「はい!」
マリアが体勢を立て直す。杖。向ける。
「《風弾》!」
風の塊。直撃。グレートファングウルフが、地面へ転がる。一方、ヒューも。最後の一体の攻撃を流し。首へ。剣を振り抜いた。静寂。
「……」
マリアが、外套についた土を払う。
「ごめんなさい」
「何が?」
「思ったより」
自分の足元を見る。
「風が強く動いた」
「最初から使いこなせる人はいないわ」
フィローネは、倒れた魔物から矢を引き抜いた。
「でも」
「?」
「あなたは風を無理に生み出そうとしすぎてる」
「どういう意味ですか?」
「風は」
フィローネが、自分の長い緑髪を一房つまんだ。森を抜ける風。髪が。小さく揺れる。
「何もないところから作らなくても」
髪から手を離す。
「最初から周りを流れてるでしょう?」
「……」
「流れている風を」
右手を、ゆっくり動かす。
「押さえつけるんじゃなくて」
方向を変えるように。
「進む場所を少し教える」
「私なら」
フィローネが言う。
「そんなふうに考えるわ」
「フィローネも風魔法を?」
「初歩だけよ」
フィローネが答えた。
「私は《狩人》だから、本職の魔法使いみたいな術は使えない」
「でも」
森を見る。
「エルフは人間より自然の魔力を感じやすいの」
「小さな風を動かしたり、傷を塞ぐ程度の術なら、昔から練習して覚えてる」
「職業が違っても魔法を覚えられるのか」
「簡単なものならね」
フィローネがヒューを見る。
「ジョブの恩恵がない分、魔法使いよりずっと時間はかかるけど」
「なるほど」
マリアは、もう一度。目を閉じる。周囲。風。すぐに、強い風を起こそうとはしない。頬。撫でる。髪。揺らす。木々の間。
通り抜けていく。
「進む方向を……」
マリアが、小さく呟く。
「教える」
足元。草。わずかに揺れる。小さな風。静かな風。
「そう」
フィローネが頷く。
「それでいい」
◇
三人は、その後も森を進んだ。二つ目の群れ。マリアは、今度は。風に身体を無理やり押させなかった。自分が、地面を蹴る。その動き。そこへ、風を重ねる。
「……!」
身体が、滑るように前へ進んだ。速い。自分でも驚く。でも、転ばない。
「ヒュー、左!」
「ああ!」
ヒューが身を引く。その脇。風。通り抜ける。グレートファングウルフの足元へ、巻きつく。
「ギャッ!」
倒しきれない。それでも、体勢を崩す。ほんの一瞬。十分だった。ヒューの剣。首。
「やった!」
マリアが、思わず笑う。だが、その背後。
「フィローネ!」
一体。フィローネへ、正面の敵へ弓を向けていた彼女。振り向くのが、遅れる。マリアが、地面を蹴った。風。足元へ、今度は。暴れない。上へも行かない。前へ。進むためだけ。
「っ!」
一気に、フィローネの横へ。
「はあっ!」
杖を。両手で振る。風。横から、飛びかかった魔物へ。
「ギャンッ!」
空中。体勢。崩れる。地面へ転がる。フィローネが振り返る。すぐ。一本目。前脚。二本目。喉。
矢が。突き刺さる。動かなくなった。
「……助かった」
フィローネが、弓を下ろす。
「今の移動」
マリアを見る。
「最初とはまるで違った」
「風を動かそうとするんじゃなくて」
マリアが息を整える。
「自分の動きに重ねてみました」
「もうコツをつかんだ?」
「少しだけです」
額。汗。呼吸。少し乱れている。でも、立てないほどではない。
「さっきより」
マリアは、自分の魔力を確認する。
「魔力も減ってない」
「力が」
ヒューが近づいた。
「身体に馴染み始めたんだな」
「そうみたい」
マリアが答え。そして、ヒューの腕を見る。
「……ヒュー」
「ん?」
「怪我してるじゃない」
左腕。浅い爪痕。
「これくらい――」
「見せて」
今度は、フィローネだった。
「え?」
「腕」
「ああ」
ヒューが差し出す。フィローネが、傷の上へ。右手。淡い光。傷を包む。
「温かい……」
「初歩の治癒魔法よ」
ゆっくり、血が止まる。傷口が、僅かに閉じていく。
「治癒魔法まで使えるのか?」
「森で一人になることも多いから」
フィローネは、魔法を止めた。
「昔、必死に覚えたの」
「《狩人》でも?」
「今言ったでしょう」
少しだけ笑う。
「職業の恩恵がなくても、初歩なら努力次第で覚えられる」
「ただし」
ヒューの腕を見る。
「この程度」
傷。完全には消えていない。しかし、血は止まり。戦闘には支障がない。
「骨折や深い傷は無理」
「十分だ」
「ありがとう」
「護衛では」
フィローネが弓を背負う。
「少しでも戦える人間を減らさないことが大切だから」
そして。ヒュー。マリア。交互に見る。
「それにしても」
「?」
「本当に昨日、Eランクになったばかりなのよね?」
「はい」
「あなたたちを試すつもりだったけど」
フィローネが、少し呆れたように笑った。
「必要なかったかもしれないわ」
「いや」
ヒューは首を振る。
「フィローネがいなかったら、最初の戦闘でマリアが危なかった」
「……」
「足跡も」
森を見る。
「魔物がどこに隠れてるかも」
「俺たちだけじゃ分からなかった」
「私も」
マリアが続く。
「フィローネさんのおかげで、風の扱い方が分かりました」
「フィローネでいいわ」
彼女は、少しだけ笑った。
「三日後じゃなくて」
少し考え。訂正する。
「もう明日には一緒に出発する仲間でしょう?」
「あ」
マリアも気づく。
「そうね」
「なら」
フィローネが言う。
「堅苦しい呼び方はやめましょう」
「分かった」
ヒューが頷く。
「フィローネ」
「よろしく、フィローネ」
「ええ」
三人の間にあった。僅かな緊張。ようやく。薄れていった。
◇
依頼された数は、すでに討伐している。あとは、証明部位を回収し。町へ戻るだけ。フィローネが、最後の魔物を調べていた。
「……」
その表情。変わった。
「どうした?」
「この傷」
彼女が指した。グレートファングウルフの脇腹。そこには、ヒューたちがつけたものとは違う。古い傷。乾いている。深い。爪痕。
「かなり大きな魔物に襲われた傷ね」
「この森には」
ヒューが尋ねる。
「グレートファングウルフを襲う魔物もいるのか?」
「いるにはいる」
フィローネが、森の奥を見る。
「でも」
「?」
「もっと奥にいるはず」
しゃがみ。地面を調べる。土。草。枝。やがて、フィローネが。複数の痕跡を見つけた。
「変ね」
「何が?」
「これ」
指差す。
「違う種類の足跡」
一つ。さらに、別。
「どれも」
フィローネの視線が、同じ方向へ動く。
「同じ方向へ移動してる」
「どっちへ?」
「森の奥から」
ゆっくり、振り返る。
「町に近い浅い場所へ」
「……」
「何かから」
フィローネが、静かに言った。
「逃げてるのかもしれない」
その言葉。ヒューの脳裏。以前の戦い。傷ついたゴブリン。怯え。森の奥。
「前にもあった」
「何が?」
「ゴブリンだ」
フィローネを見る。
「ゴブリンたちが」
何度も、後ろを振り返りながら。
「何かから逃げてた」
「そのあと」
「若いオーガが現れた」
「オーガ?」
「ああ」
「俺は」
少し考える。
「あのとき」
「ゴブリンがオーガから逃げてたんだと思ってた」
「でも」
フィローネの表情。僅かに、変わる。
「もし」
「?」
「そのオーガも」
森の奥。見る。
「何かから逃げていたとしたら――」
そのとき。
「た、助けてくれえええっ!」
声。人間。悲鳴。
「!」
三人。一斉に、振り返る。森の奥。直後。――グオオオオオオッ!!低い。激しい雄叫び。木々。震える。枝に止まっていた鳥たち。
一斉に、空へ。飛び立つ。フィローネは、すでに。弓を構えていた。
「今の声」
目を細める。
「この辺りにいる魔物のものじゃない」
ヒュー。剣。抜く。
「どこだ?」
「待って」
マリアが、目を閉じた。森。風。意識を伸ばす。頬へ。風。右。左。木々の間。流れてくる。
そして、その中。僅かな。声。
「……」
もう。風は。彼女の魔力へ逆らわない。無理に掴まなくてもいい。流れ。感じる。悲鳴を運んできた。風。その方向。
「分かる」
マリアが、森の奥を指した。再び。
「助けてくれぇぇっ!」
悲鳴。
「こっち!」
マリアが走る。ヒュー。フィローネ。続く。三人は、森の奥へ。一斉に駆け出した。




